第19話
目を開けると視界に映るのは慈愛に満ちた笑みを浮かべる芽衣。頬にかかる透き通るようにきれいな髪をそっと撫でて、ようやく自分がどういう体勢なのか分かった。
「起きた?」
「ああ。その、悪い」
体を転がして起き上がろうとすると、軽く手で押さえられる。
「いいって。疲れてるんでしょ」
「いや、でも、足しびれてくるだろ」
「まだ十分くらいだし平気だって」
そういわれて時計を見れば、時刻は三時を過ぎてしばらくといったところ。確かにそこまで時間は経っていないみたいだ。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
その言葉に満足げに頷いて、俺の髪をいじりだす芽衣。
忙しなかった日常から切り離されたように、ゆったりと流れる穏やかな時間。
「壮太はさ、この後の休みなんか予定ある?」
「いや、全然ないけど」
「じゃあ、デートしよ」
「いいよ。俺から誘おうと思ってたくらいだし」
ゆっくりと体を起こして携帯を開く。
「こことか芽衣が好きそうだと思って、調べておいたんだけど」
いくつかピックアップしておいた、芽衣が気に入りそうな場所のサイトのリンクを転送しながら、俺の携帯でもそれを開く。
「いい感じの場所じゃん」
「気に入ってもらえたなら良かった。けど、見づらくない? そっちの携帯にも送ったんだけど」
「いいの。壮太は嫌?」
そういいながら俺の方に首をのっけて画面をのぞき込む芽衣に、嫌じゃないけど、とだけ返して、画面をゆっくりスライドしていく。
「でも、私の好きそうな場所ばっかりじゃない? 壮太の好きな場所とか気になる場所も行こうよ」
「俺の好きな場所は本屋とか喫茶店なんだけど。気になる場所ならプラネタリウムとか、水族館かな」
要望に応えるように、いくつか場所を挙げてみる。
「おー、勉強できるって感じだ」
「どんなイメージだよ」
「いや、なんか、こう、知的! って感じがする。壮太は実際勉強できるし」
「まあ、落ち着いた雰囲気の場所なのは確かだけど」
「今回は少し背伸びした大人っぽい感じのデートになりそうだね」
「芽衣が気に入るかは分からんぞ」
「壮太の好きな場所を私は知りたいし、好きになれたらいいなって思ってるから。好きなものを共有できるなんて素敵じゃん。それに、水族館もプラネタリウムもロマンティックだしきっと気に入るよ」
恥ずかしいことを言っている自覚がないのか、少し弾んだ声でそういう芽衣に、こちらの方が照れてくる。赤くなった顔を隠すように、ソファーを立つ。幸いにも、空っぽになってしばらくのマグカップもあることだし。
「どうしたの?」
「いや、まあ、コーヒーでも淹れてこようと思って。続きはコーヒーを飲みながらな」
「まあ、いいけど」
じゃあ、と席を立ったところで、玄関からただいまーと声が聞こえる。どうやら、祐奈が入試を終えて帰ってきたらしい。
「芽衣さん来てるの?」
「うん、お邪魔してるよ」
キッチンに立つ俺の代わりに芽衣が答えた。
「芽衣さん、この間はありがとうございます。おかげでばっちりでした」
「ほんと! 良かったぁ」
「芽衣さんが教えてくれたところ沢山出たんですよ」
「おお、ほんとだ」
問題用紙を囲んで、盛り上がる二人。その様子は本当に姉妹であるかのようだ。
なにはともあれ試験は無事に終わったようで一安心。
「お兄ちゃんもありがと」
淹ったばかりのコーヒーを持って二人の元へと戻れば、そんな言葉が少しぶっきらぼうに飛んでくる。
「おう。まあ、でも、頑張ったのは祐奈だからな。俺らはちょっとその頑張りを手伝っただけだ」
「うん」
「まあ、面接とかまだ残ってるだろうけど、とりあえず、お疲れさん」
小さく頷いて、持ってきたコーヒーをひったくるように飲む祐奈。
俺らのやり取りを見ていた芽衣は、ふふと笑う。
「どうした?」
「いや、壮太がお兄ちゃんしてるところなんか新鮮だなって」
「さようですか」
「うん。あっ、そうだ。祐奈ちゃん。これ、バレンタインだから」
カバンから取り出されたのは、丁寧に包装された市販のチョコレート。
「ありがとうございます! まさか祐奈までもらえるとは」
「祐奈ちゃんは妹みたいなものなんだし」
「それってそういう……。でも、祐奈、何も用意してないですよ」
「お返しが目的で贈ってるわけじゃないしわけじゃないし、気にしないでいいよ」
「お兄ちゃんにはもったいない気がしてきた。今からでも私の――」
莫迦なことを言い出した祐奈の頭にチョップを落として黙らせる。
「ちょっと、お兄ちゃん。覚えたこと忘れちゃったらどうするのさ」
「もう試験は終わったから大丈夫だろ」
「くっ、確かに」
悔しそうにする祐奈の頭を芽衣が軽く撫でながら口を開く。
「私は壮太じゃないと駄目だからごめんね。お義姉ちゃんにならなってあげられるけど」
感動しましたとでも言わんばかりに、芽衣お義姉ちゃん! と抱き着く祐奈。顔を赤らめながらもしっかり抱き返す芽衣。なかなか目の保養になる光景だ。
まあ、それを見ている俺の顔も、多分誤魔化しようがないくらいに赤いのだろうけど。
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