第11話 腐りかけのリンゴ

 翌日。

 クラウディア家本邸に書状が届いた。

 女王からの召喚状である。


「ばあや。陛下のご下命です。着替えて、お城に行ってきます」


 ドレスを軍服に着替えて。

 屋敷を出ようとするオクタウィアに、家政婦長が言った。


「昨日も申しましたが、やはりお嬢様は変わられました」

「……?」

「体つきだけではなく、口ぶりも立派になられましたね」

「そうかしら? まだまだ幼い気もするのだけど」

「陛下もきっと頼もしく思われるでしょう。わたくしめには、寂しくも思われますが」

「……ありがとう。ばあや」


 屋敷を出て、王城に伺候しこうする、

 今度は応接室ではなく、女王の私室へと通された。


「ご機嫌麗しゅうございます。女王陛下」

「ごきげんよう、オクタウィア。昨日はご苦労様でした」


 公務の時に見る出で立ちではない。

 私的な時間を割いてくださった。その感謝に頭が上がらなかった。


「報告は軽く目を通しました。どちらかというと、どれもソフィアが問い質した質問ばかりのようです。わたくしがお願いした内容はどうでしたか?」

「結論から申し上げます。あの場では、聞くことができませんでした」

「あの場、では……?」


 その後、オクタウィアは昨晩あった出来事を女王に告白した。


貴女あなたは賢い子ですわね、オクタウィア。乗り手を選り好みする機動甲冑が、正規の操者と認めた。それだけのことはあります」

「……畏れ入ります」

「ソフィアや近衛府の武官であれば、耳にしても問題なかったかもしれません。軍務府の者たちには、やはり聞かせるべきでなかった。彼女たちはメガイラを死人しびと同然にされて、憤っているのですから。貴女の聡明さに感謝します」

「もったいなきお言葉でございます」

「お顔を上げなさい、オクタウィア。本来ならば、わたくしにすら頭を下げる必要のない。それが資格者の地位なのですから。胸を張って、堂々となさい」


 そんなこと、言われても――。

 そう恐縮してしまう気持ちをこらえ、オクタウィアは顔を上げる。

 女王の眼差しは、思いのほか、慈愛に満ちているように思われた。


「カリスが資格者であること。機動甲冑が帝国法、つまり古代バルティカの法体系に基づく行動規範を持つこと。にもかかわらず、メガイラが機動甲冑の取り扱いに説明を求めず、あまつさえ、カリスを害したかもしれなかったこと。ゆえに、機動甲冑が自発的に排除行動を取ったこと。これだけのことがわかりました」

「あと、機動甲冑はルナティアという国家を認識していました。ですが、彼女たちの法体系は、私たちのそれとはまったく異なっていました。資格者を優先するあまり、その他の人権が軽んじられている。そう思われてなりません」


 表情を曇らせたオクタウィア。それは、驚きへと変わる。

 女王が彼女の手を取って、こう言葉を掛けたからだった。


「立派な仕事をしてくれましたね、オクタウィア。メガイラの振る舞いがあまりにも不用意だったと、軍務府の者たちをいかにして納得させるか。そこに智慧ちえを絞らねばなりません。けれど、それはわたくしたちの仕事です」

「若輩の身なれども、陛下をお支え申し上げたく存じます。どうか、何なりとお申し付けください」

「ありがとう。どうか、娘の良き友だちであっていただけるかしら」

「……ソフィア殿下の?」

「ええ。どうかソフィアを、あの子を支えてあげてください。ベアトリクスが倒れたこの時、いろいろ気をもんでいるようなのです」


 女王の手を握り返し、オクタウィアは頷いた。


 ***


「ご機嫌麗しゅうございます。ソフィア殿下」

「ごきげんよう、オクタウィア。元気そうで何より。顔色がよくなりましてよ」

「お気遣いいただいたおかげです。ありがたく存じます」


 女王との対面を終えたオクタウィア。

 第二王女ソフィアへのご機嫌伺いを申し出て、すぐに私室に招かれた。

 金髪の使用人が、二つの銀杯にリンゴ酒を注いだ後、退室していった。


「お母様に会ったそうですね。大事なご用件だったのかしら」

「はい。女王陛下にお目通りして、昨夜のご報告をいたしました」

「……ゆうべ?」


 不可思議な顔をしたソフィア。

 オクタウィアは女王に話した内容を語った。


「オクタウィアにいろいろ頼んでいたのですね、お母様は。そんなこととは知らず、わたくしばかりドラヴァイデンに尋ねてしまったなんて。ごめんなさい」

「いえ、致し方ありません。あの場で尋ねるのがはばかられる内容でしたから」

「広い目で物事を公平に見なければ。そう思っていたわたくしも、実は視野がだいぶ狭まっていたのかも。恥ずかしい限りですわ」


 リンゴ酒を一口飲んで。

 天井を仰ぐソフィアはぼんやりとしていた。


「わたくしね。腐りかけのリンゴを下から眺めている気分なの」

「……」

「連日、閣議が開かれているのはご存じよね。わたくしは、その場に呼ばれていないのだけれど」


 なぜ――と言いかけて、言葉をつぐんだ。


「お姉様の外戚、ユリアヌス氏族の御一門がおっしゃるの。閣議にわたくしを含めるべきではないと。いまだ、わたくしが成年王族ではないから――だそうですわ」

(殿下が、まだ成年ではないから? いいえ、それは口実に過ぎないわね)


 オクタウィアとソフィアは、幼少期から面識がある。

 第二王女ソフィアが王都から離れて、クラウディア家の領地で暮らしていた時期があったからだ。

 第一王女ベアトリクスが王都で帝王学を学び、名実ともに王位継承者の地位を築くまでの間。他の王女は王都から遠ざけられて、政治的な影響力を削がれる。こうして序列を明確にして、御家騒動の芽を摘むのが、王国の習わしである。


「王国の為を思っておっしゃってるのでしょうし、よもや悪意がおありにはならないのでしょうけれど。皆様、たいそう鷹揚おうようでいらっしゃること。穀物を止められたと耳にされた時の、蜂の巣をつついたような騒ぎはなんだったのでしょうね」

「……喉元過ぎれば熱さを忘れる。でしょうか」

「ふふ、そうかしらね。別に戦争が終わったわけでもない。それどころか、これから煮えたぎる湯を飲まされるかもわからないのに。ふふふっ。滑稽だわ」


 笑みを取り繕うソフィア。

 しかし、髪の毛をいじる癖を隠せていない。


(これはかなり、やきもきしておいでだわ)


 合いの手を入れつつ、今は聞きに徹しよう。

 オクタウィアはそう決めて、話を合わせた。


「甘くれすぎて、今にも枝からもぎ取らないと、すぐに腐ってしまいそうなリンゴがあるというのに。ねぇ、オクタウィアならどうなさいます?」

「うーん。枝からもいで、その場で皮をむいて食べちゃいましょうか。加工するまでに腐ってしまうのでしたら、もったいないですから」

「……まるで、シャルルみたいなことを口にするのですね。貴女も」

「え、何かおかしなこと言いましたか?」


 破顔一笑して、肩を震わせるソフィア。


「資格者になってから、オクタウィアは少し変わりましたわね」

「そうでしょうか? あまり自覚がないのですけれど」

「合理的に物事を考え、直截ちょくせつな物言いを選ぶようになった。そう感じます」

(あ……そういうことなのね)


 ばあやに言われたことを思い出す。

 ソフィアに寄り添おうと思っていたのに。

 実際、変わりつつある自分は、過去の自分を知る者に、一抹の寂しさを感じさせていたのかもしれない。


「……実は、家人かじんにも言われました。お嬢様は変わられた、と」

「そうだったのね」

「この数カ月、いろんな出来事を経験しました。殿下と同じ釜で煮炊きした飯を食べたことも、キエリオンの屋敷でご一緒に賊と戦ったこともございました」

「ええ。貴女とは背中を預けて、一緒に戦った間柄ですわ」

「それ以外にも、師範のエールセルジーに乗せてもらったこと。師範と氷嵐竜トルメンタドラゴンの激しい戦いをこの目で見守ったこと。どれも、得難い経験でした。それはもう、いろいろなことがありすぎたくらい」

「そのオクタウィアの目から見て、今の王都はどのように映りますか?」


 ソフィアが真顔になった。

 オクタウィアは息を呑む。


(……これは、意見を求められているのよね)

「貴女とわたくしの仲です。何を口にしても、咎めるつもりはありません。だから、ありのままの考えを聞きたいの」


 ソフィアの良き友だちであってほしい――。

 女王から託された願い。腹が据わった。


「……わかりました。僭越せんえつながら、申し上げます」

「ええ、どうぞ」

「安全な直轄領におわします王都の皆様は、何が敵で、何が味方であるかを見誤っていらっしゃる。それがゆえに、機を逸しつつある。私の目にはそう映ります」


 言葉を紡ぎだす。

 繭から糸車にたぐり寄せられる生糸のように、止めどなく。


「関所の向こうでは、イメルダ・マルキウスがカルディツァ郡に攻め込んでいます。たった三日で、王国軍と官僚に領主ともどもカルディツァ郡から残らず出て行けと。こんな無茶苦茶な要求を突き付けられている。しかるに、王都ではどうでしょうか。国防を司る軍務府と、叡智を司るアルス・マグナが険悪な雰囲気にあります」


 ソフィアが頷く。

 彼女も何か、思うところがあるのかもしれない。


「ドラヴァイデンに訊ねました。メガイラ軍務卿があのようになった経緯を。聞けばメガイラ殿下はカリスさんに剣を振るい、傷つけたと。それも、機動甲冑を操る為の鍵剣で斬ったというではありませんか。その話を聞いて、言葉が出ませんでした」

「鍵剣って、シャルルやオクタウィアがもつ、その剣ですよね」

「はい。この剣の持ち主を決めるために、生き血を使うんです」

「……えっ!? はじめて聞きましたわよ、その話」


 オクタウィアがこの鍵剣を手にした、あの日。

 その場に、ソフィアは居合わせていなかった。


「作ったばかりの鍵剣には、持ち主がいない。まっさらなんです。血を吸わせたら、その剣は持ち主にしか扱えなくなる仕組みです」

「……つまり、メガイラ卿がカリスを斬った。その剣の持ち主は……」

「はい。カリス・ラグランシアが、鍵剣の持ち主になった。そうと知らず、メガイラ殿下はドラヴァイデンに乗ってしまった。そう考えるほかにないかと」

「ああ、なんてこと……」


 目をつぶり、天を仰ぐ王女。

 その美しい横顔に、うれいが影を落とす。


「……ごめんなさい。続けてくれるかしら」


 じっと待っていたオクタウィア。

 口調を抑えて、ふたたび語り出した。


「アルス・マグナへのあなどりが、あのような不幸を招いたのではないでしょうか。魔術師の皆様が憤るのも当然です。でも、起きてしまった現実は変わりようがない。現在の時の流れを、とうに過ぎ去った過去につなげるだなんて。どんな魔術を使っても、そんなこと。できるわけがないのですから」

「……そうね、悔いても何にもならないものね」

「そう。時は戻らないのです。ですからもし、カルディツァを明け渡してイメルダに返せば、すべて元通りになる。王都の皆様方にそのようなお考えがあれば、私はこう申し上げるでしょう――いいえ! 絶対にあり得ません。と」


 碧い瞳を見開いて、自分自身を抱きしめる。

 そんなソフィアに、オクタウィアは滔々とうとうと訴えていた。 


「カルディツァを手放せば、王都により近い場所で緊張が生まれるだけです。昨今のテッサリアは、機動甲冑を有しているのですから。カルディツァを失ったら、王都は喉元に短刀を突き付けられるに等しい。機動甲冑の能力を以ってすれば、王都を守る関所も、城壁も、大河さえも、易々と乗り越えてしまうんですから」


 椅子から離れたオクタウィア。

 膝を屈して、最敬礼を取った。


「王都を戦禍から守りたければ、カルディツァが健在な今をおいて他にありません。機を逸するべきではありません。どうか! カルディツァを、お救い下さい」


 カロルス・アントニウスをはじめ。

 脳裏に浮かぶのは、数え切れない人たちのかんばせ。

 その一人ひとりが、それぞれの持ち場で奮闘している。

 どうにかして、みんなの力になりたい。その思いが募った。


(ここで言わなければ、どこでも言えるはずがないもの)


 本来であれば、女王に対して奏上すべきだった。

 そんな内容だったかもしれない。

 歩み寄る気配に腕をつかまれた。一瞬、息が止まる。


「――行くわよ、オクタウィア」

「えっ!?」

「さあ、もぎとりに行きましょう。腐りかけのリンゴを!」


 足早に私室を出たソフィアとオクタウィア。

 手を引く王女の足取りはつかつかとしたもので。

 何か、奥底に秘めた強い意志をにじませていた。

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