第16話 ファイアバード(2)
「これで三度めになりますか。デュカキス殿」
「こうしてお会いするのは何の因縁でしょうね。ウァルスさん」
単身で敵陣に乗り込んだユーティミアを、ひと癖もふた癖もある交渉人が出迎えた。
つい先日まで酷い殺し合いをしていた相手に人間らしい対応を取り、自らを送り届けた馬車に一切の手を付けずに送り返したあたり、交渉の目はまだあるという算段がついた。
「我が主カロルス・アントニウス卿に代わって、カルディツァ市を平和裏に明け渡す旨、申し入れに伺いました」
「――ほう。それで?」
厳しい眼差しが突き刺さる。
大蔵府での予算折衝でも、ここまでの殺意すら宿る目で見られた覚えはない。
喉元に冷たい
何か余計なことを言えば、速やかに首と身体が分かれる確信。
「そのような申し入れ。幾度となく殺し合った我々が受け入れるとでも?」
「ですから、計算屋である私が伺いました。私、軍事のことは皆目わかりませんので」
「敵ながらあれだけ必死に戦った領主が、なぜこうも易々とカルディツァを明け渡す? 信じられるわけがない。罠があると考えるのが自然ではないでしょうか」
「当事者として申し上げます。疎開を希望する市民が逃げるために必要な時間を私が弾き出し、アントニウス卿に無理を言って時間稼ぎしてもらいました」
これは本当の話だ。
疎開を完了させるために一週間の猶予が必要――ユーティミアの見積もりに対して彼が六日間の足止めを果たしている。
「つまり、あの戦いの裏には貴殿の関与もあったということですか」
「作戦のことは何ひとつわからないので、直接的ではありませんが。民草の逃げ道の確保。必要な食料や被服の埋め合わせ。それらすべてに要する期間の見積もり。これら裏の仕事、ぜんぶ私が担いました。その他は、時間の引き延ばしをアントニウス卿に要求したくらいです」
目に隈のできた若い官僚に、さすがの老婦人も気の毒そうに呟いた。
「そのような
「ええ、全面的に同意します。まったく人使いの荒い御仁ですよ」
しかし、老婦人はすぐに表情を殺した。
気を許してはいないということだろう。
「何か企んでいるのではありませんか。カルディツァから大量の避難民が出ている。こう聞き及びますが」
「さあ、どうでしょう。パラマス湊で
テッサリア軍がパラマス湊の戦いで民間人数十人を殺害したこと。
それをユーティミアが暗に匂わせても、顔色ひとつ変えやしない。
なかなか食えない相手である。
「ウァルスさんがおっしゃることは理解します。交渉できる段階などとうに過ぎているとわかってもいます」
「では、なぜ貴殿が今ここにいらっしゃる?」
「私が
はじめて老婦人の目がピクリと動いた。
「――
「……?」
「まさか、わが国号を口になさるとは思わなんだ。その態度は、わが国号を認めぬ王国の立場から逸脱しているのでは?」
「……ああ、そういう意味ですか」
ルナティア王国は『大テッサリア』の独立を認めていない。
名目上、ルナティアの版図にある領邦のひとつに過ぎないからだ。
王国官僚であるユーティミアが、王国が認めた正式な呼称ではなく、テッサリアの自称にすぎない『大テッサリア』の名を口にした。それがこの老婦人には意外に捉えられたようにみえる。
ユーティミアは確信した。ここが足掛かりだと。
「律法をはじめとした法体系が王国にはあります。それは本来、民草の暮らしのためにあるべきもの。それを守ることが国家の秩序を守り、ひいては民草の暮らしの安定につながる。そう信じてきました」
サロニカという、王都から見れば無法地帯に等しい商都の生まれ。
その後ろめたさもあって、ユーティミアは
「でも、現実は方程式のように美しく解けない。いろんな条件が絡み合って、難しくできている。公には許されないことも、現実にまかり通っている。そうして世の中が回っているんだと、直轄領を出て思い知らされています」
「お尋ねしたい。貴殿は『大テッサリア』を国家とみるか?」
ユーティミアはあえて頷かない。
素直に相手が望む回答をしても、逆に相手に疑いを持たれかねない。
「正当性の問題は脇に置いて。法体系をもち、徴税機構をもち、統率された強制力をもつ統治機構。それを『国家』と定義するなら、ウァルスさんの信ずる『大テッサリア』も事実上、存在していると言うほかないと思います。個人の見解ですが」
官僚ならではの回りくどい言い回し。
しかし、この老婦人には腑に落ちたらしい。
「ずいぶん柔軟なお考えで。王国の官僚はもっと頭が固いと思いました」
「頭をやわらかくしないと、アントニウス卿のもとではやってけないんです。あの方が現場で閃く発想は、私たち官僚の常識とだいぶかけ離れてるので」
大げさに肩をすくめてみせる。半分演技で、半分本気が入っていた。
「私たちは国家に奉仕する公僕です。国家の意思には逆らえません。しかし、国家の衝突により民草が血を流すことは、陛下もお望みではないと理解しています。実際、陛下は民草の疎開のため、橇や羊毛の手配をお命じになりました」
「疎開が済んだので、郡都を明け渡したい。と?」
ようやくユーティミアは頷く。
「いくら城壁があるとはいえ、無政府状態では賊がはびこります。全市民が疎開したわけではありませんので、彼女たちの生命、財産の保証を願えるならば。もちろん、水源池や穀物庫などに問題がないか。その確認に私も立ち会います」
「人質を申し出るとは、文官にしては殊勝な心掛けだこと」
「郡都に残った民草の生命に比べれば、私ひとり安い抵当ですから」
数千の軍勢の移動には早くても一日半を要する。
そのため、先遣隊が郡都カルディツァに先行し、安全確保を行う。
そこにファビア・ウァルスとユーティミアが立ち会うと決まった。
質屋に自分の命を預けたユーティミアの交渉は、ここに妥結した。
***
交渉を終えて、人質となったユーティミア。
先遣隊一個大隊とファビア・ウァルスが出発するまで、一時間ほど待たされた。
彼女のために敵方が用意した馬車が敵陣を発つ。周りはすべて武装した敵兵だ。
ひとりの時間を与えられて、ぐったりとうなだれた。
(ホントに。生きた心地がしなかったわね)
どうしてこんな役目を引き受けたのだろう。
自分は王国の官僚だ。地方領主の手先ではないのに。
(やっぱり、私は――サロニカの人間なんだなあ)
自由都市サロニカ。
王都をも上回る経済規模を誇る、半独立の都市国家。
カネ儲けにしのぎを削る、商人と異邦人たちの
そこで生まれ育った出自を伏せて、王国官僚たらんと生真面目に生きてきた。
しかし、信用を得ること。仁義を大切にすること。受けた恩義に報いること。
そして、現実を冷徹に見極めること。他人を欺いても実利を取っていくこと。
これを叩きこまれた自分をおいて他に、このカルディツァには人材がいない。
(あの御仁には借りを作っちゃったし。利子つけて返済しないとね)
この三日待ち続けた彼女の鳩は、まだ返書を預かっていない。
夜中に泣きながら書いた手紙が、母ヴァレンティーナの手に渡ったかわからない。
(油の買い付けは明日。今日中にママに読んでもらえなかったら、きっと間に合わないわね……)
あの手紙には、母と一族、そして商会の運命がかかっている。
どうか届いてほしい――それが気がかりだった。ユーティミア自身の命がどうなるかまで気が回らないでいる。
カルディツァに着いても、焦る気持ちが落ち着かない。脂汗が止まらない。敵方のファビア・ウァルスにさえ、気を遣われる始末だった。
「いかがされたか? 顔色が優れないようですが」
「ただの過労と睡眠不足です。お気遣いありがとうございます」
テッサリア軍の先遣隊とともに、カルディツァ市域に入り、水源池や
毒は入っていないか。変な術式が仕込まれていないか。
注意深くテッサリア軍の兵士たちが確認する。ご苦労なことだ。
(そんなところに何も細工していないわよ)
街に残る住民が出る時点で、井戸に毒は撒けない。穀物庫を焼き払うという手段も使えなくなった。
可能な限り、食糧を持ち出すようにした。だが、民草の生命と財産の保護が最優先だったため、穀物庫を空にするほどの輸送はできなかった。
逃げるだけで精一杯――調査を進めていくにつれて、それらの実態が知れ渡ったのだろう。郡都カルディツァの安全をひと通り確認したファビア・ウァルスは、本陣に向けて早馬を飛ばした。
翌日の正午。
テッサリア軍本隊がカルディツァに入城を果たした。
「イレーネ殿下、カルディツァ入城!」
迎える先遣隊によって、角笛が吹かれる。
なるほど。
馬上で手を振る「貴人」の姿を、ユーティミアは遠目に見ていた。
「大テッサリア国軍の勇敢なる戦士たちよ! 諸君らの働きにより、臆病な敵は逃げ去った。今日、美食と美酒の街カルディツァはわが手に戻った!」
「「「「ウオオオオオオオ――――ッ!!!」」」」
イレーネ・マルキウスが勝利を宣言する。
呼応してテッサリア兵が一斉に喝采する。
冷ややかに見守っていたユーティミアを唖然とさせる命令が発せられた。
「褒美を与えよう。残った者の財産と生命には決して手をつけてはならぬ。しかし、逃げた臆病者の財産は諸君らのモノだ。好きにするがよい!」
歓喜の叫びが上がる。
目を吊り上げたユーティミアが傍らの老婦人をにらみ、声を張り上げた。
「ウァルスさん! これはどういうことですか!?」
「ん? 何がどうしたというのです」
「約束が違うではありませんか! 市民の財産は保障すると――」
「全市民が疎開したわけでない。彼女たちの生命、財産の保証を願えるならば、開城に応じる。そのお約束でしたね。その通りにイレーネ様はお命じになりました」
「
「勝者が敗者の財産、ひいては生命までも奪取する。これはテッサリアのみならず、戦地の常識ですぞ」
笑わない老婦人の返答。
それを聞いて怒りに肩を震わせる。
しかし、できることはそれだけだ。
「貴殿はさぞ育ちがよいのでしょう。ゆえに戦争を知らなすぎたようだ」
「…………」
「覚えておくがよろしい。戦争に負けるとはこういうことだ。生殺与奪は我々が握っている。残った者たちの財産保証とは、気まぐれの温情にすぎないと」
イレーネの宣言を聞いて、驚いたのだろう。
市街地に残った一握りの商人たちが、家屋から飛び出してきた。
「イレーネ様! よくぞお越しになりました!」
「お約束通り、我々の財産は保証してくださるのですよね!?」
「ええ。それはもちろん。我々に協力する者をすげなくするわけがないでしょう」
そのやり取りをみて、ユーティミアは動かぬ確信を得た。
(やっとわかった。内通者がいたんだわ)
開戦の詔勅から『大テッサリア』独立宣言にいたるまで。
あまりにも短時間に「独立宣言」が領内にばらまかれた。
出来過ぎた展開にずっと違和感を感じていた。
そして、かたくなに疎開を拒否しつづけた者たちの存在。
疑問が氷解し、自分たちがはめられたのだと知った。
(――そうね。街に残る者がいれば、穀物庫は燃やせない。アントニウス卿が穀物庫を燃やす覚悟だったとは、内通者を通じて筒抜けだった。だからこそ、内通者が街に留まることで、穀物庫を焼き払うのを諦めさせたんだわ)
カルディツァの皆を手玉に取った気でいる、テッサリアの者たち。そして、裏切り者たちへの憎しみは不可思議なほど無い。とうに過ぎた感情だった。
ずっと胸に秘めていた罪悪感が、ほんの少し、薄らいだ。
そして――。
(――あっ)
書簡を託されて、空に向かって放たれたと
(届いたんだ……ママに、手紙が……)
涙が止まらない。鼻水をすすらずにはいられない。
いろんなことがありすぎて、気持ちがぐちゃぐちゃになっていた。
ここで死ぬわけにいかない。少なくとも、皆のいる場所に戻って返書を受けとるまでは。
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