魔病 第二
「ところで、おじさん。今日は何か用があって来たんじゃないんですか?」
「あぁ、そうだった! すっかり忘れておったわ」
ハナガサの小言が止まった事に、ケロウジはほっと息を吐く。
そしてハナガサは柿を入れて来た籠をゴソゴソとして、土のついたままのラッキョウを取り出して見せた。
「ラッキョウですか? あれ? この時期にラッキョウって採れるんでしたっけ?」
「こんな寒い時期にラッキョウは育たない。だが、それが育ってしまったんだ」
「へぇ、良かったじゃないですか」
暢気に返事をするケロウジに、ハナガサは大きな溜息を吐く。
「お前はそれで済むかもしれんが、だいたいの奴はそれでは済まないのだ。これは、いわば奇跡のラッキョウなのだぞ」
「その奇跡、漬物にしてもいいですか?」
「好きにしてくれ……」
ササは痛む腹をさすりながらヒィヒィと笑う。
そしてハナガサが話したのは、珍品を作ると有名な武家の娘の話だった。
「知っているだろうが、私は珍品を集めるのが好きでな。もちろん娘の所へも行った」
娘はこの辺りでは有名なオオツガという武士の娘で、色白の美人。体が弱く、出先で倒れることは珍しくないという。
だと言うのに、ヒイロたちの馬借のある山裾の村とケロウジの家の間あたりで一人暮らしをしているのだと、ハナガサが言った。
「娘が作っているのは飯の覚めない茶碗、油のいらない行燈、持てば水の湧く湯飲み、こすり合わせるだけでポトリと火種の落ちる石なんかだ。そして私は娘から野菜が元気に育つ土を買った」
時期などは気にせず好きな物を植えて下さいと言われたハナガサは、植え付けの時期ではない夏にラッキョウを植えた。
「それで今これだ」
ハナガサは、これがついふた月ほど前に植えたばかりのラッキョウなのだと言った。
「ふた月でこれは可笑しいでしょう。これはどう見たって二年ものだ」
「そうだろう? だが話はラッキョウの事じゃあない。その娘が何者かに付け狙われていると言うのだ。娘の家の周りを怪しい男がうろつくのが何度も目撃されているらしい。私は、命を狙われているのではないかと思っている」
不思議な物を作れば狙われる事もあるのだろうな、とケロウジは思った。ましてや、それが女の一人暮らしともなれば狙いやすいだろう。
「それじゃあ、その娘を守ろうという話ですか?」
「まぁ、そうなのだが、お前の目で見て欲しいのだ。他殺ならば見えるのだろう?」
なるほど、とケロウジは頷いた。
「頼めるか?」
「近いですからね、大丈夫でしょう」
ケロウジはササを見ながら答える。
「すまんな、ササ。これからは私もちょこちょこ様子を見に来るからな」
ハナガサはそう言うと、剥いた柿をいくつかササの目の前に置いて立ち上がる。
ササは、ひらひらと猫の尻尾を振って二人を送りだした。
ハナガサの案内で自宅のある山を下り、川沿いの道を歩きながらケロウジはオオツガという武士について尋ねる。
「その人はどうして、体の弱い娘に一人暮らしなんてさせてるんですかね?」
「さぁな。私は魔獣師だから、武士たちには聞きづらくてな」
つまりハナガサは、そのオオツガ様に聞きに行ったけれど『聞くな』という雰囲気にそれ以上何も言えず帰って来たという事らしい。
「まったく予想がつかん訳ではないが……」
ハナガサは珍しく口を濁す。
「何ですか?」
「オオツガ様は港町に住んでいるのだが、娘の悪い噂が囁かれているのだ。それで逃がしたのかもしれん」
それにしても、とケロウジは口に出さずに思う。
道は川に沿って続き、光草での柵がしてあるとはいえ木々がすぐ隣で枝葉を伸ばす。
ひっきりなしに鳥が鳴き、橋の手前で暮らしているケロウジやそこを訪ねてくる客人でなければ通る事もないだろうという道だ。
これならば噂の中に置いておいた方がまだいいだろうと、ケロウジは思う。
右手には人の背ほどの柵のされた川、左手には竹林。曲がりくねる道の先に馬借の馬小屋が見えて来た時、ハナガサが足を止めた。
「ここだ」
ここ、と言われてもケロウジはすぐには分からなかった。
川の方の柵は等間隔に立てられた丸太に光草の縄を巻いたもの。よく見ると一箇所やけに間隔の開いた場所がある。
ケロウジがそこから中を覗くと、砂利の敷かれた広い庭に松や紅葉が揺れていた。その端にはケロウジの家より少し大きいだけの小さな家がある。
どうもこの柵は川ではなく家の柵であるらしい、とケロウジはようやく気付く。
「ありゃ、こんな所に庭園付きの屋敷が」
「お前は近くだろうに、なぜ気付かなかったんだ?」
感心して声を上げるケロウジに、ハナガサは呆れて聞く。
「僕はいつも山やそっちの竹藪の中を通るもんで」
「お前は本当に……。ちゃんと人の道を通ってくれ……」
「はぁ」
返事をしながら、ケロウジは背後の竹藪に人の息を聞いた。微かだけれど、確かに誰かが息を潜めてそこに居る。
ケロウジはいつもと同じように、ハナガサに視線だけで合図を送る。
するとハナガサも慣れたもので、バッと声もなく竹藪へ走り出す。
「何者だ!」
すぐに、こちらを窺っていた若い男が哀れにもハナガサに首根っこを掴まれて道へ出てくる。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 俺は魔獣師なんです! 仕事の途中で庭を眺めていただけで、怪しい者じゃないんですよ!」
ハナガサが必死に訴える男に魔獣師の免状を出すように言うと、意外にも本物の淡く光を放つ免状を出してきた。
「本物のようだな。勘違いしてすまなかった。最近この辺りで怪しい男が目撃されているので、今回のような怪しい動きはしないように。いいな?」
「はい……それじゃあ」
解放されると、男はそそくさと竹藪の中に消えて行った。
ハナガサは納得できないといった表情でそれを見ていたが「中へ入るぞ」と言って歩き出す。
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