第43話
先日のデートは、祐奈への入学祝いを決めたところで、時間切れとなってしまった。それは少し残念だったが、芽衣との距離がまた縮まったのは事実だろう。
その証拠として、教室内でも積極的に芽衣に話しかけることを意識するようになったのだし、こうして教室のど真ん中で芽衣お手製の同じお弁当を二人きりでつついているのだ。
「これ、自信作なんだけど、どうかな?」
「美味しいよ。味付けも俺好みだ」
「そっか、良かった」
そう言って嬉しそうに微笑む芽衣の笑顔は、クラスメイトといえど他の男子に見せるのは勿体ない気さえしてくるほどに可愛らしい。それを向けられながら、彼女の作ったお弁当を食べるというのは、一人で食べるどんな高級コース料理なんかよりも贅沢だろう。
「俺の料理の腕を超えられるのも時間の問題だって思ってたけど、もう超えられてるかもな」
「そんなことないって。時間かければ出来るけど、手際とかあんまり良くないし」
「まあ、手際とかは慣れだからな。とはいえ、あんまり無理し過ぎないでくれよ。一緒のお弁当を食べられるのは嬉しいけど、芽衣に倒れられたらその方が嫌だからな」
「じゃあ、手際よくやるコツとか教えてよ。また一緒にご飯作りながらさ」
「まあ、いいけど、来月から受験生なんだし、あんまり負担にならないようにしてくれよ」
分かってるってと言いながら、芽衣は重箱に残ったシュウマイを俺の口元に運んできた。芽衣が積極的とはいえ、以前はこんなことをする素振りも見せなかったが、吹っ切れたのか、楽しそうに俺がそれを口にするのを待っている。
大きく口を開けて、パクリとそれを加えて味わう。
「美味しかったよ。ごちそうさま」
「お粗末様」
芽衣と揃って手を合わせたところで、お昼休みはあと半分といったところ。
「そろそろ掲示板のところも空いてきたかな?」
「結構経ったし、大丈夫じゃないか。見に行く?」
うん、と頷いた芽衣と共に昼休み独特の騒がしさに包まれた教室を後にする。
三年生がいなくなり、すっかり静かになった二階の廊下を通り過ぎてやってきたのは掲示板の前。前回がまぐれだったようで、俺の名前はもはや定位置となりつつある上から二番目に書かれている。
「惜しかったね」
「ああ。まあ、終わったものをどうこう言ってもしょうがないけど。そういう芽衣はまた順位上がったな」
芽衣の名前は十五番目、十五位のところに書かれている。前回よりも範囲が広く、問題も難化した学年末試験で点数をしっかりと上げて、順位を伸ばした生徒はそう多くないだろう。
「結構早めから頑張って勉強したから」
褒めてくれと言わんばかりにドヤ顔をしている芽衣に、スゴイよと心の底から言ってみれば、そこに丁度通った声が重なる。
「あぁ、私もすごいと思うよ」
「宮野先生、どうしたんですか?」
「コンビニでお昼を調達した帰りに、君たちの姿を見かけたからちょっと寄ってみただけさ」
宮野先生はそう言いながら、お弁当とお茶が入ったレジ袋を軽く持ち上げて見せる。それを見た芽衣は、少し気遣うような声で言葉を溢す。
「先生、あんまりコンビニ弁当ばっかりだと体に悪いですよ」
「分かってはいるんだが、この時期は特に忙しくてな。まあ、しばらくしたら落ち着くだろうし、その時はさすがにやめるよ」
「それ、やめない人の言い分なんだよなぁ……」
「失礼だな。私だってここ数か月はちゃんと自炊してたんだ。ただ年度末ともなるとそんな時間もないくらいに忙しくてな。引継ぎの用意とかもあるし、なおさらな」
俺の軽口に、いつものように返してくれた宮野先生だったが、最後の一言はどこか寂しさを孕んでいるようだった。
「引継ぎって、先生異動しちゃうんですか?」
その寂しそうな笑みの理由に気付いた芽衣がそう言うと、しまったと言わんばかりの表情を一瞬見せてから、異動ではないんだけどな。他には言わないでくれよ、と口を開く。
「私の実家は田舎にあるんだけども、わりと歴史ある旅館なんだ。で、親から遂に戻って来いと言われたんだよ。そこにちょうど異動の話も来てな。正式な辞令が下りてきたわけではないけど。だから、しょうがなく戻ることにした」
先生は俺たちの顔を見て、君たちが成長していく姿を卒業までは見ていたかったんだけどな、と呟いてから、また言葉を続ける。
「こうしてここで働いているのも、本当は大学で色々見ているうちに戻りたくなくなったからなんだけどね。大学卒業までって言って飛び出したんだから、半分家出みたいなものだ。ただ、家出の終わり方なんてのは大概あっけないものだろ?」
少し自嘲気味に、けれど、おどけて先生は言って見せたが、俺は反応できないでいた。
教師に異動があるのも、いつかは退任してしまうのは知っていた。実際に一年の時にお世話になった教師の何人かを離退任式で送り出したりもしているのだし、これまでの人生で何度と別れを繰り返してきた。
ただ、この人は、宮野先生は、俺が卒業するその時まで側で見守っていてくれると、どこかで勝手に思い込んでいたのだ。
「先生がいなくなっちゃうのは、ちょっと寂しいです」
「嬉しいことを言ってくれるな。でも、君たちなら大丈夫だ。私がいなくたって上手くやっていけるよ」
そんなことは――、そう口からこぼれそうになって、なんとか堪えられた。先ほど言っていたが、先生だって好きでこんな選択をしたわけじゃないのだ。
「おっと、もうこんな時間か。私はいい加減お昼を食べないとだから、失礼するよ。くれぐれも他言無用で頼むよ、二人とも」
言うだけ言って、満足したかのように先生は歩き出した。そのすっと伸びた背中はゆっくりと、でも確かに遠のいていく。
その姿は、先ほどまで自嘲気味に笑っていたとは思えないほどに格好良く、いつまで経っても届く気がしない。
あぁ、こうなると知っていたなら、ただ一人、恩師と呼ぶにふさわしい先生に、見せられるものがもっとあっただろうに。せめて、少しでも、返せるものがあれば……。
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