第三幕:蘭摧玉折
第13話 エンジェル・コール
女王直筆の署名を帯びた書簡をたずさえて、
山をこえ、谷をこえ。
幾多の山河をこえた怪鳥は、人目をさけて。
やがて、王国軍の旗がなびく陣中めがけて、するどく急降下していった。
「閣下。夜分遅くに失礼いたします」
まだ夜もあけぬ、かがり火がてらす本営に。
書簡をひとつ受けとった側近が駆けこんだ。
「……どうしたのですか。この夜ふけに」
「たった今、王都から書簡が届きました」
(こんな時間に? まさか、急ぎの連絡?)
手元の
女王からいただいた書簡とわかる。それに手をそえて、女性は短い呪文を唱えた。
「――インジェクション」
その瞬間、封蠟がとける。
わずかに紙をこがす匂いがただよった。
封書の中身を抜きとって、文字が焼きついた書簡をなぞるように読む。
みるみるうちに、女性の顔色がかげっていった。
つい口もとを押さえ、大切な書簡を落としてしまった。
「なんということ……」
「閣下、大丈夫ですか」
思わずよろめく女性を、副官がささえた。
この時、「
自分の知らないところで、信じがたいできごとが次々起こっていたのだ――と。
***
翌朝。
ペレッツの顔から動揺は消え去っていた。
わずかに目元の隈が目立つだけで、目は据わっている。
部隊の幹部が集まる中、書簡の内容が打ち明けられた。
「機動甲冑の暴走事故により、第一軍務卿メガイラ殿下が負傷されました」
その一報に、幹部たちがざわめきだした。
「現在も意識不明の重体で、回復の見通しが立たず、予断を許さぬ状況が続いている――女王陛下からのお手紙に、そう書いてありました」
「嘘、でしょう……?」
言葉を失った士官たち。重々しい口調で、ペレッツが続けた。
「そして、イメルダ・マルキウスがカルディツァ郡に攻め込みました。現領主アントニウス卿を解任し、今後イメルダが直接治めるとのこと。よって王国軍も、官僚も、残らず退去せよ――こんな要求が一昨日にあったようです」
「なんて横暴なこと!」
「許せない!」
カルディツァ防衛を任せられた、カルディツァ都督府。
その主要幹部、彼女らの留守に攻め込まれたと知って、憤慨するものが多い中。
ひとり不気味なほど冷静な口調で、ペレッツはその先を語った。
「二日間かけて
――――――――――――――――
以下の条件がすべて満たされるならば、カルディツァ郡、キエリオン郡の明け渡しに応じるものとする。
一、今後、テッサリアは女王の統帥権を越えて、いかなる機動甲冑も隠さず、また、所有しない旨、条約を取り結ぶこと。
一、先般発行した捜索差押許可状に基づき、機動甲冑『エールザイレン』の引き渡しに応じること。
一、機動甲冑『エールザイレン』を保持していない場合、捜索差押許可状に基づいた同機の速やかな回収に協力すること。
一、機動甲冑『エールザイレン』の直轄領内への移送が完了するまでの間、両郡内の施政権は現状を追認すること。
これら条件が満たされない限り、機動甲冑の脅威から直轄領を防衛する必要から、カルディツァ郡、キエリオン郡の明け渡しには、一切応じられない。
――――――――――――――――
和約と聞いて、はじめ腹に据えかねていた士官たちは、唖然とした。
機動甲冑など知らぬ、存ぜぬ。
こう、シラを切りつづけたイメルダに、機動甲冑を引き渡せと。
条件は四つ。どれひとつとして、イメルダは全く譲っていない。
これが和約だと? とんでもない。
「絶対に後には引かない。その断固たる意思表示と、読み取れるのですが……」
士官の問いに、ペレッツは頷いた。
「王都の要求が満たされるかどうかを見守るため、ソフィア王女殿下がカルディツァに入られます。ですが、機動甲冑の回収任務は我らに託す、と陛下は記しています。よって、我々は機動甲冑『エールザイレン』の回収に全力を挙げます」
ペレッツの言葉に力がこもっている。
士官たちも皆、背筋を伸ばして傾聴していた。
「メガイラ様からの極秘任務は、この事態を想定していたのでしょうね。イメルダは必ず、機動甲冑を呼び戻すでしょう。あんな恐ろしいモノを、野放しにするわけには――操者の身柄をすみやかに拘束し、これを差し押さえます。いいわね!」
「「「御意ッ!」」」
ペレッツ配下の精鋭、およそ一二〇名。
心酔してきた、メガイラ軍務卿の無念を晴らさんと。
テッサリアの兵隊の動きひとつまで、目を光らせた。
いたるところに監視の網を巡らせて、尻尾をつかもうとしていた矢先。
ある使者が、ペレッツの陣営を訪れた。
***
「ごきげんよう、イメルダ・マルキウス殿」
「貴殿を捜すのに骨が折れたよ、アントーニア・ペレッツ卿。テッサリアをあちこちさまよっているそうじゃないか。ご苦労なこった」
「お気遣い痛み入ります、閣下。山火事の方も、収束しつつあるそうですね」
テッサリアの支配者、イメルダ・マルキウス。
自分を煩わしく思っているこの女傑が使いを
その思惑には、何か裏があるように思われてならない。
それでもペレッツはここ、ラリサの執政館を訪問した。
配下の三分の一。およそ四十余名の精鋭だけを連れて。
「ところで、本当なのですか。『資格者』を見つけたとは」
「ああ、本当さ。身柄もきちんと確保してある」
「その者が『資格者』だと断定した理由をお聞きしても?」
「――剣さね。宝石をあしらった、妙に角ばった短剣を持っていた。
目を細めるペレッツに、イメルダがニヤリと笑った。
刃とはすなわち、機動甲冑を操るための鍵剣のこと。
「その者をどこで見つけたのです?」
「ラリサの貧民街に紛れ込んでいた。身なりにしては分不相応な、立派な短剣を所持していたそうだ。窃盗の容疑で監獄にぶち込んである」
(――話の筋道として、おかしなところはないわね。だけど)
話半分。いや、七割は疑っている。
これまで、機動甲冑など知らない。そう言い続けてきたイメルダだ。
ここへ来て、なぜ、「王都が捜している資格者らしき者を見つけた」なんて書状を送ってきたのか。
ペレッツは三分の二の配下に捜索を続けさせている。
万が一、何らかの罠があったとしても、残った配下が賜った勅命を果たしてくれると信じていたからだ。
そして、自分の消息がつかめなくなった場合。残した部下がすぐに王都に知らせる段取りも整えていた。
「その者と会わせてもらえるのですね」
「ああ。そうでなけりゃ、わざわざアンタらを捜すわけないだろう? こっちだって暇じゃないんだ」
「それはご苦労をおかけいたしました。感謝申し上げます」
謝意を示して笑みを作りつつ、ペレッツは思考を巡らせる。
(――出来すぎた話じゃないかしら。あまりにも)
「おい、あの奴隷は連れてきたかい?」
「はい、
「その必要はない。この
***
テッサリアの主都ラリサ。
その中心、小高い丘の上に執政館と迎賓館が建っている。
赤い絨毯で彩られた『
そこから幾重も折れ曲がった長い廊下を下った先。円柱がいくつも並んだ薄暗く、寒々しい空間があった。
「ここは?」
「屋内式の閲兵場さ。罪人を連れてくることもある」
ここへ来るまでの間、イメルダの歩き方に違和感を覚えた。
片足をかばっている。どう見ても、歩きづらそうであった。
「閣下は足のお加減が悪いのですか」
「痛風さね。不摂生がたたったか。情けない話さ」
「そうでしたか。ご足労いただき感謝いたします」
「
屈強な兵士に両脇を抱えられたその者。
地べたに無造作に放り投げられて、ぐったりと倒れた。
ペレッツの配下二人が
「なんだ? ガキじゃないの」
「髪もぼさぼさだし、臭いもするし。いやだわ、シラミがうつりそう」
貧民街に潜んでいた。
いや、これはむしろ、貧民街で生まれ育った。そう言うべきだろう。
ペレッツ以下、王国軍の高級官僚の一員である彼女たち。
そんな貴族の常識では考えられない、みすぼらしく、不潔な身なり。
たとえ奴隷であっても、王都にはこのような者はまずいない。雇い主の家の品格を疑われることになるからだ。
露骨に眉をひそめる者も多い中、ペレッツはイメルダに詰め寄った。
「イメルダ・マルキウス殿。これはどういうことでしょう?」
「どうした、怖い顔をして」
「これが『資格者』だとおっしゃる?」
「ああ。腰に立派な短剣を差してるだろ」
たしかに、立派に
だが、希少ゆえに高価な天然石を使っているのが鍵剣だ。
鞘から刀身を抜いてみなければ、
「ご冗談を。こんなどこにでもいるような浮浪者が、あの機動甲冑を動かせるとでもおっしゃいますか?」
「さぁ、動かせるかどうかは知らないね。ただ、ソイツが持っている短剣の特徴が、
「……」
「信じられない顔だね。なら、アンタらみずから鞘から抜いてみるといい」
ほくそ笑むイメルダに、怒りをぐっと抑えつつ。
ペレッツは配下の者に取り調べを命じた。
手始めに、配下が二人がかりで鍵剣に触れると。
「うぅ……触るなッ」
よだれをたれ流した顎でかみつかんと拒んだ。
まるで野獣のようだ。指をかみちぎられるかもしれない。
手をこまねくペレッツの配下を、イメルダが下がらせた。
「王都のお嬢様方は、こういった奴隷の扱いに手慣れていらっしゃらないようだね。どれ、アタシが手本を見せてやろう――
「うぐ……ガハッ!」
口から嘔吐した奴隷の少女。
その身体を縛り付けるよう、紋様が浮かび上がり、大蛇のごとく絡みつく。
顔をしかめたまま、凍り付いたペレッツの脳裏に、ある魔術の知識がよぎった。
「――まさか、これはッ……召喚魔術!?」
震える指先で、思わず開いた口をふさいだ。
人間を召喚獣のように扱う。さすがのペレッツも想像だにしなかった。
「ご明察。自分の手足のように使役できる。究極の奴隷さね」
――理論上、ありとあらゆるものを呼び出し、使役することが可能な魔術。
それが召喚魔術と呼ばれるモノだ。
もちろん、彼女にだって、その心得はある。
彼女たちの配下も、鳥や獣を使役して、己が目や耳、鼻として使っている。
だが、人間を使役する。これは著しく困難な試みだ。
なぜなら――
(複合属性、真の名――一生かかっても暴けないかもしれない。それらを読み解くのに、どれくらい膨大な時間とカネが……貴族気取りの趣味道楽なんてモノじゃない。これはもう、狂気の研究としか)
全身が硬直し、小刻みに痙攣している少女。
確実に術式の影響下にある姿に、
そんなペレッツを尻目に、
「さぁ、今のうちだ。その剣を確かめてみるといい」
ペレッツの配下がおそるおそる、鞘を取り上げた。
鞘から引き抜くと、宝石があしらわれた整った造形が現れる。
アルス・マグナの研究者から見せてもらった、鍵剣そのもの。
そう言ってもおかしくない、外見上の特徴を備えていた。
「ペレッツ閣下。たしかに、これは鍵剣のようです」
(――
ペレッツは奥歯をぐっと噛み、腹をくくった。
この奴隷の少女を王都へ連行し、鍵剣を解析する必要がある――と。
「か……かえ、せ……それ、は……アタシのモン……うぐ……ッ」
「あ、誰が喋っていいと言った? 奴隷の分際で、勝手に喋るんじゃないよ」
魔術で喉を締め上げられ、のたうち回る奴隷。
あまりにみじめな姿に、ペレッツがため息をついた。
「その辺にしておきましょう。イメルダ殿。この者の身柄は、我々が預かります」
「――おや、いいのかい? わからんよ、麻薬漬けのコイツが何をしでかすか」
イメルダの口元に笑みが浮かぶ。
「鍵剣を没収し、檻に閉じ込めましょう。準備はできているわね?」
「はっ!」
「いくら資格者といえども、
両手、両足を縛られた少女。
冷たい床を裸足で歩かされる中、虚空を仰ぐ。
「――こ、い」
カラカラになった唇が静かに震えた。
かすれそうな弱々しい声。だが、その目には切実な意志が宿る。
「来い……ッ!」
召喚魔術による隷属で奪われた、身体の自由。
雑巾を絞るごとく、締め上げられた奴隷の口から漏れ出た言葉。
それが何か――果たして、誰が知っていたか。
神代の伝承にある、災厄を告げる天使の呼び声であった――と。
人では立ち向かえない、圧倒的な力の権化が振るわれる轟音。
誰かが「なんだ」と問うまでもなく、たちまち解は示される。
円柱の並んだ、閲兵の間が震える。
刹那、地響きが力と共に到達した。
あまりにも暴力的に砕かれた外壁から望む夜空。
薄暗がりのような屋内に月光が差す。
「あれが、機動甲冑……!?」
それとはまったく似ても似つかぬ、
凍り付いたペレッツを尻目に、イメルダが
「
「だまれ……黙れ、黙れ、黙れェェ――ッ!!」
イメルダの叫ぶような命令を否定する声。
それは誰の耳にも届かない。誰も、声に応えない。
ただの一機を除いて。
城塞が如き、威風のあった建造物が一瞬で瓦礫へと変わる。
少女の怒りを宿した鉄の巨人が拳を振り落とす。
周囲のあらゆる人間たちが藁のように吹き飛ぶ。
***
「――ここは」
目を覚ました少女は、一瞬何があったのか、わからなかった。
『マスター、ご命令を』
「エールザイレン……何があった?」
『何も』
「そっか……」
目下では破砕された建物の残骸が転がっていた。
表面にはベッタリと、赤黒い色が塗られている。
足元で騒ぐ虫のような連中の声は、エールザイレンが遮断している。もはや彼女が正気を保てているのは、この鋼の胎内にいる時だけだった。
この中にいれば幻覚を見なくて済む。過剰な寒さや暑さに怯えなくて良い。全身を芋虫が這い回るような妄想にも取り憑かれない。
刺すような末端の幻痛、頭の奥の痒み、喉を焼くような渇き……いずれも、訪れることがない。
なによりも、自分の意思が消えることがない。
だが――
「っ……!」
唯一逃れられない誓約。心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが胸に走る。
文字通り、魂に繋がれた鎖が彼女の行動を、意識を縛り付ける。
戦え、戦え。
ルナティアを、王国を滅ぼせ、倒せ。
殺せ、殺せ、殺し尽くせ。
機動甲冑の中にいようとも、その呪縛からは逃れられない。
食いしばった犬歯で噛み千切れた唇から、一筋の血潮が流れる。
「あいつらは、敵……王国の者は……みんな、敵……!」
鋼の巨人が月に吠える。
欠けた月の下で、鋼鉄の鎧が軋みを上げる。
それは嘆きか、あるいはほとばしる怒りか。
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