猫騒動 第三
「熱もないしよく寝ているし、問題なさそうだぞ。過労じゃないか? 明日まだ思わしくないようなら医者に見せた方がいいだろうがな」
そう言ってハナガサが立ち上がると、船長はほっと息を吐いて礼を言う。
「本当にありがとう。急に悪かったな」
「構わんさ。それより、船医の部屋を見せてもらえんか? 探すにも私らは彼女の事を何も知らんからな」
ハナガサの言葉に「もちろんだ」と言って船長は彼女の部屋へ案内してくれた。
そこは薬草の匂いの染み付いた部屋だった。行李が一つ部屋の隅に置いてあり、その隣には薬種の詰まった瓶が木箱の仕切りの中に行儀よく並んでいる。たくさんの包帯と診療録と思われる書物の山。
そこは診療所だった。
「じゃあ、俺は戻るから好きにやってくれ。帰る時にでも声を掛けてくれ」
船長はそう言って部屋を出て行った。
「それじゃあ、まずは前船長の診療録から探しますかね」
ケロウジが言った。
「まぁ、それが一番だろうな。だがこの部屋を見れば船医の心根が分かるようだ。おそらくは皆それを知っているのだろう」
ハナガサの言葉に、ケロウジもササも頷く。
「しかし自殺かもしれねぇんだからな。忘れんなよ」
ササが言い、ケロウジたちは部屋の中を探し始める。荒らさないように、見逃さないように。
しかし出てくるのは薬種やら乳鉢やら薬研、香に白衣といった物ばかり。
けれど分かった事もある。
船医の名前はコガネ。二十七歳。前船長から贈られたものと思われる手紙の山を大事そうに文箱にしまっていた事から、好い仲であった事は間違いないと思われる。
他の乗組員たちの診療録から、前船長が亡くなったのは半年ほど前。丁度この港町に船が帰ってくる直前だったらしい。息子であるフユヤマが暴れ回り、怪我人が多く彼女の元を訪れている。
コガネは前船長が亡くなる半年ほど前から急に船に乗っている。
分かったのはそれだけだった。日記らしい物などは見当たらず、この部屋の主の趣味すら分からない部屋。
「悲しむ暇もなかったろうな」
乗組員たちの診療録を見ながら、ケロウジは呟いた。紙の山を見ているだけでも切れ間なくやって来る人たちを一人で見きれない事が伝わる。
「忙しくしておった方が良いとも言えるがな」
ハナガサが言う。すると、唐突に思い出したササがハナガサに聞いた。
「そういや、おっさん。魔獣を拾わなかったか?」
「魔獣?」
ハナガサがグッと眉間に皺をよせ、ササを振り返る。その表情は救いを求めるようだと、ケロウジは思った。
「あぁ。昼間ちょっと変な女に会ったんだけどよ、そいつがどうも臭いんだ。獣臭い。ありゃあたぶん魔獣だ。そいつがお前の周りを探れって言うんだよ。どっかでメスの魔獣を拾わなかったか?」
あの時のササの考え事はこれだったのかと、ケロウジは納得する。
「いや、まだ分からん。さっきはその話をお前たちにしようと思っていたのだ」
「あぁ、猫の魔獣を拾ったのはおじさんだったのか」
ケロウジがそう言うのを、ハナガサは指を立ててしぃっと止める。
「だから、まだ分からんと言ってるじゃないか。あの猫が話しているのなど見た事がないから私には分からんのだ。だからササに確かめてもらおうと思っていたのだが」
やはり魔獣なのか? とハナガサは聞いてシュンと俯く。
その時、ふとケロウジは気付いた。今この場にコガネの霊体がいない事に。
「どこに行った?」
ケロウジが呟くので、ササとハナガサは何に話か分からずに首を傾げる。二人に霊体の事を話しながら、ケロウジは考える。
コガネの霊体はどこにいるのか? いつから居なかったか?
「さっきフユヤマの部屋にいた時には立っていたんです」
「霊体はいつも死ぬ場所を示しているのだったか」
あるいは犯人を、とハナガサは言いながら腕を組む。ケロウジもここまでの状況を整理しようと、床にドカッと座った。
ハナガサに付いて来たコガネの霊体。けれど本人同士は顔すら知らない。
ハナガサが拾った猫魔獣。
行方不明のコガネ。
じっと見下ろしていた霊体のコガネ。
「誰を?」
そこまで考えると、ケロウジは合点してすっと立ち上がる。
「おい、どうしたよ? 何か分かったのか」
ササが聞く。
「あぁ。たぶんだけどね。彼女は死にたがってるんだと思うよ」
「自殺って事か?」
ハナガサは聞き返すなり早く探しに行こうという風に、今にも走り出す格好だ。
「いいえ。殺される予定なんです。殺されたがってるんです。それなのに誘拐されちゃって、このままじゃ助かってしまうから困ってるんですよ。まぁ、そうじゃないかなと思います」
そう言いながら部屋を出ようとするケロウジに、ハナガサは慌てて聞く。
「ちょ、ちょっと待て! どこに行こうというのだ? なぜ私に憑いていたのかも分からんと言うのに……」
「それは、コガネさんがおじさんの所にいるからですよ。もうすっかり暗くなっているんですから、早く行きましょうよ」
ケロウジはケロッとして言い、スタスタと部屋を出て行く。
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