第18話

  年を越してから、早くも一か月半。

 言葉にすれば長く感じられるが、祐奈の受験勉強に付き合っていると、あっという間にその時間は過ぎ去っていった。

 今日からうちの高校は一週間ほどの休みに入る。それは、いわゆる入試休みと呼ばれるもので、中学生の入試、面接、採点のために在校生は構内への立ち入りを一切禁じられる。

 つまるところ、今日は祐奈の入試当日である。


「受験票持ったか? 筆記用具は? あと、お弁当も」

「お兄ちゃん心配し過ぎだって。全部確認済み。ばっちりであります」


 そう言いながらも鞄をざっと見て、それからもう一度、完璧! と頷く。


「そうか」


 現在時刻は午前七時半。

 いつもの制服に身を包んで、その上からコートを羽織った祐奈は、大きく息を吸って、行ってきます! の一言共に玄関を勢いよく開けて、家を出てしまった。


「いってらっしゃい」


 その言葉が祐奈の背に届いたのかは分からないが、もう俺がしてやれることは祈るくらいしかなくなった。祐奈が開け放った扉から冷たい風が吹き付け一段と冷える。

 ぶるりと身体を振るわせれば、それと連動しているかのように、ポケットに突っ込んでいた携帯が震えた。

 リビングに戻った俺は、少し冷えた身体をコーヒーで内から温めつつ、先ほどやってきたメールに目を通す。送り主はどうやら芽衣のようで、今日うちに来たいとのこと。祐奈以上に緊張して、ほとんど眠れていなかったから、本当は二度寝でもしようかと思っていたが、こう書かれては仕方がない。

 いつでも来てくれ、と返信をしてソファーに体重を預ける。

 窓の向こうに見える空には雲一つなく、大学入試や成人式のように雪に見舞われることはもちろん、雨が降ることもなさそうだ。


 * * *


 メールが来てからというもの、芽衣を迎えるための少しの準備をのんびりとこなして、バレンタインの特集が組まれたテレビを眺めている。

 何となく付けた番組だが、巷では今日がバレンタインデーなのをすっかり忘れていた俺にとって、明日以降できそうなことを探すうえで最高の情報収集手段となっている。


「チョコ、貰えるのかね?」


 小さく呟いてみた言葉への答え合わせは、すぐにでも始まるようで、間もなくインターホンが鳴った。

 ふらふらと玄関まで歩いて、その扉を開ければブラウンのトレンチコートに身を包んだ、芽衣の姿。


「いらっしゃい」

「お邪魔しまーす」


 いつものように芽衣を俺の部屋に通し、クッションを渡して、紅茶を淹れにキッチンへと足を運ぶ。

 こうして芽衣と二人で過ごすのはだいぶ久しぶりだな。そんなことを考えながら、ゆっくりと紅茶を淹れていく。



「こうやって、二人でゆっくりするのも久しぶりだね」

「すまんな。時間作れなくて」

「いや、そういうつもりで言った訳じゃないから」


 紅茶を持って戻ってきた部屋で、ゆっくりとくつろぐ芽衣と二、三言葉を交わす。すると、芽衣は手に持っていた紙袋から可愛らしくラッピングされた箱を取り出す。


「壮太、ハッピーバレンタイン」

「お、おう。ありがと」

「えっと、どういたしまして」


 いつになくぎこちないやり取りに、互いに顔を見合わせれば、どちらからでもなく笑いがこぼれる。


「開けてみてもいいか?」

「うん。口に合うといいんだけど」


 そっと包装を剥がして見れば、そこには美味しそうなガトーショコラがある。食べやすいサイズに切られたそれを一切れ口に運べば、程よい甘さが口いっぱいに広がる。


「美味しい?」

「うん、美味しい」

「本当に? 朱莉と拓弥からは不評だったんだけど」

「ちょっと二人には甘さが足りないかもね。でも、俺好みの味だよ。一切れ食べる?」


 そんな言葉と共に、一切れを掴んで不安そうな表情を浮かべる芽衣の口元に運べば、パクリと指ごと咥えられる。


「美味しいでしょ?」

「うん」


 ようやくいつものような笑顔を見せて、ベッドで寛ぎ始めた芽衣の横に座って頭を撫でる。すると、先ほどまで芽衣が隠していた言葉がポツリと零れて耳に届く。


「仕方ないとはいえ、ちょっとだけ寂しかった」

「悪かった。まぁ、アレだ。祐奈を送り出して、お兄ちゃんとしての俺はひと段落ついたから、その、なに?」


 俺の口からそれ以上の言葉が出ることはなかった。首に抱きついてきた芽衣の唇に口を塞がれたからだ。

 先ほどのガトーショコラのおかげかいつもより甘くて、わずかにほろ苦い口づけ。そのまま体勢は逆転し、芽衣に押し倒されるような形でゆっくりとベッドに倒れ込む。

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