第21話

 地下を目指して一直線に伸びるエスカレーターに身を預ければ、ゆっくりと地上の光が遠のいていく。その様子は、先ほどまでいた夜空の旅の始まりを思い出させる。もっとも、それは、俺以上にその景色に魅了された芽衣が横でその感想を溢しているからだろう。


「今度は他のやつも見てみようよ。神話に絡めたやつとか」

「気に入り過ぎじゃない? いや、趣味を共有できるのは嬉しいけど」


 未だにプラネタリウムのパンフレットを眺めて、その景色を思い出している様子を見ていると、こちらに移動せずに他の公演に参加してきた方が良かったのではないかなんて思ってしまう。


 芽衣が気持ちを向けている星空からは遠ざけるように俺たちを運んでいたエスカレーターは、日の光も届かない地下で俺らを降ろす。

 少しの肌寒さを感じながらも、薄っすらと灯る明かりを頼りに足を進め、突き当りを誘導の通りに曲がる。


 目に飛び込んできた景色に思わず息を飲む。


 そこにある水槽は海の一部分をそのまま持ってきたと言われれば、納得が出来るような、普段目にすることはできない海中の景色。大きな図体を持つ魚が自由に泳ぎ、そのテリトリーの合間を縫うようなスペースで、小さな魚が群れを成している。

 幼い頃にあこがれ、必死に調べたサメの姿に童心を引っ張り出されたように、目を奪われてしまう。

 ここにいるのはシュモクザメとシロザメか。


「おぉ……、すげー」

「ふふっ」

「なんだよ」


 感嘆を溢した俺の横で笑う芽衣に少しぶっきらぼうに聞いてみる。


「いや、今日は知らなかった壮太がいっぱいみられるなと思って」

「そうかよ」


 うん、と小さく答えた後少しためらった様子を見せたが、髪をそっと払って言葉を続ける。


「なんか、拓弥みたい。いや、拓弥はそのまま水槽に駆けていくんだけど、その目の輝かせ方とか。ちっちゃい頃の壮太はそんな感じだったの?」

「まあ、男子なら一度は通る道だからな、そうだったこともあるんだろうけど」


 幼少期の話というだけでも少し気恥しいというのに、少し後ろでそっと微笑む芽衣の姿は大人びていて、その差に視線を背けたくなる。

 土日祝日であれば、人でごった返しただろうし、実際に水槽へと駆けよっていく子供の姿もあって、そんなことに気づかなかったかもしれないが、今日は平日。まばらな人の姿の中で、ちょっとのことが良く見えてしまう。


「写真、撮ってあげる」

「お、おう」


 なんだか子ども扱いされている気がしてくるが、それはいったん忘れておこう。水槽の分厚いガラス越しとはいえ、自由に泳ぐサメやらと写真を撮ってもらえるのは嬉しいし。


「はい、ちーず」


 少し遅れてカシャッと小さなシャッター音が耳に届く。

 二、三度シャッターが切られて終わってしまった撮影会。携帯が震えて写真が届く。

 芽衣の撮影スキルのおかげか、はたまた技術の進歩なのか、俺の隣を自由に泳ぐサメは分厚いガラス越しとは思えない。


「すごいな、祐奈に自慢しよ」

「気に入ってもらえたなら良かった」


 大人びた微笑みを浮かべる芽衣にそろそろ行くかと声をかけて、次のエリアへと足を進める。

 少し名残惜しい気もするが、後ろ髪を引かれるほどではない。サメに目を輝かせて駆け寄った幼少期が終わったように、進んでいくべきなのだ。少なくとも、芽衣にいつでも追いつけるような速度でだ。



「……すごい」


 ゆっくりと階段を上った先にある次のエリアで芽衣が最初に溢した言葉がそれだった。

 階段を上ってやってきた浅瀬のエリアは、大きな水槽で自由に泳ぐ魚の姿もいくらかみられるが、それ以上に目を引くのがフロアに何本も見える円柱状の水槽。下からぼんやりとライトアップされて、ピンクやブルー、黄色に紫と順番に照らされていく。

 照らし出された水槽でゆっくりと浮上しては、下りてを繰り返しすように泳いでいるのは、小さなクラゲたち。光が切り替わるタイミングで、大きく広がっている様は綺麗で、水槽の中の花火を見ているような気さえしてくる。

 何かにつけて花火を思い出すのは、俺と芽衣にとって大事なものだからだろう。


「綺麗だな」


 吐き出した簡単な言葉には荷が重い気さえしてくるほどの感情が込もってしまった。

 だが、芽衣はそれを気にした様子も見せず、噛みしめるように、うん、綺麗と返してくる。

 簡単で、今日だけでも何度聞いたか分からない言葉だけでなく、それに込められた感情も、意味も、さほど違わずに重なっていたんじゃないか。

 そんなことを思いながら手を伸ばせば、ちょうど伸ばされていた手とぶつかって、ほどけないように指が絡まる。

 視線は未だに自分の重さを忘れたように漂うクラゲの方を向いたままだ。

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