第32話

 多くの中学生にとって人生の最初の転換期であろう高校入試の発表が終わって一週間ほど。気が付けば3年のフロアを中心に学内を満たしていた張り詰めた空気は、少しのもの寂しさを孕んだお祝いムードに塗り替えられている。

 それもそのはず。祐奈の進学に向けた準備を手伝っているうちに月は変わり、全国の社会人の悲鳴が聞こえてきそうな3月を迎えていたのだから。もっとも、悲鳴を上げているのは社会人だけではないらしく、扉の向こうからは学内の空気など関係ないと言わんばかりにピリづいた空気を感じてしまう。

 今からこの扉を叩いて、修羅場に足を踏み入れることになるのだが、想像するだけで気が滅入ってくる。それは隣にいる二人も同じらしい。


「……本当に忙しそうだね」

「やっぱり俺は戦力にならんし、試験勉強して菜々香の不安を軽減してやった方がいいんじゃないか?」

「俺にやれって言ったのは誰だったっけか?」


 逃げようとする篠崎を捕まえて、大きく深呼吸。そのまま軽くノックしてみれば、間髪を入れない返事と共に扉が開く。


「みんな、来てくれてありがと。とりあえず、こんな感じで修羅場だからもてなせなくて悪いんだけど、さっそく手伝ってもらっていい?」

「いいよ。どこまで力になれるか分かんないけど」

「まあ、そのために来たしな」


 芽衣に続く形で若宮さんの言葉に頷けば、救いが来たと言わんばかりの視線を教室内からこれでもかと感じる。俺たちの仕事っぷりを知っているのか、猫の手でも借りたいのかは定かではないが、歓迎されていることは間違いなさそうだ。


「なあ、菜々香。期待されてるところ申し訳ないんだが、俺じゃ仕事を増やすだけだぜ」

「自慢げに言わないの。まあ、事務処理の方は期待してないから、体育館でやってる卒業式の会場準備の方に行ってきて」

「はいよ。あんまり無理するなよ。あと、雨音と廣瀬さん、生徒会の面々も頑張ってくれ」


 フラフラと手を振って生徒会室を後にした篠崎の言葉のおかげか、少し元気を取り戻した女性陣を横目に、積み重なった書類に目を通す。去年手伝った時に見たような書類が大半。量が量だけにすぐ片付くとは言えないが、まあ、なんとかなりそうだ。


「雨音君、芽衣ちゃん、この辺の入力から頼んでいい?」

「はいよ」

「任せて」


 若宮さんからノートパソコンを受け取って、教室の端の机に芽衣と並ぶ。最初からデータで提出させればこういう雑務も減るのにどうしてやらないんだと、去年も抱いたような感想を胸に作業を始める。



「なんか、少し懐かしいかも」


 教室内を途切れ途切れのタイプ音が支配する中で、芽衣は小さく溢した。


「壮太は覚えてないかもしれないけど、去年の文化祭の時もこんな少人数でずっとパソコン弄ってたし」

「あー、そんなこともあったな」

「前も言ったけど、あの時みたいに一人で片付けたらダメだからね」


 芽衣はめっ、と朱莉ちゃんを叱りつけるようなトーンで、目の前に指で罰を作ってみせる。今となってはすっかり見慣れた仕草だが、あの時にはそんな一面があるなんて考えもしなかった。なんなら、このギャルはいつ作業を放り出すんだろうか、とかなかなかに失礼な感想を抱いていたまである。

 まあ、それも昔の話。今じゃ一番に信頼しているというのだからなかなかなものだ。


「分かってるって。あ、若宮さん、渡された分の入力終わったけど」

「えっ、もう終わったの?」

「私も終わったよー」

「芽衣ちゃんも!?」


 勢いよくエンターキーを叩いて、やり切った感を出しながら、そんなやり取りを挟めば、生徒会役員の目は縋るようなものになる。前の俺なら、仕事を回収して片付けていただろうが、そんなことをする気はない。


「とりあえず確認してくれ。助っ人がメインで片付けるのも良くないだろうし、来年以降もやり易いようにやり方に問題ないか見てるわ」

「私も一緒に見てるね」


 助っ人の分際で、やり方を見るとか偉そうなことを言って何様だこいつ、なんて思われてしまう気がしないでもないが、それ以外に方法が浮かばないからしょうがない。


「あっ、うん。よろしく」


 確認を始めた若宮さんを横目に、大きな机で向かい合って作業をしている役員の作業風景を眺める。それぞれ精一杯作業をしているのだろうが、効率的とは言えそうにもない。一番の原因は入力する資料の順番がぐちゃぐちゃになっていて、一つ入力するたびに入力場所を探すという作業を挟んでいるところだろう。


「二人とも完璧」


 作業の邪魔にならないように役員たちの観察を続けていると、少しは余裕を取り戻したような若宮さんが会長席から戻ってくる。右手で作られたオッケーマークとその言葉に芽衣と顔を合わせて笑みを交わす。


「このまま生徒会役員として働き続けない?」

「いや、やらないから」

「私もちょっと……」


 冗談めかして笑いながら言っているが、いくらか本心も混じっていそうなセリフにやんわりと断りを入れれば、ちぇーと残念そうな声。


「まあ、ヤバそうな分は手伝うけど。で、作業の問題点なんだけど――」


 先ほど感じたことを伝えれば、かれこれここに来てから2時間近くたっていたらしく5時のチャイムが聞こえてくる。


「そろそろ俺と芽衣は帰っていいか?」

「あー、うん。二人に今日やってもらおうと思ってたのは終わったしいいよ」

「じゃあ、お先に。ななちゃん頑張ってね」

「うん、頑張るよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る