第10話 グラス・ハート・アルビレオ

「嘘でしょ、こんな街中に――」


 まさかと思い、窓際に駆け寄る。

 しかし、その姿は見えない。


「……サイフィリオン? 一体、あなたどこから……?」

『現在、当機は格納庫にて待機中。ネットワークを通じ、直接会話中』

「格納庫って……もしかしたら、遠隔で話しかけてる?」

『肯定』


 貴族街に機動甲冑が現れた――。

 もし、そんな事態になっていたら、大騒ぎになってしまったはずだ。


(……安心したら、どっと疲れが……)


 ドサッと寝床に沈み込んだ。

 自分のはしたなさをあざける気力すら湧かない。


「……こんな夜に話しかけてくるなんて、初めてじゃない。どうしたの?」

『機動甲冑ドラヴァイデンの要請により通話を要請。内容、貴官との会話を希望』

「ドラヴァイデンが?」


 深い蒼色に彩られた、海の機動甲冑。

 去り際に『彼女』が告げたことを思い出す


(そういえば、ドラヴァイデンが言ってたかしら。緊急時はサイフィリオンを通じて連絡、及び会話が可能だって……あれ、そういうことだったの?)


 サイフィリオンに乗っている時ならば、連絡ができるのか。

 そう考えていたが、古代帝国の叡智というモノは、そんな少女の考えを簡単に打ち砕いてきた。


(確かに、私から聞きたいこと。いくつもあったんだけど。でも――)


 どういうことなんだろうか?

 機動甲冑の方から会話を求めてくるなんて。


(こんなこと、今まで無かったじゃない。どうすればいいんだろう)


 身体が火照る。

 胸が締め付けられる緊張感。

 顔が熱い。血の巡る音が聴こえるようだ。


『要請の可否を』

(ドラヴァイデンには、何か明確な意思のようなものを感じた。サイフィリオンとの会話でもそう。あの、エールザイレンとの戦いの時だって、私の意識から後ろ向きな思考を、自発的に取り除いていた。私が命じていなかったのに)


 それらの意思、挙動、判断――恐ろしいと感じてしまうほどの何か。

 機動甲冑はただの兵器ではない。

 人に似た、何かが宿っている。オクタウィア自身、それを感じてきた。

 だが、あれは退路を断ったオクタウィアの無理難題に応えるため、機動甲冑が出した答えだと思っていた。

 ここまで自発的、積極的な手段を取るなど、にわかには信じられなかった。


(まさか、私の命令以上の挙動って……あれが、機動甲冑の意思、だったの?)

『マスター、要請の可否を』


 あの時の恐怖が脳裏に過ぎる。

 胸が苦しくなる。動悸が激しい。

 でも――少女はこぶしを握って、一歩踏み出す決心をした。


「……わかりました。その代わり、私からもお願いがあります。サイフィリオン、あなたも会話に参加してくれますか?」

『――疑問。貴官の意図を確認』

「ドラヴァイデンとは、今日初めて話したばかりだから。どういうことを考えているのか、まだわからないの。でも、あなたとはもう何ヶ月も一緒にいる。それに千年前からドラヴァイデンとはお友達なのでしょ?」


 やや長い沈黙。


『――――了解。ドラヴァイデンに本内容を伝達、確認――確認完了。貴官の要望を承認。当機の会話参加の許諾承認。ネットワーク接続準備――』

「待って! その前に確認したいことが。あなた、本当にサイフィリオン?」

『疑問。質問の意図が不明』

「その喋り方! いつもの感じとなんか違います!」


 言い回しが違っていた。

 今はどこか素っ気なく感じる。


『――肯定。状況推定。現在、当機と貴官は無線接続状態。パイロット・インターフェイス無しでの接続状態、貴官の精神状態の把握が困難。最適自然言語の選択に不具合が存在』

「……ええと。つまり、いつもみたいに乗り込んでる時と違って、顔が見えないから喋りにくい。そういうこと?」

『肯定』

「じゃあ、本当にサイフィリオンなのか試してみましょう。あなたに質問です。私の好きな食べ物はなんでしょう?」

『――回答、ばあやの作る林檎菓子』


 絶句。


「……こんなこと、一度も話したことないのに、なんで知ってるの!?」

『専属パイロットのパーソナル・データは登録済み』

「もしかして、私の好みや秘密も全部把握しているんですか……?」

『――肯定』

「今、ちょっと言い淀んだでしょう」

『――』

(どこか、ばつが悪そうじゃないの。ふふふっ)


 思わず笑みが溢れた。


「そういうところはサイフィリオン本人みたいですね。わかりました、少し待って。会話を聞かれないように、人払いをするから」


 オクタウィアは起き上がり、両手で印を結びながら、詠唱した。

 風の魔術の一つで、音の伝播を阻害する『結界』を組み立てる。


「これでよし、と。では、ドラヴァイデンとのお話をはじめましょう」

『了解、ネットワーク接続開始』


 一瞬、耳の奥で鳴った。砂を踏んだような音。


『接続完了』

『――オクタウィア・クラウディア。先刻の会話で貴官の会話内容に不十分な認識を検知。貴官の要望の確認を要請』


 届いたのは間違いない。ドラヴァイデンのこえ


「……私の中で、何か他に聞きたいことがあるんじゃないかと。ドラヴァイデン、あなたはそう思ったのね」

『肯定。要望の確認を希望する』


 人間の細かな機微きび

 それを巨人たちは理解している。

 おそらく、人間以上に敏感に。


「であれば、ちょうどよかった。一つあなたたちに聞きたいことがあるの。サイフィリオン、ドラヴァイデン、あなたたちはルナティアという国を認識してる?」

『肯定』

『肯定。当機の専属パイロット、オクタウィア・クラウディアはルナティア王国に所属』

(……意外だわ)


 彼らは古代帝国だけを国家として認識している。

 それに基づいて行動をしているのだ。

 そうとばかり、オクタウィアは考えていたのだから。


「そう。なら、私や師範――いえ、カロルス様が、ルナティアの法や規則で行動している。これもわかっているのよね?」

『肯定』

『条件付き肯定。エールセルジー正規パイロット、カロルス・アントニウスの思考及び判断に関し疑問点が存在』

「師範はこの王国のお生まれではないから、サイフィリオンがそう思うのも当然ね。なら、この国の女王陛下からの要請があって今のような状況だってことは、二人ともわかっているのかしら?」

『――確認――』

『――不明――』


 ものの見事に、二機ともが押し黙った。


(何かしら、この反応)


 その聲は無機質だというのに。


(親に叱られて、何も言えなくなった幼女おなさごみたい)


 そんな気持ちを胸に秘め、オクタウィアは問う。


「……ドラヴァイデン。あなたの行った強制排除でメガイラ軍務卿――つまり、この国の要人の一人が失われました。その認識はありますか?」

『――確認――貴官の質問に対しての回答は、否定。当機の行動原則は全て帝国法を遵守』


 ソフィアを前に回答した、帝国法を遵守、という反応。

 切り込むのはこの先だ――オクタウィアは腕組みした。


「言い方を変えましょうか。あなたの取った行動一つで、カリスさんがこの国の法で裁かれることになります。場合によっては極刑もあり得る。軽率だったのではないかということです」

『質問。マスターの精神状態は立腹。ドラヴァイデンへの会話内容は叱責と判断』

「当然です!」


 サイフィリオンの質問に、鋭く声を上げてしまった。


(いけない、少し冷静にならないと)


 深く息を吸って、鼻から一息吐き出す。それから続きを口にした。


「あなたたちは、私たち操者のことを考えてくれているかもしれない。それは理解します。ですけど、軽率な判断で逆に追い詰めてしまった。私が言いたいのはそういうことです」

『――理解。貴官の叱責は妥当な行動と判断』

「わかればよろしい。では、あらためて二人に質問ですけれど、いいですか?」

『『了承』』


 誰に見られるわけでもないのに。

 寝台の上で姿勢を正し、オクタウィアは問う。


「これは、ルナティア王国の女王陛下から依頼された内容でもあります。なぜ、あなたたちは私たち資格者、操者を選んだのですか?」

『――――』

『――――』

「……私の言っている意味がわかりませんか?」

『否定。貴官の質問内容は理解。有意な回答が存在せず』


 ドラヴァイデンの回答は早かった。


『――――確認。現段階の状況を考慮、限定的回答が存在。当機は身体能力優良、精神性を確認し、貴官オクタウィア・クラウディアを専属パイロットとして承諾。以後、貴官の揮下と認識』

「サイフィリオンは私が健康で、健全な人間だから選んだということ?」

『肯定』


 やはりだ。

 機動甲冑は意図して、資格者たる操者を選り好みしている。


「では、もう一つ。エールセルジーは、私やアルス・マグナ総裁であるベアトリクス殿下が乗り込んでも拒絶しませんでした。ですが、メガイラ殿下がドラヴァイデンに乗り込んだ時は排除行動を取った。後にサイフィリオンの資格者になった私はともかく、ベアトリクス殿下をなぜ排除しなかったのですか?」

『――内容確認――ネットワークリンク、確認。データリンク――エラー、接続に失敗。再度、内容確認――事象推定――』


 これは、サイフィリオンが考え中の時、いつも返す態度だ。


(何らかの回答を持ち合わせている、ということね)

『仮説。機動甲冑各機はパイロットの承諾をもって、同乗及び単独での搭乗を許諾』

「つまり、操者が『乗ってもいい』って言った人には危害を加えない。こんな認識でよいのかしら」

『肯定』

『補足――該当機能及び判断は全機動甲冑の基本原則。不明――は正規パイロット、カリス・ラグランシアより無許諾』

「さっきもそうだったけれど。その不明なんとかって?」

『――確認――ライブラリに該当する単語が未登録』

「わからないならかまいません。さて、二人とお話ししてみて、私が理解、解釈したことを話します。それが正しいのか、判断してください」

(どうしてかしら。疲れがたまっていたはずなのに……)


 オクタウィアの頭の中は、不思議と明瞭になっていた。


「あなたたちの基本的な判断ですけど。ルナティアの法律や規則ではなく、古代帝国の法が大前提。そのうえで、私たち資格者を優先している。まず、ここまでは大丈夫ですね?」

『肯定』

『補足の必要皆無』

「その上で、あなたたちは自分や資格者を守るため、無許可で乗り込んだりするのを拒絶したり、排除する。時には実力行使も行う」

『訂正を要求。正規パイロットの身分及び安全、人権は帝国法下で最上位に位置。推定――貴官の所属する国家でも正規パイロットの同権利は最上位に位置すると判断』

「そのとおりです。ルナティアでは、私たち資格者は女王陛下の勅命以外、全てはねのけられる権利が与えられています」

『疑問。貴官の発言に矛盾を確認。先の事象の排除対象と比較し、貴官らは上位存在と認識』

『疑問。貴国の法規定に矛盾の存在を仮定。通常、上位存在の生存及び権利を最優先』

「……どんな人であれ、無差別に殺していいわけがないでしょ」


 押し殺し切れない憤りが、声を震わせる。


(やっぱり、違う。私たちの常識と、はるかに乖離している)


 二機の言葉が指し示すモノ。

 それは即ち、資格者以外の人権や人命の軽視。

 機動甲冑が作られた、古代帝国の法や倫理感に恐怖を覚えていた。


『部分的肯定』


 オクタウィアの反応に、サイフィリオンはそう答えた。

 どこかしぶしぶと言った形にも思われる。しかし――


『否定。先の事象における該当者、当機の正規パイロット、カリス・ラグランシアへの殺傷行為の確認』

「……どういうこと?」


 これまでは、それなりに従順な態度が見られたドラヴァイデン。

 ここに来て、今までよりかたくなな態度と新たな事実が現れてきた。


(え、カリスさんに対する殺傷行為って何?)


 知らない情報に驚愕する。

 何か、見落とされた事実があるのではないか、と。


「その話、詳しく話してちょうだい」

『了解』


 曰く、メガイラ卿はカリスに対して刃を振るい、傷つけたという。

 傷の位置は顔。なにか一つ間違えば、確実に致命傷に至ってもおかしくはない。


(ああ、そうか。そうなのね)


 オクタウィアは一つ頷いた。

 海の機動甲冑が抱いたモノを理解したから。


「ドラヴァイデン、あなたはカリスさんが傷つけられて怒ったのね?」

『――――』

「答えないの?」

『理解不能。当機は帝国法に則って――』

「素直におなりなさい。あなた、カリスさんのこと第一で考えて、そのカリスさんを傷つけたメガイラ卿に対して、怒っていたんでしょ?」

『――部分的肯定』

『マスター、当機から提案。ドラヴァイデンへの叱責の中断』


 サイフィリオンが割って入る。

 かばっているのだ。ドラヴァイデンを。


(なんというか、どこまでも――)


 この鉄巨人たちは――。


「千年前に作られて、使ってる言葉はどこまでも難しくて硬苦しいのに、私と同じか……いえ、私よりも実際は幼いのではなくて?」

『否定――当機は――』

『肯定。当機はマスターの意見に部分的賛同』

(さっき思った通りだわ。この子たちは――)


 機動甲冑の意思というべき何か。

 資格者に対して、極めて従順な幼子のそれと、なんら変わりがない。


(理不尽だと感じたモノには真っ向から反発もするし、姉妹や友人が悪いことをして母親に怒られた時にかばってみせたり)


 実に、人間臭くはないだろうか。

 だからこそ、これだけの大事を引き起こしたというのに。


(困ったわね。これじゃ、本気で怒れなくなってしまうじゃないの)


 対話する『彼女たち』が、心通わぬ機械とは思えなくなっていた。


「あなたたちって、本当に――」


 続く言葉をオクタウィアは伏せる。

 これ以上は、二人を余計に傷つけてしまう。

 そう考えたから。


(不器用というか、極端すぎるというか。これじゃ、聞き分けのない妹を叱りつける姉にでもなった気分ね)


 夜尿おねしょをして、年齢の近い叔母ラエティティアに怒られた記憶が蘇る。

 しかし――。


(だけど、なんでしょうね。悪い気持ちではないわ)


 人が人と思わぬ行いが広がる今の状況で、誰よりも人間らしいその反応。

 疲れきった今のオクタウィアにとって、間違いなく得難い何かであった。

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