第11話 竜殺し、ふたたび(1)

 穂先を並べた槍兵の隊列を、単騎で駆け抜ける戦士がいた。

 百ヤード約九〇メートル先、クロスボウを構えた弓兵と目が合った。

 籠手こてで顔面をかばう。

 放たれる数百本の矢。

 そのどれもが、皆中かいちゅうする。

 そのどれもが、弾き返される。

 つかを握る。はしりだす。罵倒する。


「このウスノロがぁぁぁッ!」


 次の矢をつがえようとしていた、のろまの頭部を粉砕した。

 目を見開いた隣のヤツの首筋を斬り上げた。

 返す剣筋。くるりと回転。背後の敵の肩を削ぎ落とした。

 この間、たった四秒。

 絶望が。恐怖が――波打った。蜘蛛くもの子を散らすがごとく。

 手にしたクロスボウを捨てた、一個小隊が総崩れになる。


「誰でも良い! あれを止めろ!!」


 恐れが飛び火する。他も背を見せ、我先に駆けだす。

 あらがい、絶叫する中隊長をみつけて、兜ごと割った。


「止めれるもんなら、止めてみろッ!!」


 今しがた頭部を潰した中隊長の首筋。

 それを掴み、持ち上げ、放り投げた。


「「「原初げんしょ大鎚おおづち勇者ゆうしゃ大剣たいけん万古ばんこちからたれり――」」」


 どこから、まじないの言葉が風切り音の中に混ざって聞こえてきた。

 しかし、陣を貫く杭となったシャルルは止まらない。


「「「「は風の子、は水の子――くるけ――」」」」


 蹴り破った包囲の兵たちのその向こう。

 この鎧をまとってから、薄っすらと感じられるようになった魔力のきざし。それが揺らめいている一団を的にして、石火が如くはしる。

 面白おもしれぇ――笑みを浮かべながら、彼はまた疾風かぜになる。


「「「「天を切り裂くへびよ。ことごとく、め!」」」」


 術式結実。

 瞬間。青い雷撃が空気を引き裂き、荒れ狂う剣士に殺到した。

 余波により焼け焦げた石畳と一帯を包む砂塵。

 ただ一瞬の静寂。

 視界が晴れ渡った中。仁王立におうだちしていた人影が首をかしげた。


「――バチバチ、チカチカと……やかましいな。今日は収穫祭しゅうかくさいか?」


 敵も、味方も。

 誰もが言葉を失う。

 立ち上る煙を切り破り、肩をならす「竜殺し」がいた。


「――さぁて、俺にもワインくらいおごらせろよ!」


 魔術師たちがほうけている隙に、愛用の剣を手に走った。

 一人、二人とぜ、戦場にワイン樽をひっくり返したような染みがひろがっていく。


「死にたいヤツからかかって来いよ」


 吹き荒れる血風けっぷうの中、わらいながら死を振りまく剣士におびえが伝播する。


「……来ないなら、俺から行ってやるよッ!!」


 魔術というモノが彼にはわからない。

 だが、ひとつ。わかったことがある。

 魔術の行使には、次の矢をつがえるよりも時間がかかる――と。


「チェストォォォォォッ!!!」


 どこで覚えたかわからない絶叫。

 口を突いて出た叫びに、筋肉が引き締まる。

 その腕力で魔術師の頭を軽く吹っ飛ばした。

 ワインよりも鮮やかなしぶきが噴き上がる。


「これだけ立ち回って、ぜんぜん疲れねぇッ。最ッ高にいいな!」


 懐かしい。

 血なまぐさい、鉄火場てっかばの空気。

 彼がずっと生きてきた世界の空気と同じ臭いがする。

 この地に流れ着いて一番、水を得た魚の心地がする。


(そうだ。俺は、戦場ここに還ってきたッ!)


 ともに戦った同胞はらからは、もういない。

 数々の試練と慈愛を与えてくれた父も、もういない。

 たったひとり、見知らぬ「異世界」へ投げ込まれた。

 何もかも喪失した、彼を突き動かすのはただひとつ。


 正義を守るために武器を取れ――。

 危険や死を顧みず内なる勇気を武勇として発露せよ――。


 そう教わった騎士道精神は、彼の生き様そのものだ。


「我が名はシャルル・アントワーヌ。ソフィア第二王女殿下の騎士だッ」


 主君に仕え、領民を守る。

 高貴なるが故の責務を背負い、血を流すこともいとわない。

 騎士たる者の誇りが、血まみれの彼を突き動かしていた。


「殿下と王国の敵は、俺が全部討ってやる! まとめてかかって来いッ」


 その叫びをかき消すほど。

 重く大きな咆哮ほうこうが轟いた。

 思わず、凝視。


「……嘘、だろ?」


 地響きがした。

 数多くの生き物が鳴らす足音でなく、たった一つの何かが鳴らす大地の鳴動。

 猛烈な腐臭と、聞き覚えのない唸り。そして……あまりにも、馬鹿げた巨体。

 一二、三フィート四メートル弱はあるだろう背丈。

 頭一つでシャルルの背格好よりも重く、長い。

 鱗に覆われた文字通りの『怪物』は理外りがいの速度で、一直線にシャルルに向かう。


「聞いてねえよ!!! ドラゴン使うなんてッ」


 真横へ跳んで避けた――つもりだった。

 しなる尾に鞭打たれ、一〇フィート三メートル強ほど吹き飛ばされ、地を這う。

 思わぬ向きの打撃に、受け身もとれず、頭を守るのがやっとだ。


「がッ…………クッソ、なんなんだ。コイツ……」


 血痰けったんが口の中で溢れる。

 ケタが違い過ぎる破壊力。

 少しかするだけでも、弾き飛ばされる。

 起き上がったと同時、凶暴な竜が吶喊とっかんしてきた。


「エールセルジー――って、ダメか」


 もう、ひとりでには、動かない相棒。

 彼ひとりで、この化け物と戦わねばならない。


『師範ッ! いったい何が起きてるんですかッ』

「それどころじゃねぇんだよ!」


 全力で横っ飛びして、しなる鞭を長剣で受けながす。

 それでも、軽く一五フィート四、五メートルは吹っ飛ばされる衝撃。

 なんとか受け身をとって、すぐに立ち上がるも、また突っ込んでくる。


「オクタ! なんか、ドラゴンみたいのが出てきたんだが、見えるよな」

『――見えました! サイフィリオン。陛下を襲っているアレは何かわかる?』

『――データベース検索――――該当一件――分類、恐竜ダイナソア。推定、アロサウルス』

アロ……サウルス奇妙な……トカゲ?」


 石畳を叩き割る疾駆しっく

 シャルルを獲物と見定め、迫りくる無数の顎牙。

 そのすべてを受ける剣が、悲鳴を上げて、火花を散らす。


「あれのどこがトカゲだ、オクタ!」

『わ、わかりませーんッ!!』

『推定、フラギリス繊細種』

「ふざけんな! どこが繊細なんだよッ、このデカブツのッ!!」

『そんなの、しるわけないじゃないですかッ』

「だいたいトカゲってのはだな、手のひらに乗るような――」


 強靭な前脚が振るわれる。

 ひしゃげた長剣が折れて、易々と弾かれる。

 そこへ追い打ちに、尻尾の直撃を受けた。身体が虚空そらを舞っていた。


(あ――たぶん、これ。死ぬ――)


 どんだけ吹っ飛ばされたのか――わからない。

 みるみる地面が迫ってきて、背中から叩きつけられた。

 死んで楽になりたい――と思うほどの苦痛に、意識が飛んだ。


 ***


『シャルルに渡したいものがあります』


 アグネアが率いる『抜刀隊』が出立する直前――。

 主人であるソフィアソフィーから、シャルルは一振りの剣を賜った。

 彼が使っている片手半の剣より、やや短い片手剣にみえた。

 鞘から引き抜こうとして、戸惑う。

 一本の組紐くみひもつかさやを結んでいた。


『この剣。紐で縛られていませんか?』

『ええ。わたくしの髪を織り込んだ組紐くみひもですわ』

『……なんですと!?』


 意味がわからない。そんな顔をしていると。


『それは、まもがたな――魔除まよけの剣として渡すものです』


 この王国の風習で、髪を女神に捧げる、という行為がある。

 初めて出会った頃のカリス・ラグランシアが、髪を切らずに伸ばしっぱなしにしていた。あれも「誓いを果たすまで、この髪は切らずにおく。誓いを果たしたあかつきに、髪を女神セレーネに捧げる」という意味があったそうだ。

 ソフィーもまた、髪を女神に捧げた。

 ある「祈り」を込めて組紐を作った。


『シャルルがその剣を抜く機会がないように――その紐に願いを託しました』

『それはなんと――』


 畏れ多い。そう思った。

 髪は女のいのち――自分がお仕えする主人から、それを賜るのだから。

 膝を折って、拝受した賜剣しけんを捧げ持った――のだが。


『それには及びませんわ。忘れたのですか。あなたが何者であり、わたくしが何者であるかを』


 透き通る青い宝石が宿す光。

 それは月明かりのように、美しく、和らいでいた。


『お母様が、わたくしにおっしゃったのです――月の女神の末裔であるならば、太陽の神の末裔であるあなたとともに、この天地を照らしてゆかねばならない。それが、ルナティアの王族の役目である――と』


 女王ディアナが口にした言葉を、ソフィーが繰り返す。

 理解した。

 これは、のだと。


『その剣は、ただの魔除けではありませんの。アルス・マグナが再現したウーツ鋼から鍛造した、二振りの剣――その一振りですのよ』


 そう口にしたソフィーが、別の片手剣を見せてくれた。

 どことなく、嬉しそうに。笑みさえほころばせて。


『もう一本を、わたくしが持っています。「おそろい」ですわね。ふふふっ』


 同じこしらえをした、同じつくりの二振りの剣。

 ソフィーがみずからの剣をそっと抜き、刃を見せる。

 特徴的で微細な紋様が、他の剣とは一線を画す異彩を放っていた。


『時がきたら、その紐を引きちぎって、抜き放ってごらんなさい。その時はかならず――わたくしが、あなたのもとに駆けつけます』


 許嫁いいなずけを生き写しにした、懐かしい顔立ちが微笑んだ。


 ***


 ――ここは、どこだ?


 全身が痛い。

 火傷するような痛みに、意識を取り戻した。

 目を開けても、そこは一面の闇。

 ちゃぷちゃぷと水音がするだけ。

 異臭にむせかえる。わけがわからない。

 その恐怖に暴れても、漆黒の監獄は壊れない。

 むしろ、筋肉で縛り上げるように、締め上げてくる。

 そうだ。この状況を知り得る存在が、ただ一人いる。


「おい、オクタ。聞こえるか。返事してくれ! オクタッ」


 それから間もなく、鼻をすする涙声がした。


『――え!? 師範、生きてるんですか!?』

「俺を勝手に殺すな! 俺がどこにいるか、わかるか?」

『――食べられちゃいました――』

「……は!?」

『だから、食べられちゃったんです! その竜、恐竜きょうりゅうにッ』


 食べられた。

 丸呑みにされてしまった。

 この生臭い、気持ち悪い臭いは、胃の中の消化物によるものか。


「身体がなんか痛ぇのは、そうか……俺はヤツの昼飯ってわけだな。ははは……」

『笑ってる場合ですか! 腕とか足とか、千切ちぎれてないんですか?』

「真っ暗で何も見えねえから、わかんねえが。とりあえず、手足はあるっぽいぞ」


 とりあえず、安堵した。

 そのようなため息が、漏れ聞こえた。


『でも、早く出てこないとッ。胃のなかで溶かされちゃいますよッ!』

「…………」


 死にたくない。

 大切なものをぜんぶ失った。

 もう一度手に入れた、大切なものがたくさんある。

 それをまた――守れなくなるのが、歯がゆかった。


「――死にたく、ねぇな」

『そちらに、お助けに伺いますか?』

「いや。むしろ、エールザイレンを呼び込む可能性が高い。そっちのほうがはるかに危険だ。自分でなんとかする」

『なんとかって……』


 あの強靭な顎だ。

 中から強引に広げるのは無理だろう。

 だとしたら――。


「――ふんッ!」


 胸元の短剣を引き抜いて、肉の壁に突き刺す。

 だが、それはあっさりと弾き返された。


「クソッ! こんにゃろ! 刺されッ、刺されよッ!!」


 何度も、何度も繰り返す。

 そのうちに、短剣が根元から折れた。

 胃酸で脆くなっていたのか。使い物にならなくなった。

 長剣も、短剣も。ずっと使ってきた剣は、これで全部なくなった。


「ちっくしょ! どうすりゃいいんだッ」


 身体が火傷したようにひりつく。

 このまま、なすすべなく、溶かされるのか。

 無力だ。剣を失った剣士に何ができるのか。

 俺に魔術が使えたら、どうにかなったのか。


「ちくしょう……ちくちょう……チックショ――ッ!!!」


 出口を失った苛立いらだちに、思い切り肉壁を蹴っ飛ばす。

 腰回りがいつもより重く感じた。


(――あっ)


 違和感で思い出した。

 今、自分の腰に、二本の鞘があることを。

 一本は愛用の剣。さっき折られて、無用むようになったばかりの長物ちょうぶつだ。

 もう一本は、ソフィーが俺に授けた「まもがたな」――。


 ――時がきたら、その紐を引きちぎって、抜き放ってごらんなさい――。


 その時は、今をおいて他にない。


「――ありがとう。ソフィー。今、ここで使わせてもらうよ」


 つかさやを握りしめて、ぐっと力を込める。

 ブロンドの金髪を織り込んだ紐が、ぶちっと切れた。

 封印の解かれた片手剣が、光のない闇の中で鈍く光っている。


「――ここで死ぬわけに、いかねえんだ」


 肉の壁に突き立て、ぐっと押し込む。

 ぐさりと刺さった。

 いける。


「――俺は、死なねえ」


 剣を引き抜き、突き刺す。


「――死なねえ、死なねえ、死なねえ、死なねえ、死なねえ、死なねえ――」


 剣をひたすらに突き刺す。

 監獄が揺れる。

 否、暴れ回る。


「――だから」


 お前が死ね。と肉の壁を突き崩す。

 上下も。左右も。前後すらも――何もわからない。

 星のない闇のなか。鈍く光る剣だけを頼りに、眼前の暗闇を切り拓く。


「――お前が死ね、お前が死ね、お前が死ね、お前が死ね、お前が死ね――」


 のろいの言葉を繰り返すたび、剣は深く突き刺さった。

 むせかえる酸っぱさに、鉄の臭いが混ざってくる。

 竜が苦しみ、地をのたうち回っているのか。平衡感覚はもはやない。

 ぐるんぐるんと目が回る。竜の胃液に、自身の吐いたモノが混ざる。

 それでも、剣だけは手放さない。


「――ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。ネ。ネ――」


 シニタクナイ――。

 シニタクナイ――。

 ダカラ、オマエガシネ――。


 時を知らせる鐘つき人形のように――。

 純粋な殺意に突き動かされた機械人形オートマタと化した剣士が、ひたすらに剣をきだす。

 獲物を溶かすための胃酸が、竜の臓腑ぞうふを焼く匂いがした。

 肉の監獄が壊れる瞬間。それはほどなく――訪れた。


「おぁぁまぁぁえぁぁがぁぁしぃぃねぇぇェェェェェェェェ!!!」


 シャルルの叫びと同時。彼をんだ竜が雷鳴らいめいが如く咆哮ほうこうする。

 瞬間。生と死の叫びで溢れかえった戦場に、水を打ったような静けさがわずか数秒訪れる。

 竜の胃袋を、無我夢中でさばいた末に――。

 天地がぐるりと回って、止まった。

 胃液の抜け落ちた胃袋に穴をあけ。

 無数に絡みつく、はらわたを切り裂いて。

 剣さえ弾いた固い表皮を、その内側から突き破って。

 やっと、光に巡り合った。


「――おえぇッ。くっせぇし、気色悪きしょくわりいし、肌も痛え!」


 光差す扉をこじ開けて、脱獄を成し遂げたシャルル。

 竜の臓物ぞうもつにまみれた英雄は、膝から崩れ落ちた。

 杖つく剣がなければ、そのまま石畳にうつ伏していたに違いない。


「まだ、目が回ってやがる。吐くモンがねえのに、吐き気がおさまンねえ。最ッ悪だ……どうした。かかってこねえのか?」


 周りを囲むは、すべて敵。

 しかし、誰ひとりとして、膝をついた彼に斬りかかることはなかった。


「胃の中でじわじわ殺されるのを待つか。死に際を自分で決めるか。どっちか選べといわれたらさ、アンタらならどうしたよ。なあ?」


 回る目が落ち着いて、その理由がわかった。

 理解不可能な『怪物』へのまなざしが注がれていた。


「どっちもごめんだ。死にたくねえって。コイツの腹ン中、ずたずたにしてやったけどな。気持ち悪いし、達成感もクソもねえ。こんな不恰好ぶかっこうじゃ、お姫様にも会えんだろ。ははは……」


 栗色の髪は無様ぶざまにちぢれ、肌は赤く焼けただれ――。

 変わり果てた、しかし、いまだ健在な彼の姿に――。

 あるいは委縮いしゅくし。あるいは後退あとずさり。あるいはすくむ者たちへ――。


「ああ。早くおうちに帰って、お風呂入りてえなあ。そうは思わねえか?」


 ふたたび「竜殺し」を果たしたおとこは、口角を吊り上げて、にっとわらった。

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