第6話 かなしい記憶

三日月がのぼる夜空の下、あかりが灯る一軒の家の中から小さな悲鳴が聞こえる。

「いってぇ!折れてる!絶対折れてる!」

「残念だけど折れてはいないね。打撲と擦り傷だ。きみずいぶん丈夫だねぇ。せっかくなら折れてればよかったのにねぇ、骨が見えるくらい」

と、本当に残念そうに答える白衣を着た男は、勇者見習いの体に包帯を巻き終え片づけを始めた。

「骨なんか見えたら下手したら死んじゃうでしょ。相変わらずドクトルはキミの悪いことばっか言うんだから」

しかめっ面で答えたキズリは、勇者見習いの顔を見て、

「残念だけど……こっちは折れてたわよ」

そう言って、壁に立てかけた剣を指さす。見事に真っ二つに折れていた。

「そっか。あの衝撃じゃしゃーねぇな」

キズリのそばにいたノロが両手を合わせて

「ごめんなさい」

と口を動かす。

「やたら重くて動きにくかったからいいよ。新しい剣を買うさ」

勇者見習いがノロを見て笑って答える。するとキズリが不思議そうに尋ねる。

「あれ、剣なのかな?中の鋼、どう見ても磨かれてない、ただの石みたいだけど」

「そうなのか?オレ剣を持つの初めてだからわかんねぇんだよな。武器屋のおっさんに選んでもらったから。もしかして取り違えたかな」

勇者見習いも首をかしげる。ノロは黙って剣を見た。

上着を着なおす勇者見習いに、ドクトルが言う。

「しばらくは無茶をしないことだね。馬と一緒に転ぶなんてもってのほかだ。まぁ今度こそ骨が飛び出たってときにはぜひ鑑賞させてもらうけど」

「いや、鑑賞しないで治療してよ」

すかさずキズリが言う。勇者見習いは笑って、

「あんな偶然、なかなかねーだろうが。気を付けるわ」

と答える。するとドクトルは、帽子の下からのぞく細い目を光らせて、

「偶然なんてない。この世に起こることはすべてが必然。……と、昔読んだ本に書いてあった。君がそんなガラクタの剣を折ってしまったのも、馬と一緒に転んだのも、すべては必然なんだよ。もう少し慎重に行動することだ」

と言う。その眼光の鋭さに、勇者見習いはちょっとだけ身をすくませた。

ケガをしたばかりなのだから、そう注意をされて返す言葉もない。

「ただいま戻りました!」

突然診療所の扉が開いて人が入ってくる。帽子とゴーグルとマスクで顔が全く見えない。森にでも行っていたのか、枯れ葉や泥をあちこちにつけた小柄な女性だった。

「ダワイ、えらく遅かったな」

ドクトルがビーカーに赤い液体(どうやらトマトジュースらしいにおいがする)を注ぎながら女性に声をかける。

女性は帽子とゴーグルをとると、勇者見習いたち三人に気付いてあら、と声を上げる。

「キズリとノロじゃないか。そちらは患者さん?」

「こんばんは、ダワイさん。こちらは旅人さん。ちょっと事故があってね」

とキズリが答えると、ダワイは散らかった作業台の上に荷物を置いて、

「骨でも出たの?」

と勇者見習いに聞く。

「いや、骨は出てない」

「それは良かった。ドクトルに盗られたら帰ってこないからね」

ダワイは笑顔で答える。ぜんぜん笑える話じゃない。

「ダワイさんは薬剤師なんだけど、街の外で植物調査もしてるんだ」

キズリが勇者見習いに説明すると、ダワイが一息ついて椅子に腰かけた。

「南の渓谷に新しいモンスターが出たって情報があってね、遠回りはするわ、検問は人で混雑してるわで大変な騒ぎだったのよ」

ダワイさんは体の泥や枯れ葉を丁寧に落としながら話す。キズリが一瞬身を固くして、

「南の渓谷にモンスターが?」

と尋ねる。

「行商隊の一つが行方不明なの。情報がまるでなくて、新しいモンスターみたいね。しかも相当強い」

「南は比較的穏やかな地域なのに、珍しいな」

と眉を寄せたドクトルがビーカーに口をつける。

「そうなんですよ。渓谷を行商たちが避けると荷物が遅れるし、下手したらしばらく物流が滞る可能性もある。大迷惑よね。今日は暗いし、明日警護団が調べるって言ってたわ」

ダワイが勇者見習いたちを振り返り、

「しばらくは街を出ないほうがいい」

と忠告する。

勇者見習いの隣で、キズリがぎゅっと両手の拳を握った。


**


診療所を出ると、三人は三日月のもと、わずかな街灯の道を歩く。

勇者見習いが折れた剣を抱えながら、

「この町の近くに強いモンスターはいないって聞いてたんだけどな」

というと、キズリが

「基本的にはいないよ。だけどむかし……この町は一度だけモンスターの襲撃に遭ったことがある。その時、運悪く経験の浅い勇者やパーティがたくさん集まっていてね。全滅したんだ」

少し間が開いて、小さな声を絞りだす。

「町の人も、たくさん死んだ。……わたしの両親も」

酒場が見えてきた。明るい音楽が聞こえてくる。

「でも、今回はきっと大丈夫。警護団の人たちもとっても強いし、すぐ討伐してくれるはず」

そう返すキズリの手はずっと震えていて、その手をノロがそっとつかんでいた。

「旅人さんも、しばらくは街を出ないほうがいい。武器がそれじゃ、出るに出れないかもしれないけど」

酒場の前でキズリが立ち止まる。ノロの手をぎゅっと握り返して、それじゃと笑って店の中に入っていった。

ノロと勇者見習いが黙って歩きだす。

ノロはちらりと勇者見習いの横顔を見る。

勇者見習いの瞳には、まっすぐみつめた道の先の、何かをみているようだった。

しばらく道を歩くと、一軒の家の前でノロが立ち止まる。

勇者見習いが口を大きく開けてここでいいのかと聞く。

ノロはうなずく。そして、

「ありがとう。おだいじに」

と肩を指して言った。勇者見習いはにこりと笑って、

「またな」

と手を振った。

薄暗い道を歩く勇者見習いの後ろ姿を、ノロはその気配が消えるまでじっと見つめていた。

三日月に雲の影がかかり、夜空を暗くした。

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