第1章 第2話 悪魔の戯れ


「――ぇ……?」


 気がつくとわたしは闇の中にいた。


 前も後ろも、左も右も、上も下も際限なく闇が広がっている。それでも横になれているということは透明な板でも張ってあるのだろうが、まるで夜の空を飛んでいるようで不思議な気分だ。


「ここどこなのよ……? 誰かいないのー?」


 とりあえず立ち上がって歩き回ってみたが、見えるのは永遠の暗闇だけ。返事は戻ってこないし、人の気配すらも感じない。

 というかわたし、なんでここにいるんだっけ……。確か部室で男を侍らしてて……。


「あ!」


 そうだ、思い出した。


 わたし、死んだんだ。


 天使のような女に殺されたんだった。


「じゃあここは天国……なわけないか」

 天国といえばもっと華やかで楽園といったイメージだ。こんな辛気臭い場所のはずがない。


「まさかこのわたしが地獄に堕ちるわけがないし……」

「あれだけのことをしておいてよくそんな発言ができますね」


 確かにわたしの目の前には終わることのない闇が広がっていたはずだ。


 なのにいつの間にかわたしの目の前には彼女がいた。


 わたしを殺した天使が、わたしを殺した時と同じ瞳でわたしを見下していた。


「はじめまして……ではなかったですね。私はレヴィア・スラップと言います。以後お見知りおきを。ではあなたには……」

「ちょ、ちょっと待って!」


 物凄い淡々と話しているが、わたしはさっぱりだ。ここがどこなのか、あなたが何者か、何が起きたのか。何もかも全部わからない。


「はぁ……。仕方ないですね。では一から……」

「みなまで言わなくても大丈夫。ある程度はわかってるから」


 そう。何もわからないけど、逆にこのわからない状況に陥ったとしたらもうあれしかないだろう。


「異世界転生!」


 死んでしまった人が神様的な存在から特殊能力を授かり、異世界に生き返って俺TUEEEEするやつ。部員から借りたラノベでよく見た展開だ。


「でも人選ミスじゃないかしら? こういうのってたいてい冴えない男がなぜか異世界でモテモテになるってパターンでしょう? 超美少女で最高にモテモテなわたしが異世界に行ったって何もおもしろくないわよ」

「はぁ……。やっぱりめんどくさいですね……」


 レヴィアと名乗った彼女は深くため息をつき、侮蔑の表情をより険しくする。わたしに対してそんな顔をするなんて不届きにもほどがあるが、それでも何の問題もなく許せてしまう。


 雰囲気。オーラ。まず間違いなく人の領域を超えた存在であるというのが一番の理由だろうが、それ以上に私は彼女の容姿に気圧されていた。


 あまりにも。あまりにも綺麗すぎるのだ。


 もちろんかわいさ部門ではわたしの圧勝は揺るがない。わたしよりかわいい生物なんてこの世どころかあの世にだって存在しない。


 でも綺麗さ、美しさ。そういった方面ではわたしどころか神話の中の存在すら軽く凌駕している。それほどまでにレヴィアは神秘的で神々しかった。


 ある意味かわいさの頂点にいるわたしとは真逆の存在。だからだろうか、無意識に本性を露わにしてしまったのは。彼女に対して猫を被るのは無意味であり失礼だと魂で感じてしまったんだ。


「それでレヴィア、ここは一体どこ? わたしはあなたに殺されたんじゃなかったの?」

「はい。私はあなたを殺しました。そしてここは死者を選別する間……もっとも、通常のものとは違いますが」


 眉一つ動かさず事務的に話すレヴィアからは何も感情を感じない。まるでわたしが殺されるのが当然かのような物言いだ。


「通常人間は死ぬと選別の間という真っ白の空間に送られます。天国へ行くか地獄へ行くか、それとも輪廻転生するかが生前の行いから神によって判断されるのです」


 よく考えてみたらこの情報は死んだらどうなるのかという人間の永遠の疑問への回答なのだが、話のつまらない先生のような口調のせいで耳から耳へと通り抜けてしまう。そしてレヴィアはそういうタイプの先生の例に漏れず、生徒の理解度を気にすることもせず説明を続ける。


「ですが悪魔によって殺された人間は白ではなく真っ黒の空間へと送られます。そこは選別とは名ばかりの、地獄というゴールが決まった一本道のしばしの休憩地点。つまりあなたはこれから地獄へ堕ちるのです」


 もうめんどくさい説明は終わりにしてさっさと……ってちょっと待って!?


「地獄!? 今地獄って言った!?」

「ええ。あなたは生前の行いが悪かったので地獄へ堕ちます。ご愁傷様ですね」


 他人事のようにわたしの運命を告げるレヴィア。え!? 地獄ってあの悪いことした人が送られるあそこ!? しかもこの女悪魔って言った!?


「……意味わかんない」


 そんなの絶対何かの間違いだ。


「わたしは何も悪いことはしてないわ! 確かに宿題とかやってもらったりただごはんを食べるだけでお金をもらったりはしたけど、犯罪は何もしてないのよ! ただモテないオタクたちの夢を叶えてあげただけでわたしは何も悪くない!」


「はぁ……。そういう問題ではないとなぜ気づかないんでしょう」


「なら何が問題なのよ!」


 意味がわからなすぎてわたしはレヴィアの胸ぐらを掴んで詰め寄ることしかできない。

 わたしは何も悪くない。ただ誰よりも上手く生きようとしただけだ。それの何が悪いことなんだ。


 身長が百五十センチしかないわたしでは胸ぐらを掴んでも目算百六十センチはあろうレヴィアを苦しめることはできない。それどころかただ手で払われただけで放してしまうだろう。


 なのにレヴィアは指一本身体を動かさない。ただただ変わらぬ冷たい目付きでわたしを見下ろすだけだ。


「問題、ですか。一言で言えば、」


 瞬間、悪魔の瞳が紅く煌めいた。


「悪魔に目を付けられたこと、ですよ」


「――え?」


 気づいたらわたしはレヴィアの胸ぐらを放していた。


 いや、違う。


 放したんじゃない。掴んでいられなくなったんだ。


 だってわたしの両腕の肘から先が爆発したんだから。


「ぎゃ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


「何をしてもうるさい人ですねあなたは」


 つい最近も感じた激しい痛みがわたしを猛烈な勢いで襲ってくる。


 かと思ったら急に何も感じなくなった。見てみるとなくなったはずの腕が元通りになっている。自分で見ても惚れ惚れしてしまうほどの真っ白で細い腕が跡も残さず付いていた。


「なに、が……」

「悪魔の道理に人間のそれは通じません。正義のヒーローだろうが悪の支配者だろうが、悪魔が黒と言ったら地獄に堕ちるし白と言ったら天国へと旅立てます。つまりあなたが地獄に堕ちるのはただの私の気まぐれです」


 ついにわたしの言葉に返すこともせず、レヴィアはいつの間にか現れた王様が座るような豪華な椅子に脚を組んで腰かける。そして指を弾くと何もなかった空間からこれまた豪華な装飾がついたティーカップが現れた。


「あなたはこの先オタサーの姫として成功を収めます。高校では何不自由ない生活を送り、大学で活動の幅が増えたあなたは他大のオタサーをも巻き込み巨大なインカレサークルの唯一の姫となります。そして長者番付にも載るような金持ちと結婚し、その後六十年悠々自適に遊んで暮らし、世界で最も幸せな人生を送ります」


 わたしの一生をまるで教科書に書かれた偉人の経歴を読むかのように語ると、レヴィアはティーカップに口をつける。その様子はわたしの一生など自分にとってのティータイムに過ぎないと告げているように感じた。


 そして再び指を弾くとティーカップは形を消し、中に残った紅茶だけが宇宙空間にいるかのように漂い出した。


「それがなんとなく、むかついたんですよ」


 そして宙に浮いた液体は一つに集合して姿を変える。一本の針のような、槍のような、剣のような姿に。


「ちょ……ちょっと待って……ください。やっぱりわたしが悪かったからそれだけは許して……」


 これからレヴィアが行うこと。そんなのこれまでのやり取りでわかり切っている。だからわたしは恥も外聞も捨て、床なのかどうかもわからない暗闇に膝をつく。


「ほんとに……ほんとにやなの……! もう痛いのやなの! だから許してください! お願いします!」


「許すもなにもあなたは何も悪くありませんよ。ただ私の嫌いなタイプだったってだけです。人間誰しも好き嫌いがありますよね? 悪魔も同じです」


 レヴィアが人差し指を立てるとふわふわ浮いていた一本の水が動きを止めた。まるで照準を合わせるかのようにじっとその先端をわたしに向けている。


「私はあなたが嫌いです。だから地獄に堕ちてください」


「いや……いやぁ……! やだ、やめて、やめてーーーー!」


 わたしの制止も聞かず、レヴィアは人差し指をゆっくりわたしへと倒す。すると水の剣が消えた。否。


「――が、ぁ……?」


 わたしのお腹に突き刺さっていた。


「や、あ、ぁ……」


 正座をしていたわたしの身体は後ろへと倒れる。だが突き刺さった水が床へと当たることでその動きを途中で止め、わたしは斜め上を見ることしかできなくなった。もっとも、どこを見れたとしても永遠の暗闇しか広がっていないのだが。


「おや、まだ意識がありますか」


 わたしの視界に映る暗闇を何かが遮る。何を見ても闇しかないので気づかなかったが、視界が薄れているようだ。


「渋柿の長持ちとはよく言ったものです。憎らしいものほど無駄にしぶとい」


 この空間に存在するのはわたしとレヴィアしかいない。どうせあの無表情でわたしを見下しているのだろう。


「では、地獄でまた会いましょう」


 そのはずなのに、掠れた視界には幸福に満ち溢れたように笑うレヴィアの顔が映っていた。

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