第五章:イメルダ戦役(前篇)
第一幕:東奔西走
第1話 湊町の攻防
張り詰めた空気が、一帯を支配する。
テッサリア有数の港湾、パラマス湊。
王国最大の河川ペネウス河の河口。そこから北に
いつも賑わっている湊町。今は鳴りを潜めている。
その原因は、入り江の出口にあった。
サロニカの軍艦二隻がそこに
おかげで、積み荷を満載した外洋船は一隻も出航できないでいた。
異常事態を知らせようと、早朝に王都とカルディツァに向け、伝令が発つ。
事もあろうに、カルディツァに向かった伝令は、中街道を封鎖していたテッサリア軍に捕らえられてしまった。
浜街道を走った王都への伝令だけが、無事王都に異状を知らせるに至った。
だが、サロニカは半独立の自由都市。王都から何かできるとは考えにくい。
膠着状態を打開しようと、港湾ギルドのパラマス支部長が立ち上がった。
彼女は自ら小舟に乗り、軍艦の艦長に面会を求め、衝撃的な話を聞いた。
「ラリサ太守イメルダ・マルキウスより、カロルス・アントニウスに違法薬物取扱の嫌疑がかかっている。調査官が来るまで証拠品を一切パラマスの外に出さないよう、太守より協力要請を受け、海上封鎖を行っている」
「バカ言ってんじゃないよ! あの領主様がそんなことするわけないだろう?」
「もうすぐラリサから調査官が来ると聞いている。文句はそいつに言ってくれ」
港湾ギルドのパラマス支部長にできたこと。
軍艦を離れ、見聞きした情報を行政長官らに打ち明けることしかない。
時同じく、ラリサの軍旗を掲げた五〇〇余名の大隊がパラマスに迫る。
カンボスに最も近い街道に面した東門。緊張が走り、慌ただしく動く。
真っ黒い鎧を着た者たち、その異様な雰囲気に都市の城門を閉ざしていると、伝令と思しき騎兵が軍旗を
そこに、このような趣旨が書かれていた。
――――――――――――――――
開城勧告
領主カロルス・アントニウスは解任された。
カルディツァ郡は辺境伯イメルダ・マルキウスが直接統治を行う為、今後、王国軍による警備は一切不要である。
王国軍との無用な戦闘は望むところでない。
速やかに開城に応じれば、王国軍が王都へ退去するまでの安全を約束する。
もし、この勧告を受諾しない場合、いかなる理由があろうとも、王国軍による不法占拠とみなし、我が辺境伯の名の下、実力行使へと踏み切る。
以上、通告する。
――――――――――――――――
「開城勧告だと!? ふざけるな!」
脅しではないか。
罵声を張り上げた駐留小隊長以下、誰もがそう理解した。
こんな脅しに屈するつもりなど、さらさらない。
「我が一存で退去は決められない。王都に対して伺いを立てる必要がある。できれば回答期限を一週間延ばしてもらいたい」
こう回答した。
それに対し、相手方の返事は実に素っ気なかった。
「本日正午までに城門が開かない場合、城門を破壊して入城する」
けんもほろろ、である。
しかし、王国軍にも体面があった。こう警告する。
「武装解除しない限り、湊町への不法侵入者とみなして排除する」
果たして数時間後、正午に東門が開かれた。
所詮は多勢に無勢。王国軍も大したことない。そうせせら笑うテッサリアの部隊は武装を解かずに、門をくぐり、唖然とした。
「なんだありゃ!?」
東門の内側、狭い通路をさらに狭めるような障害がある。
互い違いに並べられた、歪な造りの石壁。
だが、完全に塞がっているわけではない。
「積み上げようとしたが、間に合わなかったか。無駄な努力だったね」
それを避けるように内側へ入り込むと、何か飛んできた。
何かが頭を打ち、しゃがみ込む兵士たち。
「おえぇぇっ! 腐った卵の臭いじゃねぇかッ」
吐き気を催す、我慢ならない腐臭。
石畳一面に、腐った魚か何かの臓物がばらまかれていた。
異様に生臭い空気が立ち込め、兵士たちの士気をくじく。
「出て行け、クソ野郎ども!」
「さっさとおうちに帰んな!」
湊町の住民がこぞって、家屋の上から何か投げつけていた。
ガチョウか家禽の卵だ。どれも腐って、食い物にならない。
イメルダ・マルキウスの
「今だ、放てっ!」
そこへ王国軍兵士たちが一斉に魔術を撃った。
火の玉が飛んで落ちたかと思えば、地面から
前は王国兵が、後は駆け込んできた味方兵が、逃げ道を塞いだ。
脇に入る小さな路地に瓦礫が積まれ、火の手と敵の侵入を阻む。
黒の兵士たち。彼女たちに逃げ場はなかった。
たちまち火だるまになり、次々と
「ざまあみろ!」
「ほぅら、餞別だ! 地獄に持ってきなッ」
「よしッ! これで四分の一は削ったぞ!」
そこは城門から街の内部へ通じる表通り。
機動甲冑が一騎走れるほど大きな場所だ。
そこに石炭由来の可燃物を敷き詰めたが、どうしても油臭くなる。
これを誤魔化すため、街中の残飯をかき集め、腐らせ、まき散らしていた。
敵の動線をなるべく狭くする必要があったから、
慌てふためき、焼き殺される味方。テッサリア兵はたじろいだ。
王国軍も数に物を言わせて脅せば開城する。
こう思っていた彼女たちは、城門が正午に開かれた事実を以って、王国軍が開城に応じたと思い込んでしまった。
実際は、王国軍が即席の罠を作り、そこに湊町の有志が協力して、テッサリア軍を罠へと誘い込んだに過ぎなかった。
「退け! 退けぇ――ッ!!」
大隊長の号令に、生き残ったテッサリア兵は一人残らず、城門の外へ退却した。
緒戦を勝利した湊町の住民たちの歓呼の中、この事態をどうやって切り抜けるか、駐留小隊長は早速頭を抱えていた。
***
パラマスに押し寄せたテッサリア軍の本陣。
王国軍の罠に
「なんという体たらくだッ。これが
夜中のうちに越境、カンボスを完全に包囲。
街道を封鎖したまま、夜の闇に紛れて行軍すること
湊町に駐留する王国正規軍小隊は、たった四〇数人。
補給を断ったうえで五〇〇名規模の大隊を投入すれば、湊町の攻略は
カロルス・アントニウスが手を打てないうちに、パラマスを落とす算段だった。
そのつもりが、あと一歩というところで大きく
想定外だったのは、パラマスに住む市民たちの反応だ。
王国軍に協力して、テッサリア軍に敵対行動を示した。
「ちょっとばかりカネを持ってるからって、調子に乗りやがって」
何度も舌打ちして、爪を噛んでいた総指揮官。
テッサリア軍の大隊長は、総攻撃を決意した。
反抗的な湊町の市民に対して、制裁を加えてやると。
「港湾施設と倉庫街さえ残っていれば、民草の血が多少流されたところで問題ない。従順な市民以外、血祭りにあげて、二度と逆らえなくしてやる」
復讐の意欲に燃えるテッサリア軍は、夕暮れに二度目の攻撃を計画した。
獰猛な大型獣を使役して、門を破り、街に火を放って市民をあぶり出す。
逃げ出してきた市民を
そうすれば、カルディツァの民草どもは、終生悔いるであろう。
テッサリア辺境伯、イメルダ・マルキウスに歯向かったことを。
***
陽がだいぶ傾いて、風向きが変わり始めた湊町。
「テッサリア軍が動きましたッ」
「魔術師らしき者たちを何人か確認! その他歩兵多数!」
「弓兵がッ! 火矢の準備をしております!」
沖からの湿った海風が吹いている。
海側の港湾施設と倉庫街はともかく、陸側の市街に燃え広がるかもしれない。
「子供や年寄りは海側に避難させよ。
隊員を呼び集めた、駐留小隊長。
四〇余名、皆の名前を記した封筒を受け取った。
その中にあるのは、一人ひとりの遺書と遺髪。
そこに自分の封筒を添えて、行政長官に託した。
「無事に生き残ったら引き取りに伺います。もし、引き取り手が居なければ、どうか王都まで届けていただきたい」
「武運長久を、お祈り申し上げます。どうか、ご無事で」
覚悟を決めた武人に、それ以上の言葉が出なかった。
整然と死地に赴く勇士たちの前に、不揃いの武器を手にした市民が
「とんでもねぇ、アタシらだって街を守るんだ!」
「そうさね! 王国の兵隊さんにばかり、いいカッコはさせらんねぇ!」
家屋を失い、財産を失った。
寒さをしのぐための仮住まいの家に住む、貧民たちだった。
「家を直してくれた借りを返そうと思ってた。勝手に死ぬんじゃないよ」
家の再建のために血と汗を流してくれた、王国軍の兵士たち。
蛇籠を編み、石を運び、一緒に積み上げた彼女たち。
言葉にして言い尽くせないほど、感じていた恩義があった。
「生きて明日を迎える保証は、何一つない。それでも一緒に戦ってくれるのか?」
「ラリサのクソ野郎どもに、腐った卵をぶちまけた。今さら後には引けねえ」
「そりゃそうだ、ハハハッ!」
黄昏に包まれた、夕暮れの湊町。
みすぼらしい勇者たちの笑い声が、朱に色づいた虚空へと吸い込まれていく。
***
「東門、北東門、北門、すべて封鎖完了」
「出てきた者は残らず皆殺しにせよ。一人残らずだ」
テッサリア軍は街に火を放つつもりであった。
火災で逃げ出した市民が居れば、片っ端から惨殺する。
これを繰り返して、湊町の市民に竜の襲撃以上の衝撃を加える。
いくら王国正規軍の精鋭と言えども、この消耗戦には
このため、一個中隊を失ったテッサリア軍は、残る三個中隊を三方にわけた。
各一二〇名規模の部隊が城門の外に展開し、柵を立て、逃げ場を無くしていた。
湿った西風に靡く軍旗。市街に火をつけるには不利な向かい風だが、問題ない。
(王国軍が民草を守れなかった。その風評が広がれば、御屋形様を「辺境伯」に封じてこなかった、女王の権威にも消えない
王室に対する、根深い反感。
それがテッサリアにはある。
テッサリア最大の仇敵、トリカラには「辺境伯」という爵位があった。
翻って、我らテッサリアの盟主、マルキウス氏族にはそれがなかった。
あの褐色の野蛮人どもに、爵位で劣っているのだ。許しがたい屈辱だ。
直轄領に
(王都を燃やす先駆けとして、王都に与した者どもを焼き尽くそう!)
総指揮官である大隊長が剣を振り下ろす。
それを合図に、轟く角笛。
正午の戦いの舞台となった東門。そこにいきなり、
分厚い城門に巨犀が体当たりして、その圧倒的な質量で門扉を凹ませる。
「門が破られるぞォォォッ!」
城門の内側、蛇籠で築いた即席の防壁。
そこに身を隠した王国軍兵士が目を
「撃てッ!」
未だ土煙が漂う中に、王国軍兵士が一斉に魔術を撃った。
金切り声のような悲鳴とともに、
「後退ッ!」
間一髪、弾け飛んだ蛇籠に巻き込まれずに済んだ、それも束の間。
裂けた防壁の間を一斉にすり抜けてきた、四匹の蜥蜴たち。
なんと火炎を放って、家屋を焼き払わんとする。
「
魔術を一斉に撃つも、すばしこい火蜥蜴たち。
一匹仕留めたが、他は細かい路地に入り込み、火を吐き、逃げ回る。
その後ろ、防壁を粉砕したばかりの巨犀が顎を大きく開けて、不気味に
突進する大質量を押し返すだけの出力は、どう考えても思い浮かばない。
そして、あの強力な顎に噛みつかれたら、胴体ごと千切られるであろう。
――おしまいだ。何もかも。
死を覚悟した小隊長の視界が色彩を喪う。
『フラァァァァァァッ!』
刹那、
灰色の空を切り裂いて。
彼女たちを飛び越えて。
『いっけェェェッ! アイグロォォォ――スッ!!』
その幾何学的な造形をした槍は、一瞬光ったと思えば、易々と巨犀を貫く。
そのまま、紙か何かで模した何かであるように、門の内側に入り込んでいた魔術師どもを巻き込んで、薙ぎ倒すが如く、軽々弾き飛ばしてしまった。
「……う、嘘ッ」
正規軍の精鋭たちでさえ腰を抜かす。
夕日を浴びて
数カ月前、息絶えた竜の血を浴びたまま、
畏怖とともに脳裏に刻んだ
◇◆◇◆◇ お礼・お願い ◇◆◇◆◇
新着、自主企画等から初見の皆様方。
また、更新通知からお越しの皆様方。
お読みいただき、ありがとうございました!
お待たせいたしました。第五章開幕です。
機動甲冑「エールセルジー」ついに復活!
絶体絶命の苦境を、シャルルはいかに乗り越えていくか。
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