第14話 鳴り響く七つの角笛
冬の朝。
凍り付いた石畳。
体格の割に大きく、分厚い
重い鉄の首輪を付けられた少女がひとり。
よだれを垂れ流し、鋭い犬歯を立てる様は、
「おかーさん、あの子、だぁれ?」
「見るもんじゃない。帰りましょ」
骨ばった裸足の少女より、ずっとふっくらとした体格。
鋭く尖った目で睨みかえすも、首輪と鎖を引っ張られ、引きずられた。
(……………離せ………)
いくら請うても、誰ひとり、聞く耳を持たない。
裸足の少女が力の限り叫んでも、何ひとつ、声にならなかったからだ。
***
少女の名前はジェリコ。
親の顔すらも知らない。
気づいた頃にはテッサリアの下水窟で震えていた。
野犬を相手に残飯を奪い合い、野草と泥水で飢えを誤魔化して生き残ってきた。
ヒトとしての形をしただけの、ケモノと大差ない存在だった。
それが変わったのは、わずか数か月前のこと。
当て所もなく辿り着いた先はラリサの貧民街。
そこで似たような
まともな人間の食事を目にするのも初めてな連中の芋洗い状態だった。
食事が与えられる代わりとして、地獄がここから始まった。
時に錆びた短刀一本で、野獣と殺し合う。
時に薄氷の張った池を素足で渡らされる。
時に魔術師共の爆撃に晒されて這いずる。
うまくやれたら、スープの実を増やしてやる――その一言で誰も彼も目の色を変える。
そうして
だが、それはまだマシな方だったのかもしれない。
拘束され、口の中から尻の穴までも暴かれて、調べられた。
天国にも勝る一瞬の快楽の後、延々続く激痛と頭痛と鈍痛。
見たくもない幻覚。現実と夢遊の境界すらわからなくなる。
もはやそれなしでは生きてゆけない、そんなカラダにされ。
気づけば、あれだけいたケモノの群れは、ジェリコ一人になっていた。
そうして、ジェリコという少女はイメルダ・マルキウスの「飼い犬」となった。
飯を与えられ、靴と手袋を与えられ、飢えと寒さからは逃れられた。
もっとも、それが本当に幸せだとは言えない。
しかし、確実に「幸運」だと断言できる出来事が降って湧いた。
ある日。
立ち上がる気力すら底を突き、倒れ伏すジェリコに一振りの短剣が与えられた。
剣で自分の皮膚を切られ、苦痛とともに血が剣へと
幻惑の中で囁く悪霊でも、地獄へと引きずり込む悪魔の声でもない。
もっと澄んだ声をした「天使」は、明瞭に彼女に伝えた。
生きたいか――と。
それこそ、機動甲冑『エールザイレン』が発した『
彼女だけは、ジェリコに命令しない。
ジェリコの言葉だけを聞いてくれる。
消してしまえ。目に映る
なにより、彼女のなかにいれば、気持ち悪さが不思議と全部消えてなくなる。
ジェリコは望んできた。心の底から満たされたくて、彼女と一緒にいたいと。
エールザイレンに乗れば乗るほど、今まで知らなかったモノが明らかになる。
つい最近、彼女が知ったことがある。
ジェリコは、他の誰もが当たり前に二つ持っているモノを一つしか持たない。
単独魔術属性――『魔』。
唯一人間だけが特権的に有する複数魔術属性は、彼女にはない。
ヒトをヒトとして成立させるための絶対条件を生まれながらに持たざるモノ。
少女は、地を這うケモノと変わらない。
魔術の首輪をかけられ、鎖で繋がれ、鞭で殴られる犬と変わらない。
だから、自分が捨てられ、蔑まれたのだと。
だから、こんなクソッタレなことになっているのだと。
(なら……こんな世界、壊れてしまえ)
何もかもが憎い。
自分を産み落としたヤツも。
やっと手に入れたネズミの死骸を奪った野犬も。
スープの実を横から盗んだアイツも、鎖で繋ぐヤツも。
全部、全部、全部……全部全部全部全部全部全部、全部全部ッ、皆殺しにしてやる。
声にならない願いが、虚空へと消えていった。
***
「女王陛下に代わって、わたくし、第一軍務卿メガイラ・ディーン・アルトリアは、ここに罪人ジェリコの罪科を言い渡す」
いけ好かない中年が、ジェリコを見下ろす。
人を見下した、冷たい視線。大嫌いな目だ。
「イメルダ・マルキウスの告発状によれば、罪人は機動甲冑『エールザイレン』を用い、
(うるさい)
「にもかかわらず、女王陛下は『資格者』としてお仕えせよ、とご恩情を下された。それを拒絶。王国を滅ぼすと言ってはばからない、
(うるさい)
身体中を芋虫が這い回っていた。
全身が
それが薬が切れて見える幻覚だと知っていても痒い。
幻聴、幻視、幻痛――誰からも理解されない孤立感。
血まみれの肌は冷たく、凍り付く震えの中で歯噛む。
(うるさい……かゆい……うるさい……寒い……うるさい、うるさい、うるさい……)
耳の奥で数十匹の羽虫が飛び回っている。
頭皮の裏を掻き毟りたくなる地獄のような痒みが続く。
「――罪人ジェリコを国家の逆賊として、四つ裂きの刑に処すものとする」
自分の名を呼ばれたが、気にも留めなかった。
観衆のざわめきが、凛とした一声で破られた。
「――異議ありッ!」
なぜか、その声が鮮明に思われた。
透き通った水色の後ろ髪を背中まで伸ばした、小さな娘。
その声の主が、物怖じしない覚悟を以って、声を上げた。
「四つ裂きの刑は苦痛を長引かせるだけです。せめて、斧による斬首刑で――」
「黙れ、
しゃがれた
異様な空気が漂っていた。ジェリコにすら、なぜか判った。
「カリスとか、資格者とか言ったか。そんな立派な帽子をかぶっていながら、罪刑の決め方ひとつも心得ぬ
判決が下されて、七人の兵士が現れた。
一人ひとりが、長い角笛を持っている。
ひとつ目の角笛を吹く。
両手に鎖がつながれた。
ふたつ目の角笛を吹く。
両足に鎖がつながれた。
みっつ目の角笛を吹く。
五本の鎖が滑車へとつながれた。
(……殺されるのか……)
身体の五カ所を鉄鎖につながれたジェリコ。
仰いだ彼方に、冬には珍しい雷雲が見えた。
(――死にたくは……ない……)
よっつ目の角笛を吹く。
仰向けにされて、滑車が回された。
(――死にたくない、まだ、死にたくはない……)
いつつ目の角笛を吹く。
地を這う鎖が、ぴんと張った。
(――アイツらみたいに死にたくはないな……)
むっつ目の角笛を吹く。
五本の鉄鎖が、五体を無惨に引き裂かんとする。歓呼する大衆。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!!」
「
「穢らわしい獣など、焼き殺せ!!」
「「「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」」」
骨を繋ぐ全身の筋が丁寧に引き千切られていく。
激痛が全身を貫く。喉の奥で泡となった唾液が吹き出て、喘ぐ。
これまで味わったこともない痛みの中、少女は死を乞う。
(――殺されるのは……お前らの方だ…………!)
ななつ目の角笛を吹く。
雷撃が来る。
落雷は少女を繋いだ滑車を尽く破砕し、砕けた機械が執行人を
繋がれていた少女は地に投げ出されるも、誰も彼も気に留めず逃げ惑う。
『パイロット・ヒール正常――バイタル、イエローからオレンジに移行を確認。マスター、ご命令を』
「遅いぞ、エールザイレンッ!」
痛みが引いていく。千切られた筋肉が繋ぎ直され、開いた血管が塞がる。
脳を犯す大量の薬効成分が生む、まやかしの何もかもが吹き飛んでいく。
消えてなくなれば良い。何もかも――純然たる憎悪が嵐を起こしていく。
もはや彼女の渇望を満たす手段は、目に映るモノの
***
鋼の巨兵が、片腕を振るう。
築き上げられた王都の歴史が、尽く
そして、もう片腕を振るう。
菓子に群がる黒蟻を踏み潰すが如く圧倒的な力が降る。
「おまえら全部、消し飛ばしてやる……ッ!」
薙ぎ倒す、焼き払う。追い立て、踏み壊す。目に映る全てを灰へと変えてゆく。
炎。炎。炎。
「みんな、みんな……みんなまとめて地獄送りにしてやるッッ!!!!」
魂を侵す、呪われた言葉に突き動かされる。
ルナティアを……王国を破壊せよ。滅せよ。叩け、潰せ、焼け、砕け、消せ。
殺せ。殺し尽くせ。
呪いは、彼女のあらゆる感覚を、全て強制的に一方向にだけ向けさせる。
憎悪、復讐、悦楽、苦痛、羨望、快感、激怒、衝動、憤慨。全ての激情が脳裏にある獣を駆り立てる。
それは、ただの一人の命じた言葉に過ぎない。
「ルナティアを滅ぼせ」
中年のデブが命じた、ありふれた野心。
それは猛毒となって、少女の脳にドス黒いシミを作る。
蛇に足は要らぬ。
だが、虎に翼が在れば。
それは破壊の権化として、殺戮そのものになる。
エールザイレンがあれば、彼女は何だってできる。
八百年の人類の足跡など、造作もなく炎に沈んでゆく。
「親衛隊ッ! 撃てっ!!」
閃光が走る。
いくつもの火炎が、電撃が、エールザイレンに直撃した。
「チラチラと鬱陶しいッ!」
王国正規軍の上級兵が放った渾身の一撃も、蚊の一刺しにすら及ばない。
「お前たちが燃えろおおおおッッ!!!」
爆炎が、精鋭と謳われた王国兵たちをまとめて飲み込む。
石畳には血痕すら残すこともなく、甲冑諸共に蒸発する。
怒りの海である。火炎の
もう、誰も止められはしない――。
***
「カリスさん、応答してください! カリスさんッ!」
サイフィリオンを通じて、ドラヴァイデンに訊ねる。
しかし、ドラヴァイデンは未だ、沈黙を保っていた。
「あれに……巻き込まれてしまったの? そんな……」
エールザイレンが王都に急行している。
そう、サイフィリオンから警告を受けたのが五分前。
迎えに来てくれたサイフィリオンに乗ったのが二分前。
刑場に向けて疾走するさなかに、燃え上がる炎を見た。
『ドラヴァイデン、応答無し。推定――正規搭乗者カリス・ラグランシアに重大事案が発生』
(あの竜の襲来の時も……ここまで恐ろしく感じることは無かった)
『警告――当該地域より離脱を最優先提唱』
(前も、同じことを言われたわね)
『現在、当機及び貴官の持ちうる有効攻勢手段皆無。友軍よりの援護不可能。貴官の生命維持を優先事項とした場合の最善戦術は撤退』
カリスが死んだ。
もし、そうであれば、ドラヴァイデンは戦力外。
残る機動甲冑は一機。カルディツァのカロルス・アントニウスのもとだ。
「わかりました。ですが、条件があります」
『……』
「エールザイレンの注意を引きつけて、王都から遠ざけましょう。そして、カルディツァのエールセルジーと挟み撃ちに――それなら同意します」
『了承。貴官の意思決定を優先。遅滞戦術案を提唱』
「わかりました。よし! いくわよっ!」
操縦席で印を結ぶオクタウィア。
火炎をばらまくエールザイレンに向けて、石壁を招来する。
「グレイブ・ウォールッ!」
立ちはだかる無数の石壁が、炎の侵略を阻む。
「よし、一旦距離を取りましょう――え、ちょっと……あれはッ!?」
王城に通じる坂の上、軍旗がはためくもとに。
毅然とした態度で、陣形を整えた第二軍務卿。
王城の盾とすべく、氷の大結界を組んでいた。
「そんなッ――ダメッ、お母様ッ! みんな逃げてッ! お願いッ!!」
そして、オクタウィアの願いとは裏腹に。
エールザイレンは、光の筋を解き放った。
突き刺さった奔流に、大結界が紙クズのごとく破られる。
結果は明白であった。
「……そんな……いや、お母様……みんな……」
思わず、目を凝らす。
『エールザイレンによる攻勢と判断。危険。有効射程外への退避を推奨』
「そんなっ! まってお母様が、あそこにはお母様がッ!」
『――該当座標、生命反応無し』
「そんな……いや、絶対に……いやあぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!!」
十字に舞い上がる火炎が紫だちたる雲へと伸びて、
◇◆◇◆◇ お礼・お願い ◇◆◇◆◇
新着、自主企画等から初見の皆様方。
また、更新通知からお越しの皆様方。
お読みいただき、ありがとうございました!
仕事で得た、「世界を滅ぼしたいほどの心の闇」を作品に転嫁してみました。
それでも「殺意が足りない」と監修チェックが入った結果、こうなりました。
いろんな思惑、隠喩を込めました。
丁寧に読み込んでもらってる読者の皆さまにはわかってもらえる違和感とか。
細部に込めた仕掛けに気づいたり、もっと楽しんでもらえたらいいなぁって。
続く二話分はいったん書き上げましたが、もっと、もっとコクのあるエピソードにブラッシュアップする必要があるよね、と監修さんとお話ししています。
さらに内容を練り上げる時間を二週間ほどいただいた後、二~三話連続更新したいと考えていますので、どうぞご期待ください!
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