第四幕:刀光剣影

第17話 夢うつつのあいだ

 カルディツァ領主、カロルスシャルルアントニウスアントワーヌの屋敷。

 枝毛ひとつない綺麗な金髪、真っ青に透き通る碧眼。

 その持ち主が、寝所で深い眠りにつく彼を見舞った。


「どうなのですか、ヘレナ。シャルルの様子は」

「ご安心くださいませ、王女様。いったん収まりました」


 べっとりと寝汗がしみついた寝床。薄暗く保たれた部屋。

 ヘレナが焚いている芳香に、彼特有の濃い体臭がまざる。


「夜中に突然大声で叫びだして、屋敷じゅうが大騒ぎだなんて。いったい、どうして……」

「私が呼び掛けても、寝床を壊すほど暴れ周って……手のつけようもなく……ですので、強めの鎮静魔術を」

「適切な判断ね。いったん冷静さを取り戻してもらわないと」


 カルディツァ郡とキエリオン郡、それら各地を奔走したシャルル。

 いつ再開されるかわからない、テッサリア軍の侵攻に備えていた。

 その双肩にかかった重圧は、王都の御前会議で責任をもって国論をまとめきった、第二王女ソフィアにも察するところがあった。


「かわいそうなシャルル。よほどひどい悪夢を見たのね」


 ソフィアはみずから彼の手を取った。

 幾多の古傷を負った腕をいたわるように。


「ヘレナ、シャルルを頼みます。わたくしは、罪人の護送を見届けてまいります」


 決然と立った、金髪碧眼の王女。

 慈悲に満ちた微笑みを消して、領主の寝所を発つ。

 屋敷の外で、ひとりの美少女が王女を待っていた。


「――お待ちしておりました。殿下」

「あなたは、顔を見に行かなくてよかったのですか。オクタウィア」


 ほんの少しの逡巡のあと。

 緑と紫の瞳オッドアイをたたえた美少女は、ゆっくりと首を横に振った。


「師範が戦えないのなら、私が矢面に立つと決めていますので」

「……そうなのね」

「ええ。これで決意が揺らぐようでは、師範に未熟だと叱られてしまいます」

「なんといえばよいのでしょう、気負いすぎに思われて心配だわ。少しくらい、気楽に考えてはいかが?」

「いいえ、師範――いえ、アントニウス卿に比べれば。あの方は、あまりにも多くのモノを背負いすぎていますから」

「そうね――『光の皇子ルキウス』とか」

「……ッ!」


 驚きに目を見開いたオクタウィアに、ソフィアは口元だけで笑みを浮かべる。


「……ご存じでしたか」

「ええ。御前会議のあとに、お母様から直接お聞きする機会があったの」


 王太子ベアトリクスの名代として、国論をまとめたソフィア。

 その後に、オクタウィアとともに女王ディアナ十四世の居室に呼ばれたが、オクタウィアが帰ってから、母と姉しか知り得ない秘密を打ち明けられていた。


「オクタウィアもいろいろと背負ってきたのですね。これで、ようやく貴女とも何の気兼ねなく話せる間柄になれそうですわ」

「――お心遣い、大変、ありがたく存じます」


 お辞儀した美少女を、同い年の第二王女が抱きしめる。

 やわらかい眼差しは、親しい友へ向けた気持ちの発露。


「道中、お気をつけてね」

「ありがとうございます」


 イメルダ・マルキウスが告発した「資格者」ジェリコ。

 その罪人を王都まで護送する王国軍に帯同する使命を帯びたオクタウィア、そしてサイフィリオンの背中が見えなくなるまで。

 第二王女ソフィアはカルディツァの城門の上から、ずっと見送っていた。


 ***


「……あ、れ……こ、こ……は?」

「気がつかれましたか、ご主人様」


 黒髪の美少女の声がした。


「その声は……クロエか、お前は生きてるのか」

「なッ、何をおっしゃるんですか!? いきなり」

「火山が噴火して、王都が炎上して、何もかも終わったんじゃないのか?」


 絶句する美少女。足早に近づく気配があった。


「シャルル様、お気は確かですか?」

「エレーヌも……ということは、ここは屋敷か」

「ええ、カルディツァのお屋敷でございます。丸二日、眠りに就かれていました」

「……つまり、アレは『夢』だった……のか?」

「ええ、悪夢にうなされて、時折絶叫しては、暴れまわっておられました」


 夢と言われても、あまりに現実感のあるモノだった。

 むしろ、こちらが夢かもしれない。そんな気もする。


「エレーヌ、頼みがある。俺の頬を全力でひっぱたいてくれ」

「……かしこまりました」


 右手を思いきり振りかぶっての一閃。


「痛ッてェ……こいつは強烈なのをくれたよな。もしかして、怒ってンのか?」

「いいえ。よもや、何か……後ろめたいお心当たりがおありで?」

「そんなこたぁねぇが……そういえば、オクタウィアはどこだ?」


 家政婦長の頬がわずかに引きつった。


「ラリサから連れられた罪人護送のため、王都へ向かわれました」

「それはいつだ?」

「私が暴れたシャルル様に魔術を使った翌日ですから、一昨日の正午でしょうか」

「今は、何時だ?」

「午前十時過ぎでございます」

「ってこたぁ……こりゃマズいぞ、エレーヌ」

「――何がよろしくないのですか、シャルル」


 彼の名前をそう呼び捨てにする存在は、ただひとり。

 窓を覆っていた暗幕がすべて取り払われ、まばゆい光に目が眩む。

 王女が行使した魔術が窓をぜんぶ開け放って、淀んだ空気を追い出した。


「ソフィア様――ッ」

「かまいません、そのままで。だから、早く質問に答えてちょうだい」


 凛とした表情。碧い目が据わっている。

 寝間着の彼は拳を握りしめ、美しい髪の王女にこう訴えた。


「――このままでは、王国がほろびます。ひとりの資格者の手によって」

「「「……ッ!?」」」

「ソイツの名前は、ジェリコ。機動甲冑『エールザイレン』の操り手で、イメルダの飼い犬。イメルダがソイツを、ペレッツ卿を殺害した罪人として告発した」

「ええ、その通りですが……わたくし、シャルルにその話をしたかしら?」


 ソフィアが傍らの銀髪と黒髪の姉妹を見る。

 ふたりとも、そろって首を横に振った。


「いいえ、ご主人様はあちこち駆けずり回っていらっしゃり、王女殿下と直接お話しする機会が無かったかと」

「クロエが申し上げた通りです。シャルル様と王女様がそのようなお話しをなさった記憶が、私にもございません」

「――私が話していないことを、シャルルが知っている。どうして?」


 吐き気がした。

 丸二日のあいだ、何も口にしていないはずなのに。

 思わず口元を押さえた彼に、さっと銀髪の家政婦長が寄り添った。


「大丈夫ですか、シャルル様」

「あぁ……ありがとう、大丈夫だ。かっこわりぃところ見せちまったな」


 居住まいを正し、シャルルは金髪碧眼の王女にこう言った。


「あれは『悪夢』なんかじゃない、『告知』だ。これから現実に起きる出来事の前触れ、俺にはそう思われてなりません」

「まさか……ご主人様が見た、悪夢って……?」

「王都で罪人が処刑されようとした瞬間、エールザイレンが襲ってきて、王都を片っ端からぶっ潰した。女王陛下も、軍務卿も、カリスも、オクタウィアも――みんな、死んじまった。控えめに言って、そんな感じだ」

「そんな……」


 顔面蒼白になったクロエ。

 へなへなと床に座り込んでしまった。


「ソフィア様、これは罠です。イメルダはジェリコを使って、王都を破壊し尽くし、ルナティアを破滅させようとしているッ」

「シャルル様、どうかおやめください! いくらなんでも王族の御前で、そのような空恐ろしいことを口になさるなんて」

「――静かになさい、ヘレナ!」


 滅多に見せない、決然たる口調。


「かまいません。続けなさい、シャルル」

「吐き気を催すくらい、胸騒ぎがする……夢で見たそのままが、いずれ現実に」

「それは世迷言よまいごとではなく、『資格者』としての発言と捉えてかまわないのですね?」

「確信をもって言えます。このままでは王都は焼き尽くされる」


 絶句したままの家政婦長。

 その手を振りほどいて、彼の巨体が動き出す。


「だから、絶対にジェリコを王都に入れちゃなンねぇ! 今すぐ、アイツらを止めに行かないと……ウッ」


 急に立ち上がって、目の前が真っ白になった。


「そんなふらついた身体で出かけるなんて無謀だわ。クロエ、かゆの用意を」

「はいッ、承知いたしました」

「シャルルはまず腹ごしらえをなさい。空腹で戦いになったらどうするのです」

「……ッ」

「ヘレナはシャルルの身体を拭いて差し上げなさい」

「かしこまりました、王女様」


 黒髪と銀髪の侍女が急ぎ足で寝所を出ていった。

 忸怩じくじたる思いが渦巻く。

 拳を握り、震える傷だらけの腕を王女が包んだ。

 絹のようにきめ細やかで、艶やかな手であった。


「安心なさい、シャルル。あなたはもう、たったひとりじゃないのだから」

「……」

「わたくしは信じます。王国と民草の行く末を案じてくださる、あなたを」

「……」

「わたくしは誓います。わたくしの持ち合わせた叡智をすべて、あなたを守るために惜しまないと」

「……」

「だから、今はわたくしを信じて。ともに王国を守る最善手を選びましょう」


 慈愛と決意に満ちたソフィアの眼差し。

 それは、固く握りしめた鉄拳をも開く。


「……ありがとうございます、ソフィア様。浅学なわたくしめに、どうかお知恵を賜りたく!」


 深く頭を下げたシャルル。

 耳元でそっとささやいた、羽毛のようなつぶやき。


「イエス・ユア・マジェスティ」

「……いま、何と?」

「承知しました――深い意味のない古代語ですわ。フフフッ」


 ***


 粥を口に、身体を拭いてもらい、真新しい服に着替える。

 活力が戻った頃合いには、起床から一時間が経っていた。

 屋敷の正面に四つ脚の巨体が屹立して、彼を待っていた。


「それでは参りましょうか、シャルル」

「だいぶ窮屈な思いをされると思いますが、本当によろしいのですか?」

「ええ、かまいません。お姉様やオクタウィアも中に入ったのでしょう」


 縄梯子を下で支えようとしたシャルルを追い越して、華奢な身体が舞い上がった。何が起こった? 仰天するシャルルを、太陽を背にしたソフィアが見下ろす。


「風の魔術を使えば、このくらい簡単に乗り越えられますわ」

「王女様。はしたないお振る舞いはどうかお慎みに」

「こんな非常時にもヘレナはわたくしを叱るのですね、もう」


 似たようなことをカリスもやっていたことを思い出した。

 改めて思い知る。

 この国の王族は、高名な魔術師でもあるのだと。


「早く上ってきなさい。シャルル。そして、わたくしを抱っこするのです!」


 おてんば姫が、光る金髪をなびかせる。

 巨大な甲冑の背に乗って、両手を広げ、彼を待っていた。

 縄梯子を上りきって、背中の扉を開く。


「では、ソフィア様。失礼いたします」

「これが、いにしえの物語にあった――お姫様抱っこ!!」


 彼の両腕に腰と腿の裏をしっかりと抱えられた王女は、すこぶる嬉しそうだ。


『おはようございます。マスター』

「よう、待たせたな。エールセルジー。今日は客人と一緒だ」

『アドミニスター要求、ゲスト登録――認証。マナサーキット・スキャニング――』

「その『ゲスト』の名前はソフィア――いや、“ソフィー”だな」

『了解、“ソフィー”登録完了』


 背中の扉が閉まる。真っ暗闇の中で、ソフィアが耳打ちした。


「ねぇ、シャルル。なぜ、“ソフィア”としなかったのです?」

「お名前を呼び捨てにしてしまうのは畏れ多く。俺の国の言葉で『叡智』に由来する名前を、代わりに使いました」

「シャルルの母語に合わせた愛称で呼んでくれるのですねッ、やっと!」


 肩に回された華奢な腕が、嬉しそうに巻き付いてきた。


「エールセルジー。“ソフィー”にもお前が知ってる情報を共有してやってくれ」

『了解。“ソフィー”へのデータ・リンク、スタート』


 直後、シャルルに抱えられた王女は目を見開く。


「――これが、シャルルやオクタウィアが見ている世界なのね……ため息が出そう」


 シャルルには、彼女に何が見えているのか皆目見当もつかない。だが、おてんば姫の好奇心を過剰なほどに揺さぶるモノであることだけはわかる。


「お疲れなら最小限に抑えましょうか?」

「そんな必要なくってよ。心が震えるほど、楽しくって仕方がないんだから!」


 新しいおもちゃを与えてもらった、無邪気な子供の様であった。


「他の機動甲冑の位置を知りたい。可能か?」

『肯定』

「……エールザイレンの位置は不明か」

『推定――エールザイレンは高度なステルス機能を有するため、捕捉不可能。現在、ネットワーク上での確認も不可』

「厄介だな……サイフィリオンの位置は――関所の内側、大河より手前か」

「そうでしょうね。今朝、宿場町を発って王都に向かってるはず」

「じゃあ、目標はサイフィリオンだ。なるべく急ぎたいが……ソフィア様、衝撃を和らげる魔術なんて便利なものはありますかね」

「衝撃? ああ、早馬や全力の馬車に乗ってる時のようなものであれば」

「俺の愛馬は凶暴です、どうぞご覚悟を。エールセルジー、客人の様子を見ながら早足で頼む」

『了解。ニュートロン・エンジン、クォーターからハーフに移行、カウント・スタート。SAS作動、巡航速度再設定』


 鋼鉄の馬がはしりだす。

 石畳の街道を走り、踏み切って、城壁を乗り越えた。

 碧眼を見開いた王女が縮こまる。

 その身体をシャルルはしっかりと抱きしめ、守った。


「大丈夫でしたか、ソフィア様」

「少し驚いただけ。平気ですわ。お気遣いありがとう」


 そんな会話の間にも、みるみる加速していく機動甲冑。


「すごい、こんなものが帝国時代にあったなんて……本当に、すごいわ!」


 未体験の速度感に恐れをなすどころか、楽しんでいる素振りすら見せる。

 そんな据わった肝の持ち主を腕に抱える騎士を乗せて、鋼の軍馬は蛇行した街道をところどころ短絡し、効率よい経路を選んでいく。


「エールセルジーはとても賢いのですね」

「はい。道を教えてもいないのに、正確に目的地を把握しています」

「どんな仕組みになっているのかしらね。今度カリスに訊ねたいわ」


 脳裏に浮かぶ地図上で、関所の山が近づいたとき、王女はこう口にした。


「――だからこそ、シャルルの見た夢を現実に変えてはならないのよね。ジェリコを止めましょう。どんな手を使っても」


 ともに王国を守る最善手を選びましょう、と。

 王女の言葉を、今一度、噛みしめたシャルル。

 その従者エールセルジーは、ほどなく関所へと滑り込んだ。

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