第4話 モナーク・レコンキスタ(4)

 二時間後。

 機動甲冑『エールセルジー』の鞍上で、フリッカはげっそりとしていた。


「はぁ、はぁ……うぇ。おえぇぇ……ッ」


 めまいがする。

 吐き気がおさまらない。吐きだすモノは、全部吐きだしたのに。


「げほっ、げほっ」

「フリッカ。大丈夫か」


 だらりとした首を、力なく左右にふる。


「まだ……目が回ってます」

「おい、思いっきり吐いてるじゃねーかッ」

「吐けませんよ。もう、これ以上」


 胃のなかが空っぽだ。胃液すら出てこない。


「無茶をさせた。ごめんな」

「そう思ってるんだったら。下りるの、手伝ってください」

「お前を抱っこして飛び降りろってか? やめとけ。絶対ケガすんぞ」


 自分は変わり者だ。フリッカにはそんな自覚があった。しかし、この竜殺し様は、私以上の変わり者だ。狂ってる!

 しかし、そう吐き捨てる気力すら、残っていなかった。


「十分……いえ、五分だけでも。お時間を」

「……わかった。せかすつもりはない。先に下りて待っている」


 竜殺しの領主様が縄ばしごを下りていった。

 急ぎたいのはわかる。フリッカ自身もキエリオン郡の郡司代行だ。いや――名目上の代官で、事実上のキエリオン郡領主はフリッカといって差し支えない。それほどの裁量を、彼女自身が握っているのだから。

 だんだんと定まる視野。

 目の前に広がる、懐かしい景色。母なる火山の広い裾野。眼下にはつい数か月前、彼女がいた試験農園。そこはもう、一面の銀世界。

 深く息を吸い込み、吐ききった。それを何度もつづけ――そして、誓う。


「やろう。私にしかできない仕事を――」


 目が据わった。


「セット――ゲット・レディ――アース」


 印を結び、詠唱。

 思い描いた形を現実に変える。


「ストーン・ポール!」


 瞬く間に。

 石柱があらわれた。

 その高さ、二〇フィート約六メートル。両手でつかめるほどの、均一な太さの石の竿。それが、鋼鉄の軍馬の真横にそびえ立った。


「なッ……なんだこりゃ」


 文字通り、仰天して呆けている彼。フリッカは滑稽でたまらない。こみ上げてくる笑みをかみ殺し、覚悟を口にした。


「閣下。それにしがみついて滑り降ります。受け止めてください」

「お、おう。まかせろッ」


 ぼろ布で竿を巻き、両手で握りしめる。足をからめて、滑り棒にして飛び降りた。真下で彼女を落とさず、しっかり受け止めた竜殺し。実にたくましい体格だ。

 手を離して数秒後。そびえ立った柱はたちまち、ガラガラと崩れ始めた。


「お……おい、ちょ、ちょっと待て! うわーっ!」


 砂の楼閣ろうかくのように崩れ落ちる直前。

 間一髪、彼女を抱きかかえたまま、竜殺しは逃げ出した。舞い上がる砂塵。それが風に流されたあと、石柱は影も形もなくなっている。


「ゲホッ、ゲホッ……あっぶねー! なんなんだ、ありゃ」

「ふふふふ、はははははッ。少しは怖い思いされました?」

「さてはオメー。わざとやりやがったな」

「とんでもない。魔術の持続時間が切れてしまったんです。私が手を離して、魔力の供給が途絶えてしまいましたから。あとは自重で崩落しています」

「……ま、そういうことにしといてやる」


 竜殺しがフリッカを下ろした。


「オクタと同じで、フリッカは土くれを扱うのが得意なんだな」

「そんなところです。さあ、時間がありません。急ぎましょう」


 フリッカが先導し、ある蔵に彼を連れていく。

 天日干しにしたカイコのさなぎの死骸が、蔵に保管されていた。


「繭を取るため、煮たさなぎを乾燥させたのがこれです」

「コイツで、油がしぼり出せると思うか?」

「いいえ。無理だと思います。一回、水でもどさないと」

「水で煮る? 石炭で? 燃料の無駄じゃねえか」

「ええ! だから、別の方法を考えてるんですッ」


 わかってる。何もかも、わかってる。

 これはすべて、王都の平民たちから生ゴミ同然に引き取ったもの。それを長期保存するために乾燥させた。すりつぶして畑にまけば、肥やしになるから。そう考えて、処理しておいたものだった。

 だから茹でたてと違って、みずみずしさはとっくに失われている。きっと、一定の水分がないと油分をしぼり出せない。


「じゃさ、蒸し窯で蒸したらどうなるよ」

「それこそ、油分が抜け落ちて――あっ」


 ふっとひらめいた。


「源泉! あれに浸せば、いけるかもッ」


 搾油機に入る大きさの麻袋。そのなかに乾燥させた蚕をつめた。鳥卵を煮る源泉が近くにある。そこに麻袋ごと、蚕を放り込んだ。

 硫黄の臭いがきつい。鼻をつまんで様子をみる。


「繭から取ったばかりのさなぎがあればなぁ」

「しかたないですよ。閣下が口にするまで、誰もこんなこと考えなかったし」


 わからない。何もかも、わからない。

 この領主ひとの考えていることが、理解できない。そういうときがある。

 今が、まさにそうだ。

 単に常識を知らない異邦人。それだけなら簡単だ。無視すればいい。どうせ取るに足らない「成り上がり」の妄言もうげんだと。

 たちの悪いことに、彼は「資格者」である。未来さきを見通す目を持っている。そんなバカなと思うだろう。フリッカだってそうだった。

 関所が炎上するにいたった顛末てんまつ。それを耳にするまでは――。


「これくらいですね」


 源泉でもどした蚕を拾い上げて、袋ごと搾油機にかける。不純物とともに、黄色く濁ったしぼり汁が得られた。思わず顔をそむける。


「おえっ……コイツは、強烈だ」


 腐った卵の臭いにくわえ、ハエがたかりそうな不快臭が漂った。オリーブをしぼったときとは比べ物にならない。


「――これ……どうすんだ」

「まずは成分をみましょう」


 片手で鼻をつまみながら、しぼり汁をすくう。フリッカがひと言。


「――マテリアル・アナライズ」


 物質の組成を読み解く魔術を使った。

 水と油。生物由来の物質。ひたした源泉由来の物質。臭いのもとは硫黄だろうか。とにかく、いろんなものがごちゃ混ぜになっている。


してみます」


 虫の殻など、いらないものをしぼり汁から除いた。

 鉄をうすく叩いて一フィート三〇センチメートル近い大きさにした、円錐型の容器に注ぎこむ。ひとつでは容積が足りなかった。同じような容器を何個も使った。


「これらをもう一回、熱湯のなかにつけます」

「……ほう」

「先端を下に向けて静置しておきます。熱を加えると生物由来の物質が変質し、容器の底にたまります。さらに、比重が軽い油分が上に、重い水分が下に集まるはず」

「難しい言葉だらけだが。要するに、油が一番上に浮く?」

「ええ。おそらく」


 フリッカの想定したとおり。どの容器でも濃い黄色のついた上澄うわずみがたまった。


「それっぽい何かにはなりましたね。油分にはまだ不純物があるみたいです。これがどう使えるのか、わかりません」

「そいつはアルス・マグナで考えてもらおう。魚油をくれ。送ってくれたら、あとは何とかする。って言ってたしな」

「上澄みだけ別の容器に移し替えますので。それが終わったら、アルス・マグナまで連れていってください」

「――――アレに、乗れンのか?」


 正直、乗りたくはない。だが――。


「ゆっくり走ってくれるなら、ガマンします」


 両の掌に収まるほどの鉄瓶。その半分ほどまで入った油をもって、彼女はアルス・マグナへ向かった。


 ***


「よう、カリス」

「騎士殿に、リンナエウス農務官も?」

「お久しぶりです。ラグランシアさん」


 アルス・マグナで、フリッカはカリス・ラグランシアにった。

 農業に関心を払わない魔術師が多いなか、彼女は例外だ。新種の白詰草トリフォリウムの性質に深い関心を寄せてくれた印象が強かった。


「フリッカが、カイコのさなぎから油をしぼったんだ」


 油、と聞いて、目を見張った。

 一変した少女の表情に、それほどまで切羽詰せっぱつまっていたのか。と思い至る。


勅書ちょくしょたまわって、漁民たちがニシン油をせっせと作ってる。カネと船さえあれば、今ある在庫と合わせて、納められるはずだ」

「ありがとうございます。騎士殿」

「フリッカにも相談ごとがあった。そしたら、まわりまわってこいつができた。ってわけだ」

「蚕の油……さすがに、その発想はありませんでした」

「フリッカにさんざん言われたよ。そんな気味悪いもん、誰が使うんだって。でも、お前らならいくらでも思いつくだろ」

「買いかぶられている気がしなくもないですが。お預かりいたします」


 フリッカは油を入れた鉄瓶をカリスに手渡した。

 大まかな製法も伝えた。どんな工程を経て、何をあえて省略したかも。


「あらかた理解しました。ご尽力ありがとうございます。成分解析を行って、活用法を検討します」

「お願いします。何に使えるのか。私にはもう、さっぱりで」

「ご心配なく。それは私たちが考えます」


 思わず目を丸くする。

 カリスがフリッカの手を取り、握っていた。


「本当に助かります。この件は、女王陛下にもお伝えいたしますので」

「そんな、大げさな!」

「なんとしても油を確保せよ――これはもう、勅命ちょくめいでありますから」


 何もかも、わかった気になっていた。それが偏った先入観だったと思い知るのは、もっと後のことだ。

 しかし、この時。フリッカの丸顔に笑みが浮かんでいた。「やりきった」と言わんばかりに――。


 ***


 冬の日中はみじかい。あっという間に夕方だ。


「せっかく王都に来られたんです。エールセルジーを整備させてください」

「そんなヒマあるわけねーだろ! こちとら最前線から抜けてきたんだ!」

「そんな状況で次、いつ来れるんですかッ!」


 カリスの怒りまじりの罵声を背に、シャルルはフリッカを連れて王都を発つ。

 それから街道を疾走すること二時間。キエリオンにつく頃、空はすっかり鉄紺てつこんに染まっていた。

 フリッカを抱きかかえて、操縦席を出たシャルル。彼女を下ろし、縄ばしごを先に下りていった。縄ばしごを支えて、彼女が下りる手助けをした。全部終わってから、ねぎらいの言葉をかけた。


「今日は苦労をかけた。ありがとう」

「なんですか? いきなり改まって」

「フリッカが作った油。あれは大きな功績になる。俺はそう確信してるんだ」

「そうなってくれるといいですけど」


 控えめな言葉と裏腹に、彼女の表情は晴れやかだった。


「ニシン粕だが。必要なぶんはできるだけ回す。いい回答を待ってるぜ」

「かしこまりました。いい回答ができるよう、こちらも検討を急ぎます」


 フリッカと別れて、シャルルはエールセルジーに乗った。

 カルディツァ工廠にはサイフィリオンが入り、点検を行っていた。

 屋敷前にエールセルジーを留めて、屋敷の門戸を叩いた。


「ずいぶん遅い帰りでしたわね。シャルル」


 彼を出迎えたのは、ヘレナではなく。彼の主である姫君。


「ソフィア様!」

「もう。ソフィーとお呼びなさいな」

「そ……ソフィーが、なぜこちらに」

「夜這いにきたのですよ。なんてね」

「……お戯れにおいでになったわけではない。ということで?」

「当然ですわ。早く中に入りなさい」


 臨時郡都のミトロポリから、いつ戦火に巻き込まれるかわからない郡都へ。それは王女だけではなかったらしい。


「おかえりなさいませ。ご主人様!」

「クロエもか、一体どうした」

「それはわたくしが話します。応接室へきてちょうだい」


 ソフィアいわく、なにか事情があるようだが。


「おかえりなさいませ、シャルル様」


 ヘレナの格好がいつもと違っていた。

 緑色のドレスではなく、アグネアが着用する軍服に似た衣装を身にまとう。


「どうしたんだ、その格好は」

「シャルル! 重要な話をしたいの。早くおいでなさい」


 またしても、ソフィアにさえぎられてしまった。


「……わかりました。さっさと済ませてしまいましょう」


 ソフィアが指名したのはシャルル、ヘレナ、クロエの三名。いつもは見張りをしているクロエをあえて含めているのはなぜか。ヘレナが部屋の戸を閉めると、ソフィアが笑みを浮かべた。


「音を断つくらい。わたくしにだってできますのよ」


 ぶつぶつつぶやき、指先で印を結んで、ぱちんと指をならすと。

 屋外で吹く寒風の音ひとつしない、静寂の空間に変わり果てた。


「さっそく本題ですわ。ヘレナとクロエには、今後従軍してもらいます」

「……は?」

「言葉通りです。あなたを補佐する者として、ふたりを帯同させなさい。ちなみに、これは命令です」


 辞令を書き記した紙をふたつ。ソフィアが彼に手渡した。

 それで察した。ヘレナが軍服を着ていたのは、そのためだと。


「ヘレナは士官級、クロエはその補佐として扱うように。そんな内容です」

「理由をお聞きしたいのですが」

「わたくしは思うのです。シャルルの生まれた世界の戦争と、この世界の戦争には、きっと。大きな違いがあると」


 どういうことだ? 彼はいぶかしんだ。


「シャルルの戦いには、魔術を使うという発想がない。違いますか?」

「……」

「沈黙は肯定。そう捉えてもよろしくて?」

「……ええ。まるで想定してませんでした」

「やっぱり。そこがシャルルの弱点となりえるのです」


 ぐうの音も出ない。


「たしかに、その腕輪のおかげで。シャルル自身は魔術的干渉を受けにくくなった。でも、シャルル自身が変わったわけではない。あなたもそのくらいの自覚はおありでしょう?」

「ええ。おっしゃる通りです」

「異界で育ったあなたは、魔術を操れる身体に育っていない。それだけでなく、この世界の常識的な発想の埒外らちがいにいる。敵がどんな魔術を行使してくるか、引き出しが決定的に不足している。もし、そこを敵にかれたら?」


 確かにそうだ。

 魔術的才能は問わない。魔術に頼らない戦術をとるつもりだったから。

 答えに窮するシャルルを見かねてか。ソフィアは切り口を変えてきた。


「では、違う質問を。シャルルはなぜ、そのような兵隊を作ったのですか?」

「一言でいえば、安いからです。むろん、使いつぶしが利くという意味でなく」


 魔術師の育成には時間とカネがかかる。正規軍兵士はいうなれば、魔術師が兵士をやっているようなものだ。非常に強力な精鋭である。このおかげで、ルナティア王国が長らく直轄領を防衛できたのは間違いない。だが、消耗戦となれば、喪った兵士を補うのは非常に困難ともいえた。


「テッサリア兵五〇〇と王国兵一二〇が相討ちになったとします。彼女たちの代わりを育てるのに使う時間とカネ。これを損失の大きさと定義して、より安上がりなのはどちらとお思いですか?」

「――前者、でしょうね」

「俺もそう思ってます。これは、テッサリアと王国が血みどろの全面戦争。それこそ民草が前線に駆り出される総力戦になったとき、どちらが最終的に生き残るか。ここに直結します」

「だからですか。より安上がりな兵隊を――別の言い方をすれば。失っても、代わりを育成しやすい兵隊を作ったと」

「最悪の事態を想定すると、そうせざるを得ません。王国軍の損耗は取り返せない。王国軍が消耗すれば、俺も後ろ盾が薄くなっていくんですから」


 王族に対して、ためらいなく縁起でもない話をする。そんな彼と王女の語らいを、ヘレナとクロエがじっと見守っていた。


「シャルルの国は戦乱が多かったのですね。ルナティアが平和な国に思われるほど。いつか聞いた話、今まで忘れていました。意図が理解できましたわ。ですが、こうも思いませんか? シャルルを魔術的に補佐してくれる、知恵袋がいたほうが。もっとこう、戦いやすいのではないか、と」

「…………」

「そこで、考えました。あなたの立場を一番理解、かつ最も的確な補佐ができる者が誰か。もうおわかりでしょう。ヘレナ・トラキアをおいて他にないと」


 絶句。


「そのヘレナを支える存在。いわば半身として、義妹のクロエが適任と考えました。以上がこの場にふたりを呼んだ理由です」

「シャルル様」

「ご主人様ッ」


 ふたりの使用人が所作と発声を揃え、お辞儀する。


「「どうか、あなた様の許で。ともに戦うことをお許しください」」

「……ふたりとも、顔をあげてくれ」


 ヘレナは成年だからわかる。しかし、クロエはまだ十五歳だ。


「クロエ。戦場に出れば、血を見ることになる。人の亡骸なきがらも目にするだろう」


 端整な顔つきの少女の瞳をじっと見つめ、シャルルは問う。


「心身に深い傷を負う。つらい思いをする。それでも、俺とともにくか?」

「まいります。私も、ルナティアの貴族の一員ですから」


 貴族を父に持つ彼は、知っている。

 高貴なる立場に伴う義務がなんであるかを。

 オクタウィアよりもうら若き乙女。

 凛とした琥珀色こはくいろ双眸そうぼうに、その覚悟をみた。


「――わかった。俺の右腕、左腕として、戦場に連れて行ってやる」


 目を見開いたふたりの手を取って。彼は膝をつき、こうべを垂れた。


「魔術のことは半端はんぱにしかわからねぇ。全力で支えてくれ。頼む!」

「「はい。女神様に誓って」」

「――ありがとう。お前たちは命をかけて守る。神様に誓ってな!」


 ふたりの使用人の肩を抱く、シャルルの目尻に笑い皺ができた。

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