第29話

 正門の前、試験の結果が張り出される掲示板付近には多くの中学生の姿があった。その後ろには心配そうに、けれど、わが子を信じながらその結果を待つ保護者の姿も見受けられる。

 すでに掲示板には結果が張り出されているようで、その結果に一喜一憂を見せている。宮野先生が気を使ってくれたおかげで、授業中にもかかわらずここにいられるのだから、祐奈の姿を何とかして見つけたいが、ごった返す中学生の中から見つけるのはシスコンだと言われてきた俺であっても相当に難しい。


「あれ? お兄ちゃん?」


 どこだ、どこだと、掲示板の付近に視線を巡らせていると、その掲示板の脇からひょっこりと出てきた祐奈が一足先に俺の姿を捉えたらしく、驚き混りの声が耳元に届いた。


「授業じゃないの?」


 焦って授業の終わりすら待てなかった俺とは対照的に落ち着いた様子の祐奈の声。喜色が混じっているわけでもなく、家で言葉を交わすときのような声からは、結果を推し量ることが出来ない。どう声をかけたら良いのか悩んだ挙句、俺もいつもの調子で言葉を返す。


「いや、気になったから、ちょっとサボりだ」

「そっか。でも心配し過ぎ。受かってたから」


 けろりと言ってのけた祐奈。

 その言葉を理解するとともに、ゆっくりと深いため息を溢す。それに合わせてここまでの疲労感なのか、安堵感なのか、身体から力が抜けていくのが感じられた。それでも、なんとか一番に伝えるべき言葉を口にする。


「そっか。……良かったな、おめでとう祐奈」


 緊張が完全に解けてしまったからか、またも、目頭が熱くなる。さすがに今日の主役である祐奈を差し置いて泣く訳にもいかない。視界が歪みだす前に細く息を吸い込んで、空気と共にこみあげてきた涙を無理やりに飲み込む。


「うん、ありがと」


 風にかき消されてしまいそうな小さなつぶやきは、それでも確かに俺の耳へと届いた。

 伸ばしかけて、けれど、祐奈の頭に届くことなく宙ぶらりんになっていた手を、もう一度祐奈の頭へと伸ばす。兄離れのようなことをしたとはいえ、兄妹はどこまでいっても兄妹。しかも、たった一人の同居人だ。年不相応に甘やかしてもいいだろう。


「あー、その、なんだ。お疲れさん。とにかく、良かったよ」

「うん。本当に……よかっつ、良かったよ、良かった」


 祐奈は思いっきり俺の胸に顔をうずめ、ようやく涙腺が決壊したかのように大粒の涙をこぼしだす。その様子はどこか幼い頃の姿と重なってくる。

 涙を見せなくなったのはずいぶんと早かった気がするが、こうして胸の中でワイシャツをびしょびしょにしながら泣く祐奈は、先日見た大人びた様子も全くなくて、突然の別れのように関係が変わってしまうことはないんだと安心してくる。そのせいだろうか、なだめていたはずの俺の頬にも一筋、また一筋と涙が伝う。


「壮太と祐奈ちゃんはどーこだっ? って、ちょっ、大丈夫?」


 いつの間にかチャイムは鳴っていたらしい。

 芽衣の俺と祐奈を探す声が届いたかと思うと、そのまま駆けよられて、頬の涙を拭われる。


「すまん。もう、大丈夫だ」

「探しに来たら二人して泣いてるからびっくりしちゃったよ」


 そういう芽衣の息はいくらか上がっており、授業が終わるや否や心配で飛び出してきたのが伝わってくる。祐奈と仲良くしているとはいえ、普通はそこまでしないだろうに、平気でそうしてくれるところが堪らない。


「で、どうだったの?」


 あがった息を整えることもなく、むしろ、その息で祐奈に隠すように小さく耳元で呟かれた。

 傍から見れば、そういう図に見えないこともないのか、と思いながら芽衣に微笑みながら指で作った小さな丸を見せつつ、反対の手で祐奈の背中を軽く押してやる。涙でぐちゃぐちゃになった顔でこちらへと視線を移した祐奈。ようやく芽衣の存在に気付いたようで、ワイシャツで顔を拭ってから振り返る。


「祐奈ちゃん、おめでとう。頑張ってたもんね。良かった」


 一つ一つの言葉を丁寧に口にしながら、祐奈を思いっきり抱きしめる芽衣。優しく、けれど、しっかりと抱きしめられた祐奈はまた涙をこぼしそうになる。だが、芽衣の制服が涙で濡れることはなかった。否、俺がそうはさせなかった。

 しわくちゃで涙の痕まみれのワイシャツを着るのは俺一人で十分だ。


「祐奈、顔酷いことになってるから芽衣に見てもらいな」

「えっ!?」

「大丈夫だよ。そんなにひどいことにはなってないから。けど、腫れちゃうから触らないようにね」


 祐奈を連れて、芽衣が水道の方へと向かっていった。すぐそばには、合格者用の受付もある。付き添ってやりたいところだが、流石に授業をこれ以上はサボれない。


「なんというか、カップルを通り越して、親バカ夫婦って感じだな」


 バカな言葉に振り返れば、ずいぶんと久しぶりな気がする篠崎の姿。


「誰が親バカ夫婦だ」

「雨音と廣瀬さん以外いないだろ」

「いないだろって言われてもな……」

「まあ、とりあえず、おめでとうって伝えといてくれ」

「お、おう」


 篠崎は返事に満足したかのように頷くと、ところで、次の数学の課題なんだが、といつもの調子で話し出した。心配していたのもきっと事実なんだろうが、どうにもこっちが本命の用事らしい。俺は呆れたようにため息をついて、芽衣が来てからな、と答えるのであった。

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