第22話 開戦の詔勅(3)
「アントニウス卿に渡したいものがあります」
アルス・マグナ総裁、王太子ベアトリクスがそう口にしたと同時に。
アルス・マグナの魔術師が、台車に乗せて何かを部屋に持ち込んだ。
「これは?」
「陛下の密命により、用立てた装備です」
ひとつは袖の長い上下の肌着である。
頭部以外の全身を覆うモノだ。
「これは『
「竜の皮って……まさか!?」
「ええ。アントニウス卿が討伐した竜。あの皮膚です」
絶句した。
あれほど剣で斬りつけても、まったく歯が立たなかった相手だ。
その皮を使い、この肌着に仕立てたというから、驚くほかない。
「並大抵の刃物では、傷つけることも
(――
「そして、風の魔術を完全に、水の魔術も大部分を無力化する能力があります」
息を呑む。
「ただし、やわらかくできているため、戦棍で殴打するような物理的攻撃そのものを防ぐには不十分です。そこで、こちらの革鎧をその上に着用してもらいます」
「これは?」
「皮衣を作成した際に取り除いた竜の鱗。そして、竜との戦いで破損した機動甲冑、エールセルジーの装甲片を使いました。銘は『
もうひとつは、両肩から胸と胴までを覆った革の鎧。
革の胴着の裏地には研磨、整形された金属片が並ぶ。
ただ、彼が知っているモノとの違いは、蒼くきらめく竜の鱗を使っている点。
大小の鱗を革の胴着に鋲で打ち付け、裏地となる金属片と一体化させている。
とはいえ――。
(これ……俺たち騎士よりも階級が低い、兵士が着るような革鎧じゃねぇか?)
彼が使っていた、板金鎧に比べると、心許なく感じる点は否めない。
ルナティアの兵士、特に正規軍の兵士は、総じて軽装を好むようだ。
アグネアは鎧ですらない軍服で、
重く丈夫な板金鎧を着て、鉄火場に立つ。それが常識だった彼には、こんな軽装で大丈夫なのか、と心配に思えてしまう。
「皮衣からはぎ取った竜の鱗、これから適切な大きさのものを選び、胴着に貼り合わせました。ウーツ鋼の装甲片を叩いて、伸ばし、表側の鱗と形状を合わせて、裏地としています」
(おい……革鎧にしちゃ、めちゃくちゃ手が込んでないか!?)
「しかし、並の鋼では竜の鱗を貫けませんでした。そこで、ウーツ鋼の切削片を鋲に鍛造しなおしたものを使って、鱗を貫いて裏地に打ち付けました。皮衣と合わせて、物理、魔術、その両面において、極めて強力な防御力を発揮できます」
話だけを聞くと、驚愕というほかない。
ただの革鎧に、そこまでの頑丈さが見込めるのか?
半信半疑、というのがシャルルの正直な感想である。
「献上いただいた氷嵐竜の屍を使い、新たな魔道具の研究を進めている――そのように申し上げたと思います。その一端がこちら、ということです」
「まさか……他にも、あると?」
ベアトリクスはわずかに頷いた。
「開発してみたものの、非常に高度な魔術的制御を要求される魔剣などもあります。これはアントニウス卿には、決して扱えぬ代物でしょう」
シャルルには重大な欠陥がある。
この世界で生まれ、育った者が当たり前にできる魔術。
それを扱えない現実を、改めて突きつけられた思いだ。
「そこで、もうひとつ。余から贈り物があります」
ずっと様子を見守っていた、女王ディアナ十四世。
侍従長トラキア伯が、ひとつの箱をもって現れた。
それを押し戴くように、彼は受け取った。
「箱を開けてごらんなさい」
「失礼いたします」
白銀を織り込んだ絹の包みを開く。
箱を開けると、中には一本の腕輪。
深く澄み渡った
涙の
「それは、
場が凍りついた。
平然としているのは女王、王太子、侍従長だけ。
カリスとオクタウィアだけでない。
ソフィアでさえ、目を剥いている。
「お、お母様ッ!?」
「どうしたのです、ソフィア。蒼い顔をして」
「希少な竜の体から、ひとつしか採れない竜玉を……本当に、
「その竜を討伐した本人に渡して、何の問題があるのです?」
女王の声が茶目っ気を帯びていた。
王太子が平静を装っているのが、不自然なほど。
だが、竜を討伐した本人は、竜玉がいかなるモノか知らない。
「あの……その、竜玉、とは?」
その問いには、王太子ベアトリクスが答えた。
「竜の胎内にて形作られる宝玉です。脳幹のあたりで作られ、その膨大な力の源と言われています。本来、王室の宝物庫で厳重に保管し、いずれ然るべき時が来れば、国家や王家のために用いる予定でしたが――」
「その然るべき時とは、今まさにこの時をおいて他にないでしょう。カロルス」
そこまで言われて、理解した。
残りの人生でどれだけ財宝を集めても、この価値には及ばない――と。
「そ、そうでございましたか」
「腕輪の地金には
「説明ありがとう、ベアトリクス。試しにつけてごらんなさい、カロルス」
「――
一度捧げ持った腕輪に、左腕を通す。
すると、不可思議な感覚に満たされていった。
「な、なんだ……この、気分が高揚する何かは」
「
(魔術が使えねぇ俺にそんなモノ……まさしく『豚に真珠』じゃねぇのか!?)
そう首をかしげた横で、カリスが納得した顔をする。
「なるほど……機動甲冑に乗るアントニウス卿を守るため、ですね」
「さすが。ベアトリクスが見出した
「畏れ入ります――陛下」
「な、なんだ? カリス」
「機動甲冑は操者の能力によって衝撃を和らげる仕組みがあります。その話は、前にしましたよね」
「ああ。俺みたいに、皮布で座席に身体を固定する必要がないって意味だろ」
「はい。それは機動甲冑の持つ機能のごく一部に過ぎません。傷の自動回復、魔術的干渉からの防御など、操者に作用する様々な能力があります」
「でもって、俺にはソイツがうまく使えねぇ」
「そこをどうすべきか。私もずっと悩んでいました。その難問の解答を陛下がお出しになった。王家の至宝として、代々受け継がれるべき竜玉。これをアントニウス卿に身につけてもらうことで、大きく埋め合わせることが可能になります」
「この、気分が高揚するのも、そうなのか?」
カリスは大きく頷き、こう続ける。
「今後、エールザイレンとの戦いでは、今までにない困難が想定されます。何より、アントニウス卿ご自身の意思で、機動甲冑の指一本までに至るまで、動かさなくてはならない。従前の機敏な動きもできなくなっているでしょう。その苦しい状況下でも竜玉の作用によって、常に闘志が維持される。これは、とても重要です」
「……そうだな」
「竜玉は極めて強力な魔力増幅作用をもちます。また、元来エールセルジーの装甲に使われていたウーツ鋼と組み合わせ、極めて強力な魔力障壁を発生させます。呪いに対する耐性も格段に上がります。先の戦いで呑み込まれそうになった呪いから、アントニウス卿を保護する。これがこの腕輪の能力、というわけです」
「よりしぶとくなるってことか――なるほどな」
「竜玉が特徴的な形状をしているのは、ほとんど加工を加えていないから。なるべく効果を損なわず使うため、鍵剣のように原石を切り出して磨くのでなく、竜から取り出した原型を維持している。地金は
「ええ。意図を完璧に理解していますね。カリス・ラグランシア」
カリスが
気が遠くなりそうなほど、圧倒された彼。
どれだけ、手間がかかってるんだ――と。
「貴殿に預ける王国の命運。その値打ちに比べれば、この竜玉さえ安物です」
王国が滅べば、王家の至宝も意味をなさない。
女王の覚悟を思い知った。彼はさっと跪いた。
「もったいないお心遣い。大変痛み入りました。わが身命を
「殊勝な心掛け、まことに大儀。ですが、死に急いではなりませんよ。貴殿が生きて王国を守り続けること。それが余の望みですから」
こうして、「竜殺し」カロルス・アントニウス――シャルル・アントワーヌに三つの装備が下賜された。
***
「さあ、シャルル。それを身につけてごらんなさい」
好奇心を抑えきれないソフィアの要望を受けて、別室に案内されたシャルル。
まずは、『
試しにダガーを手に取り、皮衣の上から手首を切ってみた。刃が通らない。それどころか、皮衣に傷すらついていない。
胸板の上には逆さまに生えた、蒼い大きな鱗があった。これも刃を立ててみたが、まったく刺さる気がしなかった。
(コイツを鎖帷子のように鎧の下に着れば、刀傷を受けずに済みそうだ)
つぎは、『
革鎧の革も竜由来であろうか。大小の鱗片を組み合わせた外見は、工芸品のような見事な作り。いくつもの鱗片が、鋲でウーツ鋼の裏地に打ち付けられている。
実際に身につけてみると、想像していた革鎧より若干重く感じる。竜の鱗を使っているせいかもしれない。それでも板金鎧に比べれば軽く、はるかに動きやすい。
胸を強めに拳で叩いてみる。たしかに、まったくびくともしない。
(この取り回しのよさ。板金鎧を着たまま機動甲冑に乗るのは厳しいが、コイツなら着たままでも乗れるんじゃねぇか?)
女王があえて革鎧を選んだ意図は、そこにあるのかもしれない。
ただ、機動甲冑を降りて、いざ斬り合いになった時。この鎧で大丈夫なのか?
そんな不安がないわけではなかった。
最後に、『
鎧を着てわかった。蒼い鱗片の隅々まで、血が通っている感覚がするのだ。
(これ、魔力障壁ってヤツと関係が?)
装備を身につけた彼が、再び大部屋に戻った。
皆が度肝を抜かれた。そんな顔をされるほど、意外だったろうか。
「ソフィア様、いかがでございましょうか」
「たいへん良く……似合っておりましてよ」
(なんなんだ、その微妙な
どこか引きつった笑みに彼がいぶかしんでいると、カリスがこう言った。
「竜玉の腕輪と淡雪の鱗鎧が共鳴し、より強力な魔力障壁ができたようです。皮衣と鱗鎧だけで、風の魔術を完全に無効化する性質があります。竜玉の腕輪が生み出した魔力障壁にも、これは影響を及ぼします。その結果、生み出される魔力量は膨大なものとなります」
「ええ。皆が威圧感を受けるのも、無理は無いかもしれませんね」
カリスと女王を除き、誰もが圧倒されていた。
「じゃあ、宮中では腕輪は外しておいた方がいいのか?」
「いいえ、そのままで結構。無くしては大変なことになります!」
そうソフィアが慌てるほど。
この腕輪には価値があると思い知らされた。
「ああ、やはりわたくしの狙いどおり――いいえ、それ以上の効果を発揮できているようね! ね、どう? ベアトリクス」
「おほんッ。陛下。言葉づかいが
「もう、この子ってば。あいかわらずお堅いんだから」
茶目っ気を隠さない女王は、魔力障壁を前に
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