第5話 崖線の戦い(1)

 その翌朝。

 王国正規軍『抜刀隊』一個大隊と、北に派遣していたカルディツァ駐留一個中隊が郡都に着いた。北側の雪洞イグルーの構築が終わったという。予定より早い。

 戦友が彼の屋敷を訪ねてきた。『抜刀隊』指揮官となったアグネアである。


おくれを取ってはわれらの名折れ。誰もが早く戦場に出たいと息巻いていてな」

「一個中隊を早く戻してくれたのは、正直助かるよ。アグネア」


 ソフィアがクロエを連れて、前日に馬車でカルディツァに入る。それができたのは後ろに『抜刀隊』が控えていたからだ。

 現状わかっている戦況をシャルルが共有した。アグネアから提案があった。


「敵は三〇〇〇。こちらは三六〇が展開済み。ならば、われらと一個中隊をさらに展開させて、こちらを一〇〇〇としたほうがいいのではないか?」

「いや、今はまだやめておこう。部隊は散開させておきたい」


 アグネアの目が少しつり上がる。


「まあ、怒るな。手柄を横取りされたくないとか、そんな意図じゃない」

「では。その意図を聞かせてほしい」

「王国軍がひとつに集まったとする。そこをエールザイレンに襲われてみろ。みんな一気にやられるぞ。そうしたら、ぜんぶご破算だ」


 押し黙る彼女。無理もない。実際、ペレッツの配下や、関所の護衛といった精鋭がやられているのだから。


「だから、俺は王国軍の一個中隊だけを引き連れて、最前線に戻る。俺の二個中隊を主力に、王国軍の二個中隊を予備として散開させよう。これなら王国軍の損耗は一個中隊、最悪でも二個中隊で済む」

「ふざけるな!」


 高価な黒檀コクタンの机。それを拳で叩き割られていたかもしれない。そばで給仕につくクロエの手がぎこちなく震えていた。


「国家の大事を? 辺境貴族のお前ひとりに全部押しつけろと? バカを言え!」

「だから、怒るなって言ったろうが!」

「おふたりとも。茶を一服なさっては」


 軍服を着たヘレナが、妹に代わって茶を注ぐ。いつもどおりの立ち回り。ハーブが入っているのだろうか。少し気持ちが落ち着いた。


「――すまない。少し熱くなってしまった」

「王国の最精鋭を預かってるんだ。気持ちはわかるさ」


 ため息をついた端整な横顔。物思いにふける真っ赤な瞳。そんなアグネアに、彼はこんな提案をした。


「煮炊きのいらねぇ携帯糧食を渡してもいい。遊撃戦を展開してもらいたい」

「――遊撃戦、とは?」

「側面や後方の攪乱かくらんだな。王国軍は神出鬼没だと。恐怖が敵に広がれば広がるほど進軍を妨害できる」


 一瞬の沈黙。その後、アグネアは頷いた。


「それなら、機動甲冑の襲撃からも逃れやすい――か。一理ある。われらは最前線に加わらず別行動。それなら構わないと?」

「ああ。さんざん引っかき回してもらえると、非常に助かる」


 崖線がいせんにそって防衛線を引いて、戦いを長引かせるのが今回の戦い。目先の勝利が目的ではない。民草の疎開にかかる時間を稼ぐのが目的だ。


「最精鋭ぞろいって聞いた。崖を飛び降りるなんざ造作もねぇんだろ。きっと」

「飛び降りはしないが。適した場所を見つけ、崖を越えるくらいならたやすい」

「俺は街道をふさいで、連中を隘路あいろでくい止める。そっちの動きはおまかせだ」


 短い協議の後、シャルルはカルディツァ駐留一個中隊とともに最前線に向かった。騎馬ではなく、馬車を選んだ。その馬車にはヘレナと、士官候補生の軍服に着替えたクロエが同乗した。

 四マイル南の最前線についたのは、正午を少し回った後。

 馬車を降りてヘレナとクロエ、一緒に南下したもう一人の中隊長を連れて、本陣に向かう。留守を預けていた王国軍の中隊長と幕僚ばくりょうたちが、彼らを迎えた。


「ご帰還でしたか。郡伯閣下」

「たった今、戻ったばかりだ。状況に変化は?」

「敵が合流しました。三〇〇〇に増えています」


 こちらも状況を共有したい。彼はかたわらの少女を一瞥してひと言。


「クロエ。いつものあれを頼む」

「はいっ。かしこまりましたっ」


 一見すると、戦場には場違いな少女。

 彼女が事もなげに『人払いの魔術』を完成させる。士官たちが目をみはった。


「紹介が遅れたな。うちの使用人だ。このたび、ソフィア王女殿下のご命令により、帯同させることになった」


 ソフィアから預かった命令書を中隊長たちに手渡す。それで得心した様子だ。


「なるほど。トラキア氏族の方でしたか」

「俺の補佐として働いてもらう。今後、エレーヌ――エレナ・トラキアから何か指示があれば、ぜんぶ俺から指示したものと受け取ってくれ」

「かしこまりました。士官らに徹底いたします」

「それから。今からしゃべることは他言無用だ」


 王国軍の最精鋭『抜刀隊』が別行動をとっている旨、彼女たちにも伝えた。六倍の戦力差だ。果たして勝てるのか。末端の兵士には不安感が漂っていると聞いた。

 彼はヘレナとクロエを連れて、陣地を歩く。末端の兵たちの激励に回りつつ、前線の様子をふたりに見せるのが目的だった。


「エレーヌ。クロエ。何か気になることはあったか?」


 崖の上から川下を見渡すヘレナとクロエ。ヘレナが口を開いた。


「川が近くにございますね。これが意味することは、なんだと思われますか?」

「水が豊富にあることか?」

「はい。水の魔術の行使がしやすい地形です。当然、相手方もそれを意図した術式を組んでくるか、私たちが組むことを想定するでしょう」

「たとえば、どんな?」

「地形を沼地に変えてしまうとか。鉄砲水で軍隊を押し流すとか。いくらでも」


 絶句。


「――そんな魔術を使えるバケモンがいるのかよ!?」

「ひとり、ふたりでは無理でしょう。ですから、何十、何百という魔術師を使って、大きな術式を組むのです」


 頭を抱えたシャルル。クロエが駆け寄った。


「ご主人様。大丈夫ですか」

「――めまいがしそうだぜ、クソッ。その発想はなかった」

「生まれ育った世界が違うのです。こればかりは、どうしようもありません」

「ありがとうな、クロエ。頼りない主人で、迷惑をかける」

「頼りないだなんて。ご主人様はじつに頼もしいお方です」


 琥珀色の瞳をみつめると、迷いのない眼差しが返ってきた。


「兵隊の皆さまもお顔が一変しました。それでわかりますもの」

「――魔術のことは、お前たちふたりに預ける。支えてほしい」


 赤紫色の瞳をみつめると、しっかりと頷いて、こう答えた。


「王女様がお持ちになった戦記を読みました。それによると、過去の戦いでは大規模魔術の行使。そして、魔術を妨害する試みが繰り返されてきました」


 地形を沼地に変えるには水と土。ふたつの属性に同時に干渉する必要がある。

 それも広範囲となれば、それ相応に術者の数と詠唱にかかる時間を確保しなければならない。

 そのヘレナの言葉に、彼は思いつきを口にした。


「術者を削る。あるいは詠唱を妨害する。それならどうだ?」

「それも手段のひとつです。当然ながら、敵方も対策を取っているでしょう。後衛に術者を置き、前衛に槍兵を置く。ということも考えられます」

「槍兵を抜けなかったら、術式が完成してしまう。ということか」

「ええ。そこで、あらかじめ妨害術式を組んでおく。という方法もございます」


 興味深い。思わず前のめりになっていた。


土壌どじょう含水率がんすいりつが一定を超えたら発動し、水を干上がらせる。そんな術式を組んでおき、敵の術式を妨害することも可能です」

「水を干上がらせる。だと? そんなこともできるのか」

「前に、空の杯に水を入れてご覧にいれました。覚えていらっしゃいますよね」


 それは、王都に初めて行った日のこと。

 魔術とは何か。その概念を教わった、最初のできごとだ。忘れるわけがない。


「ああ。あれは結露けつろさせたんだよな」

「ええ。水蒸気を凝縮ぎょうしゅくさせました。その逆――つまり気化きかさせればよいのです」


 何を言ってるのか、さっぱりだっただろう。以前のシャルルであれば。

 しかし、今のシャルルは知っている。この世界のことわりの一端を。そのことわりを教えてくれたヘレナが「できる」というのだ。確信が芽生えた。


「俺の主力たちは魔術が不得手だ。あえてそういう連中を選んでる。理由はきのう、ソフィア様にお話ししたとおりだ。考えられる対策を取ってくれ」

「わかりました。王国軍の方々とお話しして、ご対応いたします」


 ヘレナとクロエが本陣に戻って、幕僚たちと何やら相談をしている最中。

 夕刻に、テッサリア軍から使者が来た。仰々ぎょうぎょうしい「降伏勧告」である。彼宛ての長ったらしい書簡を流し読みした末、脇に置いた。


「俺からの返答はこうだ――来たりて取れモローン・ラベ


 わけがわからない。そんな顔をしている。敵も、味方も、誰もが。


ふるい言葉だ。わかりやすく言ってやる――たまぁ取りたきゃ、命がけでかかってこいや!」


 崖線がいせんたたかいは、この一言から始まった。




【あとがき】


 シャルルがヘレナの名前を「エレナ・トラキア」と呼んでいるのはわざとです。

 フランス語話者が「h」の子音を発音しないためです。

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