第20話 ホワイト・リフレクション

 バタバタと大旗が冬風に揺られていた。

 イレーネの率いた先遣部隊が壊走した――そのしらせがカンボスの中原に走ったのが一時間ほど前。

 テッサリアの正規兵が早馬で届けた伝書はテッサリアの本隊、すなわちイレーネの後詰ごづめとしてトレンチの市に駐留する彼女らにも少なからず衝撃を与えた。

 「少なからず」、とはその言葉の通りだ。

 何割かはその情報に動揺や怒りを滲ませた。

 だが、何割かは「そうだろうな」と早馬の言葉に得心していた。

 猛将、女傑と呼ばれ「テッサリアの駿馬しゅんめ」とおそれられた女の嫡子だからといって、必ずしも戦上手であるとは限らない。

 ネコがトラを産むことがあるように、トラがネコを産むこともあるのだ。

 その点でいえばインタミス・ノットンはトラの側であり、イメルダの娘であるイレーネはネコだったという話だ。戰場いくさばでその本性が出ることは多い。

 ノットン家はマルキウスの先代から支える将の一門ではあったが、戦上手な家系とは言い難かった。どちらかと言えば金勘定や馬匹ばひつの差配、そういった裏方仕事で重用されていたのだが、何の因果か、当代の嫡子たるインタミスは武の才が際立った。

 無論、家の教えである算術の類が不得手ということもない。テッサリアの並み居る将や貴族の子女たち、百人ほどを集めれば、上から数えて十本指から漏れることはなかった。

 しかし馬を操らせ、剣を振るわせれば間違いなく世代で無二。

 気付けば三十を前にテッサリアの第一軍、その一部隊の長に納まっていた。

 バラマスの支流が凍り付いたのが二日前。いよいよもってカルディツァ全域制圧のため、本隊を動かせる時期が訪れると睨んでいたインタミスは「イレーネ討ち死に」の報を受け、わずかに考え込んだ。

 これは珍しいことだ。

 即断即決、切れる頭で情報を精査し、状況を予測し、打開してきたこれまでの彼女らしくない思慮と思考時間。

 部下たちはむしろ、そちらの方に動揺を隠せなかった。

 インタミスの目から見ても、イレーネは決して無能とは思えなかった。副官としてついて回ったファビア・ウァルスも切れ者で知られる人材だった。

 兵の数も先遣部隊として見れば必要十分。噂に聞く『機動甲冑』とやらが出張ったという話も出ていない。

 それが壊走という結果になるのは、あまりにも理外の出来事だった。だからこそ、インタミスは思考する。

 間諜かんちょうの知らせに抜けがあるのは当然だろう。

 遠見の目もすべてがわかるわけでもない。

 不測は常にあるからこそ十二分に備えるのが軍を動かすことであり、それをイレーネが怠ったとは到底思えない。『トラの産んだネコ』とは断じたが、そのネコの全ての能力が不能だったとは考えにくい。

 であるならば、だ。至る答えは一つである。

 『竜殺し』の知略と戦略がテッサリアの考える以上の傑物であり、戦上手であると考えるのが正着せいちゃくだ。

 テッサリアの誇る若き将はそう結論付けた。

 次々と傷病者がカルディツァから流れ着く。

 その多くが酷い熱傷やけどに苦しんでいた。曰く、「魔術の気配がなにもないのに爆発した」「アイツラらは街ごと炉にして焼き殺しに来た」。

 ほうぼうの体で惨状を語る負傷兵たちの状態は実に惨い。だが、この全てをトレンチの町だけでは面倒を見切れないのも実情であった。

 人員と馬を割いて、さらに後方のカンボスへ送るしか手はない。

 先遣部隊の語る言葉は絶望感に溢れてはいたが、一方で吉報ともいえる物も十分にあった。

 どうも、王国側の前線を支えているのは、大半が正規の兵ではないということだ。またその数も少ない。多く見積もっても千を数えるかどうか。

 加えて、連中は要衝として使うべきカルディツァの街ごと焼いた。ここからわかることはただ一つだ。

 ルナティア王国軍には、もはやから以外に頼る手札がない。

 奴らがなぜ街を焼いたのかという過程などどうでもいい。街を焼いたことで立て籠もる盾を失った、その結果だけ見れば良い。

 砦としての機能を失った街、質も悪く数も少ない兵隊。

 すなわち、次に取るべきは一つである。

 熟慮の末にインタミス・ノットンは決断を下す。その掛け声に応えるはテッサリア第一軍の突撃隊、旗下一三◯◯余。さらに同じく町に駐留する他部隊の長にもその意を伝える。

 夕闇の中、最前線の精鋭部隊総勢五七二九名が動いた。


 ***


 戦いは数である。

 現実的な話として、ルナティア王都本国の抱える魔術師たちと比すれば、数でも質でもテッサリアはかなわない。

 それでもこの最前線で一進一退の攻防が続くのは、王都の連中がテッサリアを見くびっているがゆえだろう。

 そうでなければ、開戦から一夜でテッサリアの前線本陣など更地になっていたはずだ。

 魔術師だけではなく、兵の数も目に見えて少ないと報告が上がっている。

 で、あるならば細々とした小細工など弄せずとも、敵の数を上回る兵力で平押しの正攻法こそが、今の相手にとって最も苦しいはずである。

 当たり前の戦闘を、当たり前にこなす。それだけでいい。

 人はインタミスを智将と呼ぶ。切れ者と呼ぶ。だが、その実は違う。

 小難しいことを小難しく考え、小難しく扱うから問題が猥雑わいざつとし、思考は袋小路に迷い込み、らちかなくなる。

 眼前の事実と状況、そして為すべき答えがあるのであれば、単純明快な手と思考でらちける。彼女が為していることはただそれだけであった。


 ***


 伝令が火急の鐘を鳴らした。

 ルナティア正規軍も詰めるミトロポリとカルディツァの中間点の町「カリフォニ」では深夜であるというのに火が焚かれ、叩き起こされた兵たちが出撃のげきたかぶっていた。

 苛立ちもあっただろう。なにせ、鉄火場てっかば狂騒きょうそうが収まって寝床に就いたのがほんの数時間前だ。

 街ごと焼き払ったテッサリアの前衛部隊、その後詰ごづめが間髪かんぱつおかず、こちらに向かってきている。冗談にしては質が悪すぎた。


「ミトロポリへの伝令は!?」

「既に送ったよ! けど、部隊再編には時間がかかる。早馬を出した所で王都からの後詰ごづめが間に合うか……」

「ともかく出撃だ! さっさと動かないとうちの大将にまたドヤされるよ!」


 動ける兵の数は二百と少し。対し、早馬の伝えた敵の数は少なくとも四千は超えるという。二十倍以上の敵を真正面から受け止められるのか、そんな怖れが伝播する中で怒号混じりの声が深夜のカリフォニに響いた。


「狼狽えるな、馬鹿野郎ども!」


 篝火が灯る夜の町の広場に、全身鎧を身に着けた彼女らの主の声が轟く。


「ド深夜に叩き起こされて混乱してるかもしれないが、一度撃退した相手だ! それに相手はイレーネ・マルキウスって旗印を失った烏合の衆! 恐れるに足る相手じゃねぇ!」


 竜殺しの喝、それだけで兵士たちの間で湧いて出た怯えが霧散する。

 だが……。


(早馬の話じゃ二十倍……もしかしたらそれ以上になるか……)


 この戦いで機動甲冑は持ち出せない。それは既定路線である。仮に追い詰められたとしても、切れる札ではない。

 ならばやるしかないのだ。


(いよいよもってマジのテルモピュライだな)


 敵は最強、ペルシア連合軍。その数、百万から二百万。対しスパルタ軍は精鋭三百人。寝物語に聞いた寡兵で大軍を押し返す伝説を今度こそ本当に自分がやる目が出て、笑みが浮かぶ。


(やってやろうじゃねぇかよ、この野郎が!)


 戦争とはそこに至るまでの準備が全てだ。鉄火場が開帳となれば、もう後戻りなど出来はしない。出目をどれだけ悔やんでも、わずかな駄賃と私兵しか整えられなかった将が悪い。

 やるしかないのだ、二百人で。

 腹が決まれば外套を翻す。

 暗夜あんやとばりが開くまでに一天地六がどう出るか。それは神すらも及ばぬことだ。


 ***


 遅い日の出である。朝靄煙る冬の草原には一面雪が残っていたはずだが、そこかしこに黒灰が混ざる。

 鼻を付いた苦く、鋭い異臭。木と石と鉄と、そして肉の焼けた臭いが廃都のカルディツァの周囲を漂っていた。

 奇策でって焼いた自らの領地は、改めて酷い有様であった。

 兵士たちにも動揺が走る。馬上のシャルルにもそれは伝わった。

 城塞と言わずとも、それなりに積み上げた街の外壁は半ばほどが崩れ、残りの半分は焼け爛れて黒ずんでいる。

 燃え残った鉄火が寒風の中を彷徨っていた。


(やっぱりどう考えても利用価値なんざねぇよなぁ……)


 出撃前、ヘレナ・トラキアは主人あるじであるシャルルに同行を願い出た。

 死地にくレオニダスが、愛する女を連れていくわけにいかない。

 すがる手を振りほどいた主人あるじに、言葉強く伝えてきた。

 曰く「カルディツァはまだ生きております」と。

 それが何を意味するのかただす前に、出撃の準備が整った兵士たちに急かされ、指揮官レオニダスたる彼もカルフォニを後にした。

 開け放たれた門扉を潜り立ち入れば、見知ったはずの街路の過半がかすであり、そこかしこに焼き焦がされたテッサリアの兵の体が転がっていた。

 石畳に、家の壁に、瓦礫の山に誰の流したとも知れぬ血が塗りたくられ、降り積もった灰が混ざって黒く変色していた。未だ燻り燃え上がる黒煙は、死体漁りのカラスすら寄せ付けない惨状。

 戦場となった街はいつだってこの有様だ。何度見ても慣れる物ではない。

 これを見慣れている人間の正気を疑っただろう。

 事実、彼の配下の兵たちも……と見渡して――


(いや、案外動揺してねぇな……)


 奇妙な感覚だった。思わず言葉が漏れる。


「お前ら、これ見てもよく平気でいられるな」

「いや、平気じゃないですよ。そりゃ、血なんてみんな見慣れてるでしょうけれど」


 血を見慣れている、という言葉。

 どこか引っかかりを覚え、そして理解し、思わず渋い顔になる。

 彼とて人の子だ。いくら戦場で無尽蔵に暴れ回り、竜すら殺す化け物じみたことを為しても、あの親父おやじが犬猫でもはらませたのでもない限り、誓って人間だ。


(――月の物があるんだから、そりゃ見慣れてるよな、血だけは)


 人間としての常識を今更ながらに考え直す。

 これまでもそうだった。「女は戦いに向かない」というシャルルにとっての常識は徹底的に塗り替えられてきた。しかし、その決定的な理由を今この時になって理解出来たといえる。

 男が戦えない最大の理由が血への忌避だ。それが最初から無いのであれば、あとのことなんて大きな問題ではない。

 兵士になる前の男にとって流血、出血は非日常の出来事だが、女にとっては『女』になった瞬間から一生まとう日常。

 崩れた街の片隅で馬の上から人を見下ろして、騎士様だ、領主様だ、資格者様だともてはやされて。それでも解せなかった人間としての「常識」を、兵士のたった一言で理解して味わった憂鬱の味は屈辱に似ていた。


「――殴られるわけだよな」

「なんか言いましたか、大将」

「なんでもねぇよ。それよかテッサリアの連中が来るまでにさっさと陣敷く準備にかかれ」


 まるで人のことを何も理解しないかのように叱責された。昨晩の頬の痛みは、夜が明けても引かない。


 ***


 戦火の臭いを風が運ぶ。

 軍靴と蹄の音が冬の中原に規則的に響く。

 長大、幅広の石畳の上を整然と軍が動く。

 テッサリアの日常は常に戦いと共に在る。

 テッサリア第一軍、その半数以上がルナティア王都へと続く路をこうして往くとは――先陣を率いるインタミス・ノットンの頭ではこれまで夢の中だけの話だった。

 イメルダが宣戦を布告してもなお、「そうなる」とは思ってもいなかった。

 果たして、戦端は開かれた。

 しかし、第一軍が本当に王都へ進撃するとはその段階になってもまだ想像の範疇には無かったが――イレーネの死亡、先遣隊の壊滅、そしてルナティア側の防衛戦力がこちらを遥かに下回る数。あらゆる状況がノットン将の背を押した。ならば駆けねばならない。

 戦いは数だ。改めてその言葉を頭に浮かべる。

 確かに敵は最強、八百年もの長きに渡り大陸を支配する月光の女王をいただく王都軍。練度は低くとも末端の一兵すら、テッサリアの魔術師が足元にも及ばぬほどの技量と魔力を持つ怪物集団と聞き及ぶ。

 その化け物たちの手綱を握るは、王国が復活させた『資格者』ソードホルダーの称号を持つカロルス・アントニウス。噂に聞く伝承の鉄巨人を従える竜殺しは、ノットンと同じく文官の出自ながら老練な知略家ファビア・ウァルスの用兵と戦略を退けた。改めて手強い相手なのだと噛み締める。

 ならばこそ、間違いなくこの戦いは厳しい物になる。勇んで進軍したが、イレーネと同じく何人かの将兵は討ち取られるだろう。最前を往くことになる自分はその筆頭であるとノットンは覚悟する。そもそもこの進軍は彼女自身が言い出した物。口火を切る責と戦果の盃も同じくだと心得ていた。

 だから、面白い。

 これまでも戦火の中を潜ってきた。

 幾人もの敵兵の死体を積み上げた。

 幾度もの味方の死体を踏み越えた。

 それでもなお彼女の心を満たす戦場に出会うことは無かった。

 だが、生き死にのはかりが左右に揺れる今の状況に、彼女は心躍っていた。

 恋なのだろう。余人のそれとは姿形も概念も違えど、例えるにはそれが一番最適といえた。

 彼方にけむるカルディツァの形が浮かんで来ていた。陣を敷くにはもうあとわずかの距離である。

 冬に夏の祭典をするかの心持ちを抑えるので精一杯であった。


 ***


「遠見からの報告です! 敵兵……ご、五千!?」


 あまりにも馬鹿げた数字に、もはや笑いがこみ上げるシャルル。

 それを見た彼の私兵たちもまた引きつった笑みで、冬だというのに脂汗がにじんだ。


「よーし、おめーら、腹くくれよ。テメーの持ち場が最前線で、最後尾だ。墓場だと思え」

「離れたらどうなるんスか」

「野鳥と狼の晩飯になるんだよ。墓標に卑怯者、臆病者って刻まれるオマケつきだ」


 攻城戦は防衛の三倍以上の兵士を用意しろ、とは知らぬシャルルではないが、目の前の街道の先で陣取るは二十倍超の兵力差。

 対するこちらは守ってくれる城壁も掘も鉄門もない、平原の街道である。

 正気の沙汰とは思えなかった。

 おそらくは、徹夜の行軍であろうが、それまでにたっぷり食って休み、イレーネの弔い合戦と覚悟を決めた戦争屋たち。

 こちらはほぼ休みなしの聞き分けのないジャジャ馬だらけ。廃材や瓦礫を魔術でって土やら氷やらで組み上げた即席の防壁もあるが、連中が真正面から突っ込んで来たのならばひとたまりもないだろう。

 背後には既に要害としての機能を失した戦略的に価値のない灰の街。ここを抜かれればルナティア王都までは防ぐ物などあってないような物。

 最前線にして、最後尾。嘘偽りがない現実が眼の前に積み上げられる。

 盾となれば確実に死に絶え、逃げたとしてもその先にあるのは地獄。運良く生き延びてもそこに楽園などないだろう。

 指揮官たる竜殺しの言葉を兵士たちは反芻した。


「二時間だ。二時間持たせろ。そうすりゃミトロポリの正規軍が救援に来る手筈てはずになってる」


 気休めでシャルルが放った言葉だが、これには一切の根拠が無かった。

 確かに早馬を出し、助勢を請うた。だが、それがいつ合流するのか。そもそも救援に来るのかすら返答がないのだ。


「安心しろ。死んだら全員の墓を俺が立派に立ててやる。『資格者シャルルに仕えた勇猛果敢な勇者◯◯。卑劣な逆賊テッサリアをブチのめしてここに永遠に眠る』って具合に」

「笑えねーっス」

「ひっどい冗談だわ、うちの親分様は」

「言うじゃねぇか! なら、終わったら酒蔵さかぐらにある酒を全部振る舞ってやる。だから殺されても死ぬんじゃねぇぞ!」


 この土壇場でシャルルを筆頭に誰も彼もが狂気を宿した会話をする。だが、誰一人として狂ってなどいない。正気でなければこんな戦場に立てぬのだから。


「さぁて、戦争を始めるぞ、アバズレども!」

「「「応ッッ!!!」」」


 ***


 互いの陣が敷き終わり、白い中原に静寂が訪れたのは太陽が天宙に差し掛かった頃合いである。

 先に動きがあったのは、防衛する側であるカルディツァ防衛部隊であるシャルルの敷いた陣だった。

 本日の天候、晴れのち槍。

 切っ先鋭い石の槍が防衛陣の左前方に降り注ぐ。

 一槍一槍ごとに悲鳴が上がる。血飛沫ちしぶきが舞う。

 誰かが身を屈めろ、防壁に身を隠せと叫ぶが、斜め前方から降り注ぐ石槍はガラクタの防御を容易く打ち破る。

 バルティカ街道の石畳と共に何者でも無かった兵士たちの身体が吹き飛び、千切れる。


「くっそ、どこからだ!?」

「おそらく、敵本陣からです!」


 ンだと……と口走るよりも早く弾け飛んだ鉄盾の欠片でシャルルの隣に控えていた兵が断末魔も上げずに物言わなくなる。

 ルナティアの大地で軍同士が激突する戦闘というのは、八百年の歴史の中で数えるほどであるが、その基本は変わらない。

 互いの後方に控えた魔術師たちが、相手の本陣に向けて大規模な魔術を仕掛け合い、妨害し、膠着した状況で初めて騎兵と槍兵とが殴り合う合戦に至る。

 かつて、稚拙な魔術師ばかりであった側の陣の真上へ、根ごと引き抜かれた岩山が召喚され、数千、数万の兵が一撃で消滅したことすらあったと記録に残る。

 ゆえに軍を動かすともなれば、後備うしろぞなえには有力な魔力溜まりの地を選び、魔術師たちに陣を作らせる必要がある。

 その戦訓を知らぬものなどこの大地に一人としていない……いな

 ただ一人だけ存在した。


「大将、妨害魔術を展開するか、こっちも応戦しないと!!」

「クソがッ! こんなもんどうすれば!?」


 その唯一の例外であるシャルルには一つの策も手も思い浮かばない。ただただ降り注ぐ石槍が止むのを祈るしか出来ないでいた。

 時間にして三十秒。だが、無限にも思えた降槍は唐突に止まる。

 周囲で渦巻く血風混じりの土埃。

 視界を確保しようと無闇矢鱈むやみやたらと腕を振るも、文字通り空気を掴むばかりであった。

 やがて、うめき声と悲鳴混じりの安否を問う声。


「立て直しだ! 動けるヤツは手近な負傷者を街の中まで引っ張っていけ! 次が来るぞ!」


 またしても根拠はないが、悪い予感は当たる。

 瀑布ばくふである。川が「空から」流れる。

 まるで立ち込める砂埃を掃き流すように川の流れそのものがシャルルの陣を襲う。

 女王陛下から賜った鎧と肌着、そして腕輪はたしかに竜殺しの生身をその流れから守った。

 身体から熱を奪う水。

 身体を流し清める水。

 怒涛どとうの全てから資格者たるシャルルを守りきった。

 しかし、シャルルを守っても、周囲の兵士はそうではない。

 流されていた。陸で人が川に流された。

 溺れていた。陸で人が川に溺れていた。

 有り得ざる出来事が、眼の前で当たり前に起こっていた。


『魔術をご存じないのですか』

『そうですか……騎士殿きしどのは本当にまったく魔術を存じ上げないのですね』


 彼を甲斐甲斐しく世話する女の驚きと、小さな大賢者の無表情な言葉が蘇る。


「なんとかしてください、大将!! アンタ資格者なんでしょ!? あたしら、このままじゃあッ!」


 どうする、どうすればいい、何をすればいい!? どれだけ冷静になろうとしても、何一つ手が浮かばない。

 一秒遅れれば一人流される。十秒遅れれば十人が溺れる。

 『資格者』『竜殺し』大きな後ろ盾であった勲章のような肩書が、刻一刻とかる。まるで前借りしていた力の返済を迫るかのように苦しめる。

 終わりだ。何もかもが、終わりだ。そう悟った。

 二百人の勇者の命と覚悟を立派に散らすのでなく、無駄に潰してしまうのだと。

 レオニダスに遠く及ばない、無能な大将みかたなのだと。

 立派な鎧のおかげで死ぬわけでもないのに、死よりも重たい鎖が彼の足を、腕を、肩を、頭を掴み、地獄へと引きずり落とそうとしていた。

 石槍の時と同じく、やがて川の流れが引いていく。だが、それは思ってもみなかった理由で止まったのだった。


『――苦戦しているようではありませんか』

「おま……なんで……?」

『説明は後です。さぁ、反撃の時間と参りましょうか。蛮族たちにルナティア王国の魔術戦を味わって頂きましょう、騎士殿きしどの

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