第30話

 気が付けば授業の終わりを告げるチャイムが鳴って、教室はざわめく生徒の声で満たされていった。祐奈が無事に受かったころによる安堵感のおかげか、身体から力が抜けきって、授業に集中できないまま、午前の授業を過ごしてしまったらしい。


「なあ、雨音。久しぶりに四人で飯食おうぜ」

「俺はいいけど、二人は良いって?」

「もちろんな。というか、菜々香と廣瀬さんから言い出したことだし。本当はホワイトデーの案を聞きたかったんだが、まあ、それは放課後にでも」

「はいよ」


 体を起こして弁当箱と椅子をそれぞれの手に持ち、芽衣と若宮さんが待つ教室の窓際へと足を運ぶ。窓から差し込む日差しも、その起点を少しずつ高いところへ戻しており、少しずつ春の訪れを感じさせる。


「雨音君、妹さん受かってたんでしょ。おめでとうって伝えておいて」

「お、おう。ありがとな」


 椅子を芽衣の隣の定位置に置くや否や、声をかけてきた若宮さん。篠崎から聞いたのか、芽衣から聞いたのかは定かではないが、こうして祐奈のことを祝ってもらえるのはうれしい限りだ。


「そういえば、祐奈大丈夫だったか?」

「うん。壮太と別れてからはだいぶ落ち着いてたし、ちゃんとケアしといてあげたから」

「そっか、なら良かった」

「それよりヤバいのは壮太の制服の方だと思うけど」


 芽衣に言われて視線を落とせば、しわと僅かに涙の痕が付いたワイシャツ。


「制服は洗ってアイロンかければなんとかなるからな。まあ、それはともかく、さっきも言ったけど、ありがとな」

「良いって。私も祐奈ちゃんの勉強見てたし、もう一人の妹みたいなものじゃん」


 芽衣は、そんな気はないのだろうが、余計なことが脳裏をよぎったせいで、俺の耳は今にも発火してしまいそうなほどの熱を帯びている。その一因には、ニマニマとする正面の二人と暖かい目を向けてくるクラスメイトの視線もあるのだろうが。


「えっ、私、変なのこと言っちゃった?」


 視線に気づいた芽衣は慌てながら、二人の表情を、そして真っ赤になっているであろう俺の顔を、順番に見ていく。だが、先ほどの言葉の破壊力には気づいていないようで、頭上に疑問符でも浮かべているような表情を浮かべて見せるだけだ。

 教えてよと言わんばかりに、こちらに視線を向けてくる芽衣。一人置いてけぼりにするのも可哀そうだが、俺の口からはとてもじゃないが言えそうにない。


「だって、芽衣ちゃん、雨音君の妹ちゃんのことを自分の妹みたいに言うんだもん。さっきのやり取りもあって、完全に夫婦、そこまで行かなくても婚約者じゃん」


 俺の困りに気付いたのか、はたまた、羞恥に染まる芽衣が見たいだけなのかはさておき、あっさりとそれを口に出した若宮さん。当然のように芽衣の顔は真っ赤に染まってしまい、そういう意味じゃないんだけど、と言葉を小さく溢している。


「あんまり弄っても可哀そうだし、その辺にしてやろうぜ。雨音と廣瀬さんがバカップルなのは今に始まったわけじゃないし」

「おい、ちょっと待て。そこまでじゃないだろ」


 俺がちょっと抗議をしてみるが、二人は取り合う気がないらしく、若宮さんは篠崎の言葉に、それもそうね、なんて返してお弁当に箸を伸ばしだした。


「あー、芽衣。大丈夫か?」


 まだ、落ち着きは取り戻せていないようで、小さく頷く芽衣。こういうところも可愛いと思うが、それはそれ。あとで、あの二人にはカウンターでも仕掛けてやりたいと、思いながら言葉を続ける。


「まあ、とりあえず、俺らもご飯にしようぜ」


 芽衣はさらに小さく頷いて、弁当に手を伸ばし始める。一口、また一口と口に運ぶたびに、少しずつ戻ってくる持ち前の元気さ。この子、少し単純すぎるんじゃないかなんて思いながら俺も、弁当へと箸を伸ばす。



「そういえば、ななちゃん忙しそうにしてたけど、大丈夫なの?」

「分かんない。卒業式に入学式と生徒会の担当になってるものがこの時期多すぎて、この間の休みも家で生徒会の仕事してたもん」


 弁当も残りわずかになったところで、完全に機嫌といつもの調子を取り戻した芽衣が、声をかければ若宮さんは先ほどまでとは打って変わって、いくらか弱気な声で返す。

 そういえば、生徒会の手伝いをさせられたときに、生徒会の二人もそんなことをこぼしていたっけか。相変わらず、ブラックな年度末の忙しさは健在らしい。いや、一年でそこが改善されるなら、働き方改革なんて話も出てこないか。


「いざとなったら雨音を頼ればいいんじゃね? 事務処理能力ずば抜けて高いからな」

「確かにそうかも」


 余計なことを言う篠崎に、それに賛同する芽衣。二人がそんなことを頭に浮かべるのは文化祭の一件があったからだろうか。


「妹ちゃんのことでごたつくだろうし、流石に頼らないよ」

「そりゃ助かるな。まあ、そっちが落ち着いたらちょっとは手伝ってもいいけど。二人も一緒ならって条件付きで」


 少しふざけて返せば、篠崎からひでぇと言いたげ視線を向けられる。話を振って来たのは篠崎からなんだし、これくらいは甘んじて受け入れてもらいたいもんだ。


「手伝うかどうかは置いとくにしても、もうそんな時期なんだね。今年はあっという間だったというか、なんというか」

「確かにそうだな。もういくつ寝るとじゃないけど、すぐに進級だもんな」

「クラス替えもあるし、こうやって過ごすのもあと少しって考えると少し寂しい気もするね」


 少し寂しげに言う芽衣に、進級後も集まればいいだろ、と簡単な言葉もかけることが出来ず、ただ、お互いに確かにと呟くのであった。

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