第20話 開戦の詔勅(1)

【お知らせ】地図を近況ノートに添付してございます。

https://kakuyomu.jp/users/maria_sayaka/news/16817139558570823969


 ***


 外交特使が書簡を持ち帰った。

 それには、こう記されていた。

 一週間以内に要求が認められない場合、カルディツァ郡への侵攻を再開する。

 それ以降、「直轄領との安全な交易は保証できない」と。

 穀物をはじめ、テッサリアとの資源交易は、直轄領にとって事実上の生命線。

 これを断たれることは、直轄領以北。

 つまり、王国中枢の存亡にかかわる。


「戦争やるなら、今しかねーな」


 こう、シャルルが言い放った。

 彼は今、カルディツァの屋敷の応接室にいた。

 その場に集ったのは、連絡将校アグネアことラエティティア・クラウディア。財務官僚ユーティミア・デュカキス。農務官僚兼キエリオン郡司代行フリッカ・リンナエウス。いわゆる、カルディツァの三官僚である。

 王都から彼と一緒に戻った、『資格者』オクタウィア・クラウディアも。

 家政婦長ヘレナ・トラキアみずからお茶を淹れる。

 侍女クロエ・トラキアは「人払いの魔術」に専念し、聞き耳を立てるものがいないか見張っていた。

 ヘレナとクロエを除いて、皆、唖然とした面持ちだった。


「小麦の収穫時期を過ぎたら、テッサリアじゅうの穀倉が満たされる。農民も兵役につぎこめる。イメルダが本来戦争しかけるなら、そこが最適のはずだ」

「その頃、直轄領は穀物の備蓄が底をつくでしょう。私のような財務官僚でなくてもわかりきったことです」

「その財務官僚様に頼みがあるんだが。ユーティミア」


 眼鏡の奥の瞳がキュッと細くなった。


「今、テッサリアに穀物がどのくらいあるか。ざっくりでいい。算出してくれ」

「これまた、難題を吹っ掛けられましたね。わかりましたよ」

「意外とあっさり引き受けたな」

「ええ。量が莫大なだけで、問題自体は簡単です。専門外の塩田の経営に比べたら、どうってことありません」


 応接室の長椅子。

 向かって左側には文官。右側には武官。

 右側に腰かける、紅い髪の女性に彼が言った。


「アグネア。テッサリアが動員できる兵力はどれくらいか、わかるか」

「少なく見積もって、五千は即応可能。隣接する郡の兵力まで割けば、多くて一万は集まる。だが、それが上限とみてよいだろう」

「根拠は?」

「東のトリカラに対する防備に最低一万を要するし、叛乱に備えて個々の郡に予備を確保する必要もある。北へ向けられるのは一万が限界、と私なら考える」


 整然とした回答。

 頷く彼に、左側の文官がこう切り出した。


「今のアントニウス卿の問いから推察するに。テッサリア軍がどれほどの戦力を投入し、どれほどの穀物を消費するか。それを見積もりたい。そんな意図でしょうか」

「ああ、まさにその通りだ」

「では、テッサリア軍がどれほどの輸送能力を有するか、も重要ではないかと」

「さすが、ユーティミア。兵站へいたんの概念がわかってきたようだな」

「ええ。さんざんやらされてますからねッ!」


 それを受けて、紅い髪の武官がこう言う。


「テッサリアの物流は、河川に依存している。どの川もペネウス河につながっているからな。緒戦でパラマス湊を押さえようとした意図も、おそらくそのためだ」

「つまりだ。俺たちがパラマスを押さえている限り、連中は街道で物資を輸送しなくちゃなンねぇってこった」

「それか現地調達。要するに、掠奪りゃくだつだな」

「よし、見えてきたぞ……エレーヌ、あれをここに」

「かしこまりました」


 ヘレナが大きな地図と小さな像を持ってきた。

 郡都カルディツァを中心に描いた地図を、彼が机に広げた。


「俺たちが最重要で守るべき場所は三カ所」


 チェスの駒に見立てた、みっつの小さな像を地図上に置く。


「パラマスと、あとはここ……そして、ここだ」


 それをみた皆が、絶句した。


「――カロルス、本気で言っているのか?」

「ああ」

「三万の民草が、暮らしていけなくなるぞ」

「ああ」

「民草を放り出せというのか。寒空の下に」

「戦火で焼け死ぬよりは生き残る目がある」


 アグネアが握りしめた拳で机を叩いた。


郡都ここを明け渡すってことなんだぞッ! わかってるのか!?」

「わかってる! そのために、フリッカをここへ呼んだッ!」


 二人の武官がつばぜり合いを演じるかたわら。

 指名された農務官僚フリッカが、襟を正した。


「フリッカ、キエリオン郡で郡都カルディツァの人口の半分を受け入れ可能か?」

「一万五千人の疎開、ですか……長期的には厳しいですが、短期的には可能です」

「具体的には、どれくらいだ」

「一カ月……いや、二カ月くらいなら、なんとか」

「食糧は可能な限り、カルディツァから運び出す。それならどうだ」

「――三カ月。これが目いっぱいです」

「上等だ。それ以上の戦いにはならねぇ――いや、違うな。それ以上かかったら、俺たちの負けで決まりだ。考慮しなくていい」


 皆が黙り込む中、色違いの目オッドアイの少女が手を挙げた。


「ひとつ、疑問があります」

「どうぞ、お嬢」

「三万の民草には住まいが必要です。どのように確保なさるおつもりですか?」


 折からの寒波で、カルディツァ郡にも雪が降る。

 石造りの家でさえ、すきま風が染み込んでくる。

 仮説の住居であれば、もっと過酷な生活になる。

 彼には腹案があった。


「あれだ。圧雪でイグルーを作るッ!」

「イ、グ、ルー……?」

「親父がそう言ってたんだが……そっか、これも通じねぇか」


 窓の外を見る。昨晩から雪が降り続いていた。


「お嬢は『氷』を扱うのが得意だったよな。じゃあ、実際に作ったほうが早い」


 雪が積もった庭に出ていったシャルル。

 雪を頑丈に踏み固めて、長辺一フィート、短辺半フィート、厚みにして六インチの大きさに切りだす。

 それを何個も作り、とぐろを巻くように、途中まで積み上げた。


「一つひとつの雪の塊は台形に近くする。長辺を上下に、短辺を左右に、これを上に向かって丸くなるように。てっぺん近くまで繰り返して積み上げる。最後はてっぺんを薄く広い塊でふたをする。そうすりゃ、雪洞と同じようなモノができる」

「なるほどぉ……」

「理想は大聖堂の丸天井みたいな、球を半分に割った形状だな。そうすりゃ、荷重が分散して、暴風雪にだって耐えられる強度が確保できる」

「わかりました。魔術で真似して作ってみますね」

「俺は作りやすいように通常の三分の一の大きさで作った。これの三倍の大きさで、やってみてくれるか」


 オクタウィアがいくつも印を結ぶ。

 雪が凝縮して固くなったあと、均等な大きさに切り刻まれた塊ができる。

 それらを風の魔術でふわりと持ち上げて、積み木のように重ねていった。


「うーん、四角を円形に組んだせいか。ところどころ、小さな隙間がありますね」

「そこは、より小さな塊を作って埋めていくか、大きな塊の台形をより適した形状にするか。あと、内部の凹凸はできるだけ少なくした方がいい。そこから解けた水がしたたってくることがある」

「水の魔術をる者として、ひと言申し上げても?」


 彼の肩についた粉雪を払いつつ、家政婦長が言った。


「小さな隙間でしたら、屋根から水を回してゆけば、塞げるのではないかと。内部も同様です。滴る水があれば、隙間を埋めるのに使えば、凹凸を削れますから」

「さすがだな、エレーヌ」

「いいえ。それほどでも」


 細かい調整を経て、綺麗な半球状の雪洞イグルーが出来上がった。


「おお、いい感じだ。あとは、積み上げた下に穴を掘って入り口とする。大事なのは中で窒息しないように、てっぺんのちょい下に小さく穴を開けておくこと。これで、空気の流れができるはずだ」


 出来上がった丸天井の雪洞イグルーに、試しに入ってみる。

 シャルル、オクタウィア、アグネアの三人が立って、ほぼいっぱいの広さだ。


「アグネア。ここで火を灯せるか?」

「大丈夫なのか?」

「ああ、問題ない」

「セット、ゲット・レディ――ファイア」


 瞬間、彼女の指先に丸い火が灯った。

 それが風穴かざあなに向かって揺らめき、伸びている。


「下から上に向かって風が流れている。問題なさそうだ」

「意外と暖かいですね。思ったほど、寒さを感じません」

「隙間を塞けば、中は温度が保たれる。毛皮を壁や床に敷きゃ、凍えずに寝られる。寝床より一段深く掘ってかまどを作りゃ、暖をとりつつ煮炊きもいける。普通の雪洞との違いは、雪深くなくても雪を固めさえすれば、どこでも作れること」

「石炭を燃やす時、煙の逃がし方が重要だな。さっそく工兵隊に研究させよう」


 作り方さえ教えれば、あとは勝手に研究してくれる。

 今までの経験から、そう、シャルルは確信していた。


「雪に事欠かない間は、これでしのげる。ということですね」

「ああ。母屋を大きめに作って、貯蔵庫を小さめに作るとか、融通も利く」


 雪洞イグルーを作り終えて、応接室に戻った。

 すると、人差し指で眼鏡をなおした財務官僚が一枚の紙を差し出した。


「アントニウス卿が雪遊びしてるあいだ。非常にざっくりですが、計算しました」

「――は、早すぎねぇ!?」

「超概算見積ですから。精度は低いです。ご了承ください」

「いやいやいや! むちゃくちゃ計算速いだろッ、お前!」

「こんなの、財務官僚やってる人間には、朝飯前ですから」


 口元を緩めたユーティミア。

 さっと紙を渡してきた彼女に、アグネアが問うた。


「ユーティミア。算出の根拠をお尋ねしてもよろしいか?」

「ラリサに通常あると考えられる穀物の備蓄量を求めます。その他軍隊が駐留可能な規模の都市の平均的な備蓄量に都市の数を掛けて、ラリサ以外の備蓄量を求めます。これらから、都市人口を維持するために必要な備蓄量を除きます。残った備蓄量の合算値がこれです。なお、農村は面倒なので計算に含めていません」

「問題ねぇ! 農村からかき集めるほうが、手間かかるだろうしな」

「この量だと……ラリサにある穀物備蓄だけでは、五千の精鋭を二か月分動かすのがやっとだな。ラリサ以外の備蓄を投入しても、ラリサ以外の五千の兵を投入すれば、やはり二カ月しか持たない」

「じゃ、ユーティミアとアグネアの見解をまとめようか。テッサリアが今から戦争を継続できるのは二カ月から四カ月。それも兵站が十分に機能した上での話だ」


 シャルルが不敵な笑みを浮かべる。


「そこでだ。あえてテッサリア軍を郡都ここに引き込む。もちろん、遅滞戦術を使って、押し込まれた形をとる。罠だと悟らせないためにな」

「……あの、閣下」

「なんだ、フリッカ」

「可能な限り、郡都ここから食糧を運び出すとおっしゃいましたね。それはつまり」

「遅滞戦術で時間を稼ぐ間に民草を疎開させて、できる限り食糧や財物を持ち去る。間に合わなければ、街に火を放つ」


 絶句。


「すると、敵方が歓喜とともに入城した郡都ここでは、食糧が確保できなくなる。街道を使って輸送を試みるだろうが、そこを奇襲して叩く。そうすれば、大軍勢はたちまち干上がっていく。こういう算段さ」

「だから、パラマスを絶対に死守するということか」

「そうさ。海産物が豊富なアルデギアを、食糧供給可能な後背地として確保しておく目的もある。浜街道と中街道を経由すりゃ、郡内北部の補給路になる。だよな、ユーティミア」

「カルディツァと直轄領の中間点、中街道沿いのミトロポリの街から。キエリオン郡レンティナ村まで。ここはパラマス川と曳舟道ひきふねみちを使った水運が可能です。アルデギアからここまでが守れれば、領内の兵站線へいたんせんが確保できます」


 ユーティミアの眼鏡が光る。

 財政の専門家であった彼女。今や、カロルス・アントニウスが治める二郡の物流を掌握した、有識者でもあった。


「そのためには、このカルディツァの北の街、カリフォニ。そして、東のキエリオン郡の街、アルニ。あとは、パラマスが絶対死守すべき防衛線となる。その後ろがミトロポリとキエリオン、アルデギア地方だからな」

「つまり、カルディツァの人口三万のうち、半分を北へ、半分を東のキエリオン郡に疎開させる。そこに要害を構築する。それが閣下の思惑なんですね」

「ああ! そういうこった」

「わかりました。今しがた雪洞をこしらえたと伺いましたが、毛皮の代わりに羊毛を手配しましょう。キエリオン郡は東のメネライダをはじめ、羊飼いが多いので」

「そっか、羊毛があったな!」

「ええ。余るほどございますので、土にきこんで使おうと思っていたくらいです。それを融通させましょう」

「助かった! あんがとな!」

「発想が何もかも無茶苦茶だ……だが、意図は理解した」


 郡都を防衛するための作戦計画。

 それを立てていたアグネアには、受け入れがたい作戦といえる。

 ただ、関所が破壊され、直轄領の防衛に従来以上の戦力を割かねばならない。

 アグネアが計画に織り込んでいた、王国軍の増援が見込めない状況でもある。


「できれば、カンボスはさっさと明け渡して、中隊をパラマスに向かわせたい。今の状況じゃ、川を使った水運はできないしな。敵を引き込むと決めた以上、カンボスを維持し続ける戦略的意義もねぇだろ」

「承知した。カンボスを無血開城する代わりに、部隊を無傷で撤退させる。その旨、テッサリア軍に急ぎ申し入れよう」

「王都の軍務官僚が混乱してるのは、あのファビアって婆さんも多少掴んでるだろうさ。厭戦気分を匂わせて、開戦の詔勅が出る前に片づけたい。頼んだ!」


 作戦会議を終えた彼は、再び王都へと帰っていく。

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