第25話

 先ほどやってきた少し遅れるといった趣旨のメールに、了解と返信して携帯をカバンにしまう。

 少しばかり時間ができたが、どこかで時間をつぶすには短すぎるので、すぐそこにある自動販売機に硬貨を飲ませ、いつものコーヒーのボタンを押す。出てきた缶は、17時を回ったというのに暑さが抜けきらない世界とは反対に、キンキンに冷えている。

 先ほどの場所に戻り、プルタブを起こして、一口だけ飲む。口の中に心地の良い苦味が広がり、思考がクリアになる。

 この30日ちょっとの夏休みは、去年と違い随分と人と過ごしたものだ。どれも周りに巻き込まれるという形でだったが。そう考えると今日のは今年の夏休み、最初で最後の俺から誘ったイベントになるのか。

 さらにコーヒーを飲み、もう少し前の事を思い出してみる。

 真っ先に思い付いたのは、夏休みに入る前日、誕生日会の後に芽衣から言われた一言。あの夏の暑さからきた幻覚のような宣言を、いったいどういう心境で芽衣は言い放ったのだろうか? あの時は気圧されるままに返事してしまったが、言われたとおりになったなぁ。

 世の中の小説や漫画、映画に出てくる、チョロインと言われてしまうようなヒロインだって、俺ほどチョロくはないんじゃないのか? そんなことを考えてしまい、思わず、ははは、と少し自虐的な笑みが漏れる。


「あれ? もしかして、雨音か?」


 値踏みするような、舐めまわすような不快なことこの上ない視線。上から目線の高圧的な声色。1年半と顔を合わせていなかったというのに、その名前はすんなりと出てきた。


みなとっ」

「おいおい、そんな嫌そうに返事をしなくてもいいじゃないか。修学旅行にも一緒に行った仲なのだし」


 心の中の警戒度を5段階ほど高めて、向こうに合わせた適当な仮面をかぶる。大丈夫、彼女は今の俺には関係ない。


「同じ班だっただけだろ。それにお前らとは回らなかったし」

「それは和也を連れて雨音が勝手に行動したからだろう?」

「そうだったっけか? まあどうでもいいんだよ。俺は人を待ってるんだ」

「その格好で人を待ってなかったら傑作だよ。まあ、昔みたいに相手が来ないってことがないといいね」


 また、その話か。裏で糸を引いていたのはお前だったというのに。


「心配ありがとな。でも、お前のオトモダチ・・・・・と違って俺の待ち人は来てくれるんでね」


 俺の一言に、彼女は若干分の悪そうな顔をしてから俺の前を去っていった。

 はあ、嫌な体力の使い方をした。せっかくこれから楽しいことが待っているというのに。

 左手で持っていたコーヒーの缶は、スチール製だというのにわずかにへこんでいたが、それを気にせず中途半端に残った中身を忘れるために一気に飲み干す。


「お待たせ!」

「お、おう」


 不意を突いたように、ここ数か月で聞きなれた声がかけられる。


「ごめんね、ちょっと着替えるのに手間取っちゃって」

「まあ、時間に余裕はあるから大丈夫だ」

「そっか」


 あらためて芽衣を見る。着替えるのに手間取ったという浴衣は、白を基調に青の花柄がちりばめられ、柄よりも少し薄い色の帯は俺の知っているリボンのような形の結び方とは違うが、かわいらしいというよりかは綺麗という印象を受ける。長い金髪は少し低い位置でお団子にしてあり、これもまた少し大人っぽさがある。


「その、なんだ、似合ってるよ。大人っぽいし綺麗だ」

「ありがと。壮太もその浴衣似合ってる」

「お、おう」


 俺の浴衣は、祐奈に芽衣と花火大会に行く、と言ったところ、お母さんから預かってるものがある、と言われ着つけてもらった、紺に白の細い縦線が入ったものだ。聞けば、三者面談にかこつけて襲来した母さんが、用意していたらしい。この話を聞いたとき、母さんはもしかしたら未来を見通す眼でも持っているのではないか、と思ったが仕方あるまい。

 あら、カップルで浴衣着て可愛いわね、なんて声が聞こえてきたので、芽衣の手を取り駅前の広場を去り駅へと入る。


「少し混んでるね」

「まあ、割と大きめの花火大会だし仕方ないだろ」


 会場の方へと向かう電車がやってくるこちらのホームは、それなりの人が電車を待っている。向こう側にほとんどいないということもあって、こちらが混んでいるといった印象を受けた。

 やってきた電車もやはりそれなりに混んでいて、通勤、通学ラッシュとは無縁の生活をしている俺からは、積極的に乗りたいとは思えないが、乗らないわけにもいかないので、下駄を履いて少し足取りがおぼつかない芽衣とともに乗り込む。

 狭い車内では、お互いの距離が近くなる。いつもより近い距離に調子を狂わされ、会話は弾まない。

 何とか会話の種を探して視線を右往左往させていると、電車はカーブに差し掛かる。何とかバランスを保っていた俺だが、背後でバランスを崩した人に押される形で、バランスを崩す。


「きゃっ」


 短い悲鳴とともに、ふわりと甘い匂いが鼻をつく。視界には、顔を真っ赤にした芽衣が大きく映っている。

 バランスを崩した俺は、芽衣に壁ドンをしているような体勢になっていた。いや、この場合は扉ドンか? 語感悪いな、などと考え現実逃避するが、状況は変わらない。


「悪い」

「う、うん。平気。でも、このままじゃダメ?」


 消えてしまいそうな小さな声とともに、浴衣の袖を指で軽くつままれる。少し袖が動けば袖は解放されると分かってか、袖を動かすこともできず、俺は逃げるように視線を窓の外を流れる景色へと向けた。

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