第10話 剣を持つ者(2)
戦いの五日目。
三日目ほどではないが、吹雪がふいていた。
ふたたび鉄砲水が押し寄せたが、またもヘレナの術式によって阻まれた。
後背と側面からの奇襲に備えて掘った空堀。
それは今や、足に絡みつく
敵からの奇襲に対して、よりいっそう、守りを固める要塞の一部となっている。
ヘレナと王国軍の魔術師たちの力で、
疎開が遅れていた子供たちも、半数以上がカルディツァを発った。
あと二日あれば、子連れの家族のほとんどはカルディツァを離れられる。
そんな最新の報告が今朝、ユーティミアから届いたばかりだ。
(あと二日、か……)
あと二日だ。
ここで、テッサリア軍をくい止められたなら。
未来ある子供たちの犠牲は、最小限にできる。
ここまでは、ありとあらゆるテッサリア軍の機先を制し、抑えている。
(そろそろ、敵の増援が加わる。流れが変わるかもしれねぇ)
オクタウィアが高地から敵の動きを逐一報告してきた。
豊富な物資とともに、二〇〇〇を数える増援が街道を北上している。
行軍の速さから、今日中にはテッサリア軍の本隊に合流するはずだ。
(単に数が増えるだけなら、
彼が知っている戦いの常識を、この世界は易々と超えてくる。
その最たるものは、『魔術』の存在だ。
足りない『戦訓』を、ヘレナと王国軍が補ってくれてはいる。
しかし、いつまでも王国正規軍ばかりに頼るわけにはいかない。
この戦争の主役は彼であり、彼が作った私兵たちだ。
(こっちは所詮、にわか仕込みの軍隊。それで「テッサリアの
鉄砲水の再来があった以外、敵の攻勢はなかったが……
視界が利かない中での戦闘を避ける意図だろうか。
(そんな簡単に事が進むとは、思えないんだよな)
吹雪と川霧の向こう側。
そこで、なにが起きているのか。
オクタウィアの駆るサイフィリオンの目をもってしても、
***
その日の晩、オクタウィアから報せがあった。
「どうした、オクタ。もしかして、緊急事態か?」
『いいえ。そうではないのですが――明朝は好天になる可能性が高そうで』
「……は?」
『私、明日の天気がなんとなくわかるんです。それでなにげなく、サイフィリオンに明日の空模様の話をしたら、夜明けには雪雲が晴れる見通しだと』
驚いた。
サイフィリオンには単なる視覚だけでなく、温度を「視る」力がある。
前日の経験から、そんな機能が備わっていることは知っていたのだが。
「
『この吹雪はいつまで続くんだろうってなんとなく呟いたんですね。そうしたら九割の確率で、明日は朝から晴れると言い出して』
絶句。
(九割だと!? ほぼ確実じゃねーかッ)
『どうしてわかるの? と聞いてみたら、ええと……』
「…………」
『思い出しました。たしかなんとかの魔物とか、確率振幅とか、波動なんとかって。それで事象、予測? とかなんとか。なんだかずいぶん難しいことを言われて、頭が痛くなりそうなくらい……』
「結局、わかんなかったと」
『い、いえ! だいたい理解できました。私の『なんとなく』と違って、彼女は目や耳で感じたものを計算しているんだなぁって。もう、感心しちゃうくらい』
感嘆。
『それで……空模様の変化には、さまざまな要因や原理があるみたいです。私たちが大規模な魔術や儀式で、やっとなんとか出来るようなことが。自然の力って、本当にすごいなーって』
「そいつは、あれか? なんだっけな……つむじ風起こしたりするヤツ」
『いえいえ、あんな私が使う魔術とはワケが違います。それこそ王都の偉い魔術師さんたちが何人も集まってやっと起こせるような雲や風の動き……でも、それらが天然自然の現象として顕現している。そう、納得がいったんです。周囲にある、あらゆる物質やそれにかかる力、作用、状態。それを完全に把握することで少し先のことまで見通せる、って』
嬉々として話してくれる。
地頭の良さもあるのだろう。機動甲冑に乗ることを通じて、オクタウィアはさらに様々な知識を身につけている。そう感じる。
「やっぱ、すげーな。オクタは。俺はそのへんさっぱりだわ」
『しかたありませんよ。カリスさんもおっしゃったじゃないですか。こればかりは、生まれ育った世界の違いのせいですから』
「俺なんかさ。せいぜい剣振るうくらいしか、取り柄ないんだよ」
『そんなことありません! 師範は戦いのこと、たくさんご存じですから』
そうすると、明日は敵にとって、攻勢に打って出る好機となるだろう。
なんとなく、そんな予感がした。
サイフィリオンの予告と、彼の予感は、ほどなく的中することになる。
***
戦いの六日目。
物見の兵たちの間に、動揺が走った。
霧の晴れ渡った先に、ずらりと並ぶのは、数基の木組みの構造物。
それがなんであるか、シャルルは心当たりがある。
「ずいぶん
狭い街道を重装歩兵で塞いだ。
鉄砲水を受け流す濠を築いた。
崖に取りつく敵を待ち伏せた。
弓兵や魔術師の攻撃を堅固な雪壁で防いだ。
そうやって、五日間。猛攻をしのいできた。
「連中め。マジで城攻めに挑んできたな」
この地形を選んだのは、大軍勢の多くが戦いに参加できないこと。
つまり、相手が数的有利を生かせないことにある。
狭い街道。切り立った断崖。敵の動きを俯瞰できる、優れた
それらを十二分に生かして、必要最小限の兵力で耐え抜いてきた。
それを一変させる投射兵器。それが大型投石器だ。
自由に動かすことはできないゆえに、攻城兵器として用いられる。
命中精度は悪いものの、こちらの射程外から一方的に攻撃できる。
「空からの攻撃だ! でっかい石かなにか降ってきてもおかしくねーぞ」
陣地を焼き尽くさんと、
「ウォータ・フォール!」
水をかけ、火を消し止める。
その上に、さらに石炭が降ってくる。
「
「クロエ。食糧庫だけは守り切って」
「わかりましたッ」
火の雨が降るなか、クロエが駆けだしていく。
食糧庫として築かれた、大きめの
「セット――ゲット・レディ――ゲートオープン」
初めて使う魔術だ。クロエは息を呑み、術式に集中した。
「
印を結ぶ齢十五の少女の周りに、風と水の
「天を切り裂く
その周りに
そこに石炭が飛び込むと、けたたましい音を立てて弾け飛んだ。
「ソフィア王女様から教わった、
少女の頬に、額に、どっと流れる大粒の汗。
ひとりで術式を編み、結実し、維持させる。許されない失敗。
緊張の糸が切れて、飛来する石を見逃した。
しまった。あっという間に頭をつぶされる――はずであった。
「すげぇな、クロエ。よくやった!」
かたくつぶった目を、思わず見開く少女。
彼女が仕える主人が、巨石を事もなげに受け止めていた。
「あらよっと。あぶねぇあぶねえ」
石を無造作に放り投げる彼に、少女が問う。
「ご主人様!? お怪我ありませんかッ」
「なんともない。コイツのおかげでな」
彼が討伐した、
極めて強力な、物理攻撃耐性を有すると聞く。
それをまとった彼が身体を張って守ってくれたからこそ、命拾いした。
「魔術のことはわからんが。他のことは俺にまかせろ」
「は、はいっ!」
彼が盾となって守ってくれる間に、クロエは術式の補強を行った。
それから間もなく、王国兵が彼女の術式の維持を引き受けてくれた。
汗だくになったクロエを抱き上げて、彼はヘレナのもとに戻ってゆく。
「
「ご苦労様でした、クロエ。シャルル様もありがとうございます」
「礼をいうのは俺のほうさ。状況はどうだ?」
「かんばしくありません。昨日までとは、まるで勢いが違います」
言うまでもなく、総攻撃を受けている。
「大楯の術式の維持まで手が回ると思うか?」
言葉に詰まる彼女。
それで、理解した。
投石機による火災への対処。
魔術師たちによる攻撃魔術への対処。
全部やり切った王国兵は優秀だった。しかし、数には限りがある。
テッサリア軍は十倍。否、魔術師の数なら、二十倍の開きがある。
「申し上げます! テッサリア槍兵、一個大隊が防壁にとりつきましたッ」
「大きな
「おいおい、あれがウシだって?」
彼が見たことあるウシとは比較にならない巨影が二つ、三つと姿を表す。
「この国じゃあ、あんな化け物から
「あれは……ジガンテバイソンですね。テッサリアの連中、本気で潰しにくるつもりですよ!」
シャルルの傍らで伝令役を務める王国兵が半笑いで答える。
その鈍重だった歩みは駆け足となり、みるみるうちに疾走へとかわる。
あんな筋肉の塊に当たられたら――身体が弾け飛んでしまうとわかる。
「くるぞ! 楯を構えろ!」
大楯を構える前衛に号令をかけた。
雄牛は角を突き立て、カバが体当たりする。
積もった雪と砂利を巻き上げ、野獣が疾駆する。
しかし、整然と並んだ楯はびくともしなかった。
防壁の手前で止まり、様子をみている敵の槍兵。まるで
(なんだ。この……嫌な予感は!?)
ほどなく、石畳を湯気が覆った。
地面をぬかるみへと変える魔術。その対抗術式が発動したのだ。
またしても、ヘレナの読みが当たった。
だが、ヘレナの顔色は、青ざめていた。
「そんな。術式の維持がッ。追いつかない……ッ!」
投石器が石炭の投擲を開始したあとから、炎の魔術が止んでいた。
おそらく、大規模魔術に戦術を切り替えたのだろう。
対抗術式を上回る、水と土の魔術。術者の数の差が如実に表れた。
大楯を構える兵隊が、できたぬかるみに足を取られ――隊列が歪んだ。
そこへ雄牛の首が突っ込んだ。
石畳に鮮血と臓腑がぶちまけられる。
弾き飛ばされ、ひしゃげた大盾が轟音を鳴らす。
獣たちの蹂躙。
顎が。牙が。角が。大楯どころか鎧ごと打ち貫き、踏み砕き、叩き潰す。
まるで藁だ。鉄壁が藁束のように蹴散らされる。
「「「ストーン・ピアス!」」」
王国兵数名がすかさず石槍を投げつける。
急所を串刺しにされ、巨獣は
狙いすましたように、
「さっさと隊列を立て直せ! 突っ込んでくるぞ!」
仲間が一瞬で、骨と肉と臓物になった――。
まぎれもない事実に、私兵たちは
怒鳴る彼の声をかき消すほど、テッサリアの槍兵は
「――エレーヌ。あとを頼む」
振り返らずに、
英雄たちを讃える詩を彼は
「――
剣を抜き、絶叫する。
かの英雄たらんと、覚悟を示すため。
「――かの
絶対に、死ねない。
しかし、死を恐れては――絶対に、生き残れない。
「生き残りたくば、俺様についてくォォォォィッ!」
その呼び声に、幾人は大楯を構えた。
だが、以前の整然さは失われていた。
ところどころ歯の抜けた堰が、こうして破られた。
楯を踏み倒して、逆巻く波かと槍兵が押し寄せる。
その無数の穂先の前に、「竜殺し」が飛び込んだ。
「キエエエエェェェェエエエエェェェェイィッ!!!」
あらん限りの
しかし、
槍の穂先が「竜殺し」を串刺しにしたはずだった。
ただの一本も鱗を貫けず、鎧を押し返せなかった。
一瞬の戸惑い。
致命的な
剣抜く
「ウラアアアアアアアアァァァァァァッッッ!!!」
ひとたび倒れなば、
女を手にかけることを
竜の
刃が一切通らない。
なにより――疲れを知らない。
それでも、
それを目にした者は、
そうして、落命した槍兵が数十を数えた頃合いに――。
「領主様につづけ!」
「「負げでだまっかぁぁぁ!」」
「「「オオオオオオオオオオ――――ッ!!!」」」
その最精鋭の予備隊が、続々と
槍兵の密集体形にゆがみが生じる。
そこへ、「竜殺し」が食らいつく。強引に人波を切り裂いていく。
やがて、たった一人で敵中を突破しぬいた「竜殺し」。その鋭い眼差しは、
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