おろせない荷物 第一

 外は満月で、案外と楽に町中を歩く事ができる。しかし森の中ともなれば、家々の屋根よりも高い木々が枝葉を茂らせ零れる程度の月明かりしかない。

 なのでケロウジたちは提灯を一つ取りにハナガサの屋敷に寄り、そのまま裏口から山林へと入って行く。


「あぁ、どうしたらいいのか……」

 ケロウジの推測を聞いてから、ハナガサはこの調子だ。

「おじさん……大丈夫ですって」

 ケロウジはデカい体でうじうじと胃をさするハナガサに言った。

「お前はこの世のことわりに関心がないからそんな事が言えるのだ。魔獣師がどれだけ武家に対して弱い立場か知らんのだ。機嫌を損ねれば火のない所にだって煙を立てられてしまうのだぞ。あぁ……どうか無事でいてくれ」


 溜息を吐くような声でハナガサは言った。

 そこへコガネの霊体が現れた。木々の間のどこからか、ふらりと現れてケロウジたちを見る。

 見えないハナガサはケロウジとササが足を止めた事を不思議に思いながらも、すぐに思い至り聞く。

「コガネの霊体がいるのか?」

「はい。います」


 夜の闇に紛れる体はまだ薄墨色をしていて、少し辺りの景色から浮かび上がっている。

「これが見えるという事は、本人はまだ生きているんです」

 ケロウジは言った。昔、目の前でブツリと消えた霊体の事を思い出す。


 例のハナガサの仕事小屋の前に着くと、一匹の猫が待っていた。闇を薄く伸ばしたような毛色に、ケロウジは昼間の女を思い出す。

 すると、ずっと少年の姿をしていたササがポンと魔獣の姿に戻る。それを見てケロウジが猫に聞く。


「お前も魔獣なんだね?」

「そうよ。二百年以上も生きてるの。そっちの狸モドキより年長者なんだから、覚えておいてよね」

 猫の魔獣がそう言うと、ハナガサは口をあんぐり開けてそれに近寄る。


「ヤマドリ、お前……本当に魔獣だったのか?」

「そんな事じゃ魔獣師失格よ。しっかりしなさい」

 ヤマドリと呼ばれた猫の魔獣は、尻尾でハナガサの顔を叩きながら笑った。


 ササは「また生き物に別の生き物の名前かよ」と呆れている。

 実のところケロウジの名前もハナガサが付けてくれたもので、ケロケロと鳴くあのカエルから来ている。どこへ行っても帰ってこいと、そんな風に言っていた事をケロウジは思い出していた。

 けれど今はそんな話をしている場合ではないと、ケロウジはヤマドリに聞く。


「ここにコガネという船医がいるよね?」

「人間の名前なんか知らないわ。でも女がいるわよ。で? どうして欲しいっていうの?」

「返して欲しいんだけど」

 ケロウジが聞くと、ヤマドリは牙を剥いて見せる。

「人間ってどうして、こうもおめでたい頭をしているのかしらね。アタシが人間を連れ込んだのよ? 生かしておくと思うの?」

 ヤマドリはそう言って、ふんっと顔をそむけた。


「なんだか隠そうとしているところ悪いんだけど、僕にはあの霊体が見えてるんだ。あれがいるのなら本人は無事なはずだろう? 誰に狙われてるのかも分かってる。お前は彼女を隠して守ってくれてるんだよね」

 ケロウジが手を差し出すと、ヤマドリは諦めたように顎を乗せてゴロゴロと喉を鳴らす。


「何よ。それなら先に言いなさい。女に恥かかせるんじゃないわよ」

「悪かったよ。それで、会わせてくれないか?」

 ケロウジが聞く。それでもヤマドリはケロウジたちを中に入れるか悩んでいる。

「なんだよ、ババア。人間が行方不明になったら騒ぎになるって知らねぇのか?」

 ササが言うと、ヤマドリは「ババアじゃない!」と怒鳴る。しかしそれを切っ掛けに話し出した。


「アンタたち、殺そうとしている奴の所に獲物を帰すつもり? バカじゃないの。この女は偶然見つけたのよ。無料で魚を食べさせてくれるって言うから人に化けて浜に行ったんだけど、その時に若い船乗りをじっと見ている霊体と、その若い男が本体の女を睨み付けているのを見たのよ。だからこっそりと魔術を使ってここに隠したのに、どうするつもりよ」


「そうだったのか……! ありがとうな」

 ハナガサはほっとしたのか感動したのか涙まで流し、ヤマドリを抱き上げる。その時のヤマドリの顔が嫌そうじゃなくて、ケロウジは微笑ましく思う。


「その人、たぶん自殺だよ。自分からその船乗りに殺されようとしてるんだ。だから少し話さなきゃいけないと思うんだけど、話せる?」

 ケロウジが言うと、ヤマドリは驚いて口を半開きにして固まった。

「……魔術で眠らせたの。アタシが魔術を解けば起きるわよ」

 そうしてヤマドリはハナガサの腕からトンと下り、仕事小屋の中へ入って行く。


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