第21話 嵐の中で輝いて
石槍に貫かれ、濁流に呑まれ、多くが血を流し、倒れて、消えた。
それでもなお生き残った兵士たちが見上げるそこには巨人がいた。
青く、黒い。深い海を思わせる鋼の巨人が残雪の街道を見据えて
彼女らの主人の駆るそれとは違い、流麗で、それでいてどこか畏怖を覚える意匠はその背からも見て取れた。
その巨人から聞こえたのは、
『それで
子供が言う「騎士殿」が誰を指すのかは
彼女らの主人、「竜殺し」カロルス・アントニウスは口ごもり、答えた。
「……そうだ。あの街道の先に、五千ほどたむろしてる薄汚ねぇ連中。あれが俺たちの敵だ」
『承知しました。では、魔術戦はおまかせください。その間にお味方の治療や立て直しとやらをしてください。私、戦争とかその手のことはサッパリなもので』
「言われなくても!」
巨人を見上げ、圧倒されていた顔が一変する。
「おい、聞こえてるか、お前ら! 流されたヤツや溺れた仲間を救い出せ! 使えるものは何でも使え! 仲間を、俺たちの仲間を一人でも救うんだ!」
活力に溢れた檄が飛ぶ。
完全に戦意を削がれた竜殺しの私兵たちに、再び火が灯る。
そうなればと、折れた心に鞭が入り、誰も彼もが走り出す。
「頼むぜ、カリス」
『ええ、頼まれましたとも』
***
「ニュートロン・エンジンの出力はハーフを限界点として一時設定。転換炉レベルスリー、増幅炉はカット」
その一言一言に魔力が宿る。古代帝国の言葉を交えて綴る彼女の言葉は単なる指示や命令ではない。
この世界の理に根ざした力を持つ言葉。故に、古代帝国が生み出した騎兵にとっては極めて通り良い言葉と言えるだろう。
『了解。魔力供給量、問題無し。全領域観測、索敵、照準完了』
「演算速度の振り分け再設定、存在情報の偽装状態は継続」
『ジャマー"
カウンター・ジャマー"
優れた猟犬は、時に飼い主からの強い命令の言葉を好む。
自らが下であること。飼い主の刃であり、盾であることを誇るかのように。あるいは命令されることを本能的に好むのであろうか。
古代帝国の遺産、その一つが少女の放った言葉に応えるように唸りを上げる。
「これはこちらからの返礼です。अंब――
周囲の大気や降り積もった雪から掻き集めた水が青き騎兵の目前で渦を巻き、瞬時に放たれる。
重力も、空気の圧も、何もかもを貫き、はるか街道の先で蠢くテッサリアの陣、その中核に放たれた勢いのままに圧縮された水塊の矢が着弾し、炸裂する。
「……ちょっとズレましたか?」
『誤差範囲内――推定、磁場による影響』
「それなら仕方がありませんね。誤差範囲内でだいたい真ん中ですから良しとしましょう」
蒼い瞳の少女が予測した着弾点から僅かに右にズレたが、それでも間違いなくテッサリアの敷いた陣の中央付近で爆裂するのは確認出来た。
『警告。敵勢力から高魔力反応』
「反撃ですか。
警告から間髪入れず、無数の火球が少女の駆る騎兵、そして背後でまだ動く兵士たちへと降り注ぐ――が。
その全てが見えない壁のような物に阻まれ霧散する。あとに残るは火の粉どころか、煙すら無い。
「これ便利ですねぇ。理屈はわかりますけれど、どういう仕組みなのでしょう」
『詳細データ提示――』
「これはどうも丁寧に……はー……これはこれは……やはり古代帝国は凄かったのですね」
脳裏に「浮かび上がる」ドラヴァイデンの高次機能は少女の知的好奇心をくすぐるものばかり。それらは戦闘のさなかであっても止められないほどの興味を引いたが、唐突な通信接続で現実に引き戻された。
『おい、カリス、聞こえてるだろ! 今のはなんだ!?』
「おや、騎士殿。あれはドラヴァイデンの機能の一つです。向こうの広域魔術をいくらか――』
『そういうのは全部後にしろ!』
鉄火場の最前線だというのにいつもの調子で好き放題に喋ろうとする。
そんな少女を、前線指揮官である「竜殺し」は全力で止めた。
「これは失礼を。それでそちらの退避なり立て直しとかは出来たのですか?」
『……ひでぇ有様だ。ざっと三十人は間に合わなかった。怪我人の数もシャレになってない。動けるのは半分の百人って所だ』
「――失礼致しました。それで……私はここからどうすればよろしいので? このまま動かず盾役でも砲台役でも続けられますが」
わからないので訊いた。当然のことだ。
だが、訊ねた相手は再び口ごもる。鼻についた傲岸不遜が鳴りを潜めたのかと思うほどに、その口ぶりはじれったく感じられた。
『……俺はこの世界の常識を、やはり知らない。こんな遠間で岩やら水やら撃ち合う戦場なんか初めてだ』
「……」
『だから、正直に言う。どうすればいいのか、さっぱりわからん』
「……なるほど」
カリスはいつもの調子で嘆息をひとつ。
「私も本や話に聞く程度ではあるので、これが正しい作法なのかはわかりませんが、大規模魔術の撃ち合いが『合戦』の開幕なのだそうです。それで決着が付けばそれでよし。
『……最初に飛んできた石槍やら、濁流やらがそいつか。わかったよ。ありがとう、カリス』
彼女の知識も当然怪しいものではあった。その自覚は持ち合わせている。
『戦は素人であろうとも。俺の知ってる限り、お前はこの世界で最も信頼できる頭脳と知識を持ち合わせたひとりだ。間違いない』
「それは買い被りすぎですよ」
それだけに、小さな大賢者と言われたときの面映ゆい思いがよみがえる。
続けざまに彼はこう言った。
『カリス、テッサリアの連中をブチのめしてくれ。このままじゃ死んでいった奴らに何も報告が出来ん』
「それは命令ですかね?
『――お願いだ』
「承知致しました。では、そのように」
喉の奥から絞り出したような、彼のあんな声を聞くのは初めてであった。
少女は術式を編む。まさか十も離れた大人――それも、古代バルティカの皇帝の血筋を引いた彼に真顔で願われては、もはや応えない訳にもいくまいと。
「ジャマーの展開限界まで稼働させた場合、どこまでの出力を隠蔽できますか?」
『――計算中――完了。推定、エンジン出力八〇パーセントまで可能』
「万が一もあります、七割までに抑えます。転換炉レベルフォー、増幅炉そのまま。警戒態勢も上げましょう」
『了解。出力上昇。
"
海の機動甲冑ドラヴァイデン。その装甲表面に刻まれた文様が励起し、担い手であるカリスの
「敵の陣とやらを引き裂いてしまいましょうか。चण्डवात――ライトニングデストームッ!!」
カリスの叫びと同時。
騎兵の握る長杖が空を切り、宙に描いた軌跡が力を示した。
***
水が爆発した。
テッサリアの陣容の中央を貫いた水流は遠見が報告した直後に着弾し、攻撃に備えていた布陣を半壊させるに至った。
ただの一撃。
王都の魔術師が優れていることは承知だったが、ノットンの頭で描いた物を遥かに上回っていた。
炸裂したのは極限まで圧縮された水の塊。衝撃で数百の兵が昏倒する。
「防護の術式は展開していなかったのか!」
「していました、していたんです!」
報告に偽りはなく、手を抜いたわけでも、力量不足であったわけでもない。それはインタミス・ノットンにも分かる。
それでも「これほどまでか」と歯噛みする。
テッサリアでも選りすぐりの二百人からなる魔術師を揃えていた。街道の地下深くに根ざした龍脈の魔力を吸い上げ、防御していたはずだった。
その彼女らの魔術壁は城塞に勝るとも劣らない強度の防護を発揮していたはずだったのに。
「我らの防護は藁か何かか……!」
すでに魔術師たちは防御術式を再展開を完了した。負傷者まで含めてその庇護下にあるが、もし第二撃が一撃目よりも強力であったとしたら、この守りは果たして効果を発揮するのか。
浮かび上がった問の解はすぐさま提示される。
光。音。衝撃。
遠見が声をあげるより速く、三つ同時にテッサリアの最精鋭軍の中核に着弾した。
その正体を知ることもなく、百の兵が焼き焦がされ、二百の兵が引き裂かれ、三百の兵が影も形も消え失せた。
テッサリア第一軍、その最精鋭たる歴戦の兵士、騎士、騎兵、将の別け隔てなく、ルナティア王都の寡兵が放った魔術に屠られた。
士気を保っていた陣容に混乱が走り、恐怖が悲鳴の波動で拡がっていく。
苦戦は想定していた。だが、ここまでの有様は
こうなるといくら落ち着け、静まれ、立て直せと号令をかけようと平静を取り戻すのは難しい。
軍とは個ではない。一度火が点けば、如何に優れた将であろうと向きを変えるのは至難の業になる。だからこそ、常に手綱を握り続けなければいけない。
「私は、どこで手放した……!?」
奥歯を磨り潰す。統制を失い、まるで秋口に突かれた蜂の巣の如き騒乱へと変貌していく指揮下の兵たちに、それでも号令を掛け続ける。
「動けるものだけ私に続け! 打って出るッ!」
座していればなおも混乱は酷くなるだろう。ならばこそ、駆けるが一番の荒療治であると心得ていた。
敵に向かう矢じりの最先端。それを見つけた兵が一人いれば後に必ず付いてくる。一人、二人とその背を追って駆けるはずである。
無数の
***
「おや、これは……」
自ら操る機動甲冑の視界で捉えた動きをそのまま口にする。
「
『早いな……というか俺の目では向こうの被害がわからん。カリス、どうなんだ』
どう、とは。
カリスには戦場のことなど皆目わからない。
故にわかりそうな相手に聞く。
「ドラヴァイデン、敵の数って今どれくらいですかね」
『敵攻勢数、現在三八三六。一八九三の沈黙、ないし戦闘不能を確認』
「ではそれを
『了解』
短い応答の後、カリスの耳を貫くような声が届く。
『おま、カリス、やりすぎだ、バカ、おまえ……いや、でかした……だが、コイツはやっぱりやりすぎだ!!』
「褒めてるのか怒ってるのかどっちかにしてください、
『それはそうなんだが……やっぱりコイツらの攻撃は『やりすぎる』。お前のことだ、加減はしたんだろ』
加減はした。
その通りではあったのだが、少女の中には違和感が残る。
「そうですね。話に聞く限り、知る限りの戦場で扱う魔術を使いましたが、それにしては妙に相手の被害が大きいな、とは感じました」
『原因はわかるか? 何か思い当たるふしは?』
カリスの知る彼にしては驚くほどに冷静な問いに引っ張られ、すぐさま学者としての脳が回る。
「機動甲冑には操者の魔術を増幅、拡大する機能が備わっています」
出来る限り端的に答えれば、ため息が一つ。
『馬にとってはなんてこと無い愛情表現が、人間からすれば骨が折れる一撃ってことはあるよな』
「
軽く怒気を交えて抗議するが、戯れに付き合うつもりはないと一蹴される。
『喩え話だよ。他意は無い。いずれにせよ、コイツらは人間相手に使うべきモノじゃない。どんな戦場でも『約束事』があるものだ。相手がどんなに憎かろうとな』
「その点に関しては同意します。それよりも敵の進軍速度が上がっているようです。予測では二分以内にここまで到達するかと」
二分。距離にすれば三キロメートル余りだろう。
地上の「竜殺し」の目でその姿を完全には捉えてはいないが、街道を全速で駆け迫る騎馬たちの巻き上げる雪煙はたしかに見えているようだ。
『カリス、お前は一旦下がれ! 街のほうに負傷者を転がしてる、可能ならそっちの面倒を見てやってくれ!』
「
『ここからが俺らの仕事だ。斬って、叩いて、蹴ッ飛ばすんだよ』
威勢よく答えた眼下の将の周囲には、立て直しが終わった彼の私兵たちが再び集結していた。
カリスは頷き、機動甲冑を柔らかく跳躍させた。
同意したように、これは人間同士の戦いに持ち出すべきモノではない。ならば、魔術師として為すべきを為すのが正しい行いだろうと理解した。
***
百戦錬磨。
数百の騎馬が一直線に敵陣構える地獄道を駆け抜ける。
雪原の中、一筋伸びる街道の先。
寡兵しか集められぬと侮った愚を覆すには、先陣で切り崩すしか手段が残されていない。
払ったツケは大きい。それだけの出血をした以上、テッサリアの軍人として教本通りの撤退などという手段を取れるはずもなかった。
軍馬で駆けることは、彼女にとっては常に心躍るものであった。風を肌で感じ、鉄火の前線に向かい、刃を交える……手綱を握る手、剣を握る手。拍車をかけて、加速する都度に空気の圧が襲う肌触りが彼女の感情を昂らせるのだ。
だが、今は違う。
ただ加速するために。ただ駆け抜けるためだけに、自分と自分の周囲の騎兵たちを空気で覆う、無粋な術式まで使って敵の陣まで疾走する。
故に、肌には何も感じない。空気の抵抗も、雪原の刺すような冷たさも、鉄火の熱さえも。
一秒で二〇メートルを走破するテッサリアの兵、その数は百騎。その誰もが残酷なまでに無感動な空気の中で目標に向け、ただただ自らの操る馬を走らせている。
討たねばならぬ、討たなければならぬ。
耳にだけ聞こえる、嵐の夜の音。纏った魔術が進むべき者を阻む空気を引き裂いて鳴らす音であった。
「敵の数、そう多くはない。食い破るぞ!!」
敗残の街の壁が見えた。立ち上る黒煙の街、その正門にて待ち構えるは難敵と定めた竜殺し。
槍衾であろうと踏み砕く。その意志は鐙に伝わり、一際大きく騎馬が街道を蹴り進んだ。
***
「野郎……真正面から突撃してくるか。上等だ」
思わず口を拭う。
魔術の介在しない単純な兵士同士の激突であれば、この世の道理を知らぬ騎士でも理解の及ぶ範疇となる。
つまり、『話は早い』。
殲滅戦、打撃戦、包囲戦、突破戦、退却戦、撤退戦。
どんな逆境や苦境も、彼は知り、経験してきた。そういう戦闘であれば理屈も分かれば、道理もわかる。
だから吼える。
「初撃は絶対に抑え込め! テコでも動くなよ! 構えぇぇッ!!」
猛烈な速度で迫る乱流が如き騎馬の隊列。雄叫びと怒号が交差する。
鉄と鋼が弾ける音が戦場に木霊し、そこかしこで獣のような叫びが挙がる。
「押し戻せ!」
剣。槍。斧。槌。蹄。
第一撃を防ぎ、翻った騎馬へ余力ある者が刃を突き立てるも、その多くは空振りに終わる。
「無理はするな、二撃目が来るぞ!!」
土嚢が消し飛ぶ。衝立が砕かれる。石積みが蹴破られる。氷壁がかち割られる。
「歯ァ食いしばれよ! 何が何でも倒れるな!」
叫びながら、即席の鉄槍を迫る騎兵隊にこれでもかと投げ付け、号令を出し続ける。
「大将! 敵の士気全然落ちてねぇんですけど!」
「
馬の嘶きか、兵士の叫びかも分からぬ甲高い声がそこかしこで挙がるが、まだ防御陣は一片たりとも崩れてはいない。
辺り一面に瓦礫と破砕片がぶちまけられ、雪の混じった土埃が視野を奪う。
だが、この期に及んでテッサリアの兵たちが魔術を使わないことがシャルルの頭には奇妙にも映った。
接近戦であろうとも、なにがしかの呪い事で搦め手を使う物と踏んでいただけに何か事情がある。何かの見落としかと頭を回す。
だが、一向に彼女らが魔術の類を使う様子が見えない。彼には不可思議なくらい、都合が良すぎる状況だった。
最悪の状況を常に想定した動きと策ばかりが浮かび、思考に混乱が混じっていた。
その間にも三度目、四度目の突撃と離脱が繰り返され、五度目を覚悟した瞬間にテッサリアの騎馬たちが距離を取る。
状況が膠着した。
それは願ったり叶ったりではある。
一度、二度では見られなかった負傷者は双方にいる。石畳が雪解けの泥と流血で汚され、両軍の間を隔てる血戦地と化す。
僅かな間。
街道の先で隊伍を立て直すテッサリア陣営は馬たちの吐く濃い白い息。
守るシャルルの私兵たちも荒く吐いた息が白く濁らせる。
膠着を断ち切ったのは一振りの槍であった。
テッサリア軍の側から、両軍の間に投げ込まれ、街道中央に突き立てられた手槍。石突の先に結び付けられたのは白く棚引く一本の布。
「……大将、一騎打ちの申し入れです」
それはこの大陸における戦場の理が一つ。
「お互いの一番槍同士の一対一の決着。
「うちらはここを守りきれればなんでもいいんだ。受ける必要なんかねェっすよ」
配下のアバズレどもの言葉はもっともだった。しかし――
「ようするに……こりゃ、ケンカ売られたって話でいいんだな?」
獲物を見つけた狼の目で舌なめずりして、彼は一歩前に出る。
「誰か! 馬を連れてこい! こんなにわっかりやすい話、乗らないほうがおかしいだろうが!」
闘士としての本能が、ただ一人の戦場へと彼を駆り立てる。
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