第3話 モナーク・レコンキスタ(3)

『――ネットワーク接続開始』

『ほわぁ……おはようございます。師範』

「おはよう、オクタ。昨夜は休めたか?」

『実のところ、気持ちが高ぶってしまって。なかなか眠れなかったんです』

「おいおい。大丈夫なのか?」

『はい。ヘレナ様に寝つきをよくしていただきました』


 起きたばかりなのだろう。声に気だるさが乗る。


「そうか。ごめんよ。起こしてしまって」

『問題ありません。ご用件はなんですか』

「火急の用件だ。王都で油が不足している。それを確保しないといけない」

『あぶら、ですか?』

「ああ。機動甲冑の整備に大量に使うらしい」


 血が巡ってきたのか。声がはきはきとしてきた。


『それは大事ですね。カルディツァ工廠でも、たしか……油の在庫が心許こころもとない、と耳にしました』

「カルディツァの在庫状況も確認したい。サイフィリオンを出せるか?」

『かしこまりました。少々お待ちください。すぐに着替えますから』

「本当にありがとう。恩に着るよ」


 それから二十分ほどでサイフィリオンが迎えにきた。

 シャルルを手のひらに乗せた、蒼い鉄の巨人。

 五分とかからずに、郡都の屋敷に彼を下ろす。


「シャルル様、いつお戻りに?」

「たった今だ。ユーティミア、いるよな」

「はい。執務室にいらっしゃるかと」

「ありがとう、オクタ。あとは大丈夫だ。まだ、朝飯食ってないだろ?」

「はい。それでは、食事をとらせてもらいます」


 郡司代行として与えた執務室。

 眼鏡をかけた女がそこにいた。


「お早い帰りですね。アントニウス卿。前線のほうは?」

「敵の先遣隊の出足をくじいてやった。しばらくは攻めてこない。増援を待っているみたいだ。でも、兵力が三千まで増えたら、次こそ攻めてくるだろう」


 三千という数字に。

 見ひらいた目元がぴくりとひくついた。


「羊毛が不足してるといったな。なんの用途で足りないんだ?」

「防寒具です。着の身着のまま。そんな住民が少なくありません。多くが街から出たことのない子供たちです。事前の見積もりから、考慮が漏れていました。申し訳ありません」

「それは仕方ない。王都には羊毛の手配を頼んでおいた」

「え、もうですか!? 助かりますッ」

「あとは、キエリオン郡からもさらに融通してもらえないか。フリッカにも話つけてくるつもりだ。だが、その前に行くところがある――アルデギアだ」


 首をかしげるユーティミア。


「直轄領で油が高騰こうとうしている。アルス・マグナの消費量が増えてから、価格が上がる兆候はあったらしいが。どうも、それだけじゃないらしい」

「――投機筋が絡んでいます?」

「お、さすがはカネの専門家。その頭の中には、市場経済も収まってンのか?」

「いやいや。おだてすぎですよ。売り手が多ければ価値が下がり、買い手が多ければ価値が上がる。そこに利鞘りざやを得ようとする者が参入する。自然ななりゆきです」

「俺もそう考えてる。だから、今の油市場あぶらしじょうの外から油を確保したい」

「アルデギアで油がとれるなんて、初耳なんですけど」

「これから、ニシン漁の時期だろ。ニシンを煮てしぼるとな、油が取れるんだ」

「そのために、最前線からお戻りになったんですか!? 頑張りすぎて、ぶっ倒れないでくださいよ?」

「お前もな。目にくまができてんぞ」

「……ッ!?」

「羊毛の件はなんとかする。休めるうちに、頭休めておいてくれ。お前がぶっ倒れると、兵站へいたんが詰むんでな」

「お気づかい、ありがとうございます」

「礼をいうのは俺のほうさ。ありがとうな」


 それから、彼はカルディツァ工廠に向かった。

 エールセルジーが暗がりの中でそびえ立っている。

 縄ばしごをのぼり、何日ぶりかに操縦席に座った。


「待たせたな、エールセルジー。調子はどうだ?」

『システム正常。オートパイロット閉鎖。戦闘機動可能』

「それなり、ってことか。まあ、任せろ。俺は絶好調さ。コイツのおかげでな」


 竜玉をはめ込んだ腕輪が光る。

 カリスの修理を経て、皮布が新しいモノに変わった。

 淡雪の鱗鎧を着た状態にあわせて、付け心地が改善されている。


「目的地は、アルデギア漁港だ。道を記してくれ」

『了解。経路確認――履歴表示』

「前に使った道のりだな。これでいこう」


 前に使った最短経路。

 それが脳裏に浮かぶ。


「みんな、機体から離れてくれ」


 工廠の作業員たちに呼びかける。

 彼が念じたように、鋼鉄の人馬獣が動きだす。

 今の彼女はもう。かつてのように、ひとりでには動けない。

 彼が動かさなければ、動かないのだ。指一本にいたるまで。


「よーし。いくぞ!」


 いつか満天の星空の下、原野をつらぬいた道なき道を。

 こんどは、シャルル自身が手綱を握って、駆けぬけた。

 幾多の丘陵、河川。すさみきった廃墟の数々。

 龍脈が通わなくなったのか、すてられた田舎。


(もしかして、この一帯は魔力マナが涸れちまったのか?)


 この世界のことわりや、いろいろなことを見知ったせいか。

 いつかみた、同じ景色のはずが――。

 シャルルの目には今、まったく違ってみえた。


 ***


 アルデギア漁港のほど近く。

 エールセルジーがすべりこんだ。

 シャルルは縄ばしごを下りて、馬を借りる。

 カキの養殖運営をまかせている、元組合長が漁協にいた。


「よう、ばあさん。元気そうだな!」

「領主様かェ! いくさァおっぱじめたってホントか!」

「ああ。今しがた、最前線から急用で来たところさ」

「いったいどうなすった?」

「油を買いにきた。ニシンしぼった油、いくらかあんだろ? それを買いたい」

「ニシンから油が取れるなど。領主様よくしっておいでで」

「だてに領主やってねぇからな」


 領主のお貴族様がきたらしいぞ。

 そんな話を聞きつけて、何人も集まってきた。


「とにかく女王陛下が油をお望みだ。今、王都じゃ油の値段が跳ねあがってる」

「でも、ワシらの持ってる油なんて、大した量にならん。漁サァ始めたから、今年のぶんを作りはじめたトコです」

「……あのぅ、どンくらい入り用で?」

「可能な限り、ぜんぶだ」

「全ェ部だってェ!? そんな殺生な!」


 誰もが青ざめた。

 ニシンをぜんぶ国で買い取る。

 思いもよらなかった話に、誰もが困惑していた。


「油をしぼるのに使うニシンを、ぜんぶ国で買い取りたい。こうおっしゃるくらい、お困りでいらっしゃる」

「待ってくださいよォ! ニシンはワシらの食料だし、油も必要さァ。全ェ部買われちゃ、生きてけねぇ!」

「そうだろうと思ってな。俺も考えた。可能な限り、ぜんぶといったよな。暮らしが成り立たねぇ。それはもはや、不可能ってヤツだ。そこまでは求めない」


 シャルルの腹案はこうだ。

 漁民たちが生活していくために必要な油と食糧。これには手をつけない。

 これが大前提だ。

 そのうえで、余裕をみて確保しているぶんの油を、国が買い取る。

 そして、これからにぎわうニシンの漁獲物。漁民たちが生活していくために必要なぶんを除いて、ぜんぶ油にしてもらう。これも、国が買い取る。

 買ったぶんの油は、すべてアルス・マグナに送る。

 油をしぼったあとには、ニシン粕が残る。これはシャルルの裁量で使える。

 保存食にも。肥料にも。もちろん、軍隊の糧食にだってなる。

 もしも、先々のメシが心配なら、漁民にいくらか粕を譲ってもいい。

 漁民たちはカネを得つつ、保存食も確保できる――こういう算段だ。


「これから、漁で忙しい時期だ。余計な苦労をかけるのも心苦しい。ここの漁民はもちろん、山の農民たちも。ひいては王国の民草みんなが生き残るためなんだ。どうか、力を貸してもらいたい」


 網を曳き、屈強な体躯をした若い娘。

 年季の入った、しわをたたえた老婆。

 一人ひとりの目をみて、彼は訴えた。


「この戦いに負けたら。俺が作ったモノは、ぜんぶなくなる。ぜんぶ、俺が来る前に戻される。海と山の民が互いの産品を交換する。そうやって食ってける仕組みもつくったが。これも、間違いなくぶっ潰される。俺の業績が残っていたら、次の領主にはさぞかし都合が悪い。そうなりゃ、ここは元の寒村に逆戻りだ」


 尋常じゃない事態。

 それが伝わったんだろうか。


「わーった。アンタさんの頼みだ。その話、乗った!」

「女王様のお言いつけで、領主様がおっしゃるんじゃ。しょうがねェな」

「おめえさん。うちの油壷から、いくらか持ってきな」

「よし、みんなァ。お郷里くにのためじゃ。そこらじゅうから、油かき集めるゾォ!」

「「「オオオオオ――ッ!!!」」」


 屈強な海の女たちが、ニシン油の確保に奔走する。

 彼女たちが備蓄していた、ニシン油が集められた。

 そのうちに、王都から勅使ちょくしの早馬が駆けてきた。


「カロルス・アントニウス卿は、おいでですか?」

「俺がカロルス・アントニウスだ。勅使のお方か」

「はい。直接、貴殿にお渡しするようにと」


 書簡を受けとる。

 封をほどくと、勅書ちょくしょが入っていた。


「俺宛ての勅書だが。みてみるか。陛下直筆のご署名が、ここにある」


 口約束でない。しかも、親署の入った公文書。

 それを惜しみなく、漁民たちに手渡した領主。

 誰もが目を丸くした。


「ここに書いてあるだろ。ニシン油をできるだけ国庫で買い取る。今ある在庫としぼった油を王都に送るように。油以外の副産物の扱いは、俺の裁量に任せるって」

「こりゃァたまげた! 女王陛下のご宸筆しんぴつだってさ!」

「ハァ~。生きてるあいだに、こんなモン拝めるとは。ありがてェありがてェ」

「前の領主ンときゃ、とても信じられなかったよナァ」

「そんじゃ、さっそく今朝獲れたニシンで油しぼるゾ」


 かまどを据えおき、大釜を海水で満たし、石炭で煮て沸騰させる。

 釜に獲れたてのニシンが放り込まれた。

 ニシンを大きなへらで混ぜつつ、三十分ほどかけて煮あげていく。

 大釜からすくわれ、圧搾あっさく用の桶に運ばれたニシン。

 そこに重石が載せられた。さらに、一方を固定された太い木の柱が乗っかり、もう一方に別の重石をぶら下げる。


(なるほど、梃子てこの原理で圧搾してるのか)


 二十分ほどかけて、ニシン粕からしぼり汁を出しきった。


「油も、粕も、どっちもお納めする。こりゃァ気が抜けねェ作業だ」

「本当に苦労かけちまうな」


 申し訳なさそうな顔をするシャルル。

 その肩を、ばあさんが叩いて言った。


「なんのなんの。アンタさんのおかげで、ワシらみーんな金回りがよォなった。漁に出られねェモンも、今じゃァラクに食ってける。アンタさんがやられちゃァ、それもおしまいよォ。全ェ部、水の泡じゃ」

「アタシら海ぃのモンが、お国の役にたてる。そうそうないこった。そりゃァ、精魂こめてェ作らせてもらいます」


 こうして、作業が回りはじめた。

 その一部始終を見守った彼の脳裏に、ある発想がよぎる。


(あれ――これって、ニシン以外にも使えるんじゃねぇか)


 魚以外にも、油がとれるモノ。

 まず浮かんだのは、獣脂じゅうしだが。


(そもそも、獣がすくねぇ。コイツはダメだ――いや。まてよ)


 頭の片隅にあった点と点。それらがつながって。

 カイコのさなぎから油がとれないか。ふと、そんな発想がわいてきた。


(そういえば――蚕のさなぎって、この国じゃ何に使ってるんだ?)


 ルナティアの服飾ふくしょくを支えているのが、養蚕ようさんだ。

 王都は道端に豚の糞ひとつない。家畜がいないのだ。

 そのかわりに、各家庭が蚕をそだてて、絹糸を作る。

 それにより、絹織物が広く普及していると耳にした。

 蚕のさなぎが作るまゆをほどいて、絹糸を得るという。

 そのとき。丸裸にされたさなぎは、どこへいくのか。


(うーん。なんか知ってるかもな。フリッカなら)


 ニシン粕を少しもらって、シャルルはエールセルジーに乗った。

 元来た道を逆に走って、カルディツァへ。そこから、さらに東へ。

 次に向かう先は、もうひとつの郡都。キエリオンだ。


 ***


「フリッカはいるか!」

「――閣下!? 前線にいらっしゃったのでは?」

「急な用事で前線から離れた。アルデギアに行ってきたところさ」


 ユーティミアと同じように、フリッカにも事情を説明する。


月桂樹げっけいじゅも、オリーブも。実のなるモノは、収穫時期を過ぎてしまいました」

「ああ、そうだよな」

「ですから、キエリオン郡で油を確保するのは難しいかと」

「それは期待してなかった。むしろ、羊毛がほしい。肥料につかうって、たしか前に言ったよな。ソイツを回してほしい」

「やせた土を豊かにする、貴重な肥料です。農家が協力してくれるかどうか」

「そこでだ。コイツと交換できねぇか?」


 しぼりたてのニシン粕を、袋ごと渡した。

 袋の口をあけ、フリッカが鼻をつまんだ。


「うわ。くっさ! なんですかこれ!?」

「ニシン粕だ。煮あげたニシンから、水と油をしぼりきった。その残りカスさ。乾燥させたら、保存食にも、肥料にもなる」

「ひっさびさの磯のにおいがします。これ、預かっていいんです?」

「肥料につかえるか、確かめたいだろ? そのまんまくれてやるよ」

「わかりました。なるべく早く、お答えできるようにがんばります」


 これでひとまず、主題は話した。

 シャルルにはもうひとつ、聞きたいことがある。


「それで、油の話の続きだ。世の中には、かいこのさなぎからつくる油もあるらしい。聞いたことあるか?」

「へぇ、そんなモノが。初めて知りました」

「この国では、いたるところで蚕を飼育してるって話だよな」

「ええ。直轄領の数少ない特産品が生糸きいとですから」

「繭を取ったさなぎって、何かつかってんのか?」

「いいえ。捨てているところがほとんどですね」


 フリッカによれば。

 王都は風の属性が強い土地柄ゆえに。

 土の属性をもつ虫には、忌避感のある人々が多いそうだ。


「それで、よく蚕をそだててるな」

「養蚕は国が奨励してきた歴史があります。なにより収入源になる特別な存在です。でも、糸を取るために繭を煮たら、中のさなぎは死んでしまいます。羽化もしませんから、ただ捨てるだけなんです。よくて、すりつぶして畑にまくとかです」

「王都じゅうから蚕のさなぎを集めてさ。油をしぼれないかな?」

「その油、なにに使うんです? みんな、気味悪がって使いたがらないですよ」

「石鹸とか、ろうそくとか、用途はいくらでもあるぞ。そのぶん、月桂樹ローリエやオリーブの油を使わずにすむだろ」

「どっちにしたって、庶民が使ってくれるかは不透明です」

「ま、少なくともアルス・マグナの連中が喜んで使うのは間違いない。それだけ、市中に回す油が増えれば、民草の苦しみが減る」


 腕組みするフリッカ。

 その表情は、もはや彼をあなどるようなモノではない。

 彼女なりに、真剣に考えている様子だった。


「農務府が運営する、王都郊外の試験農園。ここに、肥料がわりの備蓄があります。王都の民が捨てたさなぎを、引き取ったものです」

「それだ! ソイツで油を作りたい。一緒に王都へ来てくれッ」

「バカげてます! ここから何日かかると思ってるんですかッ」


 その問いに。

 彼は口元をゆるめ、こう言い放った。


「そんなもん。二時間ありゃ、十分だろ」


 シャルルはエールセルジーの背中に上がる。

 機体にくくりつけてあった鉤縄かぎなわを手にとって、フリッカに渡す。


「ソイツで身体を固定できたら、王都まで二時間で連れていってやる」

「なに、言ってるんですか? 閣下」

「お前もそれなりに魔術使えるんだろ。それにつかまるなり、身体に巻き付けるなりやり方はまかせる。振り落とされないように、なんとかがんばってくれ」

「そんなむちゃくちゃな!」

「頼む! 王国の存亡がお前の肩にかかってるんだ!」


 そう言って、フリッカを説得したシャルル。

 彼女を背に乗せて、エールセルジーは巡航をはじめた。


「いぃぃぃやぁぁぁぁぁ――――ッ!!!」


 鉤縄にしがみついたフリッカ。

 鼻水を垂らしたまま、ずっと泣き叫んでいた。

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