第3話 異

 * *


 いつも不思議に思っていたのだが、なんで宿屋で寝るだけで傷も全部治るんだろう?俺は蒸れるブレザーから湿気を追い出そうと努めた。異常に暑いがこればかりは譲れない。目の前ではアッシュがつなぎのファスナーをきっちり閉めていた。横顔からは少し思い詰めた様子が見て取れる。無理もない、これから俺達は 魔物の巣に乗り込むんだ。リナが着替えを終えて出てきた。ふと昨日アッシュに「気絶してからはずっとリナが膝枕してたよ」と言った時のことを思い出した。無論そんな事実はなかったのだけど。アッシュはそれからたっぷり1時間はブリキのおもちゃみたいな意味不明な動きをしていたっけ。クス。

「よし、行くか」

 俺はベッドから立ち上がり、扉を開けた。


 * *


 ゴブリンの巣は村を西に行ったところにある洞窟だ。俺はもう1度ファスナーを閉め直して入り口を見た。着てるだけで体力が削られそうなほど暑いが仕方ない。タンクトップ一枚じゃあまりに不安だ。不安と言えばシンヤだ。宿屋を出たあたりからずっとニヤついてて不気味だけど、今日こそは戦力になってくれるんだろうな?

 ゴブリンの巣の中は日がさえぎられるので意外と涼しく、ただ、湿気が多いから空気そのものが濡れているようだった。岩陰にゴブリンがチラチラしている。まだ気づかれてないみたいだ。視界の端に白いものが映る。石の矢尻を大きくしたような何か。ゴブリンナイフだ。油断した。一匹気付いた奴がいたんだ。俺たちに。ナイフが迫る。かわせない。

「ってぇぇい!」

 ゴブリンの手をシンヤの竹刀がはたき落とした。ゴブリンは飛びかかった勢いを殺すことができずに前に転がった。反転してナイフを構えるゴブリン。だがそれより早くリナの蹴りが飛んだ。そしてシンヤの追い打ちがゴブリンを両断した。

「……つえーんだな。」

 ゴブリンの巣の奥へと進むうちに、ゴブリンにもいろいろな奴がいることがわかった。最初のやつみたいに猛烈に襲いかかってくる奴もいれば、目の前を通っても全く意に介さない様子の奴もいた。そういう奴はスルーだ。群れで襲ってくる奴には苦労した。ゴブリンは素早いから俺たちの体力が少しずつ削られていく。リナの癒しの歌がなかったら 大変だったろう。ただ、この技ではリナ自身が回復できないから疲れが目立ってきている。

「ここが一番奥かな?」

 確かにそんな雰囲気がする。いかにもボス注意って感じだ。

「そういえば、ボスゴブリンがどんな奴だか知ってる?」

「ゴブリンにしてはバカでかくて、頭悪くて、とろいんじゃなかった?」

 俺はそう答えた。鶴嘴を握る手が湿る。

「そんならいいや」

 俺たちは一歩踏み込んだ。

 そこにはボスゴブリンと二匹のゴブリンが待ち構えていた。

「グゥォォオ」

 ボスゴブリンの咆哮。それと同時にすべてが動き出す。

 二匹のゴブリンが一斉に飛び出す。鶴嘴が地面に突きたてられ岩の壁ができる。俺の背より高い。ゴブリンはそれを同時に飛び越える。一匹をシンヤが横薙ぎに叩き落とす。もう一匹のナイフを鶴嘴で受け止める。目の前の岩壁が吹き飛ぶ。ボスゴブリンが巨大な棍棒を振り回したらしい。左肩に大きな破片が当たったが、それ以外はほとんどゴブリンに当たった。小さな体が宙を舞った。一方後ろのリナが歌のピッチを上げる。それに合わせて俺たちの身体が軽くなる。うずくまっていたゴブリンが体勢を立て直し、強く地面を蹴る。武器の大きさから考えて速さなら不利なのはこっちだ。それでもリナの歌のおかげで互角に立ち回れる。不意にゴブリンが90度向きを変えた。しまった、そっちにはリナが。ゴブリンの背に鶴嘴を叩き込もうとする俺の正面にシンヤが飛び込んだ。どうやらゴブリンから間合いを取ったらしい。クソ

「リナ!……?」

 俺は叫んだ。語尾疑問形で。

 ゴブリンと、踊っている?歌いながら?どこのミュージカルだよ?そう見えた。どんだけかわすのうまいんだよ?安心したのは束の間、風を切る音で振り返った。ボスがまた棍棒をふりあげていた。俺も鶴嘴を振りかぶる。

「でかいの一発お見舞いしてやんよ。」

 力の限り振り抜く。巨大な岩がボスの顎にヒットし砕け散る。棍棒の重さも相まって ボスは後ろに倒れた。よし流れはこっちに来ている。シンヤは自分のゴブリンを片付け、リナに加勢し始めた。

   チガウ

 ボスゴブリンの動きが遅いからこのままよけつつ攻撃していけば…

 チガウチガウ

   ナニカガオカシイ

 ボスが起き上がる。まあ一撃で倒せるとは、思ってない。

   ニゲロ

 ボスを見上げたとき、本能が叫んでいる理由が分かった。

   コレハヤバイ

 頭があった場所には、真っ黒い『無』があった。

「第二、形態……?」

 心が口から漏れた。嘘だろ。第二形態なんて、魔王にだけ許された代物だ。全員が(ゴブリンも含めて)それを見上げていた。シンヤの口からも心が漏れた。

「何……だと?」

 ボスゴブリンだったものが大きく息を吸う。

「キィィギャァァアア!」叫んだ。

 次の瞬間、黒い無の鞭が 残っていたゴブリンを貫いた。

「え」

 鞭はボスゴブリンの左腕のあった場所に収まっていく。腕はメリメリと剥がれていた。どんどん欠け落ちて行く。中から無が現れる。シンヤが息を整えている。見ると不思議な構えをしていた。左手は右手より高くこめかみの辺り、右手は顔の正面、切っ先は斜め下を向いている。黒い無が俺に迫ってきた。鶴嘴で防御する。しかし無はそれをすり抜けた。

「いっ」

 横っ飛びに逃げた。ギリギリだった。

 シンヤの背から翼が生える。

 ボスの姿がない。重く、 大きい何かにしたたか打ち付けられた。痛い。

「アッシュッッ」

 リナが叫ぶ声が聞こえた。洞窟の壁で俺の体が止まる。

「嘘……だろ」

 疾すぎる。確かボスゴブリンは大きくて、遅くて、頭が悪くて……何だこれは?左半分からどんどん黒く、無になり、目だけ炯々と光っているこれは。

「アッシュ!大丈夫か!」

 リナの声からは、「な」が消えていた。俺はもうフラフラだ。持ち物のフォルダーから竜田揚げを取り出し食べる。ダメージに対して回復量があまりにも少ないが、気休めにはなる。あれの魔の手は今度はリナに襲いかかる。あれが棍棒を振ると大小の岩石がリナを襲った。ちょうど俺の鶴嘴のように。落石をかわしても、闇の鞭は容赦なく攻めてくる。

「3Dブレイド」

 シンヤが呟いた。刃が、変化する。黄色い竹から、赤紫の光に。

 リナは岩が邪魔で上手く立ち回れない。それでも軽やかに、優雅に闇の連続攻撃をかわして行く。加勢しなきゃ。俺は立ち上がった。リナの足がもつれた。アレはそれを見逃さなかった。リナの胸の中心を、闇が、貫いた。世界が凍った。リナが膝から崩れ落ちた。闇が引き抜かれた。

「うわぁぁあああ」

 自分の悲鳴を聞きながら、頭は冷めていた。コイツを殺そう。なんだっけ、体のあちこちが痛いんだっけ?あと一撃で俺の体は粉々なんだっけ?そんなこと、ど〜でもいい。コイツ殺そう。鶴嘴を振り、岩を乱射した。アレを貫通した。ただ、当たった場所のボスゴブリンが欠けただけだった。タチの悪いストラックアウトだ。

「それならッ」

 間合いを一気に詰める。鶴嘴を突き立てる。素通りした。ボスゴブリンが欠けるだけ。アレが棍棒を振り上げる。俺は距離を取った。横にはリナがうずくまっている。俺は必死に鶴嘴を地面に突き立てた。めくれ上がった岩盤にたくさんの「重い」が当たる。どうにか岩の嵐を耐え抜き、岩の盾が崩れ去った。

「アッシュ!」

 シンヤが叫んだ。

「一撃で決める。手を貸せ!」

「どうすればいい!」

「岩をよこせ!一番いいのを頼む!」

 構える。力もほとんど残っていない。全力で、最後の力で、鶴嘴を振り抜く。

 シンヤの姿が消えた。岩が砕けた。

「でぇりゃぁぁぁ」

 シンヤの刀があれを切り裂いた。どうやら岩は空中の足場のためだったらしい。二段ジャンプなんて無茶をするやつだ。アレが消える。シンヤが壁を蹴って戻ってくる。妙だな、そんな速度出さなくてもいいのに。刀も振りかぶっている。何を意味するのか、気付いた時には遅かった。疲れ切った俺の体では鶴嘴を突き出して太刀筋を阻むことしかできなかった。だが、シンヤの刀は鶴嘴ごと

   リナを切り裂いた。


 叫ぼうとして声が枯れていることに気づいた。腹筋も横隔膜も動かなかった。今はただ、万感の憎しみを込めて最悪の裏切り者を睨むことしかできなかった。こいつの目的は一体なんだ?不意にリナが立ち上がった。……はい?

「大丈夫ですか?リナさん。」

 そういえばこいつリナには敬語だったっけ。翼は散ってなくなっていた。

「……何ともないのな」

 本人も腑に落ちない様子だった。そういえば鶴嘴も無傷だ。

「では、お宝をいただきますか。」

 さて、それからのことを話しますと、その最奥にあった宝箱には500円玉がいっぱい詰まっていた。なんで500円玉?とにかく俺達は小金持ちになった。それから出ることになってリナの肩を借りた。リナは無傷だったけどフラフラだった。共倒れだった。二人でシンヤに寄りかかって脱出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る