第22話

「久しぶりだね」

「まあ、そうだな」


 彼女の言葉に何とか返事をする。いろいろと考えるべきこと、思うことがありすぎて、それだけで手いっぱいだ。

 あの一件以降、俺は彼女と言葉を交わすことすらなかった。少なくとも俺は、かける言葉すら持ち合わせていなかったし、なにより、彼女に対しても苦手意識を抱いていたのだ。まあ、それは屋上で篠崎と話したことですっかり薄れたのだが。


「そっちは彼女さん?」

「そうだ」


 へー、と言いながら芽衣をじっくりと眺める姫野。


「湊ちゃんから色々聞いたよ。勘違いだったのにいろいろとごめんね」

「お、おう」

「いまさらって思うだろうけど、どうしても直接謝っておきたくて」

「話はこっちも聞いてるし、そっちも被害者みたいなもんだろ。それにもう気にしてないから」

「そっか、優しいね。ほんと、かなわないなぁ」


 別にそういうのじゃない。なんとも思えなくなっただけ。誰かが何とかしてくれると期待するのは無駄だと知って、ただ、他人を諦めただけなんだ。隣に立つ芽衣のお陰で若干変わりつつはあるけれど。


「じゃあね」


 彼女は俺の顔を見て何かを察したようで、名残惜しさを感じさせることなく、俺らが今来た道の方へと歩いて行った。


「あの子と何かあったの?」


 姫野が去ったのならここで足を止める理由もないと、足を前へと進めだすと、足を止めて芽衣がそう聞いてきた。


「まあ、中学の頃に色々とな。一言でいうとちょっとしたすれ違いだ」

「そっか」

「長くなるから今は言えんが、いつか話すよ。聞きたいなら聞いてほしいし」


 芽衣がコクリと頷いたのを確認して、また歩き出した。



 ***



 予想外の邂逅から数日。騒々しい目覚ましの音で目が覚める。


「お兄ちゃん、まだ5時なんだけど」


 俺の目覚ましの音で起こされた祐奈が、ドンドンと扉をたたいて文句を言ってくる。


「すまん。起きられる気がしなかったから」

「いつもより早かったりするの?」

「ああ」


 新幹線の駅に7時が学校で決められている集合時間。それに合わせて決めた芽衣との約束は、6時にいつもの駅前集合。昨晩荷物をまとめておいたから、制服に身を包み、恰好を整えるだけなのだが、そのやる気が出ない。いつもより1時間早いだけなのに、不思議だ。この不思議を暴くだけでなんかの賞取れるんじゃないかってレベル。いや、まだ日が出てないからとかそういう感じなんだろうけど。


「お兄ちゃん、ボーっとしてると遅れるよ」

「はいはい、分かってるから」


 重たい体を何とか起こし、洗面所まで引きずって顔を洗う。冷たい水はいい感じに眠気を飛ばしてくれた。今ではすっかり習慣になった、髪を整えることも忘れない。

 部屋に戻って、手早く制服に着替えたら、荷物の確認をしておく。中学生は荷物を先に送ってたのに、なんで高校生は自分で持っていくんだよ。まあ、文句言っても仕方がない。国内だし、最悪この身と財布さえあればどうとでもなるだろう。


「あれ、お兄ちゃん朝ごはん食べないの?」


 確認が終わった荷物を玄関に運ぶと、リビングから顔を出した祐奈が聞いてきた。

 手元の時計は5時半をさしている。あと10分で家出ないと駄目ってことを考えると微妙な感じだ。


「作ると微妙に約束の時間に間に合わないし、早めに行ってコンビニで済ませよっかなって思ったんだけど」

「そう言うと思って作っておきました!」


 いぇーい、ぱちぱち、と自分で言う祐奈に、マジで? と聞きつつ荷物を置いてリビングに入る。若干残念な感じのトースト、ティーバッグが入ったままの紅茶、黄身が潰れて流れ出ている目玉焼きが1人分用意されている。


「ちょっと失敗しちゃったけど」


 出てきたものはちょっとアレだが、作ってくれるだけで嬉しい。それに、見た目に反して美味しいかもしれんし。そう思いながらティーバッグを取り出し、トーストに目玉焼きを乗せる。


「いただきます」

「召し上がれ」


 トーストを口に運ぶと、裏面が若干焦げてたらしく、口の中に炭の風味がわずかに広がる。手を伸ばした紅茶は出すぎて渋い。

 とはいえ、朝早い俺のためにやってくれたのを無碍にするわけにはいかない。紅茶に牛乳を入れてミルクティーに昇華させ、それでトーストと目玉焼きを無理やり流し込む。


「ごちそうさま」

「どうだった?」

「まあ、色々言いたいことはあるが、俺のためにありがとな」

「え、あっ、うん。まあ、こうやって作ってみると、お兄ちゃんのありがたみが良く分かったよ」


 何でこんなことをしようと思ったのか聞いてみたいが、残された時間はゼロになろうとしている。とりあえず照れをごまかすように、そうだろ、ありがたいだろ、感謝しろよ、と返すと、えー、と言いたげな祐奈の顔が目に入る。


「じゃあ、俺行くから」

「いってらっしゃい」

「はいよ、いってきます。留守は任せたぞ」


 了解であります、と敬礼する祐奈に手を振ってから、普段より大きめのカバンを持って家を出る。

 まだ冬でもないのに、肌を切るような冷たい風に吹かれながらいつもの道を歩く。高校生活史上最大のイベント、3泊4日の修学旅行が幕を開けた。

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