第18話 クライ・オーバー・スピルト・ミルク

 炎が舞う。

 赤い竜巻が天を衝く。

 暁天を切り裂いて、翼の生えた獅子が飛ぶ。

 一年ぶりにした相棒は、彼女が思い描いた通りに天翔あまかける。


『いいか。ユーティミア。ていよくだまされたふりをするんだ』


 昨日乗ったばかりの愛馬に、今日跨ったような高揚感。

 莫大な魔力を消費し、精神力は限界に近いはずなのに――。


『残った市民の生命と財産の保証。これを必ず約束させてくれ。だが、軍隊ってモンはご褒美がほしい飼い犬に近い。ご褒美をやらないと「待て」ができなくなる。勝手に掠奪りゃくだつに走るヤツが出てくる。そこで、あえて抜け穴を作っておけ』


 切り札は先に見せないこと――。


『留守の邸宅や商家が掠奪りゃくだつに遭っても文句が言えない。そんな取り決めにしておくんだ。そうすれば、敵の大将は家来どもに褒美として掠奪りゃくだつを許すはずさ。そしたら話が違うと抗議しろ。ま、そんな約束はしていないとシラを切られるだろうけども。むしろそれが狙いだ。騙されたふりで、相手を油断させるんだ』


 もし見せるなら、さらに奥の手を持ちなさい――。


 母ヴァレンティーナから教わった処世術と、彼の言わんとしたことが重なる。


『留守の邸宅、商家。それと領主の屋敷には罠を仕掛けておいた。石炭に偽装した爆薬が暖炉に混ぜてある。魔術は一切使ってないから、いつ燃え出すかわからないが。ひとたび火が着くと、すごい音と衝撃がする。巻き込まれないように気をつけろよ。あとは、隙をみてミトロポリへ逃げるんだ』


 ずっと隠してきた彼女の爪――切り札といえるグリフォンの翼。

 カルディツァからミトロポリまでのおよそ二七キロメートルの道程を、最短距離で五、六分ほどで飛び越える。街道を巡航する機動甲冑よりも速かった。


『どんな手を使ってもいい。絶対に生きて帰ってこい!』


 街の明かりがみるみる迫る。

 広場の芝生に降り立ったところで、召喚獣が光と消えた。


(私、やりましたよ。アントニウス卿――あとはお願いします)


 彼が与えた指示を忠実に守り抜いて、ユーティミアは大地に膝をつく。


「ユーティミアァ――ッ!!!」


 駆けてくる親友の声を耳にして、安堵が顔に拡がった瞬間。

 限界まで張りつめた緊張の糸がブツっと切れた。水に溺れたように、金切り声がみるみる遠くなっていく。


 ***


 カルディツァの目抜き通りを中心に、爆轟ばくごうが立て続けに起きた。

 東門の警備についていたテッサリア兵たち。

 真後ろで突如起こった「現実」に混乱した。


「なっ! 何よあれは!?」

「火事だ! 延焼を食い止めないと、アタシらのご褒美がなくなっちゃうよ!」


 警備の大部分が目抜き通りに向かった。残った警備兵は十数名。

 それを下水道の蓋から覗き見る目が四つ。


「残った兵は、見張り台に四名。市壁の上に四名。地上には――」

「……五、六名。あーしらなら、そんくらい余裕っしょ!」

「よしッ。あっちの出口から路地裏に出るよッ」


 カロルス・アントニウスの『予備隊』から選び抜かれた数名が、下水道から這い出して、門の警備兵を奇襲した。声を出す間も与えず、残さず胸を刺し貫いた。

 なんと下水窟げすいくつに手を加え、抜け道を作っていたのだ。もとは籠城ろうじょうに備え、市壁を包囲された外側との出入りを目的としていたものだ。

 抜け道を通って東門を急襲した精鋭は、壁や見張り台の兵には目もくれず、真っ先にかんぬきを引き抜いた。あっけなく門が開けば、外の桑林に隠れていた味方がなだれ込むとわかっていたからだ。

 慣れない魔術の単純作業の繰り返しで、鬱憤が溜まり、殺気立っていたつわものたちの怒涛どとう。その中で声を張り上げる『竜殺し』がいた。


「総大将のイレーネ・マルキウス、知恵袋のファビア・ウァルス。両名を生け捕りにする! 生け捕りだぞ!! 絶対に殺すな!!!」


 王国軍から招聘された大隊長、中隊長、小隊長ら。

 そして、生え抜きの副官たちに繰り返し徹底した。


「死なせるな! 自決も許すなよ!! 生かして捕らえろ!!! 絶対にだッ」


 あらん限りの声で叫ぶ彼の傍らに、軍服を着たヘレナがいた。

 万が一、人質に何かあった時のため、蘇生術が使えるように。

 そこまで念入りに策を練り、裏通りをかいくぐって、領主の屋敷を目指す。

 目的地にいかずちが落ちたかのような音。屋敷の罠が作動したとわかった。


「エレーヌ、ついてこれるか」

「問題ありません。急ぎましょう」


 勝手知ったる道だ。最短経路を選んでいた。

 狭い路地を駆け抜けていたところ、至近で爆発が起こった。

 悲鳴とともに、ヘレナが転ぶ。彼が叫んだ。


「エレーヌ!」


 血相変えてシャルルが駆け寄った。

 吹っ飛んだ家屋の破片が、太ももを切り裂いていた。

 蒼い顔をする彼に、彼女は気丈に答える。


「大丈夫です。少し、足をくじいただけで」

「大丈夫じゃねーだろ! 血が出てるぞッ」

「私を誰だと思っておいでで――ヒール!」


 傷ついた脚に治癒魔術をかける。

 出血が止まり、傷がふさがった。

 服が裂けただけで、脚は何事もなかったかのように。


「このくらい、どうってこと――痛ッ」


 くじいた足を引きずる彼女に、彼は怒鳴った。


「ああッ、もう無理すんな! 俺が担いでやるから」


 抜き身の片手剣を鞘に納めると、空いた両手で彼女を抱き上げる。

 背中に背負われると思っていたら、まさかのお姫様抱っこだった。

 白い頬が真っ赤に茹で上がるのは、火災の照り返しだけではない。


「えッ、えッ! ちょっと!! シャルル様!?」

「いまさら誰も気にしねーよ」

「そういう問題じゃなくてッ」


 家屋から火が出て、みるみる延焼し、ゆく手が塞がれた。

 ものすごい熱量だ。無理に押し通れば、きっとヘレナが無事で済まない。


「クソッ。派手にやりすぎたか。ここは遠回りするしかないな」


 やむなく回り道をして、彼らが遅れて屋敷に向かっている最中――。

 手柄を競い合う予備隊の一派が、彼らに先着しようとしていた。


 ***


「何が起きてるのよ。ねえ?」


 屋敷の厨房が前触れなく爆発し、随行してきた使用人数名が即死した。

 忌まわしい事実を突きつけられ、イレーネ・マルキウスは舌打ちする。

 小賢こざかしい眼鏡の官僚がしれっと言い残した言葉に苛立ってたまらない。


『建物は前領主のものから手をつけず残してあります。どうぞお好きなようにお使いください。麾下きかの兵士の方々が商家から持ち去った調度品など、むしろこちらによくお似合いかと存じます。ご命令でこちらに呼び戻されてはいかがでしょうか』


 何が「手をつけずに残してある」だ。

 何か細工をしてあったのではないか。そうとしか考えられない。


「あンのクソメガネッ! 今度捕まえたら、火あぶりにしてやるッ!!!」


 怒り心頭。

 頭に血が上っていたイレーネに、味方の混乱を収拾する能力は無かった。

 見かねて、ファビア・ウァルスが指揮官たちを呼び集めに向かっている。


「大規模魔術の形跡は無かった? ファビアと先遣隊は何を調べてたのよ!?」


 しかし――。

 イレーネ自身にもまったく違和感がなかった。

 これまた、忌まわしい事実だ。

 大崖線で放棄されたカルディツァ軍の陣地に、碁盤目の術式が展開されていた形跡をみた。陣地の裏側に築かれた濠にも水流を捻じ曲げる術式があったことを見抜いてもいた。

 同様に何らかの魔術の形跡があれば、イレーネ自身も見逃すはずがない。

 王国軍が引き揚げた後のカンボスがそうであったように、大規模な魔術による罠がカルディツァ市域にはまったく張り巡らされていなかった。

 なにより、内通に応じた商人を市域に留まらせ、穀物庫や水源池の破壊を敵に断念させている。ほぼ無傷の郡都を押さえれば、ここを兵站拠点に敵を各個撃破できる。戦術的には手こずらされたが、戦略的にはこちらが勝っていた。

 だから、一握りの見張りを除いて、市街地での掠奪りゃくだつを許した。

 味方の士気は上がり、竜殺しの領土は確実に奪取できるはず――。


「どこで? 何が狂ったの? ねえ!?」

「「イレーネ様!」」

「遅いッ! 今までどこほっつき歩いて――」


 やっと駆け付けた味方を怒鳴りつけた瞬間。

 身体に、重い何かが巻き付いた。


「な、何よこれェッ!!!」


 それは鉄の鎖だった。

 裏切りか? いや、違った。


「よぉしッ! 身柄確保!」

「イレーネ・マルキウスを捕らえました!」


 敵の侵入を許していたと歯噛みする。

 怒りにった口元が、古代語をそらんじる。


「セット――ゲットレディ――この、下﨟げろうどもがッ!」


 絶叫とともに、両手のひらに炎を召喚する。


「ファイア・ボルトッ」


 放った火の玉で、鎖を握っていた二人の兵隊を焼き払った。

 ぼろ布に火をつけたように、あっけなく黒焦げに変わった。

 弱い。弱すぎる。

 まるで、農民を無礼討ちするかのような手応えではないか。


「貴様ら、王国軍ではないな。さては竜殺しが作った寄せ集めのごろつきか?」


 鎖が緩む。たじろぐ敵兵に思わず、口元に蔑みが浮かんだ。


「――んだとコラァ?」

「変なこと抜かすとコロすぞ!」

「貴様らいやしい民草たみくさ風情ふぜいが、私を殺す? 笑わせるなッ」


 軽侮するイレーネと、武器を構えた兵士たちの間に割って入る者がいた。


「待てっ! 領主様が生け捕りにせよとおっしゃった! 殺してはならんッ!」


 目が血走った兵士を、部隊の指揮官らしき人物が鬼気迫る表情で止めている。

 滑稽だ。規律が崩壊寸前の有象無象うぞうむぞうではないか。


「生け捕りなんて、侮られたものね。マルキウスの当主を無礼なめるなッ」


 逆に握りしめた鉄鎖を鞭に代えて、指揮官らしき人物の後頭部を打ち据えた。

 それが、イレーネの運命を決定づけた。

 頸木くびきを失った猛牛の雄叫おたけびが木霊こだまする。

 溜めこんだ憤怒が剣となり、槍となり、雪崩なだちる。

 血の雨が降り注ぎ、水たまりをつくる。

 その中に「貴人」イレーネ・マルキウスはぐしゃりと崩れ落ちた。

 ヘレナ・トラキアを抱いたシャルル・アントワーヌが駆けつける、わずか五分前の悲劇だった。


「イレーネ・マルキウスはどこだ!」


 炎上する屋敷前に駆けてきた竜殺し。

 なぜか、誰も顔を伏せたままだった。

 黒い鎖が何本もある中に、血だまりをみた。

 見覚えのある「貴人」の変わり果てた姿に、彼は絶句した。


「イレーネ――マルキウス嬢――なんで――」


 これで三度目の対面だ。

 一度目は貢納の条件を取り決める交渉の場で。

 二度目はサイフィリオンと巨象の戦闘演習と、その後の饗応の場で。

 そして、三度目は――。


「なんで、こうなった――」


 顔の半分に残った美貌を彩る鮮血。

 死に化粧と表現するには、あまりにも傷ましい姿をしていた。


「――エレーヌ、治癒の魔術を」

「――――」


 かしこまりました。シャルル様。

 迷わずそう応えてくれるはずの彼女は、何も口にしない。


「――どうした、エレーヌ。君ならできるだろ? 俺を救ってくれたようにさ」

「いいえ。シャルル様」


 首を横に振り、瞼をつぶるヘレナ。

 その切れ長の目には、悲涙が浮かんでいた。


「治癒の魔術とは、命ある者にこそ使うものです。命亡き者には意味を成しません」

「なんでだよッ!!!」


 竜殺しが絶叫すると、威圧が拡がる。

 その場にいた誰もが震えあがるほど、魔力が渦巻いていた。


「なんで殺したッ! なんてことしてくれたッ!! あれほど口酸っぱく『殺すな』と言っただろがッ!!! 耳ついてなかったのか?」


 これまで敵に向けられてきた殺気が、自分たちに向けられる。

 私兵たちは皆、恐れおののいていた。

 ひとりがこう口にした。


「――同胞二名を殺されたうえ、隊長を殺した仇です。だから、だから――」


 絞り出した言葉は涙声になった。

 別のひとりが、イレーネだったモノを指差して、糾弾を続けた。


「ソイツが言った。アタシらは、竜殺しが作った寄せ集めのごろつきだって」

「…………」

「隊長が止めた。殺してはならんって。でも、背を向けてソイツかばってた隊長を、わらって殺しやがった。騎士の風上にもおけねえヤツだった」

「……は?」

「やられたらやり返す。アタシら底辺がやってる喧嘩の常道さ。自業自得だ」

「騎士の風上にもおけねえ? 笑わせんなッ」


 怒鳴った竜殺しが声を押し殺す。


「騎士ってのはだな。自分が仕える主人と自分が守るべき民草のために、いのち惜しまねえヤツが名乗っていい称号なんだ。俺の命令を遵守して死んじまった、お前らの隊長のようにな」

「…………」

「殺すなっていった隊長の命令を結果的に破ったお前らに、騎士道云々を講釈される筋合いはねえ!」


 絶句。

 怒りに我を忘れていた兵士らが、何も言えない。

 何も言わせない凄味をきかせ、彼は問い続ける。


「お前らは俺の兵士になった。俺に忠誠を誓った。そうだよな。違うか?」

「…………」

「ゴロツキだった頃の自分を捨てて、いっぱしの兵士になった。違うか?」

「…………」

「魔術が不得意だ? 学がねぇ? それがなんだ。民草を守るために命賭けた。十倍の敵を一週間も押し止めた。立派じゃねえか。違うか?」

「…………」

「イメルダの精鋭に一泡吹かせてやった。あの激しい戦いで生き残った。胸張って、郡都ここで堂々とどきを上げたときの誇り。あれはどこへやった?」

「…………」

「コイツなんかに挑発されて、ゴロツキに戻っちまう。それで吹き飛んじまうくらいおめーらの『誇り』は軽いのかって聞いてんだよッ!!!」


 怒気どき慟哭どうこくが混じった叫び。

 傍らのヘレナもはらはらと涙を流す以外、何もできない。


「そんなに軽い『誇り』で騎士名乗れるとか思うんじゃねえ。俺が今まで教えてきたこと、なんもわかっちゃいねえ。規律を守れない兵隊は、兵隊といえん。ゴロツキと変わらん。いや、それ以下といってもいい」


 規律違反は厳罰を以って処する。

 何を言われるのか――おそれ、生気を喪ったつわものたち。

 その一人ひとりの目をえぐるように、鋭利な眼差しを向け、彼は打って変わり声を殺して問うた。


「命令違反にくわえ、人質の殺害。この落とし前、どうつけるつもりだ?」


 誰ひとり、答えることはなかった。


「何も言わんか。じゃあさ――おめーらのいのち、コイツにくれてやれよ」


 誰も思いもよらぬことを口にする。

 さげすんだ目をした彼に、ヘレナでさえぎょっとした。


「コイツにくれてやれよ。おめーらの軽い『誇り』でできてるいのち束ねてさ。生き返らせてやってくれよ。なあ?」

「「「…………ッ!?」」」

「かち割った頭も、貫いた心臓も、引き裂いた肌も、ぜんぶきれいに元に戻してさ。生き返らせてやってくれよ。なあ?」


 いまだ目を見開いたまま絶命した、血まみれの貴人を抱き起こす。

 魂の抜け落ちた、人の形をしたただの抜け殻にすがりつくように。


「コイツ人質にできたらさ。イメルダと何か交渉できたんだよ。もうこれ以上、誰も死なせずにすんだかもしれねえんだよ!」


 だが、彼自身が一番わかっているのだ。

 わかっていても目を背けたかったのだ。


「おめーら何百人が死のうがな。コイツひとりの存在は、イメルダにとっちゃずっと価値があった! 交渉材料になった! だから俺は、『絶対に殺すな』って言ったんだよッ!!!」


 取り返しのつかないモノで、世界はあふれているのだと。


 その苦い現実の後味が彼のみならず、その場に居合わせた誰も彼もさいなんでいく。

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