第4話 伝承のみなしご(4)

 ルナティア王国で第二王女ソフィア一行に拾われるまでのあらましを語った彼に、カリスは俯いたまま頭を下げた。


「そのような過去があって、今まで出自を伏せておいでだったのですね。私はそれを暴露するような真似をしてしまった……申し訳なく思います」

「いいや、気にすんな。いずれはバレていたんだ。それに刺客もさすがに異界までは追いかけてこねぇだろうよ。隠す意味がもうなくなったんだ」


 そう言った彼の顔は憑き物が落ちたように爽やかだった。

 歯を見せた彼の微笑みに彼女たちも頬を和らげて応じた。


「まぁそういうわけだ。親父おやじは俺宛てに遺言書を用意していたらしいが、残念ながらそいつを手にする前に俺は刺客にやられちまった。俺はブルゴーニュ公アルテュールの血は引いているが正統な後継者じゃない。少なくとも親父以外はそう思ってた」

「それは騎士殿が生まれ育った異界での法でしょうが、少なくともこのルナティア――バルティカの地では間違いなく古代帝国皇帝ルキウス・アルトリウス・バルティカヌス陛下の血をお継ぎになられたことに他なりません」

「それにしても、本当にあの親父が……古代帝国の王だったってのか……俺は今でも信じられねぇんだが」

「あの――私、夢を見ました」


 唐突にオクタウィアはシャルルの言葉に返すように語り始めた。


「――それは戦場でした。空が赤金あかがねに輝き、強い風が吹く戦場です。地平線の彼方まで埋め尽くされた巨人の群れ――そう、おとぎ話に出てくる化け物です」


 カリスの目がピクリと動き、続きを促した。


「……続けて下さい」

「はい……夢の中で『私』――いえ、『私ではない誰か』がサイフィリオンに乗っていました……サイフィリオンも今の形とはずっと色々と違っていて、だから私戸惑いました。私ではない誰か、自分の知らないサイフィリオンがそこにいるのですから、混乱しました。ですが――」


 少女は言葉に詰まる。

 しかし、言わねばならぬと唇を噛み、意を決して言葉を紡いだ。


「師範にとてもよく似た風貌の男の方を見ました。険しい瞳、いくつか刻まれた顔の皺……今の師範が十か、二十ほどお年を召したのであればああいった顔になるのではと思うほど、よく似ていました」


 オクタウィアの瞳が言葉を失った彼を見つめる。代わりにカリスが口を開いた。


「一つ、質問してもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「その男性を『オクタウィア様ではないその人』はどのような人物だと捉えていたかわかりますか?」

「それは……」


 沈黙。

 真顔になったシャルルは無言でオクタウィアの告白を待つ。

 彼女が見たという夢に限りなく近い何かを、彼もまたエールセルジーに乗る前後に白昼夢として見ていた。

 だからこそ、根拠はなくとも彼女の言葉には嘘偽りがない。証拠がなくても信じるに値する――そう断言できた。

 そして、唇をぎゅっと結んだオクタウィアが一言。


「――皇帝陛下、です」

(やっぱりそうか……)

「英雄アルトリウスの肖像画などは現代に残ってはいません。博物館や図書館、美術館などにある絵画や彫像。それらのほとんどが伝承や伝説を元に想像で作られた物と考えられています。それらとどこか似ていましたか?」


 オクタウィアは一切迷わず首を横に振り、こう続けた。


「いいえ、まったく。ですが、師範にはとても雰囲気が似ていました」

「夢というのは、既に見聞きした物事や知識で都合よく形作られるのではないか、と言われていますが……」

「違うと思います。あの夢は……夢というには恐ろしすぎて、あまりにも怖くて……でも、とても強く、暖かい夢でした、だから……」


 傍らで腕を組んで二、三頷いた彼にカリスが目を向けた。


「――騎士殿、なにか言いたいことがあるのですか?」

「ああ……お嬢の語ってくれた夢の話だ。選定の剣を抜いた時だが、俺も同じような夢を見ていた。真っ赤な戦場の夢だったよ」

「――ッ!? それじゃ……」

「俺もわかる。あれはたぶん、若い頃の親父だ」


 唇を押さえたオクタウィアの顔が紅潮していく。

 瞬いた瞼から頬へ流れ落ちた涙に、彼がさっとシルクの布切れを差し出した。

 それからしばし続いた沈黙を水色の髪の少女が破った。


「お二人とも、それは口からでまかせではないですね?」

「――女王陛下に誓って」

「――俺はソフィア王女殿下に誓ってだ」


 迷いのない二人の瞳を見て俯き、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐ききった。

 ほんの少し歯を食いしばり、手をぎゅっと握りしめ、水色の髪の少女が言う。


「わかりました。であればこそ、この話はアルス・マグナ総裁たるベアトリクス王女殿下、そして女王陛下へお伝えしなければなりません。それから――」

「他言無用、ってことだろ」

「そうなります。しかし、新たな疑問や謎も出てきてしまいました」

窮極きゅうきょく召喚しょうかん魔術まじゅつ……そんなものがあったなんて」

「極めて膨大な魔力と人員を使った儀式であったはずです。術式自体は失われ、名だけがこうして書物の中に残った物を、果たして現代で誰が使ったのか……使ったとしたらなぜ……」


 ほんの少し顔をしかめ、顎に手をやり、いつもの独り言状態に入りかけるカリスにシャルルは口を挟む。


「別に今の時代に使ったとは限らねぇんじゃねぇか?」

「……ふむ?」

「詳しくはねぇが、魔術ってのは呪い事を唱えてすぐ火やらなにやらが出てくるってわけじゃねぇんだろ?」


 額にしわを寄せつつ、うーんと唸って彼女が応じる。


「たしかに、そういった術も存在はしますが」

「だろ? だとしたら、だ。大昔に誰かが使ったその大魔術ってのが、時間が経って今になって発動した、ってのはどうだ?」

「そんな、いくらなんでも千年も発動しない術なんて……」

「そうは言うがお嬢、カリスに言わせりゃ異界の扉を開くなんていう大仰すぎる話の前には時間なんてさしたる問題じゃねぇらしい。な、そうだろ?」


 同意を求められた水色の瞳がパッと開いた。


「――なるほど、かなり飛躍はしていますが、良い着眼点だと思います」


 大きく見開いた水色の目に宿る確信。

 そんな少女にじっと目を合わせ、爽やかな笑みとともに彼は言った。


「事の真相は無学な俺にはさっぱりわかんねぇ……だけど、考えようはあるはずだ。頼むぜ、小さな大賢者どの」

「だ、大賢者だなんて、そんな……」

「胸張れよ。少なくともお前さんはもう農家の捨て子なんかじゃあない。名門貴族の令嬢相手に講釈して、大昔の皇帝の血を引くかもしれねぇ皇子おうじに啖呵切ったんだろ? その上で、王女殿下や女王陛下に直接奏上できるような立場ってわけだ」

「――しかし、ですねっ」

「つっても、張るほど胸はねぇか……」

「ど、どこを見て言ってるんですかっ、騎士殿っ!!」

「なぁんてな。らしくなってきたじゃあないか。ホント頼りにしてるぜ!」

「まったく、もう……」


 顔を真っ赤にして頬を膨らます少女にも、騎士の爽やかな笑みは崩れない。

 むしろ輝いた眼差しのままニッと歯を見せ、小さな賢者の抗議を受け流す。

 そんな二人のやり取りを傍らで見守り、オクタウィアは若干の羨ましさも混じった笑みを浮かべていた。


(しっかし、ダビデ、ソロモン……偶然の一致と片付けるにはデカすぎる名前だ)


 表向き軽口を叩いているシャルルの中で次々とわき上がった疑問はカリスの抱える物よりも遥かに多かった。

 カリスの話の中で出てきた過去の偉人と思われる名。それは、シャルルがかつての国にて信仰を捧げていた神の言葉の書にも記された伝説の古王たち。


(そもそもマグメルってのも、ケルトのおとぎ話に出てくる国の名前だったよな……あぁ、畜生。わかんねぇことがあまりにも多すぎる……)


 未知の世界で見聞きする、既知の数々。

 それら全てを偶然の一致と片付けるには、あまりに大きすぎる謎であった。


 ***


 カリスの私室を出た三人は王太子ベアトリクス第一王女に目通りを申し出た。公務が忙しかった王太子への目通りを許されたのは地平線の彼方に陽が沈んで間もなくのことである。

 ランタンを灯した小さな応接室で重大な秘密の一端を耳にした王太子は、すぐさま女王ディアナ十四世の私室へ赴き、それを自らの口で耳打ちした。

 ほどなく、控室で待たされていた三人の元に王太子が戻ってきて口にした。


「女王陛下がすぐお会いになるとおっしゃいました。どうぞこちらへ」


 侍従ではなく王太子自らランタンを持って三人を先導し、これまでに入ったことのない王城の一角へと彼らを連れていった。要所に立つ兵士は普通の兵士よりも立派な身なりをしており、皆がすっと背筋を伸ばして美しい立ち振る舞いであった。


「こちらでお待ちでございます、王太子殿下」


 見覚えのある銀髪の婦人が皆を出迎えた。侍従長トラキア伯である。

 娘のヘレナと同じ銀髪を生やした侍従長がコツコツと扉を叩き、部屋の中に向かってこう声を掛けた。


「客人がおいでになりました」

「かまいません。中へどうぞ」


 心なしか穏やかな声であった。

 侍従長が扉を開け、王太子たちを部屋の中へと促す。

 王太子に続いて扉をくぐった先に、ひときわ大きな部屋があった。

 絨毯や家具だけでなく、動物を模したぬいぐるみまで飾ってある。


「侍従長、皆にリンゴ酒を」

「かしこまりました。すでに用意してございます」


 泡立ったリンゴ酒が注がれた銀の杯が五つだけ応接用の机に並べられる。それを終えると侍従長は部屋から退出していき、女王のほかは王太子と三人だけが残された。


「お待ちしていましたよ。カルディツァ郡伯カロルス・アントニウス卿」

「……はっ」


 王冠おうかんをかぶらず、王笏おうしゃくも手にしていない淑女にひざまずき、臣下の礼を取る。

 そんなシャルルの前に大きな長椅子から立ち上がった女王自らが歩み寄った。


「いいえ、お待ち申し上げておりました……バルティカの盟主にしてルナティアの本来の支配者――ルキウス・アルトリウスの血脈を継承された光の皇子おうじであらせられるカロルス殿下」


 驚きに顔を上げた彼の前で、ディアナ十四世は跪礼をもって彼を迎えた。その場の全員が唖然とした。臣下に対して取る態度ではなかったからだ。

 女王自らが訪れた皆に着席を促す。言われるがまま皆は長椅子に腰かけた。


「あの……遊びが過ぎるのでは? お母様」

「何を言うのです、ベアトリクス。わたくし、戯れで口にしているのではないわ」


 長女にたしなめられる母親といった振る舞い――その雰囲気がどこかソフィア王女に似ていると感じたシャルルに女王は声を掛けた。


「少し驚かせてしまいました。申し訳ございません、カロルス殿下」

「いえ、その……陛下にそう呼ばれると大変恐縮でございます。できれば『アントニウス卿』と呼んでいただきたく」

「かしこまりました。では便宜上『アントニウス卿』と呼ばせていただきます。わたくしのことはどうぞ『ディアナ』とでも」

「……それだけは……平にご容赦を……」

「お母様、アントニウス卿が困っていらっしゃいます。お戯れはそこまでになさってくださいませ」


 すると女王はクスクスと笑い出した。

 どこか悪戯っぽく、しかし屈託のない笑みはやはりソフィア王女と重なった。


「ごめんなさいね、アントニウス卿。決して悪気はないのです。ただ、王家に伝わる古い言い伝えに従っているに過ぎないのですから」

「古い……言い伝えとは……」


 彼の目を一瞥した女王は顎を引き、切れ長のまぶたを閉じて一篇いっぺんそらんじた。


 ――――――――――――――――


 天に太陽と月の二神あり。

 耀かがやける太陽が没し、きらめく月が照る。

 きらめく月も没せん時、新たなる太陽が耀かがやく。

 まさるべし、是即これすなわ天文てんもん不変ふへん原理ことわりなり。


 地に太陽と月の二君あり。

 太陽の耀かがやきを以て地の隅々までべた皇帝。

 月のきらめきを以て永き暗夜あんやを照らした女王。

 朝な夕な光を注ぎて、地に根を張る蒼生そうせいを導きたり。


 太陽の皇帝こうてい、その黄昏たそがれ一振ひとふりの聖剣をのこたまえり。

 深き暁闇ぎょうあんを切り裂き、一条の暁光ぎょうこうを示す聖剣なり。

 これを抜く者、光のみかどを継ぐ嗣子ししとなりて、赫々かっかくたる日輪とならん。

 これる者、光の皇子おうじに寄り添いたすけて、明々めいめいたる月輪とならん。


 ――――――――――――――――


「これが何を意味するか。もうおわかりですね、アントニウス卿。わたくしたちルナティアの王族には古来王位継承者だけに受け継がれてきた秘密の役割があるのです。『選定の剣』を抜いた貴殿を『光の皇子おうじ』として庇護ひごする役割が――」


 女王が明かした秘密に三人は言葉を失った。

 彼らが知り得た秘密ですら大き過ぎて持て余すとさえ思われたのに、それに引けを取らないほどの大きなものが直接女王の口から明かされたのだから。


「月の女神の末裔であるならば、太陽の神の末裔である貴殿とともに天地を照らしてゆかねばなりません。そうでなければこの大地は光を失ってしまいます。天文てんもん不変ふへん原理ことわりとはそういうことです」

「お言葉、まことに深く心肝しんかんむ想いで拝聴はいちょうつかまつりました」

「そのような格式ばった言葉遣いなど、もはや必要ないのです。アントニウス卿」

「いえ、陛下……私にはまだそのような大それた立場を名乗るほどの資質は備わっておりません」


 資質という言葉に女王は目を大きく見開く。彼は続けた。


「ずっと隠していた秘密が私もございます。私はルナティアの生まれでもなければ、そもそもバルティカというこの大陸に縁のある人間でもございません。言葉も通じぬ異界の出身でございます」


 その告白を皮切りに彼にまつわる秘密が女王に明かされた。


「ここを訪ねる前、カリス嬢に様々な教えを乞いました。『光の皇子』という言葉もそこで初めて耳にしました。異界より来た私にはこのルナティアに生まれついた者が当然知るような教養がございません。とりわけ魔術に関しては、生まれたばかりの赤子といい勝負でございましょう」


 彼が『光の皇子』を名乗ったなら、これを狙わんと様々な者たちが陰に陽に悪意を向けるであろう。魔術を知らず行使することもままならない今の彼には、それを防ぐ手立てがなかった。


ゆえに私は、女王陛下の数ある臣下の一人という立場であり続けたいのです。これがわがままと心得た上での申し入れでございます……どうかお聞き届けくださいませ、女王陛下」

「よくわかりました……、アントニウス卿」


 彼が顔を上げると、女王は威厳をたたえた表情でこう申し渡した。


が明かした王家の秘密はルナティアの王位継承者、それに類する者だけが知り得るものです。たとえ王族であっても資格のない者に明かしてはなりません。ましてや臣下になどもってのほか……口を封じることも考えなくては」


 冷たい眼差しに背筋が凍る。

 彼だけにとどまらず、カリスやオクタウィアすら息が止まり青ざめていた。

 十秒足らずの沈黙。それを打ち破ったのは女王自身のまるで少女のような屈託ない笑顔であった。


「ふふふ、ただの戯れですよ。皆、どうしたのです?」

「……冗談にしては度が過ぎます、お母様」

「娘に怒られてしまいました。少し遊びが過ぎたようですね。バルティカ皇帝陛下の臣民である資格者の口を封じるなど、わたくしにできようはずがない――あなたならおわかりなのでは? カリス・ラグランシア」

「……はい……資格者のお二人はともかく、私の命はここまでかと覚悟しました」


 真顔でそう返した少女がおかしかったのか、口元を隠した女王は肩を震わせる。

 自分が『小さな大賢者』と讃えたカリスさえ手玉に取る女王ディアナ十四世という人物の底深さに、鳥肌が立って治まらないのをシャルルは感じていた。


「資格者と重要な秘密を共有する立場のあなたを今さら消す道理があるでしょうか、ねぇベアトリクス」

「カリスはわたくしが見出した天賦の才能の持ち主です。何の相談もなく勝手に命を取らないでくださいまし」


 ため息まじりに言った王太子はうんざりという不愉快な面持ちを隠さなかった。

 女王の戯れが気に障ったせいであろうか。心なしか疲労の色が窺えたように彼には思われた。

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