第2話 チキンの俺は幼なじみの気持ちに気づけない

「兄さん! 急がないと遅刻するよ!」

「早っ、ちょっと待っててすぐ行くから!」


俺が通っている高校とかえでが通っている中学校は自宅から歩いて行ける距離で、方向も同じなので途中まで毎朝一緒に登校している。


これは俺たちが早く打ち解けるように、それと楓の防犯のためにと父さんが決めたものだ。

両親は共働きで、朝は早く家を出て行ってしまうし夜は帰りが遅いため色々と心配なのだろう。

ドタドタと階段を下りると楓は家事から身支度まですべて終わらせて俺を待っていてくれた。

本当によくできた妹である。


「ごめん、遅れた。じゃあいこうか」


こんなやりとりにも慣れてきて日に日に兄妹らしい会話が出来るようになったことを嬉しく思っていたのだが。


「……」

「……」


いつもなら会話が弾むはずの登校中の会話が途絶えてしまう。

それもそのはず、楓のおでこには未だにピンク色のハートが浮かび上がっている。


昔、この体質のせいで虐められてから今まで意識的に人のおでこを見ないようにしていたし、普段は相手の顔をよく見なければマークは見えないため、この能力について調べる前までは全くと言って良いほど他人のマークを見ていなかった。

3年間同じ家で過ごしていた楓のマークすら見えていなかったのだから驚きだ。


そのせいか見えてしまうと今度はずっと意識してしまう。

気まずい空気、といっても気まずいのは俺だけなので楓はご機嫌だ。鼻歌まで歌っている。


「わあっ! じゅん、おはよう!」


急に後ろから驚かされた。

毎度のことながら朝から心臓に悪い。


香織かおりなぁ、びっくりするから驚かせるなって毎回言ってるのに」


「じゅんがぼうっとしてるからいけないんだよ」


何が面白いのかクスクス笑っている。

彼女の名前は神崎香織かんざきかおり

俗に言う幼馴染みってやつで家が近いということもあり、小学校に入る前からよく一緒に遊んでいた。

それに加えて小、中学校、高校までずっと一緒だ。

髪をポニーテールにまとめており、明るい性格のため元気で活発な印象を受ける。


長年一緒にいる俺から見ても香織は楓に引けを取らないほど容姿が整っていると思う。

彼氏はいないようだが告白されることも多いのだそうだ。


「あ、じゅんネクタイ曲がってるじゃん。直してあげるよ。ほらこっち向いて」


「え、マジで? 本当だ。今日急いで家を出てきたし、俺ネクタイ結ぶの苦手なんだよね」


胸元を見ると確かに香織が指摘したとおりネクタイが曲がっていた。

季節は5月。俺の通っている高校の制服はブレザーでネクタイの着用が校則で義務づけられている。中学校までは学ランだったためネクタイを結ぶのにまだ慣れていないのだ。


香織は慣れた手つきでネクタイを結び終えるとドヤァと効果音が聞こえる位のドヤ顔を披露する。

ちょっとウザかったが、絞まりすぎず緩すぎず、結び目まできれいでちょっと悔しい。


「香織、ネクタイ結ぶの凄い上手いな。ありがとう、助かったよ」

素直な気持ちを言葉にする。


「へへーん。もっと私をあがたてまつりたまえ」


俺がまだピンク色のハートマークが恋愛感情を意味しているのでは無く、家族愛に近いものだと考えている理由の半分は楓、もう半分は香織にある。


実は香織のおでこにもピンクのハートマークが浮かび上がっている。

一人っ子だった俺と香織は本当の家族のように過ごしたためこのようなマークが出ているのかも知れない。


これ以上誉めると調子に乗りそうだったが、ころころ変わる香織の表情が面白いのでノってみる。


「はっ、この如月きさらぎにできることならば何なりとお申し付けくださいませ香織お嬢様」


「お、お嬢様?! えへへ、照れるな」


俺が執事の真似をしながらそう言うと香織は顔を赤らめてもじもじしている。

おいおい!? その反応はなんだよ! 思ってたやつと違うよ!

なんだかこっちまで恥ずかしくなってきたぞ。


「じゅんと結婚したときのためにネクタイを結ぶ練習しといて良かった」


小さく香織が何かをつぶやいた。

多分ラブコメの鈍感主人公だったら

『え、今なんて言ったんだ? 小さくてよく聞こえなかった』

とか言うんだろう。

だが俺は違う。小さい声だったがはっきりと聞こえてしまった。



彼女がどういう意図でこの言葉を口にしたかは分からない。

思っていたことが本当に口に出てしまったのかも知れないし、俺をからかっただけかも知れない。

だが、彼女の緩みきった表情を見ていると後者の可能性は低いだろう。

つい先程まで立てていた仮説が音を立てて崩れて行くのを感じる。

何年も一緒にいた友人に思いを寄せられていた事実の衝撃に立ちくらみがする。

それでも俺は悟られないようにすぐに口を動かした。



香織との関係を崩す勇気が無かった。何せ俺と香織は10年以上ずっと幼なじみとして過ごしてきたのだ。

今すぐには香織のことを恋愛対象としては見れないし、そもそも直接告白されたわけではない。


そう自分に言い聞かせて俺は、逃げるという選択肢を選んだ。


「いや、何も言ってないよ。えへへ」


こうなるとピンクのハートマークは本当に恋愛感情を表しているのかもしれない。


いや、待て。じゃあ楓は? いやな予感がして楓の方をちらりと見ると


「兄さんと神崎先輩は本当に仲が良いんですね?」


楓は

そう言った。


「そ、そうかな? なんか照れるね」


香織はえへへと笑いながら、まんざらでもない表情でチラチラとこちらを見て顔を赤くしている。


だが、俺はそれどころじゃなかった。

楓のおでこにあったハートマークがどす黒いオーラを放っているのだ。


こ、この感じは嫉妬なのか? いや、殺意みたいなものも混じっている気がする。とにかく楓の笑顔が怖かった。

しかもどんどん色が濃くなってきている。全身から黒い瘴気が立ち上っていると錯覚させるほどだ。


俺はだらだらと大量の汗をかきながら、香織の事で完全にフリーズしていた脳を強制的に再起動して思考回路を張り巡らせ、対処法を考える。

いや、待てよ。これはもし嫉妬が原因なら楓にかまってあげれば良いのでは?


時に人間は命の危機に瀕すると冷静でいられなくなるものだ。

何を血迷ったか俺は次の瞬間楓の頭を撫でていた。


「ふぇっ?! に、兄さん? あぅぅ」


楓の頭に触れた瞬間ビクッ体をこわばらせたが、すぐに空気の抜けた風船のようにふにゃふにゃと体の力が抜けていく。

それに比例するかのように額に浮かぶハートは段々ピンクに戻っていく。


これは……もう言い逃れ出来ないな。

もう現実に目を向けるしかなかった。

どうやら香織と楓は俺のことを恋愛対象として見ているらしい。

香織はともかく楓は大切な家族だ。

これから家でどう接するようにしようか……


せっかく楓との距離を縮められたのだが、違う意味で距離が縮まってしまっていたようだ。


おいおいおい……これからどうすんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ


俺は心の中で全力で叫び、これからの楓と香織への対応に頭を抱えながら学校へ向かうのだった。

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