第2話 モナーク・レコンキスタ(2)

「門をあけよ! われら、テッサリア軍のひとつを討ちとったり!」


 明け方。

 朝靄あさもやを切りさいて。

 王国軍の伝令がカルディツァの南門に現れた。

 門番がどよめく。

 伝令が手にしているのは、テッサリアの軍旗。

 何かの罠でないか、と怪しむ者もいたが。

 たまたま、伝令の顔見知りが居合わせていた。


「あれは味方さね。すぐに城門を開けてやんな!」


 城門がわずかに開き、下馬した伝令を中に入れると、すぐに閉じた。

 彼女は再び馬に乗り、片手で敵の軍旗を高らかに掲げ、街中をゆく。


「ありゃ、テッサリアの連隊旗じゃないか」

「ホントだ! 領主様がやっつけたのか!」


 領主と正規軍一個中隊の出撃を見送った市民たち。

 その翌朝に、さっそく敵の軍旗を持ち帰ってきた。

 この噂は、たちまち市中に広がった。


「さっすが、『竜殺し』。テッサリア軍なんか、屁でもねぇってか」

「でも、その『竜殺し』様がすぐ逃げろっていうんだろ? あんたンはもう荷造りすませたのかい?」

「家族みんなでやってるさ。でも昨日の今日で終わるわけないだろ」


 カンボスの街が、テッサリア軍に明け渡された。

 王国の官僚やら、お偉方えらがたがカルディツァを離れていった。

 どうも、きな臭い。そう噂ばなしには聞いたが。

 こんな差し迫った事態だと、誰ひとり思っていなかった。


『領主は本気だ。降伏も、王都に帰る気もない。すぐに身支度しな! ぐずぐずしてると、アタイらも戦いに巻き込まれちまうよ!』


 商工ギルドの有力者たちが、こう、皆に触れ回るまでは。


 ***


 その頃、テッサリア軍の行軍速度は、明らかに鈍った。

 夜が明けてから、先行していた二個中隊が壊滅したと把握したのか。

 ひんぱんに斥候を出して、周囲を警戒している様子だ。


(これで敵は四分の三に減った。できれば、半分まで減らしたいところだが)


 奇襲が成功して、敵が警戒度を引き上げた以上。

 すすんで兵力を分散してくれるとは考えにくい。


(精鋭とはいえ。一二〇程度の兵力で六倍以上の相手は厳しいよな)


 ましてや、相手はただの先遣隊。

 イメルダに本腰を入れてこられたら、こちらはひとたまりもない。


「申し上げます! たった今、伝令が戻りました」


 軍旗を持たせた伝令には、命令書を託していた。

 工兵と弩砲兵を中心とした、私兵一個中隊を郡都の防衛に割り当てる。

 残った私兵二個中隊を郡都から出撃させる、というものだ。


「郡伯閣下の私兵二個中隊は、すでにカルディツァを出立しました。正午過ぎごろに合流できる見込みです」

「そうか! ご苦労だった。しばらく休むといい」


 伝令の兵をねぎらう言葉に、彼女も誇らしく一礼して去ってゆく。

 戦というモノを知らなかった軍人が、初めて口にした勝利の妙味。

 王国ルナティアにせまった、危急存亡ききゅうそんぼうときにあって。

 味方の勝利を触れまわった興奮はさめない。


 郡都カルディツァを発った私兵は、午後一時ごろに到着した。

 装備をはしけに積んで、身軽になった兵隊が街道を早足で下った。


「お待たせしました、閣下」

「駆けつけてくれて心強い。ありがとうな!」

はしけから荷物を下ろし、野営地を構築します」

「抜かりなく頼む。敵は手強いぞ」


 シャルルの「虎の子」ともいえる、私兵の初陣だ。

 ふたりの中隊長が緊張の面持ちで、部隊に戻っていった。

 冬至から二カ月が過ぎた今は、寒風吹きすさぶ冬まっただ中。

 ただちに雪洞イグルーの構築に取りかかる私兵たち。正規軍の工兵部隊ほどではないが、手際よく雪を固め、切り刻んでいた。


 シャルルの私兵は、王国の正規軍とはまったく対照的である。

 正規軍は一兵卒に至るまで魔術の素養があり、魔術による防御手段を持っていた。総じて軽装を好み、同じ規格の軍服でそろえている。軽装であるがゆえに、機動性に富む。兵の質が均一に高く、臨機応変な対応が可能であった。


 対して、シャルルの編制した私兵は、魔術的素養を問わない。

 その代わりに、体格的に精強な者、あるいは武術に長けた者、体格的には非力だが計算を得意とする者など、様々な能力を有する者が集まっていた。

 精強な者には頑丈な盾と斧槍を持たせ、最前列の鉄壁とした。

 武術に長けた者はいつでも投入できる持ち駒、予備兵力とした。

 数学や物理学が得意な者は工兵、弩砲兵に優先的に割り当てた。

 輜重隊しちょうたいに振りわけて、平時から輸送任務に専従する者もいる。

 能力に合わせた専門の兵科に細分化したのが、シャルルの私兵の特色だ。

 また、誰もが投槍器を使った投擲とうてきができるよう、訓練されていた。習熟に時間を要する弓矢の代わりとしている。


 そして、軍の規律そのものは、正規軍に準じた厳格なもの。

 これは、アグネアの薫陶によるところが大きい。訓練の段階で規律にえられない者は、容赦ようしゃなく私兵から追放された。残った上澄うわずみが、彼女たちだ。

 また、正規軍と互換性をもたせるため、部隊の編成単位を揃えてある。十名で一個分隊、四個分隊で一個小隊、三個小隊で一個中隊、四個中隊で一個大隊を構成する。士官育成には時間が足りなかったため、小隊長以上の士官は正規軍から招聘しょうへいした。私兵の中から、教養のある者を選んで士官候補生と位置づけ、士官と行動を共にする副官としている。


 こうして編制した私兵たちと、伝統ある王国軍。

 その最初の共同作戦に向けて、各部隊から小隊長以上を集めた。

 作戦のあらましは、王国軍の中隊長とあらかじめ決めてあった。王国軍の中隊長が地図を広げ、説明を始める。


「郡都カルディツァと、先日明け渡した下流のカンボスの間には、約六〇フィート一八メートルの標高差があります」

「街道を通るとあまり意識しねぇが、ところどころ崖があるよな」

「はい。この付近の段丘崖だんきゅうがいは、一番高低差が大きい一帯です。そして、崖が街道のすぐ近くに迫っています」

「西側は川、東側は崖。要するに、隘路あいろってわけだ」


 いわゆる「中街道」と呼ばれる、バルティカ街道。

 領地を貫いたパラマス川。その左岸を通っている。

 石畳で舗装された幹線道路。しかも、機動甲冑が二体、問題なくすれ違えるだけの幅をもっている。

 しかし、戦いの舞台と考えるには、あまりに狭い。

 どんな大軍であっても、街道の幅を超えて横には展開できないからだ。

 古今東西。このような地形で、数多くの戦いが繰り広げられた。

 ペルシア戦争においても。百万とも二百万ともいわれるペルシアの大軍勢。これをレオニダス一世直卒ちょくそつのスパルタ重装歩兵三〇〇人らが、数日間押しとどめている。

 戦史に残る地名が、口をついて出た。


「ここが――テルモピュライか」

「いかがなさいましたか、閣下」

「いや、独り言だ。続けてくれ」


 彼が口にした故事をる者など、この場に誰ひとりいない。


「崖の上に陣取れば、テッサリア軍よりも高地に立てます。加えて、敵の侵攻経路を街道側一本に絞ることが可能です」

「戦闘において、高地を取ることは定石だ。それに、裏手に回り込まれず済む。俺は理想的な場所だと思うが、皆はどう思う?」


 その他の士官たちからも、意見が出た。

 

「テッサリア軍の主力は長槍を持った槍兵と、いしゆみを持った弓兵です。トリカラの軽騎兵に対抗するため、テッサリア軍は槍兵を重視してきた伝統があります」

「弩は有効射程に劣るものの、初速に優れ、大きな威力をもちます。また、弓に比べて簡単に扱え、習熟に時間がかからない特徴があります。豊富な穀物に裏付けられた人口を擁する、テッサリアの動員力を生かしやすい武器でしょう」

「弩は放物線を描く弓矢と違い、水平方向に撃ちます。崖の上から迎え撃てば、これを無力化しやすいかと」

「長槍の対処は、ぜひ、わが小隊に。堅固な盾で阻んでみせます!」

「いや、うちの工兵たちなら、蛇籠じゃかごで壁を作る。その方が、もっと頑丈だ! 関所の応急修理にも使ってるくらいなんだから」


 正規軍、私兵を問わず。様々な案が出た。

 それらひとつひとつを評価し、シャルルは最終的な作戦に組み込んだ。


 ***


 テッサリア軍は街道を下った先、二マイルで止まった。

 三つにわかれていた部隊は、ひとつにまとまっている。

 野営地の周辺には二重の柵が立てられ、侵入を阻んでいた。

 その先は、強く吹雪ふぶいている。猛禽もうきんも空を飛べないほどに。

 そこで、サイフィリオンに偵察を依頼した。


『聞こえますか、師範』

「ああ、聞こえてるよ。オクタ」

『敵に動きがありました。カンボスから敵の増援が北上しています』

「こないだの夜襲がよほどこたえたみたいだな。数はどのくらいだ?」


 言いよどむ。

 明らかにわかるほど、があった。


『――概算で、二〇〇〇はくだらないかと』

「くっくっく。あっはっは! いよいよ、本腰入れてきやがったな」

『この状況で、よく笑えますねッ』


 先遣隊が七五〇。増援が二〇〇〇以上。

 ざっくり多めに見積もって、三〇〇〇。


「まあ。クセルクセスの百万、二百万に比べたら、たかが三〇〇〇! カスみたいなもんさ。大したこたぁねえ!」

『……ぜくせす? 二百万? 何のことですか?』

「きっと、神代より前の言い伝えさ。気にしなくていい」

『……』

「俺とオクタは、生まれた世界が違う。だからたまに、わけのわからないことを口にするんだ。そう、理解しておいてくれ」

『わかりました。聞き流します』

「まぁ、心配ごとがあるとすりゃ。棺桶かんおけの数が足りるかって話だ」

『――』

「もちろん、テッサリア側のが。だけどな」


 笑みを声に乗せる彼。

 彼女は笑わなかった。


『もし、師範の命が危険にさらされる時は――駆けつけますから』

「助かる。そうならないよう、努力するけどな」


 通信が切れた後。

 まぶたを閉じて、ゆっくりと息を吐いた。


「俺が、レオニダスだったら――みんな、ここで死ぬ運命なんだよなぁ」


 白く色づいた空気が、虚空に消えてゆく。


 ***


 テッサリア軍に最初の夜襲をしかけてから、三度目の朝。

 見渡せる範囲では、敵の動向に変化はない。

 崖から見下ろす街道に、石壁が並んでゆく。

 工兵たちが蛇籠を編み、瓦礫がれきめていた。


「カルディツァから、早馬です」

「ご苦労様。書簡の差出人は?」

「デュカキス郡司代行からです」

「ユーティミアから? 早く見せてくれ」


 領主が戦地に赴く。

 それでは不都合になるので、大蔵官僚のユーティミア・デュカキスをカルディツァ郡司代行に任命していた。

 本来ならば、臨時郡都のミトロポリで政務をとるはずだった。その彼女が、郡都のカルディツァに戻っている。異常事態の予感がした。


(やっぱ、計画通りにはいかねぇか。クソッ)


 疎開計画に対して、無視できない遅延が起きている。

 当初の見積もりの半分に満たない人口しか、郡都を抜け出せていない。

 厳しい寒さで羊毛の需要が高まり、供給量が不足している。

 そのため、作った雪洞イグルーの半分しか、避難民を収容できない――という。


「遅滞作戦を長引かせろってことか――いや、それだけじゃ無理だな」


 シャルルは相棒に呼びかけた。


「エールセルジー。聞こえてるな」

『はい、マスター』

「ドラヴァイデンを通じて、カリス・ラグランシアと話がしたい」

『了解。ネットワーク接続開始』


 しばらく待つ。砂を噛んだ音がした。


『おはようございます。騎士殿』

「おはよう。小さな大賢者さん」

『その言い方。かなり面映おもはゆいので、改めてもらえますか』

「では、カリス。女王陛下にお目通り願いたい」

『ご用件は?』

「物資が不足している。端的にいえば羊毛だ。ソイツが足りなくて、カルディツァの市民の避難が滞っている」


 ユーティミアの書簡に書いてあった事実。

 そのまま伝えると、ため息とともに応答があった。


『こちらも、重要な戦略物資が枯渇し始めています。油です』

「油って?」

『具体的にいいましょうか。機動甲冑の可動部に使う、潤滑剤ですよ。月桂樹げっけいじゅやオリーブを原料とした油が底をつきはじめています』

「おい。それって」

『ええ。アルス・マグナではなく、直轄領全体で油が足りないんです』

「マジか……」

『サイフィリオンを運用し始めてから、アルス・マグナが消費する量が増えました。その頃からすでに、市場しじょう価格かかくが微増していたそうなんですが』

「ドラヴァイデンも、稼働させることになった――だからか」

『それもあります。莫大な油を湯水のように使っている。その自覚はあります』

「それ、ってなんだよ?」

『――言外の意図を拾ってくださる。話が早くて助かります』

「そりゃどうも」

『経済のことは専門外ですが。王都とラリサが険悪な関係になってから、油の市場価格が高騰こうとうした。今現在で平時の五割増し。そう聞き及んでいます』


 五割増しだと!?

 最初の戦闘から、まだ三日目だぞ。

 想像を超えて物価が上がっている。頭痛がした。


『目ざとい商人が在庫を買い占めている。そんな黒い噂もありますが、真偽のほどはしりません』


 感情を込めず、淡々と事実を述べるカリス。


(いや、違うな。コイツ、ホントは苛立ってる。隠してるんだ)

『商工ギルドが確保に奔走しているようですが、この戦時です。サロニカ商人にも、足元を見られ、高値を吹っ掛けられているとか』

「これからもっと上がるよな。普通に考えりゃ」

『ええ。商人にとっては、今が稼ぎ時でしょう。油が高騰して生活が成り立たない。そんな訴えが次々届いて、陛下はたいへん胸を痛めておいでです』


 直訴じきそが起きる。

 民草が悲鳴を上げている。

 捨ておけば、叛乱の芽になりかねない。

 後背地こうはいちたる直轄領が瓦解がかいすれば、彼も皆も破滅する。

 喉が渇く。水筒を開けて、水を一杯飲んだ。


(なんとかしねぇと。シャレになんねぇ。クソッ!)


 迷うな。迷ったら、死ぬ。

 死中に活を求めろ。できるはずだ。

 うじうじするな。戦え! 臆病と、戦え!

 握り拳で自分を鼓舞して、一転。ふうっと深く息を吐く。

 そうやって、彼はできるだけ。冷静な口ぶりを意識した。 


「――考えてみろ。月桂樹ローリエも、オリーブも、収穫時期は秋から冬だろ。本来、もっと市場にあるはずだ。それとも、今年が深刻な不作だったか?」

『いいえ。今年も例年通り、収穫されているはずです』

「だろう? だとすりゃ、モノはあるさ。人為的な買い占め、出し渋り。もっと高く売ろうって魂胆が、そうさせるんだ」


 そんな予感がよぎった。


「市場の値が右肩上がりなら、値上がりを待って売り抜けるよな。じゃ、この前提が崩れたら、どうなる?」

『値崩れを嫌って、放出するでしょうね。特に相場師そうばしの場合は』

「それだ。そうなりゃ、異常な値上がりは抑えられる」

『現物がないのに、相場をどうやって動かすんですか』

「なけりゃ、つくりゃいいだろ」

『どうやって?』

「ニシン油。要するに、魚油だ」


 バルティカ大陸西岸は、これからニシン漁で賑わう。

 ニシンは、アルデギア地方の主要な漁獲物であった。


「水で煮たニシンを圧搾あっさくする。すると、ニシン粕とニシン油にわかれる。ニシン粕は保存食、あるいは肥料に。ニシン油は燃料になる」

『……ほう』

「ただし、この油は非常に臭い。そういう難点があるんだが」

『アルス・マグナで使う限り、その点はどうにでもできます。その油、なんとか確保できますか?』

「本来、食えるモノの半分を食えないモノにする。漁民たちの生活の糧を奪うことになる。対価が必要だ」

『――よいでしょう。搾って油にするぶんのニシン、国が全部買い取ります。そう、陛下がおっしゃっています』

「よし! それなら交渉になる。ニシン粕のほうは糧食として兵站へいたんに。あとはいくらかキエリオン郡にも回そう。農家が肥料に使うため、温存している羊毛と交換だ。できれば、直轄領からも羊毛を融通してもらえると助かる」

『今しがた、陛下が大蔵卿をお呼びになりました。予備費を使うとおおせです。羊毛の件も手配なさると』

「ありがたい! あとは、アルデギアから王都の外港までニシン油を運ぶ船舶がいるな。船がありゃ、いっぺんに運べる」

『それも手配なさいました。アルス・マグナがオリーブ油の買い付けを止められる。それだけの量があれば――とりあえず、価格高騰を止められるかもしれません』

「わかった。ニシン油のほうは、俺が漁村で直談判してくる」

『――今、最前線ですよね?』

「ああ。これからオクタに拾ってもらって、カルディツァにとんぼ返りだ」


 その日、忽然こつぜんと――。

 カロルス・アントニウスこと、シャルルの姿は陣中から消えた。

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