第15話 楽園の崩壊
あまりにも悲痛な叫びが脳裏に突き刺さった。
(――今のは、なんだったんだ?)
まさか……。
(――オクタ……なのか? オクタなんだな!? 何があった?)
その瞬間、砂を噛んだ音。
少女にしては、無機質な、機械的な
『緊急通達。サイフィリオンより交信要請』
(コイツは、エールセルジーか?)
「エールセルジー。お前、俺が乗ってなくても話せるのか」
『現在、遠隔交信中。サイフィリオンより交信要請。要請の可否を』
「……いいだろう。受諾する」
耳の奥でザッと、聞き慣れぬ雑音が一瞬。
『こちら、サイフィリオン。カロルス・アントニウス、応答されたし』
「……お、おう。俺がカロルスだ。とりあえず今の状況を教えてくれ」
『現在、機動甲冑「エールザイレン」と交戦中。救援を要請』
「おい、どういうことだ!? エールザイレンって……あのジェリコとかいう奴隷は、処刑されたんじゃなかったのか?」
『……』
「どうした? 答えてくれよ!」
耳障りな雑音に会話を遮られた。
代わりに、エールセルジーが答える。
『――エールザイレン健在。サイフィリオン損傷大なり』
「どうして、お前がわかるんだ? エールセルジー」
『帝国所属機動甲冑、稼働全機の座標、把握可能』
(なんで、そんなことが……)
戸惑い気味のシャルル。
一番の心配事があった。
「そいつはともかく! オクタは、オクタウィアはどうした!? サイフィリオン」
しばらくして、返事があった。
『オクタウィア・クラウディア、バイタル・レッド。当機による撤退要請を拒否。至急、友軍による救援を要請』
「……マジかよ」
『オクタウィア・クラウディア、バイタル・レッド。救援を要請。繰り返す。救援を要請』
情緒の伴わない
だが、あまりにも切実だった。
拳を握りしめて、彼は叫んだ。
「エールセルジー、急いで来いッ!」
目を丸くする使用人たちへ説明もなく屋敷を駆けだした領主。
そのもとに、鋼鉄の馬が疾風とともに訪れる。
垂れ下がった縄梯子を無我夢中でよじ登った。
「シャルル様ッ。いきなり、どうなされたのですか?」
「どちらへ行かれるんです!? ご主人様。ソフィア王女殿下とのお約束はッ」
銀髪と黒髪の姉妹が焦った表情で揃って見上げていた。
「王都だ! 今から王都に行ってくる! 一大事だ!」
そう言い残し、操縦席に飛び乗った。
「行けッ! エールセルジー! 出来るだけ早く! 細かいことは全部抜きだ!」
皮布で身体を縛り付ける暇もない。
ぐっと座席に押し付けられる力に意識を手放しそうになる。
「……ぐ……あぁ……ッ!」
『ニュートロン・エンジン、フルドライブまでカウントスタート。SASによる衝撃値がパイロット許容値を越えます』
「……かまうもんか。目一杯やってくれッ」
加速する一瞬。目の前が真っ白になった。
だが、速度が安定すると血の巡りが蘇る。
つけ忘れていた皮布で一つずつ、身体を縛っていく。
「お嬢はこんなモノいらねえってのに……」
カリスは言っていた。乗り手としてはオクタウィアの方が上だと。
だが、サイフィリオンは言った。
至急、来いと。これまで一度たりとこんなことはなかったはずだ。
「そんなにヤベェ奴なのか。エールザイレンってのは。中に乗ってるのはただの奴隷なんだろ?」
『――エールザイレン搭乗者の情報、不明』
「まぁ、お前に訊いてもわっかんねぇよな」
『エールザイレンとの交戦記録、以前サイフィリオンより受領済み』
「マジか? それ見せてくれ」
刹那、割り込んだ。
現実とは別の何か、鮮明な光景が。
戦闘の舞台は荒野。
頭の片隅でもうひとつ、地図が閃いている。
光る一点は、キエリオン郡の南部を指していた。
「これ……
『サイフィリオン、フリーズ・ランサーを行使』
「――あれか。力ずくで封印を解いたとかいう」
その熾烈な戦いは、およそ十五分ほど。
互いに決め手を欠き、エールザイレンの一方的撤退で幕を閉じた。
一部始終を見て、
「――お嬢が、アイツに勝つ理由を見出せねぇ」
オクタウィアの複合属性は『氷』と聞いている。
それに対して、エールザイレンは火炎を使いこなしていた。
たとえ魔術の手習いが
凍てつく氷であっても、燃え盛る火炎を凍らせることは不可能だ――と。
そして、彼女の対手が、処刑されるはずだった「
――覚えておけ、シャルル。
絶望という現実の前では、女子供すら、勇敢な戦士に変わると――。
彼が盾持ちから騎士になったばかり、
幾多の戦場を駆けめぐった
ある時、逃げ道を見失った異教徒が「神は偉大なり!」と
鬼気迫る形相が怒涛となって押し寄せ、立ちすくんだ味方を切り刻んだ。
敵味方が入り乱れ、自分以外がすべて敵に見える地獄。
満身創痍ながら、彼は生き残った。数えきれない苦痛と後悔を刻んで。
美丈夫の左頬と左目のあいだ。今も刻まれたままの
――取り返しのつかないモノで世界は
親譲りの美顔に消えない
――わかったか。
便所に追い詰めて、肥溜めにぶち込んで殺す。
そんな乱暴な手段だけを選ぶんじゃない。
考えろ。いつか、お前自身が
幾多の戦場を駆け抜けた、百戦錬磨の征服王、アルテュール。
うなだれた息子の肩をそっと叩く、その口ぶりが優しかった。
――心配するな。
そうならないように、俺がお前を育てる。
例え、俺がいなくなっても、お前一人で生き残れるように。
だから、死物狂いで学べ。吸収しろ。
一分一秒を惜しめ。俺の全てを、教えてやる――。
追い詰められたネズミは、獅子すら噛み殺す。
幾度もそんな光景を見てきた。
「コイツは……マジでヤバイな。サイフィリオンの位置はわかるよな!?」
『肯定』
「なら、目標は場所じゃない、サイフィリオンに定めろ。一インチも狂いなく向かえ!」
『了解。座標再設定』
サイフィリオンが逃げ回ってくれれば――。
エールセルジーが駆け付けるまで、時間を稼いでくれれば――。
どんなに恐ろしい野郎が相手でも、彼我の戦力差が二倍ならば――。
どうにかできるはず。そう信じていた――。
街道を上って、関所の山々を駆け上がり、尾根を乗り越えたとき。
赤色が視界に
「ウソだろ……なんだよ、これ……」
麓に広がる大湿原の彼方――。
王都の丘に
眼下に映る湿地帯が全て、赤い海と化していた。
黒煙が夕闇すら焦がし、雲を作る。雷槌が振り下ろされ、大地を割る。
銀冠をたたえていた雪山は、みずからが火山であると思い出していた。
溶岩流が大地に生えた人間の営みのすべてを焼きつくす。
「コイツぁ……コイツはまるで昔話に聞いた、ポンペイじゃねぇか……」
街道に近い港湾をもつ都市は
それが、ヴェスヴィオの火砕流に埋め尽くされ、たった一日にして滅び去った。
それをもシャルルに想起させる絶望が、王都があった一帯を埋め尽くしている。
「……俺は……間に合わなかった、のか……」
これまで積み上げてきた何もかもが焼かれている。
そんな、どうしようもない徒労感に襲われた。
『警告。サイフィリオンの反応無し。推定――
「――ッ!! そうだ、まだ終わってねぇ! 道草食ってる場合じゃねぇぞ、シャルル!」
頬を両手で一叩き。
自分に鞭打ち、彼とその従者は再び
***
サイフィリオンの反応が、途絶えた一五分後。
最後の反応があった場所へ、鋼鉄の槍騎兵が駆け付ける。
そこは、真っ赤な蓮華が咲き誇る湿地帯の中。
黒に染められた天を仰いだ、力を喪った
彼に助けを求めた、真っ青な蒼穹色の機体。
引き裂かれ、焼かれ、砕かれ、赤黒く変わり果てた巨人。
胴の中心を、サイフィリオン自身の得物が貫き、大地に縫い止めていた。
「オクタを、オクタウィアを捜せ! エールセルジー!」
『了解。センサー最大感度』
飛び回るトンボの羽音。蝶々の羽ばたき。
湿地帯を這いまわる小動物の息づかいが無数。
その中に微動だにしない、か弱き気配を見抜いた。
「――そこかッ!」
そこへ意識を向けると、エールセルジーの目が、ひとりの少女を捉えた。
アルス・マグナ所属を示す、紫色をあしらった軍服を身にまとっていた。
機体を側に寄せて、膝をつかせる。
操縦席から縄梯子を下りて、湿地帯に埋もれた彼女のもとに駆けつけた。
「オクタ! しっかりしろ、オクタッ!」
汚泥の中に沈む、端整な顔。
周囲の炎より、
しかし、呼吸をしていない。
とっさに首元に手を伸ばす。
(――まだ、脈がある)
水筒で濡らした布で口元を拭いて、無我夢中で蘇生術を施した。
「死なせねぇ! お前は、絶対ッ死なせねぇ!」
彼女の胸が膨らむほど、口から口へを呼気を送り込む。
まるで、
それを繰り返すうち、彼女が口から何かを吐き出した。
血の混じった泥水がぶち撒けられる。思わず、耳元で呼びかけた。
「オクタ! 俺だ、お前の師範ッ。シャルル・アントワーヌ!」
ほんのわずか、切れ長のまぶたが開く。
「もう大丈夫だ。お前は絶対に助かる! いや、俺が助けてみせるッ!」
まだ弱い吐息を、蘇生術で補い続ける。
そのうちに、表情筋がかすかに動いた。
死にかけた身体に力が戻り始めている。
「……し、は……ん……」
唇を離して、顔を覗き込んだ。
初めて言葉をつぶやいたオクタウィア。
血と泥で汚れた顔を、湿らせた布で拭いてやった。
「……よく、頑張ったな」
「いいえ、何ひとつ……」
それがただの謙遜でないと。
後悔に満ちた表情が物語る。
「そうだ。罪人は、どうなった?」
「手足を鎖でつながれ、四つに引き裂かれようとした瞬間――『エールザイレン』が現れて、死刑執行人たちもろとも、皆殺しにしていきました」
「……」
「カリスさんとも連絡が取れません。いくら呼び掛けても、ドラヴァイデンが返事をくれることは……」
「――もういい。話すな」
全部、わかってしまった。
もう、どうしようもないんだ――と。
これ以上問えば、きっと彼女を苦しめる――と。
「お母様も、陛下も、みんな――わたし、誰ひとり、助けられなかった……ッ!」
そっと抱きしめた少女は肩を震わせ、
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