第4話 二つの会談(1)

 湊町パラマス。

 港湾ギルドの建物に設置された会議室。

 ルナティアの王侯貴族が湊町に立ち寄る際、貴賓室きひんしつとして用いられる。

 過去に、ラリサ太守イメルダ・マルキウスも立ち寄ったそうだ。

 よく磨かれた調度品たち。質素な色合い。醸し出される上品な雰囲気。

 そんな、格式ある一室。

 ここへ招かれた、軍艦の艦長エヴィアの表情は硬かった。

 重厚感ある木目調で、黒光りした机の向かい側に。

 どっかと腰を下ろした、栗色の髪をした領主とは対照的だ。


「改めて名乗らせてもらおうか。カロルス・アントニウスだ」

「自由都市サロニカ海軍所属、軍艦『メガケーテス』艦長エヴィア・デミストクレスです。どうぞ、エヴィアとお呼びください」


 こんなにも大きいのか。

 八百年ぶりに見つかった「男」という存在とは――。

 大きな体格。低い声の響き。

 実際に目の当たりにした、威圧感。

 そんな重苦しい空気を打ち破った、もう一人の女性。

 この場に居合わせた、港湾ギルドパラマス支部長だ。


「エヴィア艦長。港湾ギルドからの要求は一つです。貴艦が本港から退却されることを望みます。船舶が出航できず、荷主が困っているんです。この事態をギルドは看過できません」

「悪ィが、袖の下をやるわけにはいかねェ。こっちは街を焼かれた。直すにはカネが要る。アンタと軍艦の船員を全部捕虜にして、身代金を要求したいくらいさ」


 口元に笑みを浮かべた男。

 その目は据わったままだ。

 荒々しい海の連中を相手にしてきた、軍艦の艦長も身がすくむ。


「まぁまぁ。ギルドも復興支援をいたしますから。どうか、ここは穏便に」


 ギルド長のとりなしに、うーんと腕を組む領主。


「そうは言ってもなぁ」

「捕虜を取れば、食糧が必要になります。それよりは有り金を巻き上げて、さっさと帰した方がよくありませんか?」

「貴殿らを侮っていた私が悪かったッ! 申し訳ありませんでしたッ!」


 領主とギルド長の会話に、平伏した艦長が切り込んだ。


「袖の下を求めたのは私の独断。船員たちに罪はない。軍艦の積み荷と私の命を差し出します。ですからッ! 船員とあの船は、どうかサロニカにッ」


 机の上に差し出した首が震える。

 死を覚悟した武人の叫びだった。


「どうか、彼女たちだけでもッ! 返してやっていただきたいッ」

「よし! わかったッ」


 パンと手を打った領主と目が合った。


「気に入ったぜ、エヴィアおばさん。アンタの覚悟に免じて、船員と軍艦は返そう。船員からカネは一切巻き上げねぇ。新鮮な水も好きなだけくれてやる。なによりアンタの命を獲って、幽霊船になっちまったら後味が悪い。その代わり、条件がある」


 何を要求されるのか。

 この上、何を言われても受け入れるしかない。

 そう、覚悟を決め、奥歯を噛みしめて頷いた。


「軍艦が積み込んでいる物資があるだろ。メリヴィアに行くまでの食料を除き、物資を全部供出してもらう。それを履行してもらえるなら、アンタも自由だ」

「……ッ!?」

「なんだ? それじゃ不満か。じゃ、この話は無かったことに――」

「とんでもないッ! お望みの物資を! なんでも、差し上げますからッ」


 軍艦に迫った、帝国時代の発掘兵器「機動甲冑」。

 帆船の帆柱ほどもある、長大な槍を振りかざす巨体。

 水兵の魔術など物ともしない、堅固な装甲を備えていた。

 あんなモノを相手に事を構えるのは、自殺行為に等しい。


 その会談から三〇分後。

 岸壁に接岸した軍艦に、領主の私兵が乗り込んだ。


 航行に必要な装備と最低限の食料以外すべて。

 湊町では珍しい食料品に、南方の織物。

 銀細工の調度品から酒。果ては、軍艦に備え付けられた弩砲まで。

 ありとあらゆるモノが、そこから運び出されていた。

 ただし、軍艦の装備と任務に必要な物資に限られる。


「これ、果物くだモンか? 嗜好品だな。よーし、コイツは下ろせッ」

「ま、待ってくれよ! こいつは必需品なんだッ」


 果物の木箱を取り上げようとした私兵。それを止める船乗り。

 その様子に気づいたシャルル。足早にその場へ向かう。


「どうした? 何があった」

「それが……」


 事情を訊く。船乗りが身振り手振りを交え、こう言った。


「海の上じゃ、パンの他は塩辛い干物や保存食ばっかりさ。そんなメシが続いちゃ、アタシらだって気が狂っちまう。幻覚が見えたり、操船が狂うことだってままある。それだけじゃねぇ。古傷が開いたり、皮膚や歯茎から出血したり、歯が抜けたり骨が折れたりする。海の上じゃどうしようもねぇ。命取りなんだ」

「それとコイツに、何の関係が?」

「アタシらの経験じゃ、こいつらをかじってる連中は、割とまともな奴が多い。わけはわかんねぇけどな。嘘じゃねぇ。本当さ!」


 思いのほか、必死そうな顔つきだ。

 でまかせではないらしい。

 丸っこい果物からいい匂いがする。


「よかったら、ソイツを一個俺にくれねぇか」


 果物を一つもらい、ナイフで半分に割り、豪快にかぶりつく。

 呆然と自分を眺めている船乗りに、口をもごもごさせて、彼は言った。


「酸っぺぇ――ッ! でも美味うめぇな、コイツ! なんてヤツだ?」

「ライムーンさ。温暖な国で採れる果物でさ。サロニカではよく流通してるんだ」

「そんなにウマいンすか?」

「半分やる。食ってみろよ」


 ナイフで割った片割れ。

 私兵にくれてやると、同じようにかじりつく。

 途端に真っ青になった。


「酸ッッッパッ!!! なんだコレェ!? コレのどこがウマいンすか?」

「だから、この酸っぱさが効くゥゥゥゥ――って感じなんだよッ! 領主様も、疲れ吹っ飛んだっしょ!?」

「ああッ! コイツはいいモン教えてもらったぜ! よーし、いいだろう。ソイツは全部船に残してやれ」


 瞬間、快哉を叫んだ船員たち。


「ありがとうございますッ、領主様! この恩は必ず返しますから!」

「そうか? じゃあさ。またパラマスに来る機会があったら、ライムーンってヤツを仕入れておいてくれ。全部買い取ってもいいぜ」

「マジっすか!? 親がサロニカで商人やってるんで、話してみますッ」

「俺も、ギルド長に話つけておくからさ。頼んだぜ!」

「……領主様も、船員さんも、ゼッタイ、舌おかしいっスよ……」


 その他、船の中を見回る。あらかた物資を下ろした頃合いに訊いた。


「お前ら、他に余計なモノくすねちゃいねぇよな。俺の面目がかかってるんだ」


 船員個人の財産を没収することは、固く禁じられていた。

 命令違反は死をもって償わせる。こうも厳命されている。

 領主は船員に尋ねたが、金目の物を奪われたという者はいなかった。

 軍艦は日没の三時間前に出航。無事メリヴィア港へと針路を取った。

 

「手荒なことをするのは本意じゃねぇ。おばさんが話のわかる人間でよかったよ」


 去り際に。

 屈強な体躯をした領主が、屈託ない笑みを浮かべた。


「こんなことになっちまったが、次は商売の交渉がしたいもんだな。ボン・ヴォヤージュ! 航海の無事を祈ってるぜ」


 軍艦『メガケーテス』艦長エヴィアは、こう思い知らされた。

 とんでもない奴を、敵に回すところだった、と――。

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