第6話 二つの会談(3)

 交渉官一行の馬車が、屋敷の敷地を出ていった。

 すぐにきびすを返して、シャルルは応接室に戻った。


「アグネア、ユーティミア、フリッカ。あと、エレーヌはここへ。クロエは人払いの魔術を頼む」

「かしこまりました。ご主人様。聞き耳を立てる者が居ないか、見張っています」

「ありがとう。頼んだぞ」


 応接室に魔術をかけた、侍女のクロエ。

 その中にシャルルと家政婦長ヘレナ。連絡将校アグネア。大蔵官僚ユーティミア。農務官僚フリッカが残った。

 クロエが外から、部屋の戸を閉めた。それを確かめ、彼が一言。


「結論から言おう。穀物の件は、もう解決した」

「……はぁッ!?」

「サロニカ海軍の軍艦が二隻、湾口を塞いでいたんだ。パラマスに攻め込んでたテッサリア軍を蹴散らした後に、穏便にビビらせて、立ち退いてもらったよ」

「え? いつの間にッ!?」


 仰天するユーティミアとフリッカ。

 昨日の朝、領主であるシャルルの姿は、既になかった。

 アルデギアに向かった。そうとだけ、聞かされていた。


「そっか、エールセルジー見せたことがなかったよな。お前たちには」


 昨日の未明。カルディツァを発ってから。

 今日の夕方。この屋敷へ戻ってくるまで。

 その間の出来事。すべて聞かされた一同は、絶句するしかない。


「三時間前にパラマスで軍艦を見送ったら、王都への書簡を持って関所に寄って? それで一時間前にお屋敷に着いたァ!? いったいなに言ってるんです? あたしわけわかんないですけどッ!」

「パラマスから浜街道を一部近道して、直轄領の関所まで一時間。そこから中街道を一部近道して、カルディツァまで三〇分。機動甲冑の足なら可能ってコトさ。まぁ、フリッカの感覚じゃ、信じられねぇだろうが」


 口をぽかんと開けたフリッカの傍ら。

 指を唇に当てて、頷くユーティミア。


「たしかに、そんなことが可能なら……軍艦に退去してもらって、穀物を乗せた船がパトラに向かった。その知らせを、機動甲冑で持っていくのが早いですね」

「つまり、カロルスがここへ戻ってきた時、王都への書簡はすでに?」

「ああ。関所の伝令に手渡した。あれからすぐに早馬が発っていれば、今頃は王都の船着き場じゃねぇか」


 アグネアも言葉を失った。

 あまりの展開の早さに、頭がついていかないのだ。


「――まさか、カロルス。それをあの場で言わなかったのは?」

「時間稼ぎだよ。三日もありゃ、王都に援軍くらい呼べるだろ」

「アントニウス卿。脂汗垂らして、思い切り苦しそうな顔してましたよね!?」

「芝居に決まってんだろッ。フリッカ。外交って要するに騙し合いだからな」


 ずり落ちた眼鏡を直して、ユーティミアが笑った。


「――やりますね。アントニウス卿。なかなか食えない御仁と思ってましたが」

「なんのなんの。あのばあさんほどじゃねぇ。ユーティミアもよく粘ってくれた」

「租税がなんとかって。何を言ってるのか、あたしさっぱりだったけどね」

「あら? フリッカ。せっかくだし。紙に書いて、ご説明しましょうか?」


 ユーティミアは鉛筆を手に、三つ平積みされた四角形を書く。


「なにこれ?」

「テッサリアの塩の価格がどのように決まるか。その解説。ここではわかりやすく、塩の価格を一〇〇ルナリエとします」


 一番下の脇に数字を書き足した。


「塩税は税率二割五部と定められています。よって、二五ルナリエ。これに、塩ギルドと小売が儲けを五五ルナリエ乗せます。では、小売価格はおいくら? フリッカ」

「一八〇ルナリエよね?」

「正解。でも、実際はそうじゃないの」


 さらにもう一つ、上に四角形を積む。

 四つになった脇にも、数字を書いた。


「ここに塩税が四五ルナリエ掛かる。そうするとおいくら? アグネア」

「二二五ルナリエだが。これはおかしくないか? 国税の税率を超えているぞ。二〇ルナリエも多く取っているじゃないか」

「小売価格の二割五部なのよ。国税は仕入れ値の二割五部。税率は一緒でも、掛け方が違うの。塩ギルドから国庫に二五ルナリエ。それとは別に、領主に四五ルナリエが納められる。こういうわけ」

「それで、国税と同じ税率だと言い張ってるのか。やることがずる賢い」

「徴税監査が入ったら、まずダメ出しを喰らうでしょうね」

「あ! それでファビアを黙らせたのかッ。さすがだな、ユーティミア」

「ふっふーん!」


 武官の褒め言葉に、得意げに胸を張る大蔵官僚。

 生真面目な性格が、どうも最近、くだけてきた気がしてならない。


「それはさておき、カロルスにもこちらの話をしておくべきだな」


 その後、彼らは交渉でのやり取りを互いに共有した。


「あの婆さん。白詰草にまで、難癖をつけてきたのか?」

「新種の植物だから、その点を怪しまれた可能性もありそうです」

「あとは、大麻草の栽培で得られたキエリオン郡の収入。この多くが、ラリサへの上納金にもなっていましたから。ある意味、意趣返しなのかもしれませんね」


 腕組みするシャルル。もう一つ、気にかかっていた。


「ところで、白詰草に毒があるって話、大丈夫そうか?」


 アグネアが思い出したように、さっと青い顔をする。


「そうだ、フリッカ。私は、あれをお茶にして飲んだんだぞ」

「ええ。大丈夫です。あたしも飲んでますが、問題はありませんでした」

「私や姉上が飲んだお茶程度では、大したことないんだな?」

「ええ。なんだって、食べ過ぎたら毒になっちゃうんですから。そもそも」

「なるほどな。状況は理解した。俺から伝えることはないが、他にあるか?」


 一同を見渡す。

 皆、言い残したことは特に無い様子だ。


「私は、姉上にお伝えしてくる。すぐに王都に使いを送るはずだ」

「頼むぜ。王都に伝令を送るとき、屋敷に寄ってくれ。俺が女王陛下に書状を出した体裁を取りたい」

「承知した。どこで間者かんじゃが見ているか、わからんからな」

「フリッカとユーティミアは、どうするつもりだ?」

「あたしは夜が明けたら、一度キエリオンに戻ります。戦争になれば、キエリオン郡も無事には済まないでしょうから。郡司代行として、備えはしておきたいので」

「私は、領内での流通計画を練り直します。河も中街道も塞がれてますし、このまま放置はできないし。戦費を考えると頭が痛いけど。あー、今は考えない!」

「よし、わかった! 俺は屋敷で書状を書く。エレーヌ、準備を頼む」

「承知いたしました。シャルル様」


 パラマス湊とカルディツァ。

 二つの重要な会談が終わり、事態は動き出す――かに見えた。

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