第9話
入場ゲートをくぐると、いつもの世界から別の世界に入ったような印象を受ける。別に、ここには素敵なネズミはいないし、白亜の城もないのだが、それでも遊園地というのは、日常とは違った空気を感じる。
「どこから回る?」
「とりあえず、気を回してもらったんだし、朱莉ちゃんや拓弥君と一緒だと回れないところを回った方がいいんじゃないか?」
「まあ、それはあるね」
「じゃあ、ねー。……これにしよっ!」
唯織ちゃんが指さしたのは、パンフレットに描かれた地図の端の方、絶叫系マシンばかりが集まったひと区画のなかでもひと際ヤバそうなコースター。一応ここの売りではあるらしいが。顔を上げ園内をぐるりと見渡すと、ひと際背が高いのでここからでも視認できる。
「午前中はこの区画回っておけばいっか。壮太もそれで大丈夫?」
「ああ、うん」
まあ、絶叫系はそこまで苦手じゃないし。ただ、座席ごと回転しだしたりするとダメ。この間の4人乗りウォータースライダーはそれに近かったからキツかったが、ここにそんな物騒なものは無い。普通の絶叫系コースターばかりだ。
「じゃ、行こっか」
芽衣を先頭に園内を歩くこと数分。ようやく絶叫系エリアが見えてきたところで、唯織ちゃんが服を引っ張ってくる。
「どうかした?」
「私、空気読んで途中でひっそり、はぐれましょうか?」
「やめてね。普通に探し回ることになるから」
「そうよ、余計な気なんて回したら迷子センターに行くよ?」
芽衣に聞かれないように、ひっそり話したつもりだったのに芽衣が反応したからなのか、はたまた迷子センターに行く、と言ったのに効果があったのかは知らないが、唯織ちゃんはコクコクと首を縦に振っている。
「さて、ここが目的地な訳だが」
「混んでるねー」
「でも、まだ30分とかからず乗れそうですから、随分早いと思いますよ」
この遊園地の目玉たるジェットコースターを見上げてみると、悲鳴を上げる人たちが見える。なんと彼らは立ち乗り。さらに遠目から見ても分かっていたが、やたらと高低差がある。
「じゃあ、並ぶか。いや、待て、芽衣そのスカート平気か?」
これ、スカート邪魔だろうし、下手したら捲れるまであるぞ。まあ、係員の人が指摘してくれるだろうが、並んでからだと時間の無駄になるかもしれんし。
「ちょっと着替えてくる」
化粧室へと向かう芽衣を見送り、近場のベンチで唯織ちゃんと芽衣を待つ。
「そういえば雨音さんは、お姉ちゃんと付き合ってるんですか?」
少しすると、意を決したように唯織ちゃんが声を発す。内容に驚きこそしたが、俺は一息ついてから努めて冷静に口を開いた。
「いや、まだ付き合ってないけど。どうした?」
そう言ってから、自分が、まだ、なんてことを言っているのに気が付く。幸いなことに唯織ちゃんは気付いていないみたいだけれども。まあ、実際に芽衣といるのの居心地の良さやらは、若宮さんに話した通りなのだし、そろそろ向き合わないままにできなくなってきてるのも事実だ。
「いや、ずいぶんと近い距離感だからどうなのかなぁって」
「まあ、確かに近いかもしれんな。そう言う唯織ちゃんはなんかそういう話とかないのか?」
ボンッという擬音がぴったりとでもいえばいいのか、唯織ちゃんの顔が一気に真っ赤に染まる。
「あ、ありますけど」
「あー、いや、別に無理に聞こうって気はないから」
「いいじゃん、列は長いし聞かせてもらおうよ」
後ろから着替えを終えた芽衣に声を掛けられる。女子の着替えは長いと思っていたが、履き替えるだけなら5分とかからないようだ。
「おっ、お姉ちゃん」
「とりあえず並んでからにしようぜ。せっかく着替えてきてくれたんだし、できるだけ回ろう」
「まあ、並んでからでも聞けるもんね」
芽衣の一言で若干顔色が微妙になった唯織ちゃんを連れて、20分待ちと書かれた看板を持っている係員のところに並ぶ。
何をするにも中途半端な待ち時間というのは大抵の場合、話す時間に充てられるだろう。携帯をいじって列が進むのを待っている人もいるが、誰かといるならこれは悪手だろう。ああ、言わんこっちゃない。彼女さんが携帯を取り上げて怒っていらっしゃる。
俺が視界を意図的に後ろの方に向けているのには訳がある。待機列で始まった唯織ちゃんの相談のせいだ。相談内容は、クラスでもいいなと思える人に夏祭りに誘われたそうで、どうすればいいのか、ということだったのだが、甘い物と恋バナには目がない女子高生なお姉ちゃんからの、質問攻めの餌食になっている。そんなわけで俺は蚊帳の外。とはいえ俺らもそろそろ乗り場に到着しようとしているのだが。
前の十何人かがどっさりといなくなると、ついに俺たちの番が回ってきた。荷物を預け、やってきたライドに乗り込むとレバーが下がる。一番奥には俺が、その隣に芽衣、さらに隣に唯織ちゃんという並び順だ。
「なんか立って乗るのって緊張するね」
「俺もこういうのは初めて乗るな」
係員の、行ってらっしゃーい、の声と共にライドは少し前へと進みチェーンリフトで上昇していく。そして、頂上に着くと、位置エネルギーが運動エネルギーに変えられていく。
最初の下りでは、どんどんと加速して行くがまだ心地よかった。しかし、次の瞬間、つまりはループに入ったところで、このコースターの恐ろしさが牙を向いてきた。
足に力を入れて踏ん張ろうとしたところ、どうしても踏ん張れない。足にちらりと視線を向けると足が浮いている。隣の芽衣を見ると、視線がわずかに近い。芽衣は俺よりも足が離れていて、この世の終わりを悟ったような顔をして、俺の服をしっかりとつかんでいる。
この後もループやカーブが続き、しばし足が離れる感覚を味わわされたが、やっていられない。ライドが乗り場に戻り、再び地面を踏んだ時、異様なまでの安心感を感じられたのは言うまでもない。
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