第12話 ゴルディオンの大鎚
午後から開かれる閣議。
それに先立って、何人もの有力貴族が激論を交わしていた。
「元はと言えばですよ。北部テッサリア二郡を取り上げて、あの『竜殺し』にくれてやった。陛下のご裁可とはいえ、これがよろしくなかったのでは」
そう口にした官僚。
大蔵卿コンスタンティアの娘の一人だ。
テッサリア産小麦の取引にも関わっている。
「何をおっしゃいます。
それに反論した、別の官僚。
「そのような言い方が、イメルダの機嫌を損ねたんですのよ。もっと穏便なやり方があったのではなくて」
「ユリアナ家のご令嬢から、穏やかならざるご意見を耳にしたのですけれど。連日、ご多忙と聞き及んでおります。少しお疲れでいらっしゃるのでは」
「お気遣いありがたくちょうだいします。もともとテッサリアの統治は、マルキウス家に委任されているんです。それをまげて、女王陛下みずから領主の解任に踏み切られた。いささか厳しすぎたのでは。ねえ、そうは思わなくて? 皆々様」
法務府の高級官僚と、大蔵府の高級官僚の議論。
それを脇で見ていた、別の貴族がこう口にした。
「たしかに。ラリサに近接する領地を取り上げたのは、あらぬ誤解をもたらしたかもしれませんわね」
「誤解とはなんですか。陛下は再三再四、統治を是正するよう、文書でテッサリアに求めてこられたのです。にもかかわらず、王都への直訴が止みませんでした」
「その仕置きが
すると、大蔵官僚がこう言った。
「そうですとも。イメルダはきちんと国庫に税を納めている。大領主として、義務を果たしている。にもかかわらず、領地を取り上げた。あんまりではないでしょうか。ご自分の領地をとられたら、どう思われます?」
「私の領地の話にすり替えないでいただきたいのですが。税さえとれれば、御禁制の大麻が世の中に
「いいえ、そのようなことは口にしておりませんわ。国家財政を立て直さなければ、国家運営も回らないと申し上げているだけで。数百年来の法律の研究も、国庫にカネがあるからできているのですから」
一瞬、苦虫をかみつぶす。
そこにひきつった笑みを浮かべ、法務官僚が言う。
「どうしてそこまでかばいだてなさるのかしら。そういえば、イメルダ・マルキウスは大事なお取り引き相手でございましたね。骨が折れますこと」
「ええ。当家が小麦の確保に骨を折ってきたこと。どうぞおわすれなきよう」
顔で笑って、爪先を蹴り合うような議論。
それに新たな火種を投げ込んだ者がいる。
「いっそのこと、大麻を公認してはいかが? その引き換えに、高額な税金をかけるんですの。そうすれば、税収が増えそうではありませんか」
「とんでもありません! 小麦を育てていた農民が、大麻を育てるようになったら、ますます小麦が手に入らなくなります」
「それは困りますわね。この先ずっと、硬くて酸っぱい黒パンを口にするだなんて。そんなこと、ごめんだわ。生きていけなくなってしまいますもの」
「おわかりですか、これが王国の現状です。とても戦争なんてやってる場合ではありませんのよ。『竜殺し』と心中だなんて、わたくし嫌ですわ」
「そうなってしまう前に、北部テッサリア二郡をイメルダに返しましょう」
「ええ、それがいいわ。手打ちにして、さっさと終わりにしてしまえばいいのよ」
王国の貴族には、テッサリアに対して
テッサリアのマルキウス家、サロニカの大商人たち。経済的な困窮から、直轄領の外部と深い関係がある貴族が少なくない。
イメルダに対して、強い警戒心を抱いていた第一軍務卿メガイラ。傍系とはいえ、王族である彼女の存在が如何に大きかったか。メガイラが「退場」した今、抑えつけられた意見をはばからず口にするようになった、彼女たちの態度が物語る。
「おやめください! 王太子殿下ッ」
その時だ。
悲鳴のような声に、一同が振り向くと。
顔面蒼白のベアトリクスが扉に寄りかかっている。
「……これだけの者たちが集まって、まだ国論がまとまらないのですか……ッ」
「殿下、もう、おやめください!」
侍従たちに支えられ、ふらつく王太子に青ざめる貴族たち。
病身をおして、それでも壁伝いに会議室の中へ歩もうとする王太子。
「殿下ッ! こんなところへお越しになってはなりませぬ」
鬼気迫る顔で大蔵卿コンスタンティアがやってきた。
大事を聞きつけて、この場に駆け付けた様子だった。
「殿下の身に何かあれば、大変なことになってしまいます。国家が乱れます。あなた様おひとりのお身体ではないのです。どうか、お部屋にお戻りになってください」
「……この数日、閣議は何の結論も出していない。そうではありませんか。大蔵卿」
「私が責任を持って取りまとめます。ですから、どうかお任せください」
王族に次ぐ権勢。あのメガイラさえ、一目おいた実力者。
その大蔵卿が王太子を止める必死の形相に、官僚たちは絶句するばかり。
「お願いでございます、ベアトリクス殿下ッ! このコンスタンティア・ユリアナの名にかけて、必ずッ! やりとげてみせますからッ」
「……どこへいくんですか、殿下ぁ」
「すぐにわかるわよ、オクタウィア」
はりつめた空気を破ったのは、間の抜けた声。
血がのぼった顔と、青ざめた顔が一緒に廊下の先を凝視する。
「……あっ。ちょ、ちょっと。殿下ッ!?」
「いいのいいの。ついていらっしゃいな」
笑みを浮かべて歩み寄る、第二王女ソフィア。
王女に手をひっぱられ、気まずそうな資格者オクタウィア。
この二人の少女に、その場にいた皆の視線が突き刺さった。
「ごきげんよう、大蔵卿。聞こえましたわよ。かなりお困りみたいですわね」
張りのある凛々しい声に、すました表情。
ぎょっとしたオクタウィアが滑稽に思われるほどだ。
そのソフィアに、感情を殺した顔で大蔵卿が答えた。
「ソフィア王女殿下、こちらへはどのようなご用ですか」
「決まっているでしょう。お姉様の身代わりとなるべく、ここに参ったのです」
「みがわり?」
ええ――と頷く。
その碧い眼が、同じく貴い血を引いた姉へと向けられた。
よそ行きの微笑みをさっと消した。真剣な面持ちである。
「お姉様。大蔵卿がおっしゃる通りです。お姉様はルナティアの柱となるべきお方。ここで失うわけにはまいりません。どうかおやすみになってください」
「いいえ、ソフィア。誰かが決めなくてはならないのです。この国のゆく途を」
「はい、心得ております。ですから――」
自らの手で胸を押さえ、ソフィア王女がこう宣言する。
「わたくしが、お姉様のご名代となりたく存じます」
ベアトリクスの目が見開かれる。ソフィアは微笑んだ。
「いまだ成年ではないわたくしを。戦争から遠ざけようと、閣僚の皆さまが配慮くださっている。それはよく存じています。けれども、わたくしも百合の軍旗をいただいた身。いまだ経験の浅い身でございますけれど、戦場に出る覚悟はとうに決めておりますの。ですから、どうかわたくしに。すべておまかせくださいまし」
ひざまずいて、ベアトリクスの手に口づけをする。
その姿に、居並んだ貴族たちは言葉を失っていた。
「わかりました。ソフィア。王太子としてあなたに命じます。わたくしの名代となり閣議に出てちょうだい。大蔵卿とともに、速やかに国論をまとめるのです。よいですね、大蔵卿」
「……かしこまりました。王太子殿下」
ユリアヌス家のみならず、大蔵府の最大派閥の領袖である大蔵卿。
王太子の名代として、第二王女ソフィアの閣議参加を受け入れた。
***
「なぜ、この場にソフィア王女殿下が?」
「オクタウィア・クラウディア嬢もいらっしゃる。まさか、ユスティティア様の名代とはおっしゃいませんよね」
「みな、静まりなさい。大蔵卿、議事を進めてください」
「はい、陛下」
大蔵卿コンスタンティアはそれを待って、こう切り出した。
「王太子ベアトリクス殿下より、閣議にお出になりたいと申し入れがございました。当然、御身に差し障るとお止めいたしました。王太子殿下はご名代として、ソフィア殿下をご指名なされ、ご自身は閣議への参加を見送られました」
一瞬のざわめき。女王が右手を上げて、それを静めた。
「また、ソフィア殿下のご要請で、参考人として資格者オクタウィア・クラウディア殿をお招きしました。おふたりの参加はあらかじめ、女王陛下のお許しをいただいております。どうぞご承知おきください」
ソフィアを閣議に含めるべきではない。
数日前、こう主張した大蔵卿の心変わりを
それをしってかしらずか、大蔵卿は淡々と続ける。
「お手元の文書にございますとおり、閣議に先立ち、上奏が二つ上がっております。一つはカルディツァ郡、キエリオン郡をイメルダ・マルキウスに明け渡し、王国軍と官僚を引き揚げて、テッサリアとの講和を求めたもの。もう一つはイメルダ・マルキウスに対して撤兵を求め、これが受け入れられない場合は王国軍による介入を行う、国王大権の発動を求めたもの。これをもとに、国論を定めたい――以上が女王陛下、ならびに王太子殿下のご意思でございます」
それをうけて、講和派、介入派、それぞれの意見が述べられた。
しかし、両者ともに譲らず。閣議前の議論から何の前進もない。
責任を持って取りまとめる。こう
それを尻目に、ソフィアが挙手をした。
「皆さまのご意見をお聞きして、大事なことが見落とされている、と感じましたの。大蔵卿、発言を許してもらえるかしら」
「ソフィア殿下のご発言を認めます」
「ありがとう」
議事進行をつかさどる、大蔵卿の許しを得た。
金髪碧眼の少女は決然と立ち、こう演説した。
「片や、法の正義を遵守すべき。片や、国庫の浪費を抑えるべき――みな、それぞれ大事なことはわかります。そのうえで、もっと大事なことがある。それは何か。この王都が、王国の中枢だという事実。これが、見落とされているのではなくて」
首をかしげる者が多いなか、一部の閣僚がうなずく。
その閣僚たちの目を見て、ソフィアは続けた。
「イメルダは機動甲冑を隠し持っている。関所を越えるなんて簡単なことですのよ。その先は王都まで三十分もかからない。城壁も、大河だって、あって無いようなものだわ。そうよね、オクタウィア」
「はい。私のサイフィリオンは渡し船を使うことなく、アルフェウス河を渡ることができましたから。敵の機動甲冑も、おそらくは」
「つまり、関所の手前までイメルダの庭先になれば、機動甲冑から王都を無傷で守ることはほぼ不可能。その気になれば、機動甲冑で山火事だって起こせるのですから。イメルダが機動甲冑で王都を破壊しつくすことだって、できなくはないわ」
閣僚や官僚たちが凍りついた。
ジルトゥニオンの山火事といえば、民草の間でもささやかれる大惨事だ。
それが王都で起きる。と言われたら、いったいどこへ逃げればよいのか。
「さあ、どこへ逃げましょうか。そう考えたくなる気持ちもわからなくないけれど。そもそも王都がなくなったら、わたくしたちはどうなりますでしょうね。あえて言わせてもらいましょうか。
王国がなくなる。
ソフィアの放った言葉に、縁起でもないと官僚たちがざわつく。
すかさず、大蔵卿がめったに打ち鳴らさない小槌を叩いた。
「ご静粛に! ご発言はまだ終わっておりません」
ざわめきが静まるまでのあいだ、ソフィアは皆の顔を見渡していた。
誰が特に反発していたか。それを観察していたのだ。
「ご発言を続けてください、殿下」
「王都が破壊されたら、古代から受け継いだ文明のなごりは失われます。太陽が無くなったバルティカで、この国を『
一本たりとも、手が挙がることはなかった。
「もうおわかりでしょう。そうなってしまえば、国の
皆が傾聴するなか、ソフィアの演説に熱がこもってゆく。
「そこで、わたくしはこう提案します。ええ、イメルダ・マルキウスの要求を呑みましょうとも。ただし、条件があります。機動甲冑だけは、王国に引き渡すこと。この条件が満たされない限り、一兵たりともカルディツァ郡から引き揚げないと。以上で発言を締めくくります」
異様な空気の中、皆が沈黙する。
ただひとり、手を挙げた大蔵卿を除いて。
「ソフィア殿下。ご質問させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「機動甲冑の引き渡しは、どなたが担当するとお考えですか」
「女王陛下から『監察御史』ペレッツ卿に、捜索差押許可状が出ています。ペレッツ卿の手柄を横取りするのは好ましくありません。ただ、王国が示した条件が守られるかどうか、わたくし自身がカルディツァ郡で見守りたい考えです」
「もし、イメルダが機動甲冑の引き渡しに応じなかったら、どうなさるのですか」
「今のままだと、戦争は避けられないでしょうね」
「王太子殿下は伏せっておられる。メガイラ卿は……もうお目覚めにならないのではといわれている。この状況で、誰が指揮を――」
「わたくしがとりますとも」
間髪おかずに王女が言いきった。
真剣な眼差しに、大蔵卿も絶句する以外にない。
「わたくしが百合の軍旗を手に、戦場に出ます。それでよろしくて? 覚悟はできておりますのよ」
胸を張ってそう言いきった王女ソフィア。
その握りしめた拳が震えていることに、オクタウィアは気づいていた。
***
「まるで、ゴルディオンの
閣議を終え、私室に二人を招いた女王。
女王が口にした意味がわからず、オクタウィアは首をかしげた。
「あの……それは、いったい?」
「ああ、ごめんなさい。わからないわね。神代以前のいいつたえに、『ゴルディオンの結び目』というものがあって……」
揃って顔を見合わせる、ソフィアとオクタウィア。
「平たくいえば、誰も解決することができない難問をたとえた言葉なの。それをほどいた者は王になる資格があるといわれ、あまたの人々が挑んだそうだけど」
「誰もほどけなかったのです?」
「……なんか、師範が抜いた『選定の剣』みたいな」
「そうね。そんなものだと思ってもらえればいいわ」
神代以前の伝承など、滅多に見聞きするものではない。
それを
「要するに、結び目をほどこうとせず、どこからともなく持ち出した大鎚で、難問を叩きつぶしてしまったのですよ。ソフィアは」
ふふふ、といたずらっぽく笑う女王。
「難問を解く、それよりも別の何かが大事だと目を向けさせた。難問をあえて後回しにした、ということかしらね」
「……いけなかったでしょうか」
しおらしい娘の問いに、ほほえんだ母はゆっくりと首を横に振る。
「戦いを早く終わらせたいからカルディツァは引き渡す。でも、大権の象徴たる機動甲冑は王国が回収する。それが無理なら、王都を守るためカルディツァは譲らない。そう、皆が理解し、納得した。国論がまとまった。今はこれで十分なのです」
どこかおもはゆい。
そんなソフィアの横顔を、オクタウィアは見た。
◇◆◇◆◇ お礼・お願い ◇◆◇◆◇
新着、自主企画等から初見の皆様方。
また、更新通知からお越しの皆様方。
お読みいただき、ありがとうございました!
これからいよいよ、中盤の折り返し地点に差し掛かります。
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