第14話 官僚の矜持と苦節(2)

 シャルルが郡都カルディツァに「凱旋」した、翌日の早朝。

 キエリオン郡方面の雪洞構築に向かった、王国軍一個中隊もまた、カルディツァに帰還した。

 これで、カルディツァには王国軍三個中隊、無傷の私兵一個中隊、大崖線で大きく数を減らした私兵の生存者およそ一二〇名が集まった。

 王国軍三六〇、私兵二四〇。

 これが、シャルルが動かせる現有戦力のほぼすべてだ。

 これとは別に、兵站へいたんの要としてユーティミアに運用させている輜重隊しちょうたいが存在するが、戦力には数えられていない。


「服やら飯やらを運ぶ連中が、矢面に立たされるようになったら終わりだ。マトモな戦争じゃなくなって、俺たちは負ける」


 安全な補給線の確保が、最前線の兵隊の士気や生死にさえかかわる。理屈でない。身にしみていた実感だ。

 アグネアと話しあい、輜重隊しちょうたいを編制したのは、そのためだ。

 厳しい規律は他の私兵たちと同様。輸送する品に貴重品を取り扱うこともあって、積み荷をかすめ取る規律違反は厳罰を以って処す。

 その一方で、身体能力が問われる軍事訓練の一部が免除され、代わりに貨物輸送の任務が課されている。厳しい軍事訓練や、冬の海での牡蠣養殖に音を上げた者の多くが、輜重隊しちょうたいとして専従していた。

 私兵たちの中には、彼女たちを軽くみて、バカにする者さえいた。それを耳にするたび、シャルルはこう言って、彼女たちの役割を端的に説いた。


「おい。お前らが喰ってる缶詰を誰が作って運んでると思ってんだ?」

「敵のひとりやふたり殺したくらいで手柄とったつもりか? てめーら、調子に乗ってるんじゃねぇぞ」

「鉄火場なんだ。アイツらが少し仕事をサボりゃ、お前らみてぇな雌豚どもを餓えさせるなんざ造作もねえ。生殺与奪を握られてンのは自分らだってことを忘れんな!」


 昨日までの戦いは辛勝だ。勝利の酒に喜ぶのは構わない。だが、目覚めてもまま浮ついた気分のままの兵には厳しい言葉を告げる。

 ときに汚い言葉も使い言い聞かせてきたが、この日は特に厳しい言葉を意図して使って尻を叩いた。

 平時の軍隊はカネ喰うだけの存在だが、輜重隊しちょうたいは民草の運び屋として運賃収入を稼いでいた。財政的に余裕がないなか、常備軍を維持するだけのカネは、彼女たちが生み出している。

 彼女たちは平時から輸送任務を帯び、領内の経済活動の原動力となっていた。西ではアルデギアの海産物や海塩、東ではメネライダの羊から作られた乳製品や羊毛、オリーブなどが生産されている。これらを互いに交換する仕組みとして、計画的な輸送を行う輜重隊しちょうたいの存在は極めて大きい。

 世話になっている民草にとっても、今や馴染みの存在となりつつある。市民の速やかな疎開でも、輜重隊しちょうたいは荷物はもちろん、足腰の悪い年寄りや妊婦たちを送り届けるのに一役買っていた。

 これらの取り組みは、シャルルだけでは実を結ばなかっただろう。王国官僚であるユーティミアによって運用されてきたことが大きい。


 ***


 さて。キエリオン郡司、フリッカ・リンナエウス。

 財務のユーティミアと双璧をなす、農務のフリッカといえば。事実上のキエリオン領主――なのだが。


(なーんであたし、こんなことばっかやらされてるんだろ)


 キエリオン郡の一帯から、土を集めて、郡都キエリオンに集約した。

 今度は、それをカルディツァに向けて、運び込んでいる最中さなかである。


 古民家の床下の土をかき集めろ――。

 特にかわやのまわりの土を集めとけ――。


 彼はいつもそうだ。そう考えた理由を言わず、こうしろとだけ言う。

 キエリオン郡の集落には、水洗式の便所がないところが少なくない。水道の整備が行き届いた街道筋から離れているからだ。

 よって、定期的にかわやから汚物をくみ取らねばならない。

 手間はかかるし、上下水道が完備した王都がはるかに清潔に思われるくらい、不衛生である。

 だが、そのほうが「都合がよい」――そう、彼は言った。あえて不衛生な環境から土を集めさせ、それを決して雨ざらしにしないように。そうしてくれれば買い取ってもいい、と口添えてもいる。


(だけど、閣下が「買い取る」とまで言ったんだし……これには何か意味があるはず)


 意味があるなら、ちゃんと説明してほしいのに――。

 悪態のひとつやふたつ、ついたところでバチは当たるまい。

 協力してくれる村人たちの手前、領主の悪口は決して言えないが――。

 ユーティミアと生きて再会できたら、また酒場で愚痴り合おうと思う。


 集めた土に覆いをかぶせ、どっさりと積み込んだ犬橇いぬぞりが十数台ほど。

 それらがカルディツァへ滑り込んだのは、日も暮れた宵の口のこと。

 ちょうど、ユーティミアが晩餐ばんさんで愚痴をこぼしていた頃の話である。


 ***


「ひーどーいー! あたしがクソまみれな土運んでる最中に、みんな美味しいごはん食べてたなんて!!!」

「わかったわかった! ぽかぽか叩くなッ!! あったかいメシ用意させるから」


 村人たちの前で、うっかり堪忍袋かんにんぶくろが切れてしまった。


「フリッカも、みんなも。寒いなかホントにありがとうな!」


 竜殺しの領主様が犬橇いぬぞりで来訪した皆、一人ひとりの手を直接手に取って、謝意を表して回っていた。


「メシができるまで時間がかかる。風呂でも入って、カラダを温めてくるといい」

「とんでもねぇ! 領主様の御屋敷のお風呂にゃ、みんなとても入りきれません」

「公衆浴場のほうが気楽でええしの」

「じゃ、ワシらはひとっぷろあびてきますんで! お代官様はどうぞこちらで」


 村人たちが気を遣ったのか。フリッカひとりが屋敷に残った。

 服が屎尿臭しにょうくさい。脱衣所で服を脱いだ。

 浴槽から湯をすくい、身体にかける。

 冷え切った身体でいきなり風呂に入るのは、身体によくないから。

 そうやって身体を温めていると、脱衣所のほうに人の気配がした。


「フリッカ。かわりの服、ここ置いておくわね」


 親友の声だった。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「……さっきはごめんね。ユーティミア」

「え。何が?」

「あたしがこんなキッツイ思いしてるのに、みんなでご飯食べてて、ひどいって。八つ当たりしちゃったから」

「ああ。そんなこと? べつに気にしてないわよ」


 心なしか、声に張りがある。

 カラ元気じゃない。そんな気がした。


「道中寒かったでしょ? ゆっくりしていってね」


 優しさが身にしみる。

 親友の足音が離れてゆく。

 浴槽につかって、天を仰いで、はぁとため息をつく。


(やっちゃったなぁ……あたし、大人おとなげなかったよね、やっぱり)


 膝を抱きしめて、小さくなって。

 鎌首をもたげるのは、自己嫌悪。


(ユーティミアは、あんなにしっかりしてるのに……あたしは)


 誰かに寄りかかりたい気分だった。

 こればかりは、どうしようもない。


(カラダあっためて、美味しいモノ食べたら、少しくらいは元気出るよね……たぶん)


 浴槽で思いきり身体を伸ばし、寒さで縮こまった筋肉をゆるめる。

 血のめぐりがよくなって、疲れが和らいだ頃合いに、風呂から上がった。

 その後、フリッカと村人たちに、家政婦長ヘレナ・トラキアとクロエ・トラキアが作った料理が振舞われた。

 皆で舌鼓を打ったあと。ある村人が訊ねた。


「しかしまぁ、なんでまた領主様は、あんなばっちいモンをワシらに集めさせたんです?」

塩硝えんしょうをとるためだ」

「えん、しょお?」

「うーん、そうだなあ。あるものと一緒に混ぜることで、よく燃えるようになる粉がとれるんだわ」

「へぇ! そんな大層なモンがとれるんで!? 家の軒下とか、かわやの土から?」


 それを聞いた、別の村人がこんな話をしてくれた。


「そうじゃ。ガキの頃だったけぇの。古い家の縁の下ぁもぐって、ほこりをかぶった白い結晶さあつめてな。これを炭火にくべるんじゃ! するとな、パッバッと美しい火花を出すんじゃよ。ありゃキレイじゃった」

「……その話、面白そうだ。ばあさん、もっと聞かせてくれないか?」

「え!? ワシらがガキんちょのときの話ですよ」

「いいからいいから」


 皺をきざんだ年寄りたちの話に、領主が合の手を入れる。

 婆と孫くらいの年齢差だ。愉快に語る年寄りに、若い領主が相槌を打つ。

 くだけた言葉も交えながら、年寄りに口を開かせてゆく。

 それが伝播して、色とりどりの話題が咲き乱れていった。


(なんというか。おばあちゃんたちの話を聴くのが上手いのよねぇ。閣下は)


 最初、フリッカがキエリオン郡に赴任したころも。

 村人たちと打ち解けるのに、苦労したモノだった。

 農業に対する知識があったこと。貴族は土いじりを好まないという農民の先入観がフリッカに限っては当てはまらなかったこと。それが知れ渡って、ようやく壁がなくなった。そんな自覚がある。


「ねーちゃんらに教えてもらった、ガキのいたずらじゃよ。死んだおふくろに、よせよせ。小便塩しょうべんじおだからばっちいってぐあいに。よーけ叱られたもんじゃ!」

「あったあった! ハハハハッ、懐かしいのぉ!」

「それさそれ! 塩硝えんしょうってのは、その小便からできた塩のことだよ」

「まさか。なんかいたずらでもやらかそうって魂胆かい? 竜殺しの領主様が!?」

「ははは。ちょっとばかり、派手にやるけどな」


 くだらない。

 そんなことのために、自分たちに土を集めさせたのか。

 一瞬のいらだち。すると、間髪をおかず――


「――それで明日。フリッカに手伝ってもらいたいんだが」


 ふってきた無茶振り。

 頬がピクリと動いた。


「――なんで、あたしが!? 子供のお遊びのお手伝いなんか」

「このなかでお前が一番適任――そんな気がするから」


 そんな気がするから。

 ずいぶん雑な理由を、据わった眼差しで言われた。

 彼はいつもそうだ。

 そして、なぜかそれが意味のある何かに結びつく。

 じつにたちが悪い。


「まあ、わかりましたよ。美味しいごはん、いただきましたからねッ」


 ***


 翌日。

 約束通り、土を買い取ってもらった村人たち。ホクホク顔して、キエリオン郡への疎開を希望する民草を犬橇いぬぞりに乗せて帰っていった。

 ユーティミアが渋い顔して、彼に言った。


灰汁あく硫黄いおうをこんなに買いつけた理由がわからないんですけど」


 ユーティミアからすれば、全くもって理解が出来ない様子。

 どこにでもあるこんなもの、一体何に使うのやら――。

 

「買いつけたっていっても大した額じゃないだろ。子供の駄賃みたいな値段なんだから……」

「アントニウス卿、今は戦時下なんですよ。こんなゴミ山積みにして何を始めるっていうんですか」

「まぁまぁ、そう目くじら立てるなよ。逃げた商人も路銀ろぎんの足しになって助かっただろ?」

「――で? 閣下はこれを使って、あたしに何をやらせたいんですか?」


 彼、曰く。

 塩硝えんしょうとやらは土に含まれるが、水に溶けやすい。

 土を麻袋に入れて、上から水をかぶせ、水で濾過ろかする。

 その水を集め、灰汁あくを加え、煮詰めてから冷ますと、溶けた塩硝えんしょう析出せきしゅつするらしい。


「で。塩硝えんしょうとやらが取れたとしましょう。それと硫黄があればいいんですか?」

「いや。もうひとつ、必要な材料がある。木炭きずみだ」


 ユーティミアの目がピクリと動く。


「き、木の炭って!? なんなんです、それ」

「木材を窯で高熱にして作る炭のことだが? 知らんのか」

「そ、それ……石炭ではダメなんですか?」

「これが石炭じゃ上手くいかないんだ。どうも余計なモノが混ざってるらしい」

「木材でさえ貴重なのに!? 木を炭にするなんて贅沢にもほどがありますよ、もおぉぉっ!」


 頭を抱える親友の姿が滑稽こっけいなほど、哀れだった。

 笑っちゃいけない。そう思いつつ、笑いがこみあげる。


(なーんだ。ユーティミアもあたしとおんなじじゃない)


 自分だけじゃないんだ。

 勝手に悩んで、つっかえてた何か。

 のどに刺さった魚の骨が、いつの間にか抜けた気分だ。


「あーもう。とりあえず木の炭はナシで。代わりがないか検討しましょう」


 頭を抱えながらも、ユーティミアは前を向いていた。


「不純物があるから石炭ではダメ。つまり、ただ燃やせればよいのではなく。物質の組成がなんらかの条件を満たさなければならない――と」

「それって、構成元素こうせいげんそに意味がある。ってことかな?」


 フリッカが合の手を入れると、ユーティミアは小さく頷いた。


「そうね。おそらく、必要なのは――炭素たんそ

「……お、おめーらがなにいってるのか。わかんねーんだけど……」

「アントニウス卿がおっしゃる木の炭とは、木材を高温で炭にしたモノでしたね?」

「あ、ああ。そうだが。この国にはないのか?」


 ユーティミアが頷く。


「おっしゃる製法から察するに……その木の炭というのは、不純物が取り除かれた純度の高い炭素たんそと言い換えられます。それならもっと安上がりで手に入る物があります」

「なにで代用するんだよ。ユーティミア」

「ダイアモンドですよ、アントニウス卿」


 あきらかに彼の顔が青くなった。

 しれっと木炭がいると口にしたかと思えば、ダイアモンドふぜいで血色を失う。

 モノの価値に対する彼の基準が、時々わからなくなる。


(やっぱり、異国の人なんだなあ)

「あれ。私、何か変なこといいましたか?」

「……たしかに。鉛筆とダイアモンドは同じモンで出来てるって、前にカリスが言ってたのは覚えてるが……」

「おっしゃる通り。アントニウス卿がいう石炭じゃない――かりに『木炭もくたん』といいましょうか。それはおそらくダイアモンドと同じ極めて高純度の炭素であるはずです。それで代わりがきくというわけです」

「そのダイアモンドは、どうやって確保する?」

「枯れ枝……をこの時期に探すのは無理ですね。軍隊の皆さんが持ち帰ってきた、木のがらくたがあるじゃないですか。あの一部を利用させてもらいます。魔術でダイアモンドを作るんです」


 直轄領――なかでも王都の近くでは、クワなどの低木ていぼくしか生えていない。

 したがって、木材は非常に貴重である。特に建材などになる十分な太さの木や材木は希少過ぎる。

 ――それこそテッサリア軍の放棄した攻城兵器などから、兵隊さんが木材を回収して持ち帰るほどに。

 再利用が難しいくらい壊れたモノも少なくないが、金剛石ダイアモンドの原料にはそれで十分だ。

 さすが、ユーティミア。

 あの子がいなければ、戦争どころか、領地経営だって成り立っていないはず。


(そんな、感心ばかりしてちゃあ。ここにいる意味がないよね!)


 話がまとまったのを見計らい、フリッカが切り出した。


「これで材料がそろうとして。閣下は何を作りたいんですか?」

黒色火薬こくしょくかやくという粉薬こなぐすりさ」

「――こなぐすり、ですか?」

「ああ。火をつけると、白煙とともに激しく燃える性質がある」

「魔術でいくらでもできると思いますけど。そんなのでしたら」

「魔術を使わないところに意味があるのさ」


 何を言っているのかわからない。


「おととい、激しい戦闘があった。一日で八〇人ちかくが死んだ」

「…………」


 八〇人。

 寒いアルデギアの海で、慣れない牡蠣カキの養殖をやらされた記憶がよみがえる。

 あのつらかった日々、ともに愚痴ってた兵隊さんたちが全部で五百人だった。


(ああ。いのちって、なんて軽いんだろう)


 あのうちの六人に一人が、たった一日で死んだ、と聞かされた。

 名前の知らない、だけど顔を見れば思い出す人もいるのだろう。

 イヤな気分にならないわけがない。そんなフリッカを尻目に――


「全体の被害の六割近くがその一日に集中している。敵の数が十倍に増えた、という事情を割り引いても突出していた。王国軍やうちの兵隊たちに、その日感じた異変が何かなかったか尋ねてみた。それでわかったのが――アレだ」


 竜殺しが指差したのが、雑多に積み上げられた、ガラクタの山。

 そのなかで一番際立っていたのは、攻城兵器の残骸らしきもの。


「魔術によらない投石器の攻撃さ。魔術と違って、飛んでくる兆候が掴めないから、ずいぶんやりにくかったらしい。それを聞いて、魔術を使わない奇襲に火薬が使えるんじゃないかと考えた」

「閣下は、その『かやく』とやらの作り方はわかってるんですよね?」


 彼が頷いて、こう口にする。


「俺たちの国では、塩硝えんしょうを七割五分、木炭きずみを一割五分、硫黄いおうを一割。これらをできる限り細かい粉末にして混ぜ合わせて作っていた」

「粉末ということは……うーん。より小さいダイアモンドのほうがよい?」

「ま、そうなるな。なんか不都合でも?」

「ダイアモンドは非常に硬いので、叩いて砕くのが骨折りです。よって、それこそ砂粒みたいな、小さなダイアモンドを作る必要があります」

「……それって、難しいのか?」

「いいえ。小さいダイアモンド自体なら、誰でも作れます」

「誰でも? フリッカはああいうが、そうなのか。ユーティミア」


 無言でうなずく親友は、ひとつの問いを例に出した。


「ここで算術の問題です。アントニウス卿。一足す二は、いくつ?」

「――三。だよな」

「正解。錬成術式の一つひとつは、これよりも簡単。いえ、簡単すぎてむしろ退屈なくらいです」

「でも、フリッカの反応をみると、簡単じゃなさそうにみえるんだが?」


 砂粒のようなダイアモンドひとつ。それ自体は簡単だ。

 では、はま真砂まさごほど、無数のダイアモンドを作るには?


「今みたいな簡単極まりない算術を少なくとも何万回、何十万回はやる必要がありまして。そうやって作った砂粒を粉末にするならば、さらに金槌かなにかで砕いて潰す必要があるかと」


 竜殺しの領主様の渋柿を食ったような顔。

 単純労働の積み重ねが山になる。


「それさ。控えめにいって……地獄じゃね?」

「はい。誰にやらせるんですか? 閣下」

「私、嫌ですからねッ! 一体全体何日かかると思ってるんですか」


 しばし考える、竜殺し。

 そして、酔いつぶれていた兵隊さんを片っ端から叩き起こして回った。


「昨日はよーく眠れたよな。戦争ばっかりで疲れただろうし、今日は酔い覚ましにラクな仕事をやろう」


 魔術が苦手らしい人間、ざっくりと二◯〇人超の集団。

 彼女たちがいきなり集められ――。


「ダイアモンドを作れ。砂粒みたいなやつでいい。ともかくたくさん作れ」


 こう言われたら、誰だって顔を見合わせる。


「立派な宝石を作る必要はこれっぽちもない。さいごは叩いて粉にしちまうから、なんなら指先よりも小さくて構わん」


 彼が材料を指示する。案の定、兵隊さんたちはうろたえている。


「この廃材から、木材だけを取り出して、ダイアモンド作るって……」

「立派な木使ってると思って、持ってきたのに……もったいねぇ……」


 末端の兵士がそう思うくらいだ。

 そう思ってないのは、竜殺しの英雄で資格者の、あの御仁だけだ。


「領主様さ。竜に喰われてから、頭おかしくなっちまったんじゃ……」

「あの人がおかしいのは、今に始まったことじゃないよ……」

「そりゃそうだけどさ……あたしゃ、本格的に心配だよ……」

(あははは! おっかしいなァ。配下のしたにすら心配されてるし)


 それでも、言われるがまま、釘や針金、鉄屑といった邪魔なモノを取り除いていく。

 何かに流用できそうな廃材が、ナタで叩き割われて、雑多に並んでいく。

 それを原料に、モノはためし、と兵隊さんたちは苦もなくダイアモンドを作った。

 魔術が苦手と言ってもこれくらいは子供だってやれる。出来ないほうがおかしい。

 だが、形も大きさもまちまち。同じものはどれひとつない、輝きも微妙、まるで統一感のない石ころだ。

 それを丈夫な麻袋に入れ、金床におくと、竜殺しが金槌で叩きまくった。

 誰もがぎょっとした表情。その様子を傍からみているのがおもしろい。

 麻袋の中では、いびつだったダイアモンドが割れて砕けて、キラキラと光る砂粒になっていた。

 袋から取り出したそれを手のひらにすくい、領主が皆に見せる。


「まずは、こんな感じにしたい。ともかく数が欲しい。力自慢のヤツは、ひったすら細かく砕いてくれ。それ以外のみんなは、とにかくダイアモンドを作ってほしい」


 できるだけ小さく、いびつな形で作ってくれ!

 普通なら逆だろう。大きく、整った形であればあるほど魔術の触媒になる。

 それでもなんとか兵隊さんが、幼い頃にしつけられた基礎の基礎を繰り返す。

 不得手ふえてな人間が作るからこそ、型崩れした石ができやすいのかもしれない。

 魔術を使う係。石を叩いて砕く係。すり鉢で粉にする係。そして――休憩。

 これらを代わる代わる回して、なんとかやっている風にうかがえた。


「さてと。とりあえず土をした水を集めて、鍋で煮詰めてみましたよ」


 フリッカは塩硝えんしょうを取り出す作業を進めていた。

 茹だった一部を容器ですくい、冷ましてから手ですくう。


「――マテリアル・アナライズ」


 おぼろげだった「塩硝えんしょう」とは何か。

 一瞬で理解した。


「……やっとわかった! これ、硝石しょうせきなんだ」


 ルナティアにおいて、硝石しょうせきもまた希少資源。

 窒素ちっそを含むため、肥料として、とても有益な物質だ。

 それを欠いているからこそ、畑の土が痩せているともいえる。

 小便からできる塩が、直轄領で産出されない理由もわかった。


「小便を水で流してしまうから、硝石ができないのね……」


 硝石とわかれば、どうやって取り出せばよいか、明らかになる。

 硝石の溶けだした水を茹でては濃縮し、より濃度の高い溶液をつくる。

 それを冷ましつつ、不純物が沈殿するのを待ってから、上澄うわずみを取る。


(硝石は水に溶けやすく、湯にはもっと溶けやすい。湯を煮詰めて、濃度を濃くしてから冷やせば……水に溶けきれなくなった結晶が析出せきしゅつするはず)


 フリッカの予想した通り。

 針の形に似た、特徴ある無色の結晶が顕れてきた。


「できた! できましたよ! 閣下ッ」

「おお! やればできるじゃねえか、フリッカ」


 最初に析出した硝石の結晶。

 カルディツァの商人から格安で買いつけた硫黄。

 そして、兵隊さんたちが生成し、砕いたダイアモンド。

 それらをある程度砕いて、七五対一〇対一五の比率で混ぜ合わせ、さらに木の棒で丁寧にすりつぶしていく。彼が指示したとおりの手順で、粉末状にしてみたが――。


「あれ……黒くねえな」

「黒くないですね」


 彼は『黒色』火薬と言っていた。だが、目の前にあるのはなんだ。

 フリッカがすり鉢で作ったモノは黒いどころか……美しいと思うほど、黄色くきらめいてすらいる。


「……こりゃ、失敗かもしれん」

「そんなぁ!? マジですかッ。これだけみんなで苦労して作ったのにッ」


 こめかみに手をやる領主がブツブツとつぶやく。


「いや、色はダメでも……案外いけるかもしれん」

「ダメなのか、そうじゃないのか、どっちなんです!?」

「わかんねーよ!」

「それはこっちが言いたいセリフですよ!」


 そんなしかめっ面をするフリッカをなだめようとしてか。

 竜殺しが身振り手振りして、取りつくろうと必死だった。


「ほら、肉だってさ。表面が黒く焦げてても、中身が無事ってことはあるだろ?」

「あの……閣下。もしかして……鶏の肉を生で食べたりしたことあります?」

「ねーよ。死ぬだろうがッ」

「ですよねえ! だったら、色が違うってだいぶダメなんじゃないですかね!?」

「まだわからんだろ? とりあえず、ちょろっとだけ火つけて、試してみるべ」


 すり鉢の中の粉末を一つまみし、押し固めて、風で飛ばされないようにボロ布で包む。

 そのまま彼はフリッカを伴って家屋の外に出向き、周囲に人通りがいないことを確認し、道のど真ん中で別の布切れの上に置いて、火口ほくちとする。


「うーん。ダメな気がするなぁ……」


 火の魔術を詠唱して、布の端に火をつけた。

 すると、彼がフリッカの腕を取って、いきなり引っ張った。


「え、なにするんですかッ」

「あぶねえから、離れとけ」

「ちょッ! ちょっとッ!」


 彼に引きずられるまま、静かに燃える布の端を目で追った。

 火が徐々に燃え広がり、固めた黄色い粉末が火に包まれる。

 数秒待っても、数十秒経っても、布が燃えるだけ。それもそうだ。ボロになっても絹はよく燃える。

 だが……その中身は燃えなかった。


「やっぱり、ダメでしたか。あーあ、骨折り損のなんとやら、ですね」


 燃え上がる布屑。今までの努力とともに煙となって消えていく。

 そう思った刹那――。

 ドンッッ!!!

 なにかが破裂する音と衝撃波がいきなり拡がり、白煙と異臭が残った。


「……え、なに……今の……」

「……くっくっく。やったぞ。成功だ……ッ!」

「え!? えッ!? なに、なんなんです!? 今の」


 三種類の物質を混ぜて、それが反応することで、別の物質ができる。

 理屈の上では、なんとなくわかっていたが――こんな現象は想像の埒外らちがいだ。


「これが火薬だ……爆発的に燃える、ふしぎな粉薬の再現さ!」

「――――ッ!!!」

「しかし……着火に時間がかかったのはなんでだ? 木炭きずみじゃねぇからか? うーん……だとするとコイツは大砲の発射薬には使えねーな……」

(なに? なんなの、これ!?)


 ただ燃えるのではない。

 あれは「爆轟ばくごう」というべきモノだ。


(信じられない。あんなモノを作らされていたなんて)


 何かとんでもないことをやらされているのではないか――。

 自分の指が吹き飛んでいたら、どうするつもりだったのか――。

 整理できない感情がごちゃ混ぜになって、頭の隅々まで拡がってゆく。

 背筋が脂汗でびしょぬれになっていた。


 ***


 農務官僚フリッカは、この後に起こる出来事をまだ知らない。

 しかし、嫌な予感がよぎった。それは間違いない――と後年語っている。

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