第2話 駆けつけた『相棒』(1)

 アルス・マグナを飛び出していった、機動甲冑『エールセルジー』。

 それがなぜ、パラマス湊に駆けつけたのか。

 それを語るには、時間を遡る必要があった。


 ***


 真夜中、テッサリア軍が大挙してカルディツァ郡に攻め込んだ日。

 これまで自分が積み上げてきた、何もかもを喪うと知らされた日。

 滝のような脂汗を流し、領主カロルス・アントニウスことシャルルは苦悶くもんした。


(あー、クソッ。動かせる駒がねぇ……どうすればいいんだッ!)


 彼が指揮権を有するモノが二つある。

 一つは彼の手許てもとで育成中の私兵たち。

 もう一つは彼の相棒『エールセルジー』だ。

 だが、両方とも今すぐ動かせる状況にない。


 育成中の私兵たちが駐屯するのは、海沿いのアルデギア地方。

 カンボスを経由して浜街道を往き、最短で四三マイル七〇キロメートル道程みちのり

 街道を封鎖された今では、北へ迂回して八七マイル一四〇キロメートルを要する。

 同じ領内でありながら、王都よりも遠い。

 早馬なら九時間はかかってしまう。

 仮に今すぐ伝令が発ったとしよう。

 それでも、アルデギア地方に着くのは早くて正午だ。


(そんな速さじゃ、絶対間に合わねぇ……畜生、アイツがここにあればッ)


 アルデギアにいち早くたどり着ける。

 態勢を整える時間が生まれるはずだ。

 街道の上ならば、ほぼ無尽蔵に走り続けられる「化け物」なんだから――。


 そう期待した、彼の相棒『エールセルジー』は、いまだ王都で修理中。

 代わりにカルディツァに駐屯する『サイフィリオン』は、漆黒の機動甲冑『エールザイレン』に対する抑えとして動かすことができない。

 もし敵の狙いが「機動甲冑をカルディツァから離すこと」だった場合。

 カンボスやパラマス湊への攻撃は、いずれも郡都から機動甲冑を引き剥がす、陽動作戦となり得た。

 領内の政治と経済の中心地、郡都カルディツァを喪えば、どうなるか。

 領地は事実上イメルダ・マルキウスに奪い取られる。

 彼に残るのは、積み上がった多額の借金だけだった。


(進むも地獄、退くも地獄……コイツぁキツいぜぇ)


 広大な版図を持っていた父は、どのような思いで戦ったのだろうか。

 胸をキリキリ締め付けられる。こんな思いを抱いていたのだろうか。

 北にはイングランド、南西にはフランス。

 東には精強な傭兵を擁する山岳国スイス。

 彼らに囲まれた、フランドルとブルゴーニュの領地を守ってきた父。

 そんな、若かりし頃の大公の背中を、彼はこの目で見たことがない。


(ホント、どうすりゃいいんだ。俺は)


 振るえる剣がわが手にない。

 戦いの窮地をいつも自らの剣で切り開いてきた彼を、無力感が苛む。

 刻一刻と時が経っていった。

 不確実な情勢が、より確実なモノ、より悪いモノへと変わっていく。

 湊町に向けて敵が動き出した知らせから、四〇分が経とうとした頃。

 悲鳴が次々飛び込んできた。


「き、機動甲冑がッ!」

「街に、機動甲冑が現れました――ッ!」

「「「……ッ!?」」」


 連絡将校アグネア。

 第二軍務卿ユスティティア。

 そして、領主カロルス・アントニウス。

 青ざめた全員が一斉に都督府庁舎から飛び出した。


「あ、あれは……ッ!」


 暗闇に混ざって漂う、巨大な威圧感。

 恐怖に腰を抜かした衛兵たちが、震えながら指差す先には――。


「おい、ウソだろ……」


 鋼鉄の人馬獣――機動甲冑『エールセルジー』が屹立していた。


 ***


『インフィックス確認――搭乗を検知――搭乗者はカロルス・アントニウス――認証』


 シャルルは縄梯子を上り、操縦席に座り、鍵剣を差す。

 懐かしい機械の駆動音と、かなり流暢になった言葉がその後に続く。


『おひさしぶりです、マスター』

「ソイツは俺のセリフだぜ。まったく」


 何の前触れもなく自分の前に現れた。

 そんな相棒に、つい憎まれ口を叩く。

 そんな彼の口角が、自然と上がった。


「よく還ってきたな、エールセルジー。調子はどうだ?」

『全システム、異常無し。通常稼働、運用に支障無し。戦闘機動可能』

「大したもんだぜ。槍の方も見つかったのか」

『肯定。アイグロス、使用可能』


 奇妙な形をした見慣れない長物を持っていたが、おそらくアルス・マグナの面々がなんとか探し出してくれたのだろう。


「そういえば、鍵剣も差しちゃいねぇのにどうやって動いたんだ」

『エマージェンシー・コールを受領。要請を了承』

「今が緊急事態だってわかるんだな、お前には。ホント賢いヤツだぜ」

『スタンドアローンから通常稼働に移行。ユー・ハブ・コントロール』


 気が付けば、アグネアと軍務卿ユスティティアがエールセルジーの足元から見上げているのが確認出来た。

 エールセルジーを着座させ、操縦席からシャルルが顔を出す。


「カロルス。その機動甲冑は大丈夫なんだな?」

「ああ、問題なさそうだ。ひとまず、コイツでアルデギアに行きたい。湊町に援軍として私兵を送り込みたいしな」

「了解だ。姉上は異論ございませんか?」

「アントニウス卿。これまで収集した情報によると、敵方の機動甲冑はかなり危険な存在と予測されます。万が一、鉢合わせた場合は交戦を避け、カルディツァに逃げることを最優先に願います。アントニウス卿が討たれれば、この戦いは敗北です」

「承知いたしました。軍務卿閣下」


 険しい表情の軍務卿が、蝋で封をした一通の書簡を掲げる。


「ここまでわかっている状況をこちらにまとめました。アルデギアに駐屯する士官にお渡しください。それで状況があやまたず伝わるはずです」

「カロルス、受け取れ!」


 軍務卿からアグネアへ、そしてアグネアの手から魔術でもっ投擲とうてきされた書簡は、迷いなくシャルルの手に渡る。


「確かに受け取った! アグネア、細かい判断は一任した。屋敷の者も好きに使ってくれ! それと閣下! 後詰めの方は頼みます」


 郡都の守りは二人に託した。

 身体を皮布で座席に固定しながら、相棒に問う。


「ともかく、今はアルデギアがヤバい。俺たちだけでも駆けつけなきゃマズい状況だ。急いでくれるか」

『――該当座標サーチ――地形データ不明、該当座標不明。マナサーキット・ダイレクト――座標確認。有効索敵範囲内スキャン開始、オプティマイゼーション』


 それはわずか十秒ほどの時間だったろうか。

 これまでの経験から、この相棒は彼の指示を受けて、最適解を探してくれる。


『データ更新。推定目標地点、アルデギア漁港。直線距離四八キロメートル。通常経路算出――第一経路、六九キロメートル。第二経路、一四〇キロメートル。経路を選択してください』


 彼の脳裏にふっと浮かび上がった地形図。

 彼が知っている地図とおおむね一致していた。


「なんだぁ、そのキロメートルって単位は? とにかく、お前の言う第一経路は敵陣のど真ん中を突っ切る。こいつは却下だ。第二経路だと遠回り過ぎる。できるだけ早く行きたいんだ。なんとかなるか?」

『経路探索条件変更、最短距離、最短時間――想定使用魔力計算、問題なし。更新された最短経路を提示』


 新たに追加された経路は、まるで定規で引いたように原野を東西に突っ切るモノ。

 当然、彼も通ったことがない。文字通り、道なき道だ。


「これは……どのくらいかかるんだ?」

『移動距離四九キロメートル。推定所要時間、通常戦闘速度で三〇分。予定到着時刻、午前四時一六分。該当座標到着後の作戦行動に問題なし』

「おい、マジかよ!?」

『肯定』


 本来ならば、街道を走っても一時間半を想定していた。

 それが、少しでも短縮できないか。

 そんな期待をはるかに凌駕りょうがした回答だ。さすがに疑う。


(コイツは舗装されてねぇどころか、畦道あぜみちですらねぇ荒野だぞ。いくら最短つっても、街道より時間かかるんじゃねぇのか……でもなぁ)


 これまでいろんな無茶をやってきた。

 その中で、この相棒は一番正確な結果を出してきた信頼がある。

 さっきまで絶望に凍り付いていた顔。

 そこにこぼれた、少年のような笑み。


「よし、こいつでやってくれ。エールセルジー、お前を信じるぜ!」

『了解。該当座標へ出撃。SAS作動。アイ・ハブ・コントロール』


 郡都の市街を貫く、石畳の街道を走り出す。

 閉じた城門を易々と飛越ひえつして、相棒は真西と西南西の間に針路を取る。

 小麦畑を区切る、未舗装の畦道を数分駆けて、用水路を飛び越えた先は原野が視界一面に広がった。

 操縦席に伝わる揺れがより大きくなる。

 礫の混じる道なき道。木々どころか草すら生えぬ不毛の大地。相棒が彼の脳裏に示す経路は、それを真っ直ぐに貫いている。

 まれに視界の端々に映る廃墟、廃村、溜め池の名残。

 自分の領地にこんな場所があったと初めて知る数々。

 圧倒される彼を乗せて、土埃を掻き上げ、四足の裏の車輪が大地を引き裂き、天にまたたく星々を追うかのように相棒ははしった。


「……あれ、海じゃねぇか」


 体感時間にして二十数分。

 たいらな平面が果てしなく続く一帯が近づいてきた。

 向かって左から、出発直後に別れた石畳の街道がみるみるうちに迫る。


『街道に合流。魔力供給再開を確認。目標座標まで残り五分』


 一転して、揺れが穏やかになった。

 見覚えのある景色の先に、漁火が灯っている。

 それから五分足らず。

 漁師町の外れ、私兵が駐屯する一帯に滑り込んだ。

 カルディツァを発って、わずか三〇分後。エールセルジーが提示した通りの時間だった。


 ***


「おい! 誰かいるか!?」


 操縦室の扉を開け放ち、篝火が灯った官舎に向かって叫ぶ。

 すると、当直の士官一人と私兵の兵士一〇人ほどが現れた。


「アントニウス卿ではありませんか。なぜ、こんな真夜中に?」


 驚きつつも緊張感のない口調だった。

 アルデギアにはまだ情報が伝わっていないのだ。

 他に控えた兵の中には出かかったあくびを無理に飲み込もうとして赤い顔をした者もいる。


「緊急事態だ。イメルダ・マルキウスが攻めてくるぞ」

「ええっ!?」


 軍務卿ユスティティアから預かっていた書簡を手渡す。

 それを読むや否や、士官の顔色が一変した。


「軍務卿閣下の署名……これはまずい。大隊長に知らせてくる。貴様らは総員起こしの準備だ!」

「承知いたしました!」


 士官が駆けていく。

 それから五分ほどで、私兵の指揮を託した大隊長を伴い、戻ってきた。

 彼の姿を認めると一礼し、配下に向かってこう言い渡す。


「総員起こしッ!」

「「「総員起こし!」」」


 起床の号令を告げる喇叭ラッパの響き。

 真っ暗な宿営地に、折り重なるように鳴り響いていく。

 十五分ほどで三個中隊、三六〇余名が整列を済ませた。


「カロルス・アントニウス郡伯より訓示を賜る!」


 士官の号令に、皆が背筋を伸ばす。

 一人ひとりが、王国正規軍並みの精悍な表情を湛えていた。

 数カ月の訓練がこの精鋭を作り上げたのか、と彼は驚いた。


「皆、よく集まってくれた。こんな朝早くに起こしてすまねぇが、緊急事態なんだ。イメルダ・マルキウスが攻めてきたんだからな」


 さすがの彼女たちもどよめく。

 それも、士官が「静粛に」と一喝するとすぐ静まった。


「だが、喜べ。これは諸君らには絶好の機会だ。名を挙げる好機だ。わかるよな? 戦争の時こそ、俺たち戦士の出番だからさ」


 一人ひとりの顔を見つめるような彼。

 それをじっと見据える、七百余の瞳。


「諸君らの栄えある初陣、その舞台は二五マイル四〇キロメートル離れたパラマスだ。イメルダ・マルキウスの旗本が湊町を落としにやってくる。その湊町へ援軍に向かってもらう」


 息を呑む音が聞こえるかのような、沈黙の中。

 シャルルは拳を握り、怒涛の如く、熱く語る。


「今、湊町を死守しているのが正規軍一個小隊、わずか四〇人だ。対するイメルダの旗本は五〇〇人。夜通し行軍できる、手強い精鋭だ。だが、恐れることはねぇ!」


 視察の折、同じ釜の飯を食うこともあった。

 彼女たちに混ざり、木剣を握りしめ、打ち合うこともあった。


「地獄のような訓練を思い出せ! 正規軍の兵士が鬼の教官面きょうかんづらして、お前ら全員に課してきた特訓を、全部乗り越えてきたんだろ。その正規軍の兵士が、今度はお前らの助けを待ってるんだよ。わかるよな?」


 同じ高さに立って、同じ景色を見てきた、同志たちにこう呼びかけた。


「魔術が不得意だ? 学がねぇ? それがなんだ。俺たちは鍛えてきた。こんなクソ寒い中、身震い一つしないくらい、身体を鍛えてきたんだ。バカにするんじゃねぇ。そう見返してやろうぜ!」


 次々野太い声が上がる。

 その熱狂はたちまち一帯を包み込み、冷気を弾き飛ばす勢いで広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る