第19話 クロス・ザ・ルビコン

 熾烈な戦いを演じた、鋼鉄の槍騎兵が王都に帰投した。

 アルス・マグナの格納庫で槍騎兵から縄梯子を下りたところで、壮麗な衣装を身にまとった近衛兵たちが毅然と立ち並ぶ。


「お待ちしておりました。アントニウス卿。罪人の身柄はどちらに」

「――まことに申し訳ない。取り逃がし申した」


 近衛兵たちの表情が険しい。


「敵の機動甲冑の襲撃を受けた、とは聞き及んでおりますが。取り逃がしたと?」


 頷いたシャルル。その場でひざまずいた。

 腰に差した長剣を鞘ごと外して床に置き、首を差し出す。


勅命ちょくめいを果たせず、逆賊を殺せなかった大罪人だ。陛下に合わす顔がない。ここで首をねるがいい」


 その場で斬首されても、文句は言えない。と覚悟を決めていた。

 重たい空気の中、一番立派な階級章をつけた近衛兵が口にした。


「――いいえ、そのような勅命は承っておりません。貴殿を謁見えっけんの間にお連れせよとのご下命にございます」

「うけたまわった」


 シャルルは立ち上がり、両手を差し出す。


「ともあれ、勅命を果たせなかった。これは事実だ。その鎖をかけるがいい」


 めったに表情を崩さない、近衛兵の表情が凍りついた。


「――失礼いたします。手首に鎖をおかけするように」


 本来、罪人ジェリコを拘束するための鎖が、彼の手首にかけられた。

 初めてソフィア王女の馬車に乗ったとき、手首を縄で縛られて以来。

 そのときとは、あまりにも重みが違った。


「長剣のほうは、お預りいたします」

「かまわない。お手間をおかけする」


 彼の長剣を押し戴くように、近衛兵が捧げ持った。

 資格者という立場が、いかに厳格に扱われるか思い知る。

 女王直属の近衛兵十数名とともに、円柱が並ぶアルス・マグナの廊下を抜け、彼が連行された先。そこは謁見えっけんの間。

 両脇をかためる貴族が数十名。女王ディアナ十四世の表情はおごそかである。そのかたわらに立つことを許された、『資格者』オクタウィアの表情もまた硬い。どんな追及が待つのか、想像に難くない状況だ。

 女王が右手を挙げる。法務卿が進みでて、彼に問うた。


けいは、勅書ちょくしょをお読みになりましたね。アントニウス卿」

「はい。うけたまわりました」

「ソフィア王女殿下。そして資格者オクタウィア・クラウディア殿の証言によれば。護送中の罪人を殺害しようとしたとき、敵の機動甲冑の襲撃を受けたと。罪人とその機動甲冑はどうなりましたか」

「交戦したものの、逃げられました」


 両手、両膝を床について、深々と頭を下げる。


「まことに、面目ない。わが首をもって、つぐない申しあげる」


 そのシャルルの姿に、貴族の御歴々おれきれきたちが、絶句した。


「――資格者たる者、軽々しく土下座どげざなさるものでない。お顔をお上げなさい」


 大蔵卿コンスタンティアが沈黙を破った。

 それを待って、その他の貴族たちも口を開いた。


「それよりもです。竜をも殺す貴殿が、なぜ罪人を殺せなかったのですか?」

「勇敢な貴殿が叛逆者を殺しそこねるなど、考えにくい。よもや、テッサリアと内通など、あるまいな?」


 ひょうのように降り注ぐ、責め口の数々。

 当然の報いだろう。

 うなだれていた彼の耳に、凛々しい王女の叫び声が届いた。


「申し訳ありません、皆様! 遅くなりました」

「勅命にしたがい、カリス・ラグランシアを連れてまいりました」


 ソフィアと近衛兵に伴われ、カリスが謁見の間に招かれた。 

 その手首には、彼と同じ重い鎖がつながれている。


(小さな大賢者様よ。お前も、王族殺しの大罪人扱いだったよな)


 目があった。ほんの一瞬。

 互いの境遇を認めあった。そんな気がする。


「これで役者がそろいました。前座はここまで。といたしましょう」


 女王の言葉に、貴族たちが一斉に口を閉ざす。


「アントニウスよ。罪人を取り逃がした。遺体を持ち帰るように伝えた、余の命令をたがえた。この不始末、どのように収拾するのですか?」

「――お待ちください、陛下」


 女王の発言、あるいは他者への問いかけ。

 それをさえぎることは本来、禁忌きんきのはず。

 皆の視線が、ソフィア王女に突き刺さる。


「そうおっしゃるのでしたら、勅命ちょくめいを取りついだわたくしも責任を免れません。彼の意思決定の過程に、わたくしも少なからず関与しておりますゆえ」


 どよめく貴族たち。彼もまた絶句した。


(何を考えてる、ソフィー!? そんなこと口にしたら――)

「その発言は聞き捨てなりませんね、第二王女ソフィア。この場で何らかの申し開きをする覚悟が?」

「はい。でなければ、今、この場に立っておりません」

「よろしい。発言を許します。第二王女ソフィア」


 厳格すぎる母子のやり取りに、場が凍りつく。

 シャルルも、貴族たちも、オクタウィアさえも息を呑んだ。

 異様な空気をものともせず、王女はよどみなく、弁舌爽べんぜつさわやかに語った。


「わたくしがカルディツァにいる間、資格者カロルス・アントニウスはひどい悪夢にうなされておりました。カルディツァで彼の家政婦長を務めているヘレナ・トラキア――侍従長のご令嬢がその状況を存じています。そうよね、オクタウィア」


 オクタウィアに向いた碧い眼差し。


「……はい。私が罪人護送でカルディツァを発つ、前夜のできごとと伺いました」

「それからまる二日間、彼は眠りつづけます。長い眠りから目覚めた彼は、私に打ちあけてくれました。『啓示』を受けた、と」


 その瞬間。ピリッと空気が変わる。


「その内容はこうです。イメルダに告発された罪人が王都に送られた。裁判の結果、市中を引き回された罪人は四つ裂きの刑に処される。七つの角笛が鳴らんとした、その瞬間。いかづちとともに敵の機動甲冑が現れて、死刑執行人もろとも、集まった観衆を焼きつくしていった、と」


 唖然。


「それだけにとどまりません。口にするのがはばかられるのですが。あえて申し上げます。罪人を乗せたくらい色の機動甲冑は、王都を破壊しつくしてゆきました。大聖堂も、大図書館も、もちろん王城さえも。地上にあるものをことごとく」


 戦慄。


「おそらく、龍脈の流れが破断されたのでしょう。魔力マナの出口を喪った大ルキア山は火を噴いていました。その溶岩流は、アルフェウスの流れをも堰きとめ、大湿地帯を覆いつくしてしまった、と」

「そんな……」


 顎を震わせたオクタウィアに、ソフィアが呼びかけた。


「シャルルが最後に助けようとしたのが貴女あなただったそうです。オクタウィア。でも、助けられなかった。腕の中で息絶える貴女あなたの姿に、慟哭どうこくするほかなかった、と」

「…………」

「彼は目覚め、悟ったのです。これがただの悪夢でない、と。魔力マナの流れを絶たれてしまったわたくしたちがたどる、不幸な運命を暗示する何かである、と」


 皆々の関心と視線。

 一身に引きつけて、ソフィアは再び語る。


「彼はわたくしに言いました。罪人を絶対に王都に入れてはならない。王国の破滅がその先に待っている、と。ただの世迷言よまいごとと思ったなら、わたくしは意に介さなかったでしょう。ですが、彼は『資格者』なのです。皆様がご存じのとおり」

「――ラプラスラプラケイ・のあくまディアボルス――」


 王女のかたわら、手首を鎖でつながれた小さな大賢者が放った一言。

 女王の尊顔が一変した。眉がつり上がり、紅潮した頬と額に伝う汗。


「デルフォイの巫女みこける『神託』がそうであるように。高い魔術的素養を秘めた存在は、まれに啓示を享けることがございます」

「……それは、たしかにそうでございます。選定の剣を抜かれた方でもある。相応の素養があるのは理解できます」

「ですが、同じ機動甲冑どうし。条件は五分のはず。なぜ、殺しきれなかったのか。その一点が、納得がゆきません」


 張り詰めた空気のなか、伝令が駆け込んできた。

 閣僚のひとり、第二軍務卿ユスティティア・クラウディアの手に書簡が渡る。

 記された中身に挙手も忘れ、いきなり立ち上がり、こわばった表情で叫んだ。


「ご無礼を! 陛下、一大事でございますッ」

「どうしたのですか。ユスティティア」

「関所が奇襲されました! 大門をはじめ、大部分が破壊され、宿場町にも延焼との急報でございますッ」

「なんですって!?」


 女王すら言葉づかいがに戻るほど、衝撃的な報告。

 その場にいた誰もが、顔面蒼白になり、ほうけていた。

 王城の物見たちから、聞いたことない報告が相次ぐ。


「南方の山地にて煙が多数ッ」

「山火事が起きておりますッ」


 そこに集まった誰もが、ある惨事を連想した。


「……ジルトゥニオンの、山火事……」


 肩を落とす大蔵卿コンスタンティア。

 深いしわを寄せた額を押さえ、深くうなだれていた。


「間違いありません。これは、敵の機動甲冑による攻撃としか考えられない」


 カルディツァで情報収集と分析にあたった当事者。

 第二軍務卿ユスティティアの言葉は、ひじょうに重たかった。


「アントニウスの見た『悪夢』とは――やはり、『啓示』だったのでしょうね」


 すでに険しい顔になっていた女王は、続けて言った。


「彼が運命に介入した結果、少なくとも王都は守られた。けれども、運命そのものを消し去るには至らなかった。王都がたどるはずだった運命が、関所に降りかかった。これが事実なのでしょうから」


 誰も言葉を発さない。いや、発せないのか。


「アントニウスの上奏を受け容れ、裁可を下したのは余です。このに及んで、彼ひとりに、責任を押し付けるつもりはありません。ひとえに罪人の召喚を命じた、余の不徳がこの事態を招いた。これが結論です。さあ、皆。国家の大事が待っています。おのおの、持ち場に戻りなさい」


 女王ディアナ十四世は、謁見の間に集まった一同の解散を決定した。


 ***


 敵の機動甲冑から襲撃を受けて、罪人を護送していた部隊が全滅した。

 衝撃をもって報告を聞いた王都の官僚たち。王都防衛の最重要拠点である関所が、敵の機動甲冑に破壊されたと追い討ちがかかる。その一報に、軍務官僚のひとりが卒倒したほど。

 テッサリアの主都ラリサの外交特使からも急報が届く。機動甲冑の保有に関する条約交渉中であった。テッサリア側の首席交渉官、ファビア・ウァルスから一方的に交渉の打ち切りを宣言された知らせは、外務官僚たちを混乱へとたたき落とした。

 だれが責任を取って更迭されるか。そんな次元を易々と超えて、王国の存亡が切迫している。誰の目にも明白な事実ばかりだ。


「こんな時に、わたくしたちを集めた真意をお聞かせ願えますか。お母様」


 ソフィアが問う。

 ここは王城の一室。カリス・ラグランシアが軟禁されている部屋。

 その大部屋の一角。そこかしこ、雑多な本が山積みになっていた。


「資格者を三人。王族もわたくしを含め……三人」

「ご無理はなさらないでくださいませ、総裁殿下」


 王太子ベアトリクスも車輪のついた寝台で上半身を起こしていた。

 部屋の中では手錠を外されたカリスが、しきりに気にかけていた。


「無理をいって皆を集めたのは、今後の話をしたいからです」


 テッサリア側から交渉の打ち切りと一緒に、手交された文書があった。原本は特使が持ち帰るが、速報として、概要を記した書簡が女王宛てに届いた。


「イメルダの奴隷ジェリコは殺害を恐れ、テッサリアへの帰順を望んだ。ついては、ジェリコの身柄はテッサリアで預かる。ゆえに、条約交渉は無意味である。機動甲冑『エールザイレン』の保有を容認せよ。イメルダは暗にこう言っているのです」

「自分の奴隷を叛逆罪で告発したと思ったら、今度は引き渡しを拒否……いったい、何を考えているのかしら。シャルルはどう思いますか?」


 主人から意見を求められた、唯一の男性にして、皇帝の嗣子しし

 ルキウス・カロルス・アントニウスとかいう大層な名。そうではなく、耳馴染んだ名前を変わらずに呼んでくれるソフィアに、彼は答えた。


「『神託』とやらをけた者の見解、と受け取られるのでしょうか」

「もちろんですとも」

「ああ……では、遠慮なく申し上げます」


 一同、ゴクッと唾を呑みこむ。


「イメルダは、王国を滅ぼしたいのではないでしょうか」


 皆、押し黙った。


「王国への忠誠を誓うか? こう、ジェリコに訊ねました。アイツ、なんと言ったと思います。王国、ルナティアをつぶす、ころす――こう、言ったんです」

「……ええ、たしかに。そのように、口にしていましたわね」

「俺を咬み殺そうって勢いだったから、その殺意が言葉に出たのかと思いましたが、どうも違うような。アイツの挙動に気になるところがあって」

「ん。挙動、とは?」


 怪訝そうなカリスに、彼は事もなげに言う。


お前の機動甲冑ドラヴァイデンに訊いた方が早いんじゃねぇか」

「……と、言いますと」

「お前の場合は口で説明するより、こっちが早いな。エールセルジー」

『はい、マスター』

「エールザイレンとやりあってた時にお嬢の戦いを俺に見せてくれたな。同じように今回の戦闘をカリスの相棒に送ってやってくれ。出来るだろ?」

「師範、出来たら私にも」

「追加注文だ。サイフィリオンにも同じように」

『了承。ネットワーク接続――当機の戦闘記録、ドラヴァイデン、サイフィリオンへ転送――』


 しばらくすると、色違いの目オッドアイの持ち主と、青い目の賢者が目を見開く。


「興味深い。機動甲冑を動かしたことのない私自身が、敵と戦った感覚です」

「それだ。俺もオクタがアイツと戦った経験をもとに、アイツとやり合った」

「戦闘の最後に、エールザイレンが不可解な挙動を示していますね。なんらかの障害があったか……これは、どういうことでしょうか」

「俺やエールセルジーが受けた、クラなんとか。みたいなヤツか?」

「エールセルジーがなんらかの対抗術式を構築して反撃を試みたようですが……おそらくは、エールザイレンに対する逆干渉を行ったようですね。しかし、それだけでは説明がつかない」


 腕組みする小賢者。


「機動甲冑という存在は人間と同じく複合属性を持ちます。本来、外部からの干渉に強固な耐性を持っているわけです。エールセルジーは前に言ったとおり、本来の操縦席ではないモノが組み込まれているために、脆弱性を抱えているのですが」

「ああ。その怖さ。身にしみてわかったよ」

「非常に危険な状態だったと思われます。機動甲冑は自らよりも操者を最優先にする性質があるからこそ、騎士殿が全力で守れと指示をしたことで守りきれた。彼女エールセルジーは騎士殿に自らの操作を預け、能力の全てをエールザイレンからの干渉への対処に注力できた。しかし、それを考慮に入れてもなお、エールザイレンの撤退には不可解な部分が見て取れます」

「それだ。俺を殺すって殺意を剥きだしにしたヤツが、敵前逃亡なんてするか?」

「機動甲冑は基本的に操者を守ることを第一義とします。しかし、操者の意思決定を最大限尊重する。いくらかの妥協案を提示するんです」


 シャルルは頷く。

 オクタウィアの戦闘でも、シャルル自身の戦闘でも、そうだった。

 機動甲冑が『撤退』を意見具申することはままある。しかし、何らかの理由で乗り手が撤退を拒めば、それに代わる何かを提案してきた。

 それゆえに、彼はエールセルジーを信頼している。


「エールザイレンの操者は何かに抵抗し、明らかに屈服した。機動甲冑がそこまでの強制力を行使するなんて、絶対にあり得ません」

「だとすりゃ、うーん……」


 腕組みしたシャルルが思いついた。


「例えばさ。お前の飼ってる猛禽もうきんトラみたいなことは、ヒトでもできるのか?」

「召喚魔術ですね。不可能ではありません。原理上は――ですけど」

「なんつったかな……アレだ。真の名、とやらを握られたら?」


 空色の瞳が開く。


「理屈の上では、です。真の名を掴めているのであれば、万物をその手にできます。でも、人間相手では他者の真の名を暴くことはもちろん、仮に掴んでいたとしても、その魂からの抵抗は尋常ではありません」

「思い出してきたぜ、その話。複合属性とかそのへんもな。魂による抵抗ってヤツは平たくいえば、強い意志を持つって意味でいいんだよな」


 頷く賢者。


「じゃさ、真の名を掴んだと仮定したうえで、意志を弱めりゃどうなる。たとえば、それこそ薬物とか使って酔っぱらわせたり、とかさ」

酩酊めいてい状態ですか。うーん……仮定の時点で、突飛な話にしか思えませんが。できなくはない、というところでしょうか」

「じゃあ、可能ってことだな」


 ひとつ気にかかっていたことがある。


「アイツの肌に、無数の引っかき傷があった。あれは自傷の痕だ。戦場で痛み止めを使いすぎた連中が、幻覚を見たり、かゆみを覚えたりして、自分で自分を引っかいた痛ましい姿を見た覚えがある。なんつーか、あれに似ていた」

「つまり、罪人は麻薬中毒者であると?」


 その会話のかたわらで、病床の女性がつぶやいた。


「――痛み止め……麻薬――あっ、大麻草。そういえばッ」

「お姉様、どうかなさいましたか?」


 胸をさする姉に、ソフィアが寄り添う。


「ありがとう。ずっと前、大蔵卿がぼやいてたことを思い出したの」

「なにかしら? 話してもらえるかしら、ベアトリクス」


 母にうながされ、目をつぶった病床の王太子。

 数年前の出来事を回想し、言葉に紡ぎ出した。


「イメルダ・マルキウスは痛風をわずらっている。大麻草から作った高価な痛み止めをサロニカから買っているらしい。すぎた贅沢を数十年と続けた結果だろう。当家も気をつけねば――このように申しておりました」

「痛み止めとして麻薬、あるいは摘発された大麻草のような何かを持っている可能性がある。そうお考えなのですか、お姉様は」

「ええ。それを転用すれば、アントニウス卿が口にした行為もできうるかと」


 十五の少女の紅顔に。

 似つかわしくない、しかめっ面がつくられる。


「考えたくない、じつに不愉快な想定でありますが――それらすべてを満たすなら、あの抵抗の末の、不本意な撤退にも納得がいきます」

「どうやって、真の名を暴いたのか。わたくしにはわかりません。アルス・マグナの誰に聞いても、こう口にするでしょう。『そんなことはあり得ない』と」

「総裁殿下のおっしゃった謎は脇に置いて。ジェリコという『資格者』をイメルダ・マルキウスが召喚魔術により使役できたとしましょう。その場合、機動甲冑ですら、阻めないのではないかと」


 シャルルとオクタウィアが顔を見合わせる。


「なぜなら、召喚魔術とは、魂そのものに対する鎖であるから。機動甲冑は魔術回路を通じて、操者のあらゆる身体的状況を把握可能ですが、魂という領域はそれらとは埒外らちがいの何かですから。騎士殿のおっしゃる仮定を前提に、もし、操者が使役されていたとしましょう。ここから想定される結果は、非常に重大です」


 首の筋が浮き出た、こわばった顔と肩。

 小さな大賢者の話は実に深刻であった。


「くだんの山火事と同じ災害を関所で起こす。機動甲冑の性能ならば十分可能です。それゆえ機動甲冑は鹵獲されないよう、外部からの干渉を受けないよう、設計されています。ところが、召喚魔術の鎖はこれさえすり抜けて、操者の魂そのものを縛る。考えられうる、最強の兵器ではないでしょうか」

「わたくしも――アルス・マグナ総裁として、カリスと同じ見解です」


 アルス・マグナが誇る、傑出した魔術師。

 その二人がたどり着いた結論に、彼は大きく頷いた。


「であればだ。唐突な条約交渉の打ち切りも、説明がつくんじゃねぇか」


 資格者として得た『啓示』ではなく。

 二つの郡を治める支配者として得た『確信』を、彼は冷徹に述べる。


「はじめっから、イメルダは機動甲冑を引き渡すつもりなんてなかったんだ。王都で処刑されるジェリコが機動甲冑を呼び出せば、王都を軽く吹っ飛ばせる。トロイアの木馬だな」

「……もく、ば? それはなんでしょうか、師範」


 古代ギリシアの有名な逸話。

 しかし、この異界では通じないらしい。


「神代からの言い伝えにたしか。戦利品として敵に明け渡した像の中に精鋭が潜み、隙をみて敵の城に味方を手引きした……そんな逸話があったような」

「陛下のおっしゃった言い伝えに近いです。敵を油断させ、内部から攻撃する策略のことを、俺の世界では『トロイアの木馬』と呼んでいた」

「……なるほど。勉強になりました」

「それが成功すれば、自分を抑えつける権威が地上から消えてなくなる。国体が崩壊する混乱のなかで最強の手駒を使えば、『辺境伯』どころか、新しい『王』にだって君臨できる。どうだ。筋道として通ってると思うが?」


 見渡した一同、表情は硬かった。


「師範の口から次々、あまりに恐ろしい話が飛びだしてくるのに、ぞっとします」

「――だけど、理に適ってはいるわね。異界から来たシャルルだからこそ、こういう話が平然とできるのでしょう」

「最悪の事態を阻んだのに、そんなバケモノ扱いされても。なぁ、カリス」


 同意を求めた小賢者は例のごとく、ぶつぶつとひとつ。


「機体の自動制御に支障をきたす高負荷状態……機動甲冑の性能より、操者の能力がモノをいう……『竜殺し』とただの奴隷の戦いとみたとき、明らかに後者が不利……でも、ジェリコからは殺意しか感じられなかった……他に誰もいないはずの戦場で、引き際を見極め、撤退を強要できる第三者の存在……不可解なことが多すぎる」

「たしかに、ジェリコが使役されている、という前提があれば、それらの状況すべて辻褄つじつまが合うのですけれど。でも、人間の真の名を暴くなんて、いったいどうすれば……」


 二人の傑出した魔術師の長考。

 それは、最上位の魔術師でもある、最高権威者アウトクラトールに破られた。


「――やはり、『テッサリアの駿馬』。彼女が関与している、ということね」


 女王の口が開き、皆が押し黙った。


「不利な戦況を読み、そして撤退を強要できたのは、同じく歴戦の猛者もさである彼女。召喚魔術の件も、関所を破壊した件も、きっと……そうなのでしょう」


 その眼差しに、もはや迷いはない。


「外交特使が書簡を持ち帰ってきます。おそらく、最後通牒でしょうね」


 ――ルビコン川を越えてクロス・ザ・ルビコン――。


 女王がこう口にした一言で、シャルルはふたつの確信を得た。

 ひとつ。この君主が、テッサリアとの戦争を決意したことを。

 ふたつ。この世界は、彼の生きた世界のはるか未来さきにあると。

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