第三幕:月下の姫君

第19話 千ノ刃ガ胸ヲ刺ス

 総大将イレーネ・マルキウスは死亡。

 知恵袋ファビア・ウァルスは逃亡。

 テッサリア軍は統制を喪い、散り散りになって、後方へと逃げ去った。

 シャルル・アントワーヌが意図していた人質の確保は失敗に終わった。

 彼の手元に残ったのは、廃都と変わり果てたカルディツァと、腐り果てるのを待つだけのしかばねに成り下がったイレーネ・マルキウスだけである。

 人は生きていてこそ利用価値がある。

 ただの皮と肉と骨の塊に価値はない。

 それでも、彼は酷な命令を下さねばならなかった。


「故人に死に化粧を施せ。かりにも総大将だ。丁重に水葬するように頼む」


 王国軍から招聘した士官級の隊長らの協力を得て、ヘレナ・トラキアがイレーネ・マルキウスの遺体を綺麗に整えていく。半分砕かれた頭蓋も、魔術を駆使して丁寧につなぎ合わせていった。使用人が人形を編む手際そのもので。

 肉体の修復をすませ、水の魔術で氷の棺をつくり、綺麗に整えたイレーネの遺体を納めた。手向たむける花はただ一輪もない。すべて焼けてしまったからだ。

 氷で蓋をした棺には、イレーネの軍旗を纏わせた。

 王国の格式に則った水葬により、イレーネの棺はカルディツァ市域を離れた。


 それとほぼ同時刻に、シャルルたち私兵もカルディツァを発ち、後方へ退却した。三分の一を超える損害を被った部隊は、後味の悪い戦果に疲れきっていた。

 カルディツァと臨時郡都ミトロポリの中間にある街、カリフォニを目指す。王国軍二四〇が守り、安全に休息が取れる最前線拠点だ。

 イレーネに隊長を殺された部隊は、当面シャルルが直卒じきそつすることにした。彼の命令に反して、イレーネに手を掛けた者たちもその中に含まれる。

 川沿いの街道。桑林のほかに何ひとつない場所。

 そこで、竜殺しは「止まれ!」と号令をかけた。しかし、彼女たち以外の部隊は、先にカリフォニに向かって離れていった。

 一帯に集落は無く、獣の遠吠えが時折響き渡る。


「領主様。こんなところにあーしらを留め置いて、何する気なんだろう」

「まさか……ここで、首落とされるのかな……あーあ」


 ぐったりとうなだれた私兵たち。冷たい目をして、彼が言い放った。


「おい、命令のきけねー雌豚めすぶたども。そこでしばらく待ってろ」


 すると、副官のヘレナ・トラキアの声がした。どこか戸惑ったような――。


「あの。シャルル様……本当に、やるんですか?」

「ああ。きっちり後始末あとしまつしねーとな。あとで不味まずくなる」


 雌豚と呼ばれた精鋭たちがぞっとした。

 やっぱり、ここで処刑されるんだ――一人ひとりがそう覚悟を決めた。

 その瞬間。


「よぉし、いくぞッ。アンッ! ドゥッ! トロワァァァ――!!!」


 そう絶叫すると、彼は川に向かって勢いよく飛び込んだ。

 ドボーン! と水が大きく跳ねた後、何の音もしなくなった。

 雁首揃がんくびそろえた精鋭たちは皆、絶句した。


「あ、えっ――なんでェェ!?」

「領主様が、身投げしたァ!」


 理解不能な行動に頭が追いつかない。

 おかしなことを思いつく人だけども、とうとう気が狂ったか。

 いよいよおしまいかもしれない――一人ひとりがそう思った。

 次の瞬間。


『ああああ! クッソさみぃぃぃぃ――――ッ!!!』


 真っ暗闇のなか、川底から鉄巨人が肩まで這い上がってきた。

 雌豚どもが錯乱しないわけがない。腰を抜かし、絶叫する彼女らを尻目に、ヘレナが氷で橋を渡す。そして、鉄巨人の背中にすばやく駆け乗った。


「セット――ゲット・レディ――ウォータ――トランスピレーション!」


 早口で詠唱し、ずぶ濡れだったシャルルの衣服から一瞬で水分を蒸発させた。

 歯をがたがた震わせた彼に、さっと毛皮を差し出す双眸そうぼうには静かな怒りが宿る。


「まったく。やることなすことむちゃくちゃです! もしお身体に差し障ったらどうなさるんですかッ!」

『しょうがねーだろ! 機動甲冑コイツ隠すにはこうするしかなかったんだよッ』

「冷水に飛び込んで心臓が止まってしまったら、今度こそ死んでいましたよ!」

『死ななかったんだからいいだろッ』

「よくありませんッ! あなたおひとりのお身体ではないのですよッ! あるじとしての御自覚が足りないのではございませんかッ! ユア・マジェスティ!!」

『ああ、もう! オクタも、エレーヌもッ! その呼び方マジやめてくれッ!!』


 つり上がるまなじり


「なんでそこでオクタウィア様の名前が出てくるんですかッ!!!」

『なんでそこで怒られなきゃいけないんだよッ!!!』

「――また水ぶっかけられたいですか?」

『か、勘弁! 勘弁してしろくださいッ』


 領主様とその副官の痴話喧嘩ちわげんかに付き合わされた雌豚ども一同。


「「「あーあ。これからどうなるんだろうね、アタシたち……」」」


 一人の例外もなく、死んだ魚のような目をして見守るしかなかった。


 ***


 それとほぼ同時刻。臨時郡都ミトロポリで――。


「……んッ」


 暖かい。

 凍てつく真冬の寒空。

 それとはまるで違うぬくもりのなかで、ユーティミア・デュカキスは目覚めた。


「あ、れ……どこだろ、ここ」


 芝生の上に降りた自分が、寝台の上で毛布を掛けられていた。

 薄暗い小部屋から扉ひとつ隔てた向こうでドタドタ音がした。


「起きてッ! ユーティミアッ!」

「フリッカ!?」


 親友のフリッカが駆けこんできた。

 見覚えのある鳩一羽を抱きかかえて――。


「還ってきたよ! ユーティミアの鳩が!」


 銀の足環あしわをつけた鳩は、間違いなく自分のもの。

 二つの書簡をたずさえた鳩を一撫ですると、書簡を残して光と消えた。

 差出人の名前は、ヴァレンティーナ・デュカキス。

 うち一通は、自分宛ての書簡。開いた手紙に、雫がいくつも落ちた。


「――ママ。ママぁ……」

「――よかったね。本当によかったね。ユーティミア」


 便箋びんせんを抱きかかえてすすり泣く。

 そんな親不孝娘――ユーティミア・デュカキスと、彼女の背中を撫でさすりながら抱きしめる親友――フリッカ・リンナエウスがそこにいた。


 ***


 再び、話を『竜殺し』カロルス・アントニウスことシャルルのもとに戻そう。

 川底に沈め隠した機動甲冑『エールセルジー』を回収した竜殺しは、遅れた部隊を引き連れて、夜更よふけのカリフォニに着いた。


「エレーヌ、着いたぞ。起きろッ」

「……え? あっ……きゃあッ!?」

「まて、暴れるな。頭ぶつけるぞ」


 機嫌の悪いヘレナをお姫様抱っこでなだめ、エールセルジーに乗せていた。

 いつの間にか眠ったうちに、忘れていた恥じらいを取り戻したヘレナを抱きしめて落ち着かせた。

 縄ばしごを降りると、誰もが疲れ果てた顔をしていた。


「みんな、よく頑張った。よく頑張ってくれた! 今日は早く休め」


 連戦で疲れ果てた部隊をねぎらって回った竜殺し。

 カリフォニには領主の屋敷がない。町長まちおさの邸宅の離れを貸してもらって、そこを仮の宿としている。

 宿に戻り、緊張が解けると、ぐうと腹が鳴った。


「なんか、腹が減ったな」

「何かお作りしますか?」

「いや。エレーヌも疲れたろう? パンと缶詰かんづめでも食って寝るよ」


 固いライ麦パンを塩辛い魚介の缶詰の煮汁に浸す。

 それを噛んで食べている最中に、ヘレナが血相変えて、やってきた。


「シャルル様! 外が大変なことになっています」


 食事の手を止めて、離れ小屋の外に出る。

 塀で囲まれた町長まちおさの邸宅の外には、さっき無かった松明たいまつあかりがいくつも。


「領主様! 門の外に群衆が集まっております」

「ずいぶん騒がしいな。いったい何の祭りだ?」


 町長まちおさが青い顔をしているところ、そういうモノでは無いらしい。


「なにか心当たりは?」

「まったくありません。外に出られない状況で、さっぱりわかりません」

「わかった。俺が直接話を聞くとしよう。皆は中でおとなしくしていろ」


 嵐竜らんりゅう皮衣かわごろも淡雪あわゆき鱗鎧うろこよろい。そして、竜玉りゅうぎょくの腕輪。

 剣は持たずとも、十分に相手を威圧できる装備を身につけ、邸宅の門を開けた。

 おのずと、門前の群衆が後退あとずさる。


「今何時だと思ってる。よそ者が大勢集まって声を張り上げたら、周りに迷惑だろ。用件はなんだ」

「よくも騙したなッ!」


 声を張り上げたひとりが、紙で包んだ石礫いしつぶてを投げた。

 難なく手で掴み取る。紙を読み、思わず目をみはった。


(なんだこりゃ!?)


 ――――――――――――――――


 カロルス・アントニウスは領主にあらず。

 カルディツァ市街を燃やし尽くした罪科は、郡伯カロルスにある。

 けがれた土を集め、金剛石を割り砕いて、怪しげな術を行使した。

 みずから市街に火を放ち、市街に残った者たちごと破壊の限りを尽くした。

 民草の生命を保護するという郡伯カロルスの言葉は、真っ赤な大嘘である。

 ゆえに、我らは郡伯カロルス・アントニウスの弾劾を女王陛下に直訴する。


 ――――――――――――――――


「それが街中に貼られてた。そこに書いてある怪しげな術ってなんなんだ」

(今日の今日でここまで情報が知れ渡ってるのか。いくらなんでも早すぎる。こりゃファビア・ウァルスの差し金か。アイツ取り逃したの、マジで痛かったな……)


 口惜しい。

 しかし、過ぎたことは仕方がないと沈黙する。

 思索を巡らす。

 罵声もどこ吹く風。ただ黙して張り紙を読む。

 紙に書かれた事実から、何が知られ、何が知られてないかを読み解いた。


「カルディツァ市街をテッサリアの掠奪りゃくだつ乱暴らんぼう狼藉ろうぜきから守れなかった。その責任は俺にあると認めよう。だが、ここに書いてあることはでたらめだ」


 火薬の製造過程を見ていた者がいる。

 おそらく、テッサリアに内通した者か、テッサリア側の密偵だ。

 しかし、「怪しげな術を行使」とある。つまり、「魔術」だと思っている。

 彼は決めた。限りなく真実に近い「偽り」を貫く――と。


「綺麗に整った大きな金剛石なら、魔術の触媒にはなるだろう。だが、そんなモノを誰がどうやって作った? その様子をみていたヤツがいれば出てこいよ」

「領主が私兵たちを集めて、金剛石を作っていたって聞いたぞ!」

「俺の私兵たちが大きくて立派な金剛石を作った? 王国軍にすら入れねえ不出来な連中が、そんなたいそうなモノを作れると思うか? バカを言え」

「アンタら、イレーネ・マルキウスを殺したそうじゃないか。火をつけて焼き討ちにしたんだろ? 違うのかい!?」

「今回の戦争で俺の私兵が三六〇名はいた。そのうち一二〇名ちょい、正確には一二四名がテッサリアと勇敢に戦って、立派に死んだ。残ったのは二百何十名だ。怪我人もいたから多く見積もっても動けたのは二〇〇かそこらか? そんな数で十倍以上の三千人いるテッサリアの連中が蔓延はびこってる市街にどうやって火をつけるんだ? 王国軍の正規兵とかなら何かできたかもしれないが、その正規軍はお前ら避難民をカリフォニまで護衛してたよな。カルディツァには誰ひとりいない。どう考えてもこの話は無理筋だな」

「アンタは資格者だ。資格者にしか使えない魔術があるはずだ」

「ああ、あるとも。だが、テッサリアにも資格者は居る。それこそ山火事を起こし、関所をぶっ壊したクソ野郎がな。ソイツかくまってるのがイメルダってわけだ」


 山火事と聞いて、青ざめる者たち。


「俺もやろうと思えばできなくはない。でも、そんなモノ使ったら、相手にばれないわけがないだろ。すぐに相手の資格者が飛んできて、山火事の再来さ。そこらじゅう地獄絵図になる。森も畑も焼き尽くされる。でも現実はそうなっちゃいない」

「き、詭弁きべんだ! 私たちを言いくるめるつもりなんだ!」

「百歩譲って、資格者にしか使えない魔術とやらを俺が使ったとする。テッサリアの資格者はそれを食い止められなかったばかりか、イメルダの娘すら助けられなかった無能ってことになるんだけどな」


 ぐうの音も出なかった。止めを刺す一言。


「連中の空言そらごとを信じたいヤツは、信じればいい。勝手にしろ」

「――そんな言い方、無いんじゃないですか?」


 名も知らぬ有象無象ではなく。

 よく見知った人間の声がした。


「――オクタ」


 憤りに満ちた、緑と紫の色違いの目オッドアイ

 その双眸そうぼうに涙をこらえて、彼を睨みつけている。

 こんな表情を向けられたことなど、ただの一度もなかった。


「ここに集まった皆さんは、誰もが離れたくない故郷から逃れてきました。そして、故郷を喪ったと知らされたんです。何があったか、きちんと話して差し上げてもよいんじゃないでしょうか?」

「話しているとも。この紙くずに書かれたことがでたらめだと。一つひとつ、事実を挙げて反証している」

「そうじゃないんですよッ!」


 なぜだろう。話がかみ合わない。


「領民が苦しい時だからこそ、領民の苦しみに寄り添って差し上げてほしい。私は、アントニウス卿にそう申し上げているんです」

「苦しいのはみんなおんなじだ。ミトロポリやカリフォニの住民だって、急に避難民を受け入れて窮屈な思いをしている。それもこれも、イメルダのせいだ。パラマスでは湊町に火を放って、何十人という民草をなぶり殺しにした。今回は掠奪りゃくだつのうえ、失火で市街を燃やしてる」

「街が燃えることは、最初から織り込んでいたのではありませんか? でなければ、部隊を展開しているはずがありませんよね」


 まさか、身内から痛い事実をかれるとは――。


(――まったく、余計なことを)


 黙っていた群衆が勢いづき、ヤジを飛ばす。

 鎮火しかけた火災がまた燃え盛る様に目をつぶる。


(親父に言われたな。「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方」だと)


 オクタウィア・クラウディアは馬産地を擁する名門貴族の子女である。

 正義感も強い。それゆえ、エールザイレンとの孤軍奮闘こぐんふんとうを選んだこともある。

 魔術の才能はある。だが、戦争というモノがいかに残酷かを知らない。

 正義感だけでどうにもならない、ひりつく鉄火場の駆け引きをまだ知らない。

 

(今は、突き放すしかない――)


 そう覚悟を決め、彼はつぐんだ口を開く。


「第一にテッサリア軍の入城まで、賊が蔓延はびこるのを阻止するためだ。第二にテッサリア軍が何か変なことをしでかさないか、監視する必要があった。パラマスの前例があるからな。そしたら大火事が起きた。だから介入せざるを得なかった」

「その介入の結果、イレーネ・マルキウスが殺害されたわけですね。これでは戦争を終わらせる目を潰したに等しいじゃないですかッ!!」

「――――ッ!!!」


 言の葉の刃が、胸の逆鱗を刺し貫いた。


「そうだよ! イレーネは生け捕りにするつもりだった! でも、できなかった! 亡骸を綺麗に整えて、軍旗を纏わせて水葬にした。イレーネ・マルキウスには出来る限りの敬意を払った。これがすべてだッ!!!」

「死者に払える敬意をお持ちでいらっしゃるなら! 今ここでッ。必死に生き延びていらっしゃる方々にかけてくださいよッ」

「テッサリアの内通者がカルディツァにいた。この中にも間違いなくいる。今ここで扇動された連中に寄り添ったところで、無駄な努力なんだよッ。乳臭いガキが知った口をきくなッ!」


 パンッ――。

 乾いた音のあとの静寂。

 群衆が黙った。領主が言葉を喪った。

 張り手を見舞った少女が泣き叫んだ。


「あなたには、失望しましたッ!」


 資格者オクタウィア・クラウディア。

 彼に厳しい物言いをするとき、彼を「皇帝陛下」と呼ぶ少女。

 彼女はものすごい速さで、疾風のようにその場をあとにした。

 残された誰ひとり、何ひとつ言い出せない空気を残して。


(――これでいい)


 くだらない駆け引きに、お嬢を巻き込まずにすむのなら、それでいい。


(――これでいいんだ、シャルル)


 そう自分に言い聞かせ、よろよろと門を閉ざす彼の耳に、もう喧噪けんそうは届かない。

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