布 英雄になれない僕と、経験値の入らない戦い

 スライムって想像上の生物が地球にはいる。

 ファンタジー作品とかゲームで、最初に戦うザコ敵って立場で、不定形でブヨブヨ。

 ヤヴルロブロはそのスライムに少し似てると思ったんだ。

 槍を構えた僕は、自分をすっかりそういうファンタジー作品の英雄だと思い込もうとした。

 これははじめての戦闘で、経験値を稼ぐために、この巨大なスライムを倒すんだ!

 現実の僕は少し考慮の足らない学生だったし、このスライムを倒しても手に入るのは経験値じゃなくて、体組織なんだけど。

 自分を奮い立たせて、沼っぽい湖を占領するヤヴルロブロへと槍を突き刺した。

 堅いゼリーにスプーンを突き刺す感覚に似た手応えで、槍はヤヴルロブロへと刺さって、その瞬間、湖が震えた。

 震えて、一瞬で湖に無数の線が不規則に入る。

 その一瞬の変化が、あんまりにも非生物的で、僕は腰を抜かしちゃったんだ。

「対衝反応だわ!」

 そんな僕の隣で、クノンがとても嬉しそうに解説をはじめる。

「今のは対衝反応って言って、ロブロ種が外敵から襲われた時に見せる反応でね、一瞬で一つの個体から無数の個体に分裂することで、傷から放出する体液を最小に抑えようとする反応なの。この規則性も研究対象になってて、研究者の中には特定の数学公式との関連性を挙げる人もいたり、かなり面白いわよね」

「クノンが楽しそうでなによりだよ」

 槍が刺さったところから、ドロドロとヤヴルロブロの体液が出て、刺された本体はその分縮んでた。

「これでヤヴルロブロは死んだの?」

「一応。特殊生体生物の中でもロブロ種は生死がかなり曖昧で、外殻を破られたら一応死んだって言っていい状態になるんだけど、一部の体組織からまた新たな個体が復活するから、完全に死んだって定義するのは少し難しいかも」

「でも、取り敢えず、槍で突けば倒せるってことでいいよね?」

「そうね、性質上完全に殺すのは難しいから、取り敢えず目に見える個体を倒せばいいと思うわ」

 こんな魔物を何体も倒さないといけないって、僕が思ってた以上にファンタジーの英雄は精神的にも大変な仕事みたいだ。 

「それで、外殻を破ったヤヴルロブロは網で掬ってこのボックスの中に入れて」

 ヤヴルロブロから出た体液の粘性は相当高くって、網で掬えるくらいだった。そして、思ってた以上に重い。

 クノンと二人がかりで、黙々と、突いて、掬って、入れる。

 しばらくで、ボックスは一杯になって、湖のヤヴルロブロは少し減った。

 なんか、変な達成感と、ヤヴルロブロを突く感覚が手に残っていた。

「いったんキャンプまで戻って、別のボックス持ってこようか」

 当然だけど、これで終わりじゃない。

「本気で、この湖の全部倒すの?」

「倒して、回収するの。ほら、そっち持って」

 僕はいつの間に、こんな罰ゲームみたいな企画に参加する事になったんだろうと、自分の軽率さを恨めしく思いながら、ヤヴルロブロで一杯のボックスの片方を持つ。

 来た時と違って、ボックスはめちゃくちゃ重くって、二人がかりでも精一杯だった。

 それを持ってキャンプまで。

「あれ? もう着いた」

 三十分くらいの道のりを想定してたのに、体感五分の位置にキャンプはあった。

「行きもこのくらいだったでしょ」

 どうやら、僕の時間の感覚は遅く流れる方に狂ってたみたいだ。

 車にボックスを積んで、バカに大きな車の収納の大半が同じようなボックスで埋められている事に気付いた。

 本気でクノンはやるつもりらしい。

 そして、それに僕は付き合わされるらしい。

 ん、いや、僕が布を手に入れるのにクノンを付き合わせてる?

 そもそも、このドロドロが本当に布になるの?

 もし、ならなかったら僕の課題提出はかなり詰みに近い。

 深く考え出すと、なんだか凄く帰りたくなってきたから、空のボックスを持って、車を降りた。

 そして、また湖へ。

 だいたい、ボックスを一杯にして、次のボックスを持って湖へ行く、ってワンセットが一時間くらい。

 途中にお昼休憩を挟んで、僕たちはこの重労働を八セットした。

「今日の分を街まで持って行くから、その間に夕食の準備お願い」

「ウン」

 すっかり夕方、相変わらずテンションが高いクノンと対照的に、僕の感情は完全に死んでいた(一日ぶり二度目だ)。

「あっ、なにか必要なものがあったら、買ってくるけど」

「ドコデモドア」

「えっ、ドア?」

「ナンデモナイ」

 ブニブニしてて、生きてるのか死んでるのかよくわからない生き物でも、こうやって殺しまくるのは、なかなかに堪えた。

 僕は英雄には向いていない性格らしい。

 この日、一日狩り続けて、湖のだいたい六割くらいがヤヴルロブロから解放された。

 唯一幸いだったのは、ヤヴルロブロが生息してるのは湖の上面だけで、その下は水があった。

 ヤヴルロブロがいなくなった水面は普通に湖ってわかる程度には綺麗で、魚とかの影も見えた。

 僕が自分の都合以外で救われる部分があるとしたら、少なくとも、この湖の生き物たちの為になった所かもしれない。

「ヤヴルロブロが異常発生した水源だと、完全に水面を覆われることで、酸素が欠乏して水中の生物は全滅するの」

 とは、クノンの談。

「いいところないね、煮ても焼いても食えなさそうだし」

「特定の種の異常発生自体が、そもそもいい事じゃないから。通常の生態としてのヤヴルロブロは水源を覆い尽くす事なんてしなくて、ただ浮いて、風に任せて水面を漂う、ほとんど無害な生き物なの。捕食する生き物が極端に少なかったり、その他の条件が重なって異常発生すると厄介ってだけで」

「なるほど」

「あと、ヤヴルロブロは食べられるわよ。なんなら今夜の晩ご飯にする?」

「それだけは絶対に嫌だ!」

 どんな精神状態だったら、あんなブニブニを食べてみようと思えるのか、知りたい。

 いや、やっぱり知りたくない。

    

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