魔病 第三

 その庭は不思議だった。

 満開の桜の盆栽の横で梅の若木が花を咲かせる。鉢植えには竜胆が咲き誇り、その隣でナスがたわわに実っている。

 紅葉は赤々としているのに花まで咲かせ、紫陽花にも夕焼けのような花が満開だ。


「ありゃ……」

「まだ驚くのは早いぞ」

 驚いて立ち止まったケロウジの肩を叩き、ハナガサは玄関から声を掛ける。

「こんにちは! ハナガサだが」

 すると、中から朱色の着物を着た色白の女の人が出てきた。

「いらっしゃいませ。あら……そちらの方は?」

 女の人はじっとケロウジの目を見て笑みを浮かべる。

「どうも。上の橋の所に住んでるケロウジと言います。採取屋です」

「あぁ、それはどうも。さぁ上がって下さいまし」


 ケロウジは霊体がいないか注意しながら歩く。家の中には特別に珍しいものは無いように見えた。

 茶碗に壺に、巻物に織物。簪や首飾りと、ありふれた物ばかりだ。

 ケロウジたちは庭のよく見える部屋に通されたが、そこも品物で溢れている。


「初めまして。シイと申します。今日はどういった物をお探しでしょうか?」

「え? あぁ、いや……まぁ、ちょっと話に聞いたもんで」

「あぁ、そうでしたか。それでは説明を聞きながらご覧になって下さい」


 シイはそう言って空の湯飲みを持ってケロウジの横に座る。

 そのままニコリと笑って動かないシイにケロウジは困ってしまい、取りあえず湯飲みを持ってみた。

 すると何の変哲もない空の湯飲みから、こんこんと水が湧き始めたのだ。水は湯飲みが満杯になると自然と止まった。


「そちらは持つと水の湧く湯飲みです。怖いかもしれませんが、飲むこともできるのですよ」

「へぇ、そりゃあ便利だ」

 ケロウジが飲むとその水はとても冷たく、まるで今朝、霜の下りるあの川から汲んで来た水のようだった。変わった匂いもなく、味も美味い。


「飲んで下さったのはケロさんが初めてです」

 シイはそう言ってじっとりとケロウジを見つめる。彼女の手が湯飲みを持つケロウジの手に伸ばされる。

 ケロウジが困っていると、シイが言った。


「ケロさん、いい香りがしますね」

「そうですか?」

「えぇ。とても美味しそう」

 ケロウジは顔には出ないまでも、驚いて口をポカンと開けた。

 それを見てシイはフフッと笑うと、お茶を持って来ると言って席を立つ。


「おい、ケロ。どうだ? 例のアレはいるか?」

 シイが部屋を出ると、すかさずハナガサが聞いてきた。

「いいえ。ここには見当たりませんね」

「そうか。では一先ずは安心という事か」

「霊体が本人の傍にいるとは限りませんけどね」

 それよりも、とケロウジは言った。


「さっきのは何ですか……」

 ぐったりした気持ちでケロウジが聞くと、ハナガサがさっぱりとして答える。

「お前に嫁ができそうで私は嬉しいぞ」

「そんな訳ないでしょう。さっき会ったばっかりなんですよ?」

「色恋というのはそういうもんだろう。と、独身の私が言っても説得力に欠けるな」


 はぁ……とケロウジは溜め息を吐く。すると川の方から視線を感じた。

 そちらの方には道側の半分ほどの高さの柵がしてあるのだけれど、その隙間から確かに誰かが見ている。

 こうしたケロウジの感覚は他の人よりも鋭く、ハナガサは信頼している。

 だが本人は足が遅くて逃げられてしまう事が多いので、追いかけるのはハナガサの役目だ。


「おじさん。川の方、庭石の奥の柵から」

 そこまで聞くと、ハナガサは履物も履かずに縁側から飛び出して行く。ケロウジもその後を追った。


「待て!」

 ハナガサが叫ぶと、慌てたそいつは土手を転がり川へ落ちる。

 ケロウジとハナガサが柵を越えて行くと、川でびしょ濡れになっていたのは先ほどの魔獣師の男だった。


「またお前か! もう言い逃れは出来んぞ!」

「いや、待って下さいよ! 参ったなぁ……」

 川岸でハナガサに縛られながら、男は話しを聞いてくれと訴える。

「俺は雇われて彼女の見張りをしてるんですよ」

「なんだと⁉ 雇い主はどこの誰だ⁉ とっ捕まえてやる!」


「違いますって……。変な奴が来ないか見張れって言われてるんですよ。客が来たら中の様子を見ていて、危ないようなら助けに入るようにって。全く……なんだってこんな事を」

 男はブツブツと文句を言った。


 ハナガサは「雇い主はどこかの武士だな?」と聞いたものの、男は何も答えない。

 するとハナガサは溜め息を吐きながら、縛ったばかりの縄を解く。

「いいんですか?」

 ケロウジが聞くと、魔獣師だからなとハナガサは答えた。

「魔獣師は武家の使い走りなんだ。こいつが武家に雇われている以上、危ない目的ではない限り縄は解くしかない」


 ハナガサはそう言いながら、本当に守るためなのか? と男に念を押すように聞く。

「もちろんですよ! だから今日の事は誰にも言わないで下さいね。見つかった事が知られたら俺は職を失うんですからね」

「あぁ、分かったよ。お前も、頼んだぞ?」

 ハナガサはケロウジにそう言った。

 ケロウジは頷いてから、男の方に聞く。


「それじゃあ、最近この辺りで怪しい男を見なかった?」

「俺以外にか? 知らねぇな。だいたい、お前んとこへ行く客ぐらいしか通らねぇよ」

 そうだよな、と三人は頷く。


「それじゃあ、俺は帰るんで。あっ……」

 歩き出そうとした男はケロウジを見て腕を組み、黙り込んでしまった。

「なにか?」

「いや……アンタさ、あの女だけは止めとけよ。あれはダメだ」

 言うなり男は、濡れた服をそのままに土手を登っていく。


「今のは何なんでしょうか?」

「嫁ができそうという話を聞かれたのではないか? それにしても、あんな美人の何がダメなのだ。失礼な奴め」

 本当ですねと答えながら、ケロウジは気になった事をハナガサに聞く。

「雇い主って、やっぱりオオツガ様ですかね?」

「どうだかな。病弱な娘にこんな所で一人暮らしをさせるような人だぞ」

 ハナガサはフンッと鼻を鳴らし、濡れた服を絞りながら歩く。

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