第28話

 週が明けると春の訪れを感じるような温かさはなくなり、冬が最後に残った力を振り絞るが如く気温が下がった。寒と暖を繰り返しながら、ゆっくりと暖かな日が増えていき、季節が巡っていくというのは知っていても、この寒さはなかなか骨身にこたえるし、春なんて来ないんじゃないかと思えてくる。なんならこのまま冬眠することも許されてほしい。

 莫迦なことを考えていても制服を着てしまえば、身体はそういう風にプログラミングでもされているかのごとく、まずは学校までの道のりを少し外れた場所にある駅前へと足を進めていく。

 一週間あったはずの休みはあっという間に終わってしまった。休みの前半は祐奈の入試に、バレンタイン、芽衣とのデート、篠崎の相談と盛りだくさんだった。その反動か、祐奈に家事を教えながら、こうして過ごせる日の残りを数えた後半は平穏そのものだった。

 間もなく結果が出るということもあって、祐奈は落ち着かない様子だったが、それは俺も同じようで、いくらか早く出発してしまったせいで通学路を歩く制服姿はまばらだ。もっとも、自由登校期間になり、三年生のほとんどが登校していないというのも、その原因のひとつではあるのだろうが。

 ――そんなことを考えているうちに、集合場所である駅前までやってきていた。

 時間的にまだしばらく待つことになりそうだが、早く家を出てきてしまった俺が悪い。

 しかし、そんな予想はあっという間に打ち砕かれた。不意打ちのように左肩を叩かれ、振りかえれば少し冷たい指が頬をついた。


「えへへ……。びっくりした?」


 悪戯が成功したのを喜ぶように冗談めかして笑う芽衣は、少し冷えるのか、カーディガンの袖に手をうずめて、指だけをちょっと出しながら小さくピースして見せる。

 それに俺はこくこくと頷くことでしか反応できなかった。

 驚きを落ち着かせるように深呼吸すれば、壮太、おはよ! といつもと変わらぬ挨拶が飛んでくる。


「おはよう、芽衣。今日は早いな」

「今日は祐奈ちゃんの合格発表だし、壮太は早く来る気がしたから」


 芽衣の読み通りなので、思わず笑ってしまう。

 もうすぐ話すようになってから1年が経とうとしているが、それだけ長くいると行動くらい読めるようになるのだろうか? いや、芽衣はともかく、もっと長い付き合いの篠崎の思考は読めそうにないし、知り合ってからの年月だけじゃないか。


「にしても、今日は寒いね」

「だな。また冬が戻って来たって感じだ」

「でも、うちの庭の植物は芽を出したりしてるし、もうすぐ春だよ」


 ほら、ここも、と言う芽衣の視線の先は、通学路に面した住宅の玄関に飾られた植木鉢。そこには確かに芽を出す植物の姿があった。どうやら、確かに春はやってきているらしい。


 他愛もない話と共に、ゆっくりと足を進め、コンビニへの寄り道なども済ませれば、普段より30分ほど早く集合場所を出たにもかかわらず、学校に着いたのはいつもの5分前だった。

 教室にはすでに人影があるが、点々としているだけで、騒がしさを提供している運動部に所属しているクラスメイトの姿はない。もちろんながら、陸上部に所属している篠崎も例にもれず、俺は久しぶりの登校だというのに、やけに静かな朝のひと時を過ごすことになってしまった。


 * * *


 二時間目もそろそろ折り返し。

 連日の忙しさがいよいよ限界を突破させてしまったのか、疲れていることを隠そうとしない宮野先生。少しバランスの悪い走り書きで黒板に文字を書いていくが、申し訳ないことに俺の興味はそちらに向いてはいなかった。

 チョークがその身を削りながら黒板に文字を書く音は、それよりも小さいであろう秒針が進む音によってかき消され、紫式部が綴った長編物語の結末よりも長針の指す時間の方が気になって仕方がない。

 合格発表の掲示は十時半から。二時間目が終わるのは十時五十分。宮野先生の授業でなければ、体調を崩したとでも言って抜け出していただろうが、残念なことにそうではなかった。

 連絡速度が命の女子高生だってそこまで気にしないだろというくらいに、携帯と時計を交互に見る。表示されるであろうメッセージが気になって仕方がない。


「雨音、私の授業はそんなに……」


 露骨すぎたのか、教壇からいくらか低い声が聞こえてきた。名指しをされたことで、教室内の視線は独り占め。夢の世界に一歩、また一歩と足を踏み入れそうになったものも、戻ってきてこちらを見ているくらいだ。

 視線の中で苦笑いを浮かべながら、授業後にお説教が来たら何もわからないまま、次の授業を迎えることになるのだけは回避したいと祈りをささげる。それが届いたのかはさておき、先生は何かを思い出したような顔をして、少し演技っぽく言葉を口にした。


「もしかして体調でも悪いのか? それなら遠慮なく休め。もう半分は出席しているんだし、扱いは出席だよ」

「えっと、じゃあ、ちょっと休んできます」


 ゆっくりと立ち上がり、廊下へと足を運ぶ。教卓の横を通った際に聞こえた、正門前、バレないようにの一言を胸に刻んで、また一歩を踏み出す。腕時計をのぞき込めば、合格発表の掲示まではあと二分と少し。何とか間に合うだろう。

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