第5話 二つの会談(2)
同日、郡都カルディツァ。
領主カロルス・アントニウスの屋敷を訪れた、一台の馬車。
中から現れたのは、彫りの深い皴を湛えた婦人。
イメルダ・マルキウスの腹心、ファビア・ウァルスである。
随行員を二名連れた彼女を、二人の女性が待っていた。
「ごきげんよう、ファビア・ウァルス交渉官」
「御久しゅうございます。ユーティミア・デュカキス殿」
面識のある者同士が挨拶を交わす。
婦人がその傍らに控えている、小太りした丸顔の女性を見た。
初めて見る顔だ。
「そちらの方は?」
「お初にお目にかかります。農務官フリッカ・リンナエウスです。ユーティミアとは任官同期で、公私ともに親しい間柄です」
「ああ、キエリオン郡の御方でしたか。ファビア・ウァルスでございます。以後お見知りおきを」
「こちらこそ。北テッサリア二郡の農業政策は、私が責任を担っていますので」
「お二人だけですか? 先ほどから、アントニウス卿の姿が見えないのですが」
ファビアが怪訝そうな顔をしたところ、屋敷の門から馬が駆けてきた。
真っ赤な後ろ髪を一本に束ねた武官が、颯爽と下馬して一礼する。
「お待たせいたしました、ファビア殿」
「アグネア殿。御久しゅうございます」
「アントニウス卿は不在ゆえ、私が留守役を引き受けております」
「お待たせいたしました。皆様、応接室へどうぞお越しください」
銀髪の家政婦長と黒髪の使用人に案内され、一行が席に着く。
まず、ファビア・ウァルスが口火を切った。
「昨日送付した解任状を
「三日で何をせよとおっしゃる?」
「アントニウス卿とその従者一同、王国官僚ならびに王国軍。皆様がカルディツァ郡全土から退去なさる事です」
誰が呼んだか。カルディツァの三官僚と。
軍務のアグネア。財務のユーティミア。農務のフリッカ。
皆、揃って絶句する中。
「――あのう、そもそもですよ」
そのうち、眼鏡をかけた一人が挙手した。
「どうしてアントニウス卿を解任なさるんですか?」
「様々な理由により、
「それが、これですか?」
ユーティミアが手に取った紙の束。
解任状に添付された、解任事由の書類だった。
「この中に、たしか。塩ギルドからの告発がありましたね」
「第一に、テッサリア域内で塩の取引を行う業者は、ギルドに加入する義務を課されます。これを逸脱したこと。第二に、国家の専売品である塩を不正に流通させ、暴利をむさぼったこと。以上、塩ギルドから告発を受けております。その他にも――」
「その論理はおかしい。加工品の原料となる塩は、専売の対象外です。
ファビアを遮った、ユーティミア。
眼鏡の奥で、群青色の
「アントニウス卿は、アルデギア地方の
怪訝そうな顔をした、六十代手前の婦人。
その半分にも満たない、若き大蔵官僚は堂々としている。
「その塩はすべて、食物加工に使っています。領内のあちこちで。加工されたものが
「フッ。さすがは大蔵府の官僚。
「詭弁ですって? とんでもない。大蔵府の公式見解ですよ。確認済みです」
塩田の運営に噛まされていた、ユーティミア。
ルナティアにおいて、塩は国家の専売品で、国の税収源でもある。
法律上、問題ないか。官僚の
税法の条文確認は当然として。
王都の財務官僚との折衝の際、世間話として話題にも出していた。
もちろん、その場で塩税の課税対象外だと、
この点に限れば、これっぽちも
「塩税といえば、興味深い話があるんですけど。国家が市場に塩を卸す価格。これに二割五分の塩税が課されます。実際は塩ギルドが国家に代わって徴収するんだけど。塩の取引業者にギルドへの加入義務があるのは、ギルドが塩税を納める窓口だから。テッサリアの塩ギルドもこれは一緒のはず」
「ええ。ですから、塩ギルドを通せと――」
「ところが。末端の小売価格に二割五分が上乗せされ、これが塩税だと、テッサリア地域のギルドでは説明していますよね」
隣にいるアグネアとフリッカ。ともに不可解な顔。
いつの間にか、渋い顔をした老婦人。
ここぞとばかり、ユーティミアが畳みかけていく。
「国税を含んだ、小売価格全体に税を掛けてますね。これ、
「領主への上納金です。我が領内でのギルドが活動を公認される対価でございます。よって、税ではありません」
「それこそ、詭弁じゃないですか? まぁ、今の私、国税は管轄外だから、別にいいんですけど。こういう仕事柄、徴税監察官の知り合いが多いんですよね」
これ以上、海塩の件で難癖をつけるなら、
そう匂わせたユーティミアに、ファビアが付け入る隙は無かった。
「――私からも気になったことが」
次に挙手したのは、フリッカだ。
「解任理由の中に、違法薬物取扱の嫌疑がありましたね。結論から申し上げますと、これは言いがかりです」
「言いがかりとは? 貴殿が発見した『新種』とやらから、有毒な成分が検出されたのですよ」
フリッカが発見した新種の植物、
これに猛毒とされる、青酸が含まれている。
にもかかわらず、これを許可なく栽培している、と――。
「聞くところによれば、貴殿らは白詰草とやらをわざと
「それはウサギですね。以前より、野ウサギを使って領主様の許可を得た実験農場で行っておりますが、食えるとわかれば、将来的に牧草として使えると考えています」
「ウサギを使って、そのような実験を行う意図は?」
「新種の植物が牧草の用途に
「羊や馬に食わせたら、腹を壊した。そんな噂も聞き及びますが?」
「家畜といえば、我々がまっさきに思い浮かぶのは馬や羊ですが、ウサギも立派な家畜です。伝聞がどこかで間違ったのでしょう。――ともあれ新鮮な白詰草と、乾燥させた白詰草。それぞれを別の
フリッカの説明に、目を細め、眉をひそめた老婦人。
「密告を受けた以上、調査しないわけにはいかないのですよ。農務官」
「どうだか。その『密告』とやらも、そちら様のでっち上げなのでは」
でっち上げ。
温厚なフリッカの口から飛び出た、強い表現。
ファビアが帯同した随行員の一人が机を叩く。
「言葉を慎めッ! 我らはイメルダ・マルキウス辺境伯の名代だぞッ」
「ないことをあるように作りあげる。それを『でっち上げ』と呼ばないのでしたら、テッサリアの言葉では何と呼ぶんです?」
一瞬、言葉に詰まった随行員。
それを見逃さず、フリッカは言った。
「そもそも、毒を持つ植物ってけっこう身近にあるのよ。熟していない果実や、種にだってある。ねぇ、ご存じ? キエリオン郡の名産品になってるリンゴの種にさえ、青酸を含む成分があるってこと」
「……ッ!?」
「親御さんに教わりませんでした? リンゴは種まで食べてはいけないよと。あれはそういうことなんです。だから、リンゴの種子をたくさん集めて、磨り潰して、水に溶かしたり、あるいは粉末に加工すれば、青酸を含む成分を集められるでしょうよ。そちらの方が、よほど毒として有用だと思いますけど。テッサリアじゅうのリンゴ畑を摘発なさいますか? そのような話、あたし、聞いたことがありませんが」
顔を真っ赤に、押し黙った随行員。
状況を読んだアグネア。間髪おかず、切り込んだ。
「三日でカルディツァ郡から去れ。こうおっしゃるが、いろいろと無理がある。何か事情がおありなのでは。それこそ、後ろめたいことが」
厳しい眼差しを向ける老婦人。
真っ向から迎え撃つ、紅い瞳が鋭く光った。
「ともあれ、アントニウス卿を領主に任命された。これは、女王陛下の決定であらせられます。女王陛下のご裁可なくして、解任なし。こう申し上げるほかない」
「よろしいのですかな?」
抑揚を抑えた、しわがれた低い声だった。
「パラマス港はサロニカ海軍に封鎖されております。もし、アントニウス卿が解任を受け入れないならば、どうなるか」
老婦人が、思いもよらぬことを口にした。
「倉庫街に
「なんだとッ。それはどういうことだッ!?」
「そういえば、大蔵卿ユリアヌス候が買い付けた穀物。あれを積んだ船も、たしか。港内に留め置かれたまま、でございましたか」
「……!?」
「取り調べに手心を加えては、公平を欠くというもの。大蔵卿に
据わった目玉がギラリと光る。
黒光りする瞳に、アグネアの険しい顔が映った。
「……王都を人質に、私を脅迫しているのか。ファビア殿」
「なぜそうなるのでしょう。私は、事実を申し上げたのみでございます」
「王都と事を構える。そのおつもりと理解してよいのか?」
「とんでもない。お貸しした物を返してほしい。返してもらえないならば、こちらも何か質に取らねばならぬ。道理を申し上げているだけです」
「カルディツァ郡の施政権を返せ。そういうことか?」
「左様。そして、我々がトリカラを討伐する。その妨害をしないでいただきたい。御屋形様のお望みは、それだけでございます」
「そこまでの話になると、さすがに私の手には余る。即断即決はできん」
「そうですか。しかし、猶予は三日。あまり悠長なことは言えませぬぞ」
厳しい眼差しが、三官僚を威圧する。
重苦しい、場の空気。
それを押し流す、
「待たせてすまなかったな、みんな」
扉が開くと同時。大きな体躯をした領主。
カロルス・アントニウス、その人だった。
群青色の髪をした、若き官僚が感極まる。
「いつ帰ってきたんですか、アントニウス卿! 待ちくたびれましたよッ」
「たった今だ。話はエレーヌから聞いた」
羽織っていた外套を脱ぎ、黒髪の侍女に手渡す。
身軽になった領主。居並ぶ交渉官に呼びかけた。
「今から俺も参加させてもらうが、よろしいか? ウァルス殿」
「ええ、構いませんとも。アグネア殿の手に余る。そう、伺いましたので」
老婦人と向かい合う正面の席。
そこに座って、改めて老婦人からの要求を聞いた。
「三日で出て行けとは、これまた。厳しい要求だな。うーん……」
垂れ流している汗は、急いで戻った故なのか。
それとも、過酷な要求に困った果ての脂汗か。
「女王陛下に何もお伺いを立てず。さすがに、そんなわけにはいかねぇ。つっても、大蔵卿閣下が買い付けた穀物が届かねぇ。そいつは大ごとだ。このアグネアが困るのも無理ねぇさ。俺だって、そんな決断はできねぇよ。女王陛下の
「いいえ、猶予は三日でございます。これを延ばすことはできません」
にべもなく言い放った老婦人。
腕組みし、目を閉ざし、苦しそうに唸る領主。
三十秒ほど経った後、彼は、こう口を開いた。
「じゃあさ、百歩譲って三日というのは認めるとしよう。ここを引き払うかどうか。三日後に結論を出してやる。それならどうだ?」
真剣な眼差しをした領主。
じーっと見つめた老婦人。
互いに譲らず、額から頬を伝って、落ちる雫。
根負けして、目を閉じた老婦人は手を一叩き。
「――わかりました。三日後に結論をお聞きしましょう」
「ありがたいッ。この後、女王陛下に文を送ろう。アグネア、手配を頼めるか?」
「……ああ。承知した」
こうして、交渉は妥結に至る。
険しい目つきを崩すことなく、ファビア・ウァルスは席を立った。
「それでは、向こう三日間、カンボスへの攻撃は
間もなく、随行員二名を伴って、馬車で領主の屋敷を離れた老婦人。
そのまま郡都カルディツァを発ち、テッサリア軍の本陣へ帰っていった。
◇◆◇◆◇ お礼・お願い ◇◆◇◆◇
新着、自主企画等から初見の皆様方。
また、更新通知からお越しの皆様方。
お読みいただき、ありがとうございました!
今回は交渉の当事者が官僚なので、いろいろ専門用語が出てきて難解でした。
次回、他の登場人物への解説という体裁で、わかりやすく解説する予定です!
続きがもっと読みたい方は、
どうぞ★評価とフォローを頂けますと、作者の励みになります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます