第18話 資格者特権

「でっかい馬じゃのぉ!」


 関所の通用門。

 そこへ行列をなしていた民草たち。

 指さす先にそびえ立つのは、巨大な鋼の槍騎兵。

 関所を守る精鋭たちの隊長が大声で呼びかける。


「これは、アントニウス卿。いかがなされた?」

「王都に至急の用件だ。大門を通してもらえるか」

「一刻の猶予もないのです。お願いします!」

「え、そのお声は……ソフィア王女殿下もご一緒でしたか!?」

「大門、ひらーけー!」


 すぐさま、大きな扉が開かれる。

 機動甲冑も通れる、鋼鉄の扉を抜けた。


「みな、ご大儀です。王族のひとりとして、お礼申し上げますね」

「ありがたき幸せ! 皆のもの、王女殿下に敬礼ッ!!」


 関所をあっさり抜け、さらに街道をゆく。


「あの、ソフィア様」

「ソフィーと呼んで下さらないのです?」


 沈黙。


「ソフィーは先ほど、どんな手を使ってもジェリコを止めるとおっしゃいましたが、どうなさるおつもりですか?」

「あら、資格者特権がおありでしょう」


 女王の勅命以外、法令をすべて拒絶できる特権。

 資格者が現れず、事実上死文化していた権利だ。

 しかし、王国の律法書には厳然と刻まれている。


「告発状をうけて『資格者』ジェリコの身柄確保を命じたのが、他ならない女王陛下なのでは?」

「ええ。ですから、陛下に異議を申し立てるのです。『この者にアルフェウスの濠と王都の城壁を越えさせてはならない』と」

「陛下に俺の意図が伝わるでしょうか?」

「意図が伝わらずともよいのです」


 何を言っているのかわからない。

 そう言いたげな顔をした彼に、王女が訊ねる。


「改めて問いましょうか。資格者特権とは何ですか?」

「女王陛下以外のありとあらゆる束縛を一方的に拒絶する権限、ですよね」

「それは正しくもあり、間違ってもいます」

「わかんねぇ、何が間違っているんですか」

「バルティカ帝国の帝位請求者は誰ですか」

「――――」


 絶句。

 同時にわかった、二つの事実。


「ルキウス・カロルス・アントニウス――このわたくしを抱きしめておられる貴殿きでん御名ぎょめいではありませんか」

「やめてくれッ、ソフィー」

「――なんてね。ただの戯れですわ。ごめんあそばせ」

「……」

「あなたがそのように扱われることを望んでいない。その件も含めてすべて、お母様からお話を聞いておりますの」

「……」

「ご安心なさい。あなたはこのわたくし、ソフィア・ディアナ・アルトリアのカッコいい騎士、シャルル・アントワーヌなのです。これからも、ずっと」


 その透き通った瞳の凛々しさは、今までと変わっていなかった。


「あなたが私の身を護り、私があなたの立場を守る。ただそれだけのこと。何も変わらない、今までどおりですわ」

「お気遣い、痛み入ります」


 そして、ソフィアが種明かしを始めた。


「シャルルは資格者です。けれど、お母様とわたくしたち姉妹に限っては擁護すべき皇帝の落胤らくいんでもあります――あなたが望む、望まないにかかわらず、ね」

「……」

「要するに、世間の者にとってはただの資格者特権でも、お母様にとっては皇帝特権――いえ、絶対命令権ともいえます。これがどれほどの強硬手段か、おわかりになるかしら」

「大変、よくわかりました」

「――なんて、話をしているうちに。追いついたみたいですわね」


 一マイル先に蒼穹色の巨人と、檻付きの馬車。

 その前後を取り囲む、八〇余名もの精鋭たち。


「右側を追い越して、ゆく手を塞ぎましょう」

「かしこまりました、ソフィア様」

「――今後、ふたりきりの時は『ソフィー』とお呼びなさい」


 エールセルジーは護送の隊列を半マイル追い越した後、きびすを返した。


「エールセルジー、サイフィリオンと会話することはできるか」

『肯定――サイフィリオン、交信受諾――ネットワーク接続』


 ざっと砂を噛んだ音。


「こちら、カロルス・アントニウスだ。サイフィリオン、聞こえてるか?」

『肯定。マスター・アントニウス、ご要件をどうぞ』

「オクタウィアと会話がしたい。できるか?」

『了解。パイロットに確認――』

「大事な用件なんだ。急いでくれると助かる」


 しばらく待つ。

 やや明るい口調の声が割り込んできた。


『よかった、師範。お元気になられて』

「それはこっちのセリフだ。護送中、特に異常はなかったか」

『……? はい、何の問題もありませんでしたけれど』

「ならよかった。罪人はまだ、檻の馬車の中だな」

『はい。鍵剣を没収のうえ、厳重な監視下にあります』

「なら、話は早い。今すぐに、ジェリコの首を落とせ」

『…………』


 沈黙が重い。

 何を言っているの?

 そんな意図が透けてみえる。


「我、カロルス・アントニウスは『資格者特権』を行使する。罪人ジェリコを王都に入れることなく、ここで首をねるべきだと主張する」

『何を……おっしゃって、いるんですか……師範』

「ソイツを王都に入れれば、裁判に掛けられる。どのみち、死罪は免れない。どうせ四つ裂きの公開処刑にでもされるんだろうさ。結果は明白だ」

『……ッ』

「そんな面倒なことやるより、ここで斬り殺してやった方が早い」

『それは……できませんッ。王国法から逸脱することになります』

「だから言ったろ。『資格者特権』を行使する、と」

『…………』


 再び、絶句。


『お……王国法によれば……女神の名のもと、神聖なる裁判を開いて――』

「――お前ができないというなら、言い出しっぺの俺が手を下してやる。人を殺すのは大の得意だからな」

『なぜですかッ、アントニウス卿。いやしくも王国の貴族に名を連ねるあなた様が、唐突にそのようなッ!』

「理由はただひとつ。叛逆者から王都を守るためだ」

『わかりません! 王国の法体系は恣意的な統治を防ぐために欠くべからざるもの。それから逸脱する理由が、私には理解できません!』

「――なるほどな」


 シャルルは理解した。

 今のままでは無理筋むりすじだと。

 ソフィアが言った通り、筋道を通そうと。


「オクタウィア・クラウディアもまた『資格者』だ。女王陛下以外のいかなる制約を拒絶できる。お前の意見を理解の上、俺は陛下に異議を申し立てよう。『叛逆者のコイツに、王都の石畳一枚たりとも穢されちゃならねぇ。即刻処刑すべきだ』と」

『……』

「陛下のご裁定が下るまで、俺は罪人をここから一インチも先に進ませるつもりはねぇ。これが最大限の譲歩だ。頼む、オクタ」

『……わかりました、アントニウス卿』


 ***


 二機の機動甲冑が対峙する。

 その異常事態に、罪人を護送する隊列も止まった。

 双方の資格者が降りてくる。

 何のつもりだ――王国兵たちがいぶかった、次の瞬間。


「ごきげんよう、皆様」


 巨大な像から飛び降りたと思いきや。

 太ももを隠す腰布を押さえ、地面でふわりと浮き上がって勢いを殺し、静かに石畳の上に立った淑女。

 その金髪碧眼の持ち主が、こう言い放った。


「カロルス・アントニウスが『資格者特権』を行使する旨、わたくしソフィア・ディアナ・アルトリアは確かに聞き及びました」

「お――王女殿下ッ!」


 一同が跪くなか、王女は泰然として言った。


「王族として、陛下に資格者からの奏上を伝える責務がございます。今すぐに、紙と筆をここへお持ちなさい」


 ソフィアが速やかに上奏文を認める。

 特殊な魔術か、何か、施しているのだろうか。

 墨痕鮮やかな第二王女みずからの署名以外、一切読み取れなかった。


 精鋭のひとりが猛禽もうきんを召喚する。

 王女の書簡を携えて王都へ飛び立った二時間後、返書を携えて戻ってきた。

 月の女神セレーネの恩寵おんちょうによる月の王国レグナ・ルーナの女王ならびに信仰の擁護者ディアナの署名が末尾に刻まれた以外、白紙である。

 それを受けとったソフィアは、事もなげに一言。


「――インジェクション」


 たちまち紙に文字が浮かび上がり、効力を有する勅書ちょくしょとなった。


「これは資格者カロルス・アントニウス、資格者オクタウィア・クラウディア、両名に対する命令書です。そして、以下の条件で罪人の処遇をカロルス・アントニウスにゆだねよ、と書いてますわ。ごらんなさい」


 護送隊長に、王女が勅書を手渡した。

 読み上げる表情が険しくなってゆく。


 ――――――――――――――――


 余は資格者カロルス・アントニウスの異議申し立てを受け容れる。ただし、すべてに先立って、罪人ジェリコに対して以下を問う条件を課す。


 一、王国への忠誠を誓うか否か

 一、鍵剣ならびに機動甲冑『エールザイレン』の引き渡しに応じるか否か


 いずれも否と回答する場合、『罪人ジェリコを即刻処刑すべし』との資格者カロルス・アントニウスの上奏を受け容れるものとする。なお、刎ねた首と胴体はいたずらに損傷させず、検分の為に必ず王都へ持ち帰ること。


 以上、滞りなく進めるように――。


 月の女神セレーネの恩寵おんちょうによる月の王国レグナ・ルーナの女王ならびに信仰の擁護者ディアナ


 ――――――――――――――――


 その命令書に色違いの瞳オッドアイが揺らめいた。


「陛下が……そう、おっしゃるのでしたら……」


 心なしか肩を落とすオクタウィアと、そっと抱くソフィアの背中。

 こうなることを見通していたのだろうか――と彼は見守っていた。


 ***


 檻付きの馬車から、少女がひとり。

 いや、少女と呼ぶには似つかわしくない『獣』が引きずり出された。


「お前がジェリコだな」

「…………」

「言葉がわからんか?」

「……うるさい……これを取れよ……」

「俺の名はカロルス・アントニウス。お前と同じ『資格者』ソードホルダーだ」

「カロルス……カロルス・アントニウス……ッ!」


 その名を聞いた瞬間、獣が目を剥いた。

 引き絞った矢のように飛びかかろうとして、果たせず。

 繋がれた無数の拘束。それがジェリコの動きを留めていた。

 鋭い犬歯からは止めどなく、よだれがしたたれ落ちている。


「おお、コイツはおっかねぇ雌犬ワンコだな。どんなしつけされてんだ」

「王都の犬が! これを外せ!!」

「質問を二つする。答えによっちゃ、鎖もなにもかもナシだ」


 狂犬のように吠えまくり、暴れまわる奴隷。

 鎖で手足を拘束された罪人に、彼は淡々と問いを投げかけた。


「ひとつ、資格者ジェリコは王国への忠誠を誓うか?」

「王国……ルナティア……を……つぶす、ころす……」

「ふたつ、資格者ジェリコは鍵剣と機動甲冑『エールザイレン』を手放すか?」

「エール、ザイレン……だめ、だ……あれは……おまえのじゃない……」


 ためらいなく、腰の長剣を引き抜く。


「……わかった。おい、首輪をはずしてやれ」


 重い首輪。

 その拘束が解かれる。


「綺麗に終わらせてやる」


 肌の荒れた少女の頬。

 過呼吸で乱れた呼吸。


「……こ、い……」


 おおきく振りかぶった刹那。


緊急事態エマージェンシー。高熱源体接近』


 シャルルは後頭部をガンと殴りつけられ、動けなくなった。


『推定、機動甲冑エールザイレン。接敵まで三〇秒』

「皆さん、敵の機動甲冑が来ますッ! すぐに退避してくださいッ!」

「なんだとォ……クソがッ!」


 オクタウィアが青い顔で叫ぶ。

 毒づいたシャルルに、誰かが触れた。


「――シャルル、ちょっと失礼するわね」


 瞬間、身体が宙に舞い上がる。

 天地がひっくり返ったと思いきや、彼は巨人の背中に立っていた。


「風の魔術の応用ですわ。さ、早くお乗りなさい。馬には騎手が必要でしょう」


 咄嗟とっさに操縦席へ飛び込んだ。

 黒い幻影が迷わず一直線に迫ってくる。


「――アイツかッ!」

『エールザイレン、捕捉。接敵まで残り十五、十四――』

「エールセルジー! “ソフィー”を守れ! 最優先だ!」

『了解。最優先防衛対象に設定』

「ソフィー! 俺から離れろ! 距離を取れッ、できる限りッ!」

「イエス! ユア・マジェスティ!」


 叫びながらソフィアは駆けだした。


「お前らボケっとすんな! 全力で逃げろ!」


 大多数の精鋭が慌てて王女を追いかけ、守りを固めに入るも。

 強面こわもての数名が逃げずに残ったまま、細身の剣を抜いた。


「汚らわしい奴隷の分際でッ!」

「ペレッツ卿のかたきッ!」

「――馬鹿野郎ッ! 潰されるぞッ!」


 一杯に舵を切って、“ソフィー”だけ救い上げた瞬間。

 舞い降りた黒い天使に、八〇余名の精鋭がすり潰された。

 轟音の中、一人の少女の脈打つ鼓動がはっきりと聞き取れた。


「――よくやった、エールセルジー。よくぞまもった!」

「な……に、こ……れ……」

「目を開けるな、ソフィー! 何も見るな」

「…………」


 掌中のソフィアの動揺が手に取るようにわかった。

 どんなに聡明であっても、受けとめきれない現実がある。

 これ以上、悲惨な環境に居させるべきじゃない――腹が決まった。


「オクタ、聞こえてるな」

『はい、師範』

「逃げろ。ソフィア様と一緒に王都に向かえ」

『師範は、どうなさるんですか』

「決まってるだろ。ここで殿軍しんがりになる」

『――承知、いたしました』


 歯ぎしり、絞り出したような声だった。

 エールセルジーからサイフィリオンへ王女を渡した。


(よし。これでソフィーも、オクタも、死なせずに済む)


 それは仮初かりそめの安堵あんど、かもしれない。

 それでも、彼には得がたい戦果に思われてならなかった。


『師範――どうか、ご無事で』


 蒼穹色の機動甲冑が走り去る。

 その隙に、石畳で精鋭たちをころした黒い天使は、鉄鎖のちぎれた操者をかばい、胎内へといざなった。


『エールザイレンの攻勢性能、不明。正面衝突の回避を推奨』

「――ああ、わかってる」


 影が消えた瞬間、目の前に刃があった。


はやい)


 刺突に次ぐ、横薙ぎ。虚空を斬った鋼の剣。

 天地が一周して、座席に身体が沈む込んだ。


「――危なかったぜ。ありがとな、エールセルジー」

『敵機の攻勢に不明瞭な点を発見。回避パターン、RT修正、検討――以後の回避運動の保証不可』

「それでも任せる」

『了解』


 つい、笑みがこぼれる。全身に皮布が食い込むほどの急激な機動にも、シャルルの意識は明瞭だ。あるひらめきを口にする。


「そういえば、アイツとサイフィリオンが戦ったときの記録ってあるか?」

『肯定。エールザイレンとの交戦記録は検証済み』

「ならそいつを俺にも見せてくれ。その間は、攻撃せずに、全部避けきってくれればいい」

『了解。以後、オートで回避』


 それは鮮烈すぎる体験だった。

 十五分と表現するには長すぎる、あまりにも速く、濃密な戦闘。それを、たった一瞬で追体験するに等しいのだから。

 手強い敵を前に、別の「戦い」に没入するなど、自殺行為といって差し支えない。

 その手を迷わず選べたのは、ひとえに相棒への信頼がせるわざ。敵が繰り出した手練てれん手管てくだの数々。彼の凶暴な愛馬は、華麗かつ完璧に避けきって、彼の信頼に応えてみせた。


(たしかに、速いし、強い――だが、コイツは)


 鍛え上げられた戦士の戦い方ではない。

 野獣の「本能」そのものと言っていい。

 イキがったガキだった頃が思い出されて、むずがゆい。


 ――死物狂いで学べ。吸収しろ。

 一分一秒を惜しめ。俺の全てを、教えてやる――。


(そうだ。俺は学んだ……親父から、全てを)


 くぐった鉄火場てっかばの数で、奴隷ごときが彼に到底及ぶわけがない。

 そして、オクタウィアがいかに戦ったか、彼はもう知っている。


「よし! 仕掛けるぞ」


 機会はすぐ訪れた。あえて背を向け、隙を作り、斬りかかってきたところに。


「ウラァァァ――ッ!!!」


 後肢で蹴り飛ばし、よろめいた影。槍の石突いしつきで殴りつけた勢いのまま、返す穂先ほさきで斬りつけた。だが、手ごたえが軽すぎる。


(よけられたかッ)


 舌打ち。視界を遮り、追撃を阻む爆炎。

 だが、エールセルジーの装甲を何ら傷めるものではない。ただの目くらましに過ぎないとわかっている。

 今までずっと距離を詰めてきた黒い影が、明らかに距離を取っていた。


「今のは効いたみたいだな。この俺様を舐めんじゃねーぞ」


 機動甲冑の性能は驚くべきものだ。

 しかし、それを生かすも殺すも、結局は操り手の技量次第。そう、シャルルは思い知らされてきた。

 異界から来たシャルルには、魔術の素養がない。魔術を行使することができない。これは資格者として、大きな欠陥であると。

 そのかわり、彼には戦士としての資質がある。死線をかいくぐった豊富な実戦経験と、向こう見ずなほどの思い切りの良さを持ち合わせている。それを生かす好機が来た。


「よし、突撃槍――アイグロス!」

『了解――アイグロス、起動』


 三つにわかれた穂先が一つになる。

 紫色の光を帯びた騎槍を構え、人馬獣が疾走した。


「もらったァァァッ!」


 吹き上がる爆炎多数。全て切り裂き、光る穂先が黒い装甲に肉薄にくはくした。

 黒い影が跳び上がって、再び距離を取る。頭をぎる、嫌すぎた予感。


「仕掛けてこねぇ……不気味だ。アイツ、何を考えてる?」

警告ワーニング。セキュリティ・アラート』

「ウッ――なんだコイツは!?」

『外部からの強制アクセスを検知。エールザイレンによるクラッキングと推定。ネットワーク強制遮断――失敗』


 身体に異物が入り込んでくる。蕁麻疹じんましんがわく。

 首筋と心臓にムカデが這って、噛みつかんとするような。

 筆舌尽くしがたい恐怖、明らかにまずい「何か」だった。


「何がなんだかわかンねーが! 全力で守れ、エールセルジー!」

『了解――システム中枢への防壁、再構築。ノイズ増大。マインド・ブロック最大、ブレイン・タァーツ・ノイズ、カット・スルー。サブ・センサー、シグナル・ロスト』


 矢継ぎ早の対処。

 何をやっているのかはわからない。

 何をしたいのかだけはよくわかる。

 シャルルには理解できない彼女エールセルジーの処置で、気持ち悪さが嘘のように心が晴れ渡り、闘志がたかぶった。これも相棒のおかげだ。彼はそう確信した。


『――各種演算処理に問題発生中。自律回避機動、不可』

「頑張ってくれてありがとうな、エールセルジー。武器と体捌たいさばきのほうは、全部俺に預けろ。ヤツの戦法はあらかたわかった。お前はクラなんとかに集中してくれればいい」

『了解――ユー・ハブ・コントロール。アンチ・ハッキング開始、攻勢防壁ブラックアイス展開』


 ズシリとのしかかる甲冑の重さに、懐かしさすら感じる。

 不愉快な雑音とともに、狂気ジェリコが脳裏に割り込んできた。


『――殺殺殺殺殺殺殺殺殺、死死死、殺殺殺殺、倒倒倒倒、殺す――』

「――来いよ、雌犬。噛みついてきやがれ」


 どうせヤツもそのつもりだろう。

 襲ってきたら、ちがえてやる。

 秒で決着がつく――そう思っていた。


『……お前を、ころ……ぐッ……』

「……なんだァ?」


 不自然に動きを止めた、黒い幻影。


(わざと隙を見せてンのか? それにしちゃ、違和感がありすぎる)

『うる、さい……やめ……ッ、ヤツはここで、殺……っあぁぁぁ……ッッ!!!』


 何かにあらがう絶叫。

 どこよりも安全なはずの胎内で。

 声を裏返らせた狂犬がのたうち回っていた。


(なん、なんだ……アイツは……)


 身の毛がよだつ。

 不気味なうめき声が一帯にとどろいた。

 それが苦しく、かすれた声に変わった。


『カロ……ル、ス……アン、ト、ニウス――つぎ、は……殺す……かならず、死なす……ッ!』


 ジェリコが言葉を絞り出したと同時。

 エールザイレンは王都とは逆方向に暴走。

 戦線から緊急離脱する敵を、彼は残心ざんしんの思いで見届けた。


「――命拾いしたか。警戒を厳にして撤退。サイフィリオンを追え」

『了解。ネットワーク再接続。目標をサイフィリオンに再設定。索敵範囲、警戒態勢を維持』


 鋼鉄の四つ脚は車輪をかみ合わせ、王都へ向かい、街道を疾走していく。

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