第40話

 ゆっくりと歩いていると、人混みの合間からカラフルに彩られた丘が視界に飛び込んでくる。感想は自然と口から溢れていた。

「えっ、なにこれ。スゴくない?」


 まだ満開になるには少し掛かりそうだが、赤に黄色、白に紫、ピンクと様々な色の花が、所狭しと丘を染めるように咲いている。


「うん。すごいカラフルで、綺麗っていうか、可愛いっていうか」

「これ、全部チューリップだよな?」

「そうだと思う」


 一歩引いて全体の景色を視界に捉えれば、その凄さに息を呑む。まるで異国の地か、幻想的な絵画の中に迷い込んだかのような錯覚にとらわれてしまいそうだ。


「そうだ、一緒に写真撮るか?」

「えっ?」

「いや、さっきちゃんとしたのもって言ってたから。いい景色だし」

「じゃあ、うん」


 ぎゅっと距離を詰めた芽衣は、携帯の向きを調整しながら何度かシャッターを切る。撮れた写真は柔らかくも幻想的な景色と笑顔の俺たちがしっかりと写っており、今すぐにでも携帯の壁紙にしたいくらいのものだ。



 気付けば池沿いの園路を一周しており、太陽はそろそろ南中しようとしている。途中で食べていたソフトクリームは、小腹を満たしてくれた気もしたが、歩いた距離がそれなりだったこともあって、すでにエネルギーとして消費されてしまったらしい。


「お腹、空かない?」

「まあ、空いてきたところだな。お昼時だし」

「だよね、私も」

「そっか。じゃあ、お昼はどうする? そこのレストランにするか、ちょっと自転車漕いで他に行くか。なんなら売店で買うのもいいけど」

「お昼なんだけどさ、その――」



 やってきた広場はお昼時というのもあって、多くの人で賑わっていた。

 芽衣の手を引きながら空いているスペースを探していると、樹の下に丁度いいスペースが見つかった。


「ここにするか」

「うん、ちょうど木陰だし、いいね」


 レジャーシートを敷いて腰を掛けると、疲れが波のようにやってくる。けれど、それも一瞬のことで、広げられた芽衣お手製のお弁当を目が捉えれば、食欲へと置き換わる。


「美味そうだな。いや、美味いんだろうけど」

「壮太には敵わないって」

「そんなことはないと思うけど……。まあ、いいや。いただきます」

「うん、召し上がれ。私もいただきます」


 唐揚げに、おにぎり。卵焼きに、トマト。それからベーコンのアスパラ巻きや、うずらのたまご、ポテトサラダと定番なものが詰まったお弁当。そんな中から最初に手を伸ばしたのは卵焼き。ふわふわの卵焼きはほんのりと甘く、口の中に優しい味として広がっていく。


「うん、やっぱり美味いぞ」

「そっか。良かった」

「にしても、このお弁当……」


 そこまで口にしたところで一陣の風が吹いた。その風が枝を揺らしたからか、桜の花びらが一枚、ふわふわと俺と芽衣の間に落ちてくる。少し懐かしさを感じる瞬間とともに、既視感の正体に気づく。その時は、遅咲きのものだった気がするが、今回は急な気温の変化に焦って咲いてしまったものらしい。


「どうしたの?」

「いや、芽衣が最初に食べさせてくれたお弁当と同じメニューだなと思って」

「……よく、覚えてたね」

「まあ、なんだかんだ言いつつ印象的だったからな」

「そっか」


 * * *


 俺には敵わないなんて言っていたが、芽衣お手製のお弁当の美味しさは相当なもので、あっという間に平らげてしまった。芽衣だからという補正が入っているのを加味しても、あと数ヶ月もすれば俺の料理の腕なんか抜いてしまいそうだ。


「デザートも持ってくればよかったね」


 食後の休憩として缶コーヒーを飲んでいると、芽衣がそんな言葉をかけてきた。

 確かに、コーヒーだけをダラダラ飲むのもいいが、少しは甘味があったほうがいいかもしれない。ちょうど良さそうなものは一応持っているし。


「じゃあ、マドレーヌでも食べるか?」

「持ってるの?」

「まあ、俺が作ったやつだけど――」


 それで良ければ、と続けようとしたところで、芽衣が食い気味に食べたいと声を上げる。


「お、おう。そんな食い気味に言わないでも、もとからあげるつもりだったし」

「そうなの?」

「バレンタインのお返しだよ。お返しはもう一個用意してあるけど」

「えっ? 二個もあるの?」

「ああ、うん。一応うまくいかなかった時ように買ってはおいたんだ。けど、やっぱり、誠意には誠意で返したいっていうか、ほら、芽衣は手作りでくれただろ。だから、俺もな。初めてだから結構失敗もしたけど、やっぱり芽衣のこと好きだし、できるだけ気持ちを込めたかったというか。一応それはうまくいったやつだから」


 口にしていくうちに、改めて言葉にするのが恥ずかしくなってきたが、なんとか最後まで言い切れば、芽衣の瞳から一筋の光が溢れる。


「えっ、ちょっ、どうしたの? そんなに俺のセリフ気持ち悪かった?」

「違くて、その、えっとね……」


 ハンカチで溢れてくる涙を拭ってやりながら、落ち着いてからでいいからな、と言いつつ芽衣の言葉を待つ。


「この間の卒業式の時さ、和泉先輩が文実の話して、それから壮太に話しかける人増えたでしょ」

「まあ、そうだな」

「文実の話とか、私だけの秘密だったのにとか、そういう独占欲ばっかりになって、そしたら、距離感とかちょっと分かんなくなっちゃって、それで……」


 拭ってやったというのに、ボロボロとこぼれてくる涙の方が多くなってしまい、せっかくのメイクも崩れ始めてしまった。子どもみたいに泣いてしまいそうな芽衣を出来るだけ優しく抱きしめる。そうして、そのまま、続く言葉を待つ。


「私といて欲しくて、思い出みたいなところを見て回れるここにしたの。けど、壮太は次の約束してくれるし、好きって言って、お菓子まで作ってくれてたし、疑ってたのが、うー、ごめんね。ごめんね」


 小さい頃に泣きじゃくっていた祐奈をなだめたように、よしよしと言いながら、芽衣の頭を優しく撫でる。


「なんというか、俺の方こそごめんな。心配かけたみたいで。でも、俺から芽衣を手放す気は無いから。それこそ、視界にも入れたくないくらい、一緒の空気も吸いたくないくらい、大っ嫌いだって言われて芽衣から手を振り払われたら、その時はその時だけど」


 顔をぐちゃぐちゃにしながらも、本音を溢してくれた芽衣に俺も本音をそのまま溢せば、そんなこと、絶対しない、と泣いていたとは思えない程力強い声が腕の中から聞こえてくる。


「そっか。じゃあ、もう平気だな。でも、そういうことは、一人で抱え込まないでくれ。ちゃんと話そう」

「うん」


 小さい声ながらも、しっかりと頷いた芽衣を今度は、力加減に気を付けながらも、出来るだけ強く抱きしめる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る